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〈9月18日はジミ・ヘンドリックス命日〉ジミヘンが初めてギターを燃やした日…そして27歳で早すぎる死を迎える天才の苦悶の日々

集英社オンライン / 2023年9月18日 10時1分

1970年9月18日。ロックミュージックに変革をもたらしたジミ・ヘンドリックスが27歳で永眠した。激動の1960年代後半のカウンターカルチャーを象徴する存在であったジミには数々の伝説がある。今回はその一部に触れながら、偉大なロックギタリストを偲びたい。

『Fire』でギターに火を点けた

歯でギターを弾いたり、背面でギターを弾いたりと、数多くの衝撃的なパフォーマンスを生み出したジミヘン。中でも最も有名なのが、ギター炎上パフォーマンスかもしれない。

1967年6月。野外フェスの先駆け的存在となった「モントレー・ポップ・フェスティバル」が、アメリカ・カリフォルニア州の同地で3日間に渡って開催された。ジミは最終日にジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス(ノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルらと組んだ3人組バンド)として登場。クライマックスでギターを燃やして観客の度肝を抜いた。


『Film Trailer: American Landing: Jimi Hendrix Experience Live At The Monterey Pop Festival』。The Official YouTube home of Jimi Hendrixより

しかし、このパフォーマンスが最初に行われたのは、1967年3月31日のことだった。

場所はロンドンのライブハウス。ウォーカー・ブラザーズの解散ツアーの初日。前年12月『ヘイ・ジョー』でイギリスデビューしたばかりのジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは、まだ前座として出演するバンドの一つに過ぎなかった。

ジミはどうすれば自分たちのステージを盛り上げられるか、出番を待つ合間にスタッフと楽屋で話し合っていた。この時、誰かが冗談のつもりで言った。

「もしジミがギターに火を点けたらどうなるかな」

その日の夜。ジミは最後の曲、その名も『Fire』でギターに火を点けた。

『The Jimi Hendrix Experience - Fire (Iowa 1968)』The Official YouTube home of Jimi Hendrixより

前代未聞のパフォーマンスに、観客が唖然としたのは言うまでもない。ちなみに手に軽い火傷を負ったジミは、出番が終わるとすぐに病院に向かったという。

苦悶の日々…ステージへ上がることも拒否し始めた

時は流れ……1969年11月27日に27歳の誕生日を迎えたジミ。だが、この頃の音楽活動は決して順風満帆ではなかった。

同年6月にジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを解散後、新たに6人編成のバンド、ジプシー・サンズ&レインボウズを結成するも、目立った活動は「ウッドストック・フェスティバル」への出演だけですぐに解散。

その後結成したバンド・オブ・ジプシーズも長続きせず、翌年1月28日のマジソン・スクエア・ガーデンのステージを最後に、同じく解散してしまう。

それでもジミはドラムにエクスペリエンスのミッチ・ミッチェル、ベースにビリー・コックスというメンバーでアメリカへツアーの旅に出た。ロック・シーンの頂点に登り詰めたジミに休む暇はなかった。大勢のファンたちがステージを待ち望んでいたのだ。

しかし本番直前になると不安とプレッシャーからか、毎回のようにステージへ上がるのを拒否していたという。3ヶ月に及ぶツアーが終わったのは1970年8月の初めで、ジミはその時のことについてインタビューで答えている。

「アメリカでのツアーが終わった時、本当はどこかに隠れて、すべてを忘れてしまいたかった。ただレコーディングだけやって、俺に曲が本当に作れるのかどうか考えてみたかったんだ」

「ビートルズから始まった音楽の時代は終わったと思った。何か新しいものが出てこなくてはいけない。それがジミ・ヘンドリックスなんだってね」

ローディーとしてジミの音楽をそばで支え続けてきたジェリー・スティッケルズは、「随分長い間挫折したままだったジミが、あの時には新しいアイデアの洪水を抱えているみたいだった」と、1970年の夏頃からジミにある変化が起きていたことを証言している。

ビートルズに代わる新しい音楽の創造と27歳の死

ビートルズに代わる新しい時代の音楽を作リ出す。その覚悟がジミに新たな想像力をもたらしたのだろうか。

8月26日にはニューヨークに建てた自身のスタジオ「エレクトリック・レディ・スタジオ」を開設。2年近くを費やしていた新しいアルバム制作は、ようやく完成に向かって動き出した。

「考えるだけで、ぞくぞくしてしまうんだ。俺は今とても幸せだよ。万事、うまくいくさ」

しかし、ジミの手でアルバムが完成することはなかった。
1970年9月18日、突如としてジミはこの世を去ってしまう。

死因は睡眠中の嘔吐による窒息で、寝る前に飲んだ酒と睡眠薬の過剰摂取が引き金となったようだ。ジミの死については様々な説が囁かれているが、今となっては真相を知る由もない。ただドラッグのせいで身も心も破壊されていたのは否めない。

この未完のアルバムは、1997年になって『ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン』としリリースされた。

『ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン』のジャケット。生前、ニューアルバムのためにレコーディングしていた音源を基に編まれている。ヘンドリックスの右腕として活躍したエンジニアのエディ・クレイマーが制作を手がけた

ジミ・ヘンドリックスの登場はまさに革命だった。
卓越した演奏技術。独創的な感性。型破りなパフォーマンス。
そして何よりも彼自身から放出される圧倒的なエネルギー。
何もかもが規格外だった。

文/TAP the POP 写真/shutterstock

参考資料:
『ジミ・ヘンドリックスの伝説』クリス・ウェルチ著 菅野彰子訳(晶文社)
『ジミ・ヘンドリックスの生涯』トニー・ブラウン著 米持孝秋訳(シンコー・ミュージック)
『ジミ・ヘンドリックス~リアル・エクスペリエンス』ノエル・レディング著 高見展訳(宝島社)

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