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「記者じゃない、当事者だ」ウクライナ侵攻開始直後、「あなたは何もしていない。記者でしょう? 書いたらどうなの」とウクライナ人妻から言われた日本人記者のホンネと葛藤

集英社オンライン / 2023年9月29日 9時1分

2022年2月24日、ロシア軍はウクライナへ全面侵攻を開始。前年に新聞社を退社し、ウクライナ人の妻とキーウに移り住んでいた日本人ジャーナリストの古川英治氏はその戦争に直面した。戦禍に暮らし、記者として、また当事者として見たウクライナの真実とは。『ウクライナ・ダイアリー 不屈の民の記録』(KADOKAWA)より、一部抜粋・再構成してお届けする。

#2

昼夜問わず聞こえる爆発音、しかし一体どこで何が起きているのか分からない…

ロシアがウクライナに全面侵攻を開始してから2日後の2022年2月26日の午後5時から28日の午前8時まで外出禁止令が発表された。

すでに非常事態が宣言され、18歳から60歳のウクライナ人男性は出国を禁止されていた。テレビ各局は「TVマラソン」と銘打ち、抗戦ムードを盛り上げる番組を24時間流していた。



その間、続々と不穏な情報が耳に入ってくる。

「(首都から30キロの)ホストメリの空港がロシア軍に占拠された」
「ロシア軍が(首都の北に位置する)チョルノービリ原発を占領した」
「2000人のロシア軍空挺(くうてい)部隊が首都に展開しようとしている」

テレビでは、キーウ近郊の町から銃弾のなかを避難しようとする人々の映像が流れていた。

私たちがいた左岸でも昼夜問わず断続的に爆発音が聞こえてきたが、一体どこで何が起きているかはよく分からない。

ゼレンスキーが首都を脱出したという、恐らくロシア発の真偽不明の情報も流布されていた。すると、2月25日夜、ゼレンスキーが大統領府幹部らとともに携帯電話で自撮りしたビデオメッセージを発信した。薄暗いが、場所は大統領府の外であることが分かる。

「大統領はここにいる。みんなここにいる。兵士たちもここにいる。国民もここにいる。独立を守るために、我々はみなここにいるのだ」

首都に潜入していた工作員や特殊部隊がゼレンスキーを殺害しようとしているとの情報も出回っていた。シンプルなメッセージを見て、私は命を懸けた男の決意に素直に感じ入った。しかし、どこまで持つのだろう。

私は当事者だ

携帯電話にはひっきりなしにメッセージが入ってくる。

毎日電話をくれる息子の声は切実だった。息子は妻の連れ子であり、ウクライナ人だ。日本で高校を卒業し、ヨーロッパの大学に進学するタイミングで、私たち家族は日本を離れたのだった。

彼は日本が大好きだ。その理由を聞くと「みな親切で、平和だから」と答えたことがある。彼がウクライナにいなくてよかったと心の底から思った。

息子も1月から妻に退避を働きかけていた。そしてこの日は私にこう訴えた。

「1人でいいから、逃げてほしい。でないと、僕はどうなるの? 1人になっちゃうよ」

ここはなだめるしかなかった。

「安全なところに行くまで、お前のお母さんと一緒にいるから。心配するな」

多くの国外の友人たちも、21世紀とは思えない侵略戦争にショックを受け、ウクライナ発のニュースにくぎ付けになっていた。

「ウクライナにいるのか? 家族の避難先を探しているのなら、シチリアの私の家を使ってくれ」
「お前はウクライナ人じゃないんだから、逃げろ」

ある友人からは、数時間おきに安否確認が届いた。就寝中の深夜に私の返信がないと、朝方までこんなメッセージが続いていた。

「エイジ、どうしたの?」
「返事して、お願い」
「大丈夫なの??」

何人かのロシア人からもメッセージが来た。みな心を痛めていた。両親がプーチン政権のプロパガンダを信じ、話ができなくなったという友人もいた。

こんなメールも届いた。

「記者も命あってこそ。気を付けて」
「記者冥利(みょうり)につきますね。うらやましい」

読みながら、抑えていた気持ちが思わず声に出た。

「記者じゃない、当事者だ」

妻が拘束されたらどうしよう

1人で記者をしているのならどんなに気楽だっただろう。中心部で取材を続けているのなら、いざとなれば記者仲間らと連携して逃げればよい。

大量のメッセージに正直、うんざりすることもあったが、ネットが切断されて孤立するのではないかとひやひやしていたので、朝起きて、メッセージが入っているのを確認すると、とにかくホッとした。

私が何よりも恐れていたのはロシア軍の占領下に置かれることだった。

プーチンが指揮した1999年からのロシア南部チェチェン共和国を舞台にした戦争で何が繰り広げられたのか、現地で取材したロシア人記者、アンナ・ポリトコフスカヤから詳しく聞いていた。

市民の拉致(らち)監禁、拷問、虐殺、性的暴行……。そうしたロシア軍による蛮行の証言を集め、プーチン政権を糾弾し続けたアンナも2006年に暗殺されている。

ウクライナで親ロシア派政権が崩壊した14年以降、多くのウクライナ人がロシアで不当に拘束され、虐待を受けている。モスクワ特派員時代に私はそのうちの1人に直接取材し、拷問の生々しい実態を聞き出したこともあった。

アメリカ政府は今回の侵攻が始まる前から、ロシアが「キル・リスト」を作成しているとするインテリジェンス情報を公表していた。ロシアがウクライナを占領した場合に、殺害または強制収容所送りにする政治家や記者、人権活動家らの名簿だ。外国人記者を拘束し、欧米との取引に使うのではないかとの憶測も流れていた。

北東部から侵攻したロシア軍部隊がキーウの数十キロに迫っている、残虐なチェチェン人部隊が動員されている--。そんな情報に触れながら、私は何度もロシア占領下の地獄絵を想像した。日本のパスポートを見せれば助かるだろうか、しかし、妻が拘束されたらどうしよう--?

「負けると決めつけている」

やはり退避すべきだ。

私はロシアの侵攻前から何度も妻にキーウからの退避を提案したが、説得できなかった。そこで私はママ(義母)の家の近所に住む義妹夫婦の説得を試みることにした。

小学生と中学生の子供がいながら、避難を考えないのは理解しがたかった。彼らが決断すれば、妻の気も変わるに違いない。

「ぼくが言ってきたことがすべて現実になっていることは分かるよね」

私はそう切り出した。ここは東から迫るロシア軍に占領される可能性がある、市中心部を流れるドニプロ川にかかる橋が破壊されれば脱出路は断たれる、そしてロシア軍の占領がどんなものか想像できるはずだ。そう説いたうえで、決断を迫った。

「銃を持って戦うのでないならば、いますぐ動くべきだ」

2人は一晩考えて、結論を伝えると約束したが、翌日になっても返答はなかった。

ある夜、家でひと悶着(もんちゃく)あった。市当局から、大規模攻撃の可能性を示し、シェルターに行くよう求めるメッセージが入っていた。午後8時前、「用意をしよう」と妻に声を掛けると、ママがシェルターには絶対にいかないと言っているから家に留まるという。

見ると、彼女は壁の厚いバスルームの横の廊下に椅子を置いて座っていた。ママが動かなければ、みな動けないことは分かるはずだ。それとも、これがクルコフ(※ウクライナ人作家のアンドレイ・クルコフ)の言っていた、「ウクライナ人の個人主義」なのか。「くそ婆(ばばあ)」」と私は思わず日本語を声に出した。

「あまりに勝手すぎるだろう」

私は妻を台所に呼んで文句を言った。

「どうしろっていうの? 無理やり連れて行くわけにはいかないでしょう」
「そもそも、みなで(ポーランドとの国境近い)西部に避難すべきだったんだ。2週間前から私はこの事態を警告しただろう」

すると、妻はいままでため込んでいた気持ちを露わにした。

「あなたムカつくのよ。ウクライナ人をまったく信じてないでしょう。はなから私たちが負けると決めつけている」

そしてこう続けた。

「私は軍に献金しているし、ロシアへのサイバー攻撃も試してみた。あなたは何もしていない。記者でしょう? 書いたらどうなの」

私はまず、サイバー攻撃に絶句した。しかし、彼女の言ったことは図星だった。

私はロシア軍の占領は時間の問題と考えていたし、ママの家に移動してから、記者の仕事を放り投げたのも事実だった。中心部で取材しなければ、記事を書けないとふて腐れていたところがある。

文/古川英治 写真/shutterstock

『ウクライナ・ダイアリー 不屈の民の記録』(KADOKAWA)

古川 英治

2023/8/17

¥1,760

304ページ

ISBN:

978-4041131350

ウクライナ人の妻を持つ日本人ジャーナリスト。人々が戦い続ける理由とは

第一章 恐怖の10日間 ―2022年冬
「君はどうするの?」
ルビコン川
私は当事者だ
「負けると決めつけている」
「我々の土地だ」
ゴーストタウンのオアシス
妻の決断

第二章 独りぼっちの侵攻前夜 ―2021~22年冬
現実を直視しているのか?
頼りになる取材先
「2日で陥落」
「半分殺す」
「準備はできている」のか?
これが日本だったら
最後の晩餐

第三章 ブチャの衝撃 ―2022年春
戦争と平和の間
君が正しかった
ジェノサイドの現場
恐怖ではなく怒り
ママとの再会
祝福は空襲警報
市民の抵抗疑わず
初めて団結した町
瓦礫の宮殿
地下の暮らし

第四章 私の記憶 ―2004~19年
広場を埋め尽くした市民
マイダンを死守した「コサックの伝統」
麻薬と冷笑主義
「反ロ記者」
「私たちを見捨てたのでは」
マリウポリの子供たち

第五章 コサックを探して ―2022年夏
陽気な兵士
泣くほど美味いパン
農業という生き方
敵を笑い倒す
勝利への貢献
ウクライナのレモネード
ライフ・ボランティア・バランス
発起人は民間人
「ハッカー」と接触

第六章 民の記憶 ―2022年夏
ママの生家
政治の話はタブー
生存者の証言
くたばるのを見るまで
かき消された歴史
最高のコーヒー
一晩で40発
ヴィバルディの響き
クールな市長

第七章 パラレルワールド ―2022年秋
ウクライナと日本の距離
初めての楽観
歴史家の疑問
早く帰りたい

第八章 ネーションの目覚め ―2022~23年冬
真っ暗な街
地下室の恐怖
ヘルソン行きの車掌
最年少の閣僚
「日本より進んでいる」
「勝利の世代」
成長した「ハッカー」
二度目の記者会見
もう1つの戦い

あとがき

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