【アントニオ猪木さん一周忌】亡くなる直前に初めて妹に漏らした「つらくて眠れないんだ」という弱音。きょうだいだけが知る「アントニオ猪木」と「猪木寛至」の相違
集英社オンライン / 2023年9月30日 18時1分
「燃える闘魂」とうたわれた不世出のプロレスラー・アントニオ猪木(本名・猪木寛至)さん(享年79)が昨年10月1日に亡くなってから一周忌を迎える。
きょうだいだけが知るアントニオ猪木
9月12日には菩提寺の横浜市鶴見区の総持寺で新日本プロレスの坂口征二相談役ら関係者120名が参列し、猪木さんの一周忌法要が営まれた。法要後には改修した猪木家の墓所に建立した「ブロンズ像」の除幕式が行われ、参列者はそれぞれ猪木さんの雄姿に手を合わせた。
法要、除幕式には、猪木さんの兄・康郎さん(98歳)、妹の佳子さん(76歳)、弟の啓介さん(75歳)が参列した。11人きょうだいの6男だった猪木さんは、14歳を迎えたばかりの1957年3月に祖父・相良寿郎さん、母・文子さん、そして7人のきょうだいと共に横浜港から船に乗ってブラジルへ移住した。
1948年2月に石炭商だった父・佐次郎さんが急逝した一家にとって、ブラジルに新たな生活の場を求めた末の移住だった。しかし途中、パナマ運河で祖父が急逝する悲劇に見舞われる。このブラジルへの移住を猪木さんと共に体験したのが佳子さんと啓介さんだった。
最初に暮らしたのは、サンパウロ州の南西部に位置する都市、リンス。ここで一家は、珈琲農園に住み込み、豆の収穫などの労働に従事した。啓介さんが当時を振り返る。
「毎日、朝5時に農園を管理する監視者に鐘を鳴らされて起こされるんです。そこから食事をして8時間、農園で労働です。豆の収穫は素手でやるんです。だからすぐに掌は血がにじんでね。そのうちマメができて痛みなんかなくなります」
中でも過酷だったのは、背丈ほどに伸びた雑草を刈る作業だった。
「大きな鎌で雑草を刈り取るんですが、これを引くのがとてつもなく重くてね。今、思い出してもつらい作業でした」(啓介さん)
そんな過酷な労働の中で思い出す猪木さんの姿は「黙々と仕事をしていました。兄は、当時ですでに身長180センチ以上あってきょうだいの中でも群を抜いて体が大きかった。ですから、物を運ぶのも誰よりも重い物を持たされるんです。だけど嫌な顔をひとつせず、黙って仕事をしていました」と目をうるませた。
そして「雑草を刈り取ったり、荷物を運ぶことで自然とあの頑丈な体が作られたんだと思います。兄の肉体を築いたベースは、まさにあのときの労働あったと私は思っています」と話した。
毎日2時間、暗闇の中で砲丸を投げる猪木
珈琲園では、男は労働し、母・文子さんら女性は、家事などで生活を支えたと佳子さんが振り返る。
「厳しい仕事が終わった後も寛至兄さんが泣き言を漏らしたことなんかありませんでした」
プロレスラーとしての言動から、一般的に猪木さんには“過激さ”を思い浮かべるが、妹の佳子さんは真逆の印象を抱いているという。
「子供のころから兄さんは、とてもおとなしくて口数が多い人ではありませんでした。穏やかでおとなしい兄でした。よく歌を口ずさんでいました。歌っていたのは日本の唱歌です。『荒城の月』なんかよく歌っていましたよ」
きょうだいは夜になると、兄の寿一さんは空手、快守さんはランニングなど、それぞれの趣味に没頭した。その中で猪木さんが取り組んだのが砲丸投げ、円盤投げ、やり投げといった投てき競技だった。電灯などない真っ暗闇の中、猪木さんは毎日、1~2時間ほど砲丸を投げ続けたという。練習には啓介さんが付き合った。
「明かりがありませんから、私がランプを持って兄を照らすんです。そして、砲丸を投げると私がランプの明かりを頼りに砲丸を探して兄に渡しました。そんな練習を毎日、2時間ぐらい繰り返していました。農園での労働と同じように黙々と夜空に向かって投げ続ける兄の背中を今も憶えています」(啓介さん)
リンスの珈琲農園での労働は、1年ほどで引き上げ、一家は新たに同じサンパウロ州の南東部に位置するマリーリアに移住し、今度は自ら綿の栽培に着手する。しかし、これが失敗。代わって手掛けた落花生の栽培が大当たりし、ようやく生活は軌道に乗った。このマリーリア時代に佳子さん、啓介さんが共に思い出す猪木さんの姿は、「馬」だった。
「落花生を馬に乗せて運ぶんですが、寛至兄さんは背が高かったから馬に乗ると足が地面に着いてしまうんです。その馬が小さかったのかもしれませんが、それぐらい兄さんの体は大きかったなぁって思い出します」と2人は微笑んだ。
落花生で成功した一家は、1960年から大都会サンパウロに移り、青果市場で働くことになる。そのころ、猪木さんはブラジル在住の日本人を対象にした陸上競技大会に出場し、砲丸投げで優勝する。これが日系人向けの新聞で報道され、ブラジル遠征中の力道山にスカウトされ、4月に日本へ帰国することになった。
「私にとって『アントニオ猪木』と『猪木寛至』は違うんです」
「ブラジルへ行く前から『レスラーになりたい』と兄は言ってましたから、迷うことなく力道山についていきました。家族も反対することなくみんな背中を後押ししました」と啓介さんは当時を振り返る。
そして猪木さんは1960年9月30日にプロレスデビュー。以後の活躍は、誰もが知る通りだ。
猪木家のきょうだいは、日本へ帰国する者もいたが、佳子さんはブラジルに残り結婚。2人の子供をもうけ、今もサンパウロに住んでいる。
2019年8月27日に猪木さんは田鶴子夫人と死別。それからほどなく猪木さんも難病「心アミロイドーシス」に冒されていることを公表した。晩年、猪木さんは毎日のようにサンパウロの佳子さんへ電話をかけていたという。
「話す内容は、『元気にしてる?』とかとりとめもないことでした。ただ、兄さんと話すと必ずあの農園で働いていた時代のことを互いに思い出すんです。あのときはものすごく苦労してつらかったんですけど、きょうだいみんな仲良くて一致団結して働いていたんですね。たぶん、兄もあの時代のことが懐かしかったんだと思います」
自ら、ブラジルは「俺の原点」と言った猪木さん。佳子さんとの電話は、人生の礎を育んでくれた広大な大地へ思いを馳せる時間だったのかもしれない。亡くなる3か月前に佳子さんはいつもの電話で猪木さんの異変を悟った。
「こっちの時間で夕方の3時に電話が来たんです。12時間の時差がありますから日本は午前3時。こんな深夜になんで電話を、と胸騒ぎがしたら兄が『つらくて眠れないんだ』と漏らしました。兄の弱音をこのとき、私は初めて聞きました。よほど体がつらいんだろうなと悟りました」
そして、亡くなる1週間前の電話が最後となった。
「テレビ電話だったんですけど、ベッドに横たわりながら、周りにはいろんな差し入れがありました。『こんなにいろいろあっても食べられないのにな』と言っていました」
2022年10月1日、猪木さんは79歳の生涯に幕を閉じた。
佳子さんは打ち明けた。
「私にとって『アントニオ猪木』と『猪木寛至』は違うんです。プロレスラーとしての兄は、いつも周りに大勢の人がいて何か遠い存在になってしまったと感じていました。だけど、きょうだいだけになると『猪木寛至』に戻るんです。私にとっての兄は、あの穏やかで優しい姿なんです」
猪木さんはブラジルの珈琲農園で「荒城の月」を口ずさんでいた。
「むかしの光 いまいずこ」
迎えた一周忌の10月1日。猪木さんの「光」を多くの人々が探し求める時間になるだろう。
取材・文・撮影/中井浩一
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