——『江戸POP道中文字栗毛』(以下、江戸POP)の最終章「この座敷に花魁は永遠に来ない 十返舎一九『東海道中膝栗毛』と都会コンプレックス」には、「この東京、ひいては都会コンプレックスというものは近世文芸にもよく見られる」とあります。
児玉雨子(以下、児玉) 1775年に刊行された恋川春町の『金々先生栄華夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』に、都会コンプレックスのような描写があるんですよ。そもそも「金々」が「今風で洒落ていること」を指しているんですよね。通な都会っ子、みたいな意味も込められていると思います。
恋川春町が試作的に書いた作品には、「流行の都会のファッションはこれ!」みたいなくだりがあって、現代のファッション雑誌みたいだなと思いました。
——都会のファッションを知らないと「ダサい」という感覚が、その頃からあったんですね。10章の式亭三馬『浮世風呂』には、田舎の侍をバカにするような描写があると書いてあります。
児玉 そうなんです。『浮世風呂』は銭湯に出入りする人々の会話を中心とした「実況モノ」みたいな作品で、その第三編が女湯の話なんですよね。その冒頭で作者が「女湯を覗いている俺って、傍から見ると野暮な田舎エロ侍みたいでダサくね……?」みたいなことを書いているんですよ。
覗きが田舎侍のディスとして成立してるのって、こわくないですか。読者はどう思っていたんだろう。生まれというどうしようもないものをイジるって、恐ろしいことですよね。