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さみしいという感情は時に思い通りにならない相手や社会に対する強い怒りになる… 脳科学者が説く、さみしさの危険性とは?

集英社オンライン / 2023年9月24日 10時1分

「ひとりでいるのがつらい」「誰かといないと満たされない」というさみしさの感情は時に悲しい事件に発展することもある。さみしさの危険性について脳科学者・中野信子氏の著書『人は、なぜさみしさに苦しむのか?』(アスコム)より一部抜粋・再構成してお届けする。

コロナ禍が「孤独の美化」を加速させた

コロナ禍で自死者が増加したという報道がありました。特に、若い世代や女性が増えたという点は注目すべきかもしれません。
そこに未遂も含めた著名人の自死報道が相次ぎました。「どうして? なぜこの人が?」という衝撃とともに、社会に喪失感や不安感が広まっていきました。コロナ禍では、行動制限、在宅での就学、在宅勤務の長期化で、人との交流が希薄になっていきました。人間関係は面倒なものでもあります。当時、避けることができるのであれば、これを奇貨として面倒な交流は減らしてしまおうと考えた人も多かったのではないでしょうか。


けれども一方で、やはり人との交流が減ったことにより、心身に変調をきたす人が増えたという報道があったというのは興味深いことです。

旭川医科大学と北海道大学の研究では、「新型コロナウイルスのパンデミックが、人々のメンタルヘルスに大きな影響を与えており、それが日本の自死率に影響している」としています。
これまで、孤独とは無縁だと思っていた人も、パンデミックにより半ば強制的に孤独な状態に置かれ、さみしさを感じることが長く続くと、これまで述べてきたような、さみしさによるネガティブ感情のスパイラルに陥ってしまったのでしょう。

人間は、ひとりでいると、ネガティブフィードバックをしはじめてしまうものです。自分の行動を自分で振り返って、褒めたたえるよりもむしろ、厳しくチェックし、ダメ出しをしていくほうが、「安全」だということを学習させられてきたからです。
考えてもみてください。自分の行動を褒めたたえてばかりでまったく自身の行動を律することができない人がいたとしたら。

その人は、「イタイ」人とみなされてしまい、なおかつ、迷惑な人として集団から排除されてしまう可能性が高くなってしまうことは否めないでしょう。

気をつけたい「孤独の美化」

また、気をつけなくてはならないのは、「孤独の美化」です。
「ソロ活ブーム」は面白い現象で、周囲の他者の意向を慮らなければならない重たさから解放され、ひとりの時間を楽しもうという時代の気分から生まれてきた流行です。わたしもどちらかといえばひとりが好きな性質ですから、これがブームになっていることについては個人的には歓迎したい気持ちがあります。

けれども、「孤独は美しい」「孤独の価値を知るべきだ」「他人に依存して生きることは恥ずかしい」「人生最後はひとりなのだから孤独から逃げてはいけない」などといわれると、本当に誰かに頼らなければならないときに、声を上げられなくなってしまう。

孤独を楽しむことができる人があたかも優れた人であって、誰かに頼る人は劣った人であるかのようなイメージが社会的に定着してしまうことそのものには危うさを感じてしまいます。日本に特有の、根強く存在する、「他人に迷惑をかけてはならない」という不文律と融合して、孤独の価値を謳う精神論が、本当に助けが必要な人の声を潰してしまうことはしばしばあるのではないでしょうか。
誰かに助けを求めるより、ひっそりとひとりで死んでしまったほうがいい、と、取り返しのつかない選択をする人がもしいたとしたら。孤独の美を訴えることの功罪はもっと議論されるべきなのではないかと感じます。

幽谷の仙人のような、孤高の美学を追求するのはとても満足感の高いものでしょう。けれどもそれは、さみしさへの感受性が異なる可能性のある他者に押し付けられるべきではなく、押し付ける人がもしいたとすれば、それこそ迷惑な話です。しかもその態度は孤独を愛する人のそれですらありません。他者に自分の考えを認めさせようとしている時点で、恥ずかしいほど他者を必要としている姿であるからです。

あなた自身のなかに、さみしさへのあきらかな不安や不快な感情があるならば、他人の美学に左右される必要はないと思います。美しいものではあるかもしれませんが、「誰かが勝手にいっているだけなのだから」と自分の生き方とは切り離して考えていきたいものです。

「激しい怒り」に内在する強いさみしさ

一緒にいたいと思う人が忙しくて都合がつかない。それが長く続いてさみしくなる。
一緒にいるのだけれど、思いが通じないことが増えてきて、それが重なりさみしくなる。
そんなとき、さみしがりやの人ほど、相手を責めてしまうことがあります。その結果、相手の心が離れていき、ますます孤独になってしまうという悪循環をもたらしてしまいかねません。
また、特定の誰かでなくても、誰かといたい、誰かに自分の気持ちを知ってもらいたいという思いがあり、それがかなわない場合にさみしさがつのっていく、ということもあります。

そんなさみしいという感情は、ときに思いどおりにならない相手や社会に対する強い怒りへと変わることがあります。

さみしさによってストレスにさらされているときに脳内で起こっている現象のひとつとして考えられるのは、セロトニンの分泌が十分でないという可能性です。セロトニンには、「闘うホルモン」ともいわれるアドレナリンを抑える働きがあるのですが、セロトニンが十分に存在しないと、アドレナリンによって駆動される攻撃の仕組みがコントロールできず、本当に相手に対して攻撃的になってしまうということが想定されます。

愛している相手に対して攻撃を加えるというのは、冷静になって考えればあまりやりたくないはずのことでしょう。けれども、さみしさのあまりに、この衝動が止められなくなってしまうというのは悲劇的です。自分で自分をより苦しい方向に追い詰めるような行動を、なぜ人は断ち切ることができないのでしょうか。

思っている対象の人に会うことができれば、そのさみしさはたしかにそのときは癒やされるでしょう。しかし、どんな人が相手であったとしても、24時間ずっと一緒にいるわけにはいきません。離れなければならないときを迎えると、あるいはそれを想像するだけで、さみしさにつきものの心の痛みがよみがえってきて、また相手を攻撃してしまうということも起こってしまいます。

これでは、相手の存在はむしろあなたの心の痛みを助長する引き金になってしまっているようなものです。相手と一緒にいるときの心の安らぎや、心地よさが大きければ大きいほど、それを喪失する痛みは強くなり、耐え難いものになっていく。

さみしさがあっても充実した人生を送ることはできる

あなたの痛みを癒やすのは、相手の存在ではない、ということに、本当はあなたも気づいているのではないでしょうか。相手よりも、もっと別のところに、あなたのさみしさを上手に扱うための機構を、求めていく必要があります。

それは、仕事に打ち込むことかもしれませんし、自分の価値をより感じられるように、注力できるなにかを探すことかもしれません。さみしい、という気持ちがどこから生まれてくるのか、わたしたちはなぜさみしさを感じるのか、ということをじっくりとひとりの時間をとって考えたり、数多くの過去の人が同じようにさみしさに苦しんできたことから得た知見を学んでいくことであったりするかもしれません。

さみしさがあっても、充実した人生を送ることは十分に可能なことです。

また、適度な距離感の友だちを持つことも、ときには大切なことでしょう。人が必要とする友だちの数は、人それぞれに違います。性格も環境も異なりますし、たくさんの友だちとにぎやかなときを過ごしたい人もいれば、深く語り合える仲の友だちがひとりいれば十分だという人もいます。

ただ、ここで「適度な距離感」と書いたことには理由があります。人間は距離が近くなれば相手の嫌な部分が目に入り、相手にも自分の嫌な部分が目に入り、良好な関係を持続していくのが難しくなっていくからです。

互いに、困ったときには打ち明けることができ、けれども依存的になることなく自立しているという関係をつくることができればとても理想的でしょう。

とはいえ、理想に縛られて窮屈さを感じるようであれば、それは本末転倒です。みっともない状態の自分で友だちを傷つけてしまった、ということがもしあったとしても、残念なことは残念なこととして、受け止めていけるだけの心の弾力を持ちたいものです。

『人は、なぜさみしさに苦しむのか?』(アスコム)

中野 信子

2023年8月31日

1,397円(税込)

新書 ‏ : ‎ 284ページ

ISBN:

4776212692

さみしさは心の弱さではない。生き延びるための本能-。
人類は、なぜ「さみしい」という感情を持つのか?
あなたの知らないあなたの心を脳科学が解き明かす!

「ひとりでいるのがつらい」「誰といても満たされない」
集団をつくり、社会生活を営むわたしたち人類のなかで、さみしい・孤独だと一度たりとも感じたことがない人は、おそらくいないのではないでしょうか。
集団をつくる生物は、孤立すればより危険が増すため、さみしさを感じる機能をデフォルトで備えているはずだからです。さみしさは人類が生き延びるための本能であり、心の弱さではありません。それなのになぜ、私たちは、「さみしいのは、よくないことだ」「ひとりぼっちは、みじめだ」などと考えてしまうのでしょうか。
そこには、さみしさという感情を捉える際に起こりがちな、さまざまな思い込みや刷り込み、偏見が隠れています。
本書では、脳科学的、生物学的な視点から、なぜ、さみしいという感情が生じるのかという問いに焦点をあてていきます。また、なぜ、さみしいという感情をネガティブなものと捉えてしまうのか、その科学的要因、社会的要因からも考察していきます。
すべての感情には、意味があるはずです。であれば、さみしいという感情が生じたときにも、無理に抑え付けたり、なかったことにしたりするのではなく、
「そこにはどんな意味があるのか」を考え、理解していくほうが、この感情をスムーズに扱えるのではないでしょうか。さみしさの扱い方に慣れ、その生じる仕組みを理解することで、さみしさを必要以上におそれることなく、振り回されることもなく、上手に付き合いながら、長い人生をより豊かに、穏やかな気持ちで過ごしていくことができるようになるはずです。

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