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「なぜ明石市のコミュニティバスが全国トップレベルの成功を収めているのか。その答えはサイレントマジョリティの声にあります」泉房穂×藻谷浩介

集英社オンライン / 2023年9月29日 8時1分

3期12年にわたり兵庫県明石市長をつとめ、10年連続の人口増、7年連続の地価上昇、8年連続の税収増などを実現した泉房穂氏。しかし、日本は出生率も人口も減り続け、賃金も生活水準も上がらず疲弊ムードが漂っている。なぜこうなってしまったのか? 著書『日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来』の刊行を機に日本の地域エコノミスト、日本総合研究所調査部主席研究員の藻谷浩介氏と語り尽くした。(全2回の1回目)

「所得制限なしの5つの無料化」(18歳までの医療費、第2子以降の保育料、おむつ定期便、中学校給食費、公共施設の遊び場)などの子育て施策の充実、さらに多岐にわたる全国初の施策で、明石市は10年連続の人口増、7年連続の地価上昇、8年連続の税収増を実現した。その推進力となり、明石モデルをつくり上げたのが、3期12年にわたり兵庫県明石市長を務めた泉房穂氏だ。



「このままでは日本が転ぶで」と、お上とケンカ上等のスタンスで現場の声を施策に反映。そんな泉氏の活躍に早い段階から注目し、応援態勢を取っていた藻谷浩介氏(日本総合研究所主席研究員)が、泉氏の著書『日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来』の刊行を機に、対談に駆けつけてくれた。「まだみなさんの泉さんへの理解が浅い」と言う藻谷氏と泉氏との対話は、真摯で、どこまでも熱い。

子どもの支援も犯罪加害者・被害者支援も根っこは同じ

藻谷浩介氏(左)と泉房穂氏(右)

藻谷さん、お久しぶりです。藻谷さんには市長として私が動き始めた早い段階から明石市を発見いただいて、評価もいただいて感謝しております。本にも書きましたが、そこからの変化も今日はしっかりとお伝えしたい。

藻谷 「明石市を発見」というのは言いえて妙ですね。私は全市町村と世界各国の年齢階層別の人口を折々にチェックしているので、確かにその際に「明石市でありえないことが起きているぞ!」という発見をしたのです。誰かが書いたものを読んで気が付いたのではありません。

ですが、数字はあくまで結果の一部。数字だけ見ていても、泉さんがやっていたことの意図も意義も到底わからない。そもそも、少子化対策の話ほど真意が誤解されやすい話はないんです。

ようやく日本政府も子どもが減るのはいかんと言い出したけど、何でいけないのか、泉さんが言っているような理由をあげる人は少ないんですよ。国力が落ちるとか、経済力が落ちるとか、そんな理由ばかり並べたてている。そうじゃないでしょう。この本の最初にもありましたが、泉さんは、「産みたい人が産めない社会はおかしいでしょう」と言っているだけなんですよ。

そうそう、そのとおりです。

藻谷 そう考えると、泉さんがやってきたことがすべてつながってくる。子どもも、障害者も、高齢者も、犯罪被害者も加害者も、区別するのではなく、人なんだからちゃんと同じように対応しましょうよという話になっていく。

上から目線や国家目線ではなく「住んでる人目線」

藻谷さんにはそうした私の哲学や理念みたいなところも評価いただいて。今おっしゃったように子どもの支援と同じように犯罪被害者も加害者も支援するのは、一人ひとりの安心の提供なんです。その結果において、産みやすくなったり、暮らしやすくなる。だから、ほんとにそこが肝なんです。

藻谷 なかなかそこが理解されないですね。世の中には、「犯罪被害者を救うのはいいことだけど、加害者は一生刑務所に入っとれ」みたいな人もいっぱいいるじゃないですか。そういう人と泉さんでは、考え方の軸が違います。今日はそこをちゃんとわかるように解説を入れたいと思って来ました。何か偉そうですみませんが(笑)。

いや心強いです。結局、上から目線や国家目線ではなく、いかに住んでる人目線になるかなんですね。明石市民が暮らしやすいから住み続ける、周りもそれに憧れる、そして、さらにそこに住んでいる人の満足が高まるという状況の中での効果なんです。そこを理解しないと、いろいろただにしたから来たんやろと非常に上っ面の議論になりがちです。

そうじゃなくて、根っこのところを理解してほしい。明石市が、罪を犯した刑務所帰りの人に対しても、お帰りなさいと受け入れる町づくりをやっているのは、藻谷さんのご指摘通り、子どもへの支援と一緒なんですよ。

藻谷 そこですよね。「明石市では、あの酒鬼薔薇事件の被害者のお父さんがリーダーとなって、出所者が再犯しないように、つまりさらに犯罪被害者を生むことがないように、そして自分の人生をこれ以上台無しにしないように、更生の手伝いをしている」という話を聞いたときに、ああ、そうかと。泉さんのやっていることは、大きく括れば「人を大事にする世の中をつくる」ことなのだとわかりました。

明石市は、犯罪に遭った被害者・御遺族に対して全国で初めて賠償金の立替え制度もつくりましたし、併せて、罪を犯した側についても全国で初めて更生支援、やり直し支援の条例をつくりました。これは真逆のように見えて実は一緒であって、まちの安全安心をつくっているんです。

今、お話しされた、少年Aの酒鬼薔薇事件の被害者のお父さんの土師さんは、明石に御縁があって、私も近しくて長い付き合いですが、「今、自分は被害者遺族の立場だけれど、本当の被害者支援とは、犯罪加害者の孤立化を防ぐことではないか。刑務所帰りの人をあっち行けと排除すれば、また新たな犯罪、被害者を生むことになるから、一緒に更生を手伝いたい」と言ってくれまして。

もうひとり、別の事件の御遺族も同じようなことを言われた。精神障害者による犯罪でしたが、精神障害者を孤立させるとまた同じような事件が起こりかねないと、精神障害者支援のNPOに寄付しているんですよ。

つまり、より安全なまちをつくるには、あっち行けではなくて、一緒にやろうの方がいいという考え方です。そのお二人を中心に明石市も動き出して、法務省の協力も得て、条例を制定した。明石市の子ども施策が目立っていますけど、根っこのところは、みんなで包み込むまちづくりをしていると。これが子ども施策でも生きているのだと思うんですね。

他罰思考では変わらない

藻谷 すばらしいのは、そうして泉さん自身が当事者や現場の生の声を聴き取って、施策を考えていることです。ちょっと前に、猪苗代湖で水上バイク事故が多発して死者も出て問題になっていましたよね。先日、水上バイクの雑誌『ワールドジェットスポーツマガジン』が、前明石市長の泉さんが、明石の危険な水上バイクを規制することに立ち上がったという記事を配信していた。

こういう話を聞くと、人を水上バイクでひくような金持ちのぼんぼんをちゃんと取り締まってすばらしいとみんな拍手喝采するわけです。だけど、それは犯罪者とその被害者を減らすためにやっていることで、行き場のない障害者の人、精神障害の人、罪を犯した人たちが孤立しないように支援するのと同じことですよね。危なくないように、みんながハッピーになるためにやっている。

でもネットに満ちているのは、「誰かを排除すれば問題解決」という他罰指向です。犯人を極刑に処したところで、それで被害者が救われるわけではないのですが、彼らは当事者ではなく観客なので、「罰して排除」というショーを求める。コロナ患者を村八分にしたのも同じ心理です。そういう人たちに合わせると、どんどん危ない世の中になっていく。危ない世の中にしないようになるべく皆を包み込もうとする泉さんの発想は、そういう風潮とは根本的に違います。

水上バイクの問題も、人が死んでからでは遅いということですぐに動きました。危険な行為があった直後に、荒っぽい方法やけど殺人未遂として刑事告発して、実際それで、書類送検されました。その後すぐに検察庁に乗り込んで、検察を説得して突貫で条例もつくった。

でも、その規制をつくる前に、私も水上バイクの免許を取って、これを楽しんでいる方々の話も聞かないとちゃんとすみわけができないなと、ルールをつくるための聞き取り調査もしたんですよ。水上バイクの撲滅ではなく、行為に対しての罰則であって、水上バイクで遊べる場所もちゃんとつくる。その両立を図るのが政治だと思うんです。

藻谷 その経緯は水上バイク愛好家向けの雑誌に載っています。まともな愛好家であれば、ちゃんとルールは守っている。十把一からげに社会のカス扱いされたくはない。その彼らが、明石市長はすばらしいと褒めています。規制を作るに当たっては、ご自分で水上バイクの免許を取られて、ちゃんと利用者側の楽しみも理解した。これってすごい話です。そんな市長いませんよ。

どう「ウィン・ウィン」をつくるかが政治の役割

政治とは、どうウィン・ウィンをつくるかだと思います。子どもを優遇すると高齢者が怒ります。障害や福祉と言うたら嫌われます。そうじゃなくて、子どもを応援することは、地元経済が元気になって、商売人も建設業界もラッキーですよ、おまけに、財政に余力が出来たら、高齢者施策もできますよと。

つまり、みんなハッピーなんやということ。利害関係者に対して、それぞれ整理をするのが政治・行政であって、誰かをたたいて、あいつをやっつけたらこっちがハッピーという構造じゃない。登場人物全員に対する、それぞれの役割とか位置づけを整理することをやっている。だから、包み込むような政策なんです。

藻谷 長野市の公園廃止事件(2022年、長野市が1軒の家からの騒音被害の訴えをきっかけに、公園の廃止を決めた問題)、泉さん、あれ聞いてどう思いました? 私は「いつの時代の話か」と思いましたね。騒音の発生源が工場や高速道路だったら、工場廃止、道路廃止になるでしょうか。そうではなく、家の方に防音工事をするでしょう。子どもの声がうるさい公園でも、近隣の家に防音工事すればいいではないですか。なぜ「子どもに遊びを我慢させる」の一択になってしまうのか。それは、「子どもは、工場や高速道路ほど大事ではない」と、長野市当局や周囲の大人が未だに考えているからなのです。発想が昭和のままで、令和に対応していません。

あれも今どきのテーマです。明石市にも両方の声があるんですよ。明石市で子ども総合支援条例をつくったときは、小学校、中学校、高校生の子どもの声を現場に私は聞きに行きました。その程度によって、遊ぶ時間を決めるとか、状況に合わせてルール化すればいいこと。それをやればいいのに、結局片方どっちかの極端に走ってしまう。子どもが遊ぶのを野放図にほったらかすからうるさいわけでしょう。でも公園を閉めたら、子どもは遊べない。それをどうルール化するかが人間の知恵なのに、その労を惜しんでいる。そこは知恵を絞ることが大事です。

私は、明石の駅前で路上ライブやってる高校生とかいたら、守りますよ。警察が止めに来ても、私が体張って守る。警察は許可取ってないから駄目だと言う。駅前の路上で高校生が許可なんか取ってやるかいな、そんなもん。だから「時間短くして音をもう少し小さくさせますんで」と警察説得して、高校生を守る。そういう光景を、結構みんな見てて、それもまちの空気ですわ。うるさ過ぎは駄目やけど、子どもたちの楽しみも奪っちゃいかん。そこの調整が政治・行政の役割だと自分は思っているんです。公園の問題も一緒やと思います。

サイレントマジョリティーの声に耳を傾けよ

藻谷 長野市の場合は、結局、クレームを言っている側の言うことを聞いて、言わん側を黙らせたほうが楽だから、そっちに走ったように見えますよね。

私に言わせれば、政治・行政が仕事してないってことですね。

藻谷 それって、やくざがおったら、取りあえず身をかがめて目合わさないようにするのと、本質的には同じ行動を行政が取っているように見えるんですよ。

俗に言うノイジーマイノリティーとサイレントマジョリティーの問題ですね。政治の場合、ノイジーなマイノリティーが力を持ち過ぎて、世の中の多数の人が置いていかれている。ノイジーマイノリティーに対する過度な配慮は、物を言わぬ者にとって不利益を被っていることはと多いと思います。

藻谷 泉さんは、最大多数の最大幸福というベンサム(ジェレミ・ベンサム。18~19世紀のイギリスの哲学・経済学者。功利主義)の言ったことを、具体的な現場で徹底的にやってきたと思うんですよ。それをやらないと何が起きるかというと、サイレントマジョリティーが潰れていくわけですね。

深いご理解ありがとうございます。ノイジーマイノリティーとサイレントマジョリティーのテーマで、別の角度から少し補足すると、明石のコミュニティバスは全国でトップレベルに成功しているんですよ。なぜほかが失敗しているかというと、うちの家の前に停留所をつくれと言うノイジーマイノリティーの声を反映するから、どんどん乗客が少なくなる。明石はそうではなく、声の大きい町内会長じゃなくて、ほんとに乗る人のサイレントの声を受けて、ちゃんと合理的な路線設定をしているんです。だから右肩上がりで乗客も本数も増えていて、全国トップなの。

藻谷 すばらしいです。

バスをどう走らせたらバスに乗ってくれるかということをちゃんとやっている。ほかの市は、声の大きい地域のボスの声ばかりを聞いている。

藻谷 その結果、やたら迂回ばっかりして、誰も乗らないようになる。

そうそう余計乗らなくなるんです。そういう大きい声の人の声は聞いたふりして、本当に乗る人の声を生かして便数も路線も決めなあかんのです。サイレントマジョリティーの声を聞かないと本当のニーズはわかりません。

藻谷 お客さんのほんとの声はどうやって調べるんですか?

それは毎年のように路線変更して声を聞いて、乗車テストして見直しします。

選択権を保証するのが市の仕事

藻谷 まさに段階踏んでトライアルアンドエラーでやっている。さすがです。

少子化にも似たような構図があります。本能に任せていれば産みたい子どもを我慢している妊娠可能な人たちがサイレントマジョリティーです。だけどその声は聞こえない。産めもしないし、自分の子育ては妻に押し付けて何もしなかった中高年男性が、ノイジーマイナリティそのもののとして、上がらない声を無視してきた。その結果、とうとう日本の子どもが半減してしまった。『デフレの正体』でも書きましたが、少子化を放置した結果、ここ四半世紀は経済も停滞している。ですが、「経済が停滞したから子どもを増やしましょう」というのは本末転倒で、産みたいのにあきらめる人を放置してきたことが、そもそも問題だったのです。

泉さんはその点、順番を間違えていませんね。サイレントマジョリティーの声を聞いて、産みたい人が産んで、皆で助け合って育てる環境を整えれば自ずと経済も回ってくると。育てる経済力がないので産むのをあきらめた人の人権、あるいは育てる能力のない親の下に生まれて、えらい虐待されてるお子さんの人権もある。そういう子どもたちの人権を全部合わせて、ひどい不幸を減らそうぜと泉さんはやっているわけです。その根っこの部分を僕は多くの人に理解してほしい。

それも環境整備の一環です。基本的に明石の政策は選択権の保障です。子どもの施策に関しても、私は別に、結婚しろや、産めやと言ったわけじゃない。結婚してもしなくてもいいし、子ども産んでも産まなくてもいいし、二人いようが三人いようが、いてもいなくてもいいんです。ただ、産みたいのであれば産めるようにちゃんと環境整備をする、選択権の保障をするということです。

藻谷 産みたい人が産めるようにするというだけですよね。

そうです。その環境整備をした結果、出生率が若干上がっただけで、別にそれが自己目的化してるわけじゃない。産みたいのに、子どもを預ける場所がないとかお金が心配で躊躇するのは、社会として残念ですよねと。それぐらいはせめて行政が、みんなから預かっているお金である税金と、市の公務員が絞った知恵で選択権の保障をしましょうという感じです。

他者への想像力が豊かな社会をつくる

藻谷 いろんな世界の数字と日本の数字も比較して思うのは、普通の人が普通にたらたら生きて、普通に仕事してる範囲で普通に子どもが育つような状況にしない限り、子どもの数は復活しません。

僕は山口県の工場町、今の周南市で育ちましたが、通った小中学校では、本当にあらゆる家庭環境の子どもたちが、分け隔てなく対等に遊んでましたよ。金があってもなくても、よその家行って飯食わせてもらうのは当たり前でした。

あ、周南ですか。この前、講演会に行かせてもらいました。ご縁ですね。

藻谷 ありがとうございます。でもそんな中にも残念な思い出はあります。僕が小学校六年のとき、夏休みの間に飢え死にした友達がいるんです。僕が北陸の祖父母のところに泊まってる間の出来事で、葬式にも出られなかった。

帰ってきたら、「S君が死んだよ」「えっ、何で?」「学校ではいつも給食をいっぱいお代わりしとったろ。家では妹と二人でアンパン1個とか、ひどいときはあめ玉三つしか飯が出なかったこともあったそうじゃ。それで、体壊しておしっこ出なくなったのに、医者にも行かせてもらえん。自分で『薬ください』と近所の薬局に頼みにいって、薬局のおじさんが慌てて病院に連れて行ったけど、もう手遅れで、全身黄疸で膀胱破裂じゃったんじゃ」と聞かされた。1976年でした。無力感に煮えくり返りながら、「こんなことの起きない世の中にしなくてはいけない」と思ったんです。お恥ずかしいことに、ぜんぜん実践できていないんだけど……。

今のお話聞いて、横にそれた話のようだけど、じつはそれてない。今の話で感じるのは、ふるさとがあるんですよ。子ども時代の悔しい、悲しい思いです。藻谷さんって全国を全部把握してはって、数字も詳しいけど、やっぱり根っこがあると思う。これはすごい大きな問題で、根っこの自分の原体験とか思い出とかふるさとのある人は、他者に対しても思いに共感できる。だから、一つ一つの地域の特性のよさと悪さをすごく分かってはると思います。

その根っこのない方や薄い方は、ほんとに頭でっかちなんですよ。建前論とか、大上段の議論ばっかりです。やっぱり根っこのある人のほうが他者に対しても想像力豊かですね。私も、心情右翼と言われるんですが、根っこにはやはり地域、ふるさとへの愛着がある。それを持ってはるのは藻谷さんの特長だと思いますね。

児童手当は親ではなく、子どもに渡す

藻谷 その子の母親や、再婚して三人目だという父親が、葬式で笑っていたと聞きました。今でいう「親ガチャ」ですか、たまたま産んだ親が悪かった、三人目のお父ちゃんが悪かったということで、その当時は片づけられてしまった。だけど、そんなこと本人に関係あらへんでしょう。本人に関係ないところで全部決まってますみたいなことをまだ言うのかと。普通に生きて大人になることができたはずなのに、それに手を貸せないのはおかしいだろうって思う。こんなに豊かになっているのに。

大きな議論ではなく、藻谷さんの原点にある固有名詞でそれを語ることはすごく意味のあることですね。それは私も重なるところです。子育てに手を貸すということでは、明石が今年から拡充した18歳までの児童手当については対象は子どもにしたいんです。親じゃない。今年から東京都も国も始めようとしています。

藻谷 すばらしいですね。

明石市は子どもに渡すから児童養護施設の子どもに行く。離婚した後のお父ちゃんに行かずにちゃんと子どもに行くんです。それはもうこだわりがある。

藻谷 子どもの手当てが何で離婚した後のお父ちゃんに行くのか。誰もおかしいと思わなかったんでしょうかね。

去年(2022年)の12月に10万円配るときに、離婚した父親に行くようになっているんですよ。激怒して、明石市だけでもちゃんとしたいと言ったら、総務省から怒られて、内閣府から、ちゃんと父親に配れと。意味分からんわと思って。何のためのお金ですか。国というのは本当に全国一律主義です。腹立ってけんかしましたけど、明石市はその辺りからもう国に従うことなく、制度は全部子ども中心に切り替えています。ほっとくと親が勝手に使ってしまう。

藻谷 そんな親は、何ぼでもいますよ。

そこのリアリティーがないんですよ。それで市長任期の最後にドンパチやりましたけど、そのときに言われたのは、そんな境遇の子どもは1%ぐらいだろうと。だけど、全国の子どもの1%って結構な数ですよ。

藻谷 悪いけど、その1%が10万円が必要な子でしょう。

そう、おっしゃるとおり。それがリアリティーなんですよ。

藻谷 ちょっとつまらん言い方ですけど、泉さんってすごく仏さんっぽいです。顔もそうですしね(笑)。昔、地元の貧しい漁師の集落で、育て切らん子どもが死んでいた時代に建った水子地蔵の前で胸を張って歩ける人間になるぞという思いを固めた。その思いを今も強く持っている人です。地蔵さんは、子どもをみんな助ける。鬼子母神の子どもも助ける。善悪がぱしっと切れてないけど、優しい。人間のある面についてはしょうもないけど、ある面はええとこあるから、それは伸ばしたれという考えじゃないですか。その優しさは重要だし、今日話したことは、そういう泉さんの根っこの部分から出ているのだと思う。だからこそ、僕としては目が離せないし、応援したいんですよ。

#2につづく

構成・文=宮内千和子 撮影=石川雅彩

日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来 (集英社新書)

泉 房穂

2023年9月15日

1,100円

208ページ

ISBN:

978-4087212792

大増税、物価高、公共事業依存、超少子高齢化の放置…
社会の好循環を絶対生まない「政治の病(やまい)」をえぐり出す
泉流ケンカ政治学のエッセンス!

◆内容紹介◆
3期12年にわたり兵庫県明石市長をつとめた著者。「所得制限なしの5つの無料化」など子育て施策の充実を図った結果、明石市は10年連続の人口増、7年連続の地価上昇、8年連続の税収増などを実現した。しかし、日本全体を見渡せばこの間、出生率も人口も減り続け、「失われた30年」といわれる経済事情を背景に賃金も生活水準も上がらず、物価高、大増税の中、疲弊ムードが漂っている。なぜこうなってしまったのか?
著者が直言する閉塞打破に必要なこと、日本再生の道とは? 市民にやさしい社会を実現するための泉流ケンカ政治学、そのエッセンスが詰まった希望の一冊。

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