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「人生はライブだから、受け止め方しだい」ミラノコレクションに出演した車椅子モデル・葦原海が、初めての海外で経験した“うんざり”と“楽しさ”

集英社オンライン / 2023年10月9日 11時1分

事故により16歳で両足を失ったモデルの葦原海さん。現在はインフルエンサーとしても、その前向きさと行動力で多くの支持を得ている。2022年にはミラノコレクションにも車椅子で出演した。初めての海外、訪れたイタリアで体感した、それぞれの国のバリアフリー事情、現地での“うんざりするような出来事”を“ハッピーエンド”に変えた、とある出会いとは。『私はないものを数えない。』(サンマーク出版)より、一部抜粋、再構成してお届けする。

#1

初めての海外…不便さも全部、まるごと体験したい

ヴェネチアは写真だとディズニーみたいにきれいなところだけれど、飛行機を手配してくれた旅行代理店さんに、「車椅子は難しいと思いますよ」と言われていた。



「大丈夫です。不便なのも含めて体験してくるんで、行ってきまーす♪」そう答えたものの、到着すると石畳と階段と橋がめちゃくちゃ多い。

イタリア本土側にある空港からヴェネチア本島まではタクシーを使ったけれど、島内は車の乗り入れが制限されていて、みんな徒歩と水上タクシーで移動する。問題は、ホテルまでどうするか──事前にこんな説明も受けていた。

「このホテルはバリアフリーで、1階には車椅子で問題なく過ごせる客室が3つあります。ただし、ホテルの手前に40段の上り階段があり、橋を渡ってまた階段を40段下りていただくことになります」

同行者と2人、その橋の下でしばし困った。日本ならキャリーケースを下に置いておいて、同行者に私を先に運んでもらえばいい。しかしここはイタリア、目を離した隙にキャリーケースが盗まれてしまうかもしれない。

同行者だけ先にキャリーケース2つを持ってホテルに行ってもらい、私が橋のところで待つパターンも考えたけど、1人になるのはどきどきして怖い。

『私はないものを数えない。』より ©︎ Sumiyo IDA

そのとき、がらがらと大量のスーツケースを積んだ台車みたいなものが来た。「運ぶ?」みたいに手振りで言ってきて、値段を聞くと10ユーロ、これは頼むしかない!ヴェネチアには荷物の運び屋みたいな仕事があるらしい。

私は車椅子ごと同行者に持ち上げてもらうことにしたけど、まわりの人たちが手伝ってくれた。転倒防止バーを外して、重たい後ろの車輪から引っ張り上げるように登っていくから、人手があって助かった。

「あとでチップを要求されるかも」心配だったけど、地元の人なのか観光客なのか、みんなさっと手伝って、さっと去っていった。

レストランに入ろうとすると、テラス席で食事している人たちが立って手を貸してくれた。ワインを飲んでいい気分だったのかもだけど、たまたまそこにいる関係ないお客さん同士が、さりげなく協力してくれる。

日本だと手伝ってくれるとしても、同じグループの人でやるイメージだから、「こういうのもいいな」と感じた。これも海外らしさなのかもしれない。

ゴンドラも馬車も「いいよ、乗りなよ!」

イタリアは、どの都市も石畳の段差があまりにすごくて、「車椅子から落っこちないように、溝にハマったりしないように」と常に意識して踏ん張る感じでいたら、筋肉を使いすぎたのか、ときどきけいれんした。車椅子も負荷が多いから、朝たっぷり充電してもかなりバッテリーを消耗する。私も車椅子もおつかれさまだ。

ヴェネチアでは水上タクシー、水上バス、一通り乗ったけれど、ゴンドラも欠かせない。

「だけどさ、乗ってる間に車椅子を置いといたら、盗まれるんじゃないの」

「車椅子ユーザーでも乗せてくれるのかな?」

同行者とそんなやりとりをしながらゴンドラを呼んだら、お兄さんは「いいよ!」といきなり車椅子ごと私を持ち上げた。ぽんと小さな船に乗せられ、「揺れたら落ちちゃわない?大丈夫?」と不安だったけど、お兄さんは平気で鼻歌なんか歌っている。

私は自分でゴンドラの座席に乗り移ったけど、なんとも軽いノリだ。

『私はないものを数えない。』より ©︎ Sumiyo IDA

日本なら「車椅子ですか」と言って慎重に対応するけど、イタリアは違う。「いいよ、乗りなよ!」みたいな感じは、ローマの観光馬車も同じだった。

私が無事乗り込むと、馬車のおじさんは畳んだ車椅子を前に置いてくれたけど、馬の動きと石畳のせいで、ものすごく揺れる。

「あっ、落ちちゃう」と心配しているのがわかったのか、おじさんは片手で車椅子を押さえながら片手で馬を歩かせ、すごく大らかだ。

お天気に恵まれ、ホテルのテラス席、ゴンドラ、馬車とすてきな写真や動画が撮れた。ヴェネチアの運河の水は、正直、臭かったけど最高だった!

日本とイタリア、それぞれのバリアフリー

一番慌てたのは、ミラノからフィレンツェの移動だった。大事なミラノコレクション出演は終わったあとだから、まあ、よかったんだけど。

チケットを買い、時間どおりにホームに行けば、駅員さんが対応してくれて、乗れるものだと思っていた。ところが発車時間になっても、それらしき人が来ない。ホームを間違えていたことがわかり、窓口で次の列車に変更してもらった。もちろんホームの番号も、しっかりと聞いておいた。

1時間後、今度は余裕をもってホームに行った。何号車の何列何番か座席番号も確かめ、そこの入口で待ち構えていたけど、なかなか列車は来ない。

「まさか、また間違えた?」

じりじり焦り、やっと電車が到着したのは25分遅れ。停車してすぐ女性の乗務員さんが降りてきた。

イタリアの電車は車高が高くて3段くらいステップがあるから、男性乗務員を呼んで、車椅子を持ち上げてくれるんだろう。そう思っていたら音がした。

「ピーッ!」

その女性乗務員が、勢いよく笛を吹いたのだ──出発の笛を。

彼女はさっさと乗り込み、私たちは取り残されてしまった! 再び窓口に行くと、「車椅子で乗車する場合は、対応のために2日前の予約が必要です」という冷たい答え。

今までチケットを買えたし、変更もできたのに、なんで突然? 車椅子なのは見ればわかるんだから、最初に教えてくれたらいいのに。

『私はないものを数えない。』より ©︎ Sumiyo IDA

チケットを払い戻してもらい、「深夜バスで移動できるよ」と教わったけど、地下鉄で苦労して行った隣駅のバスターミナルは乗り場がめちゃくちゃ多くて、しかも行き先が書いていない。同行者も英語は得意じゃないし、これは無理だとミラノにもう1泊した。

またホテルをとって数時間の滞在──もう夜で、くたくただった。

日本の駅は基本的に、駅員さんに介助してもらう仕組みだ。降車スロープを出し、階段昇降機を操作してもらったりするので、待ち時間がたくさんある。

イタリアの駅はあらかじめ頼んでおかない限り、電車の3段のステップも自力で上がり、基本的に自分のことは自分でしなきゃいけない。

その代わりに車椅子マークがたくさんついた案内図があり、バリアフリーでどう移動するかがわかりやすくなっている。イタリア語も英語も読めない観光客にはかなり難しいけど、地元に住んでいて慣れていたら、待たずにさっさと動けるんだろう。

人の手を借りるのか、仕組みを整えるのか、バリアフリーにもいろいろある。これも旅をしなかったらわからなかったことだ。

「大事なものは左胸に」大聖堂とマルコ

翌朝8時に駅に行ったけど、フィレンツェ行きの新幹線に乗れたのは2時間後。前日に到着し、朝から観光するはずだったのに、フィレンツェのホテルから出かけたときには、もう3時を過ぎていた。

「フィレンツェは革製品が有名だよ。露店でも安くていいものがあるから、20年前の新婚旅行で買ったベルトをまだ使ってるんだよ」

父にそう聞いて買いに行ったらぼったくられ、逆にうんと値切ったりしていたらどんどん時間は過ぎた。

フィレンツェ一番の観光名所、赤いドームのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に着いたときは16時半。16時45分で閉まると書いてあったのに、もう門は閉まっている。16時までに入らないといけなかったようだ。

仕方なく入口で写真を撮っていたら、中から出てきた警備の人と目が合った。おいで、と手招きをする。

「日本人ですか?」

少しだけ日本語ができるその人は、「特別に少しだけ見せてあげる」と私たちを中に入れ、お客さんが帰ったあとの内部を案内してくれた。

私の名前をたずね、渡されたのが翌日用の2人分のチケットで、大聖堂やウフィツィ美術館などを回れる周遊券だった。

「車椅子だと塔には登れないけど、フィレンツェを楽しんでね」と、英語の単語と少しの日本語で、歴史も教えてくれた。なんてやさしい人だろう!

『私はないものを数えない。』より ©︎ Sumiyo IDA

「おはよう、みゅう」

翌日も通りかかったら、その人はまたいて、自分はマルコだと教えてくれた。偶然に出会ったおかげで楽しかったし、やさしさが心にしみこんだ。

ちゃんとお礼を伝えたいと、フィレンツェ最終日に手紙を渡しに行った。夜、ホテルでまず日本語の手紙を書き、翻訳アプリでイタリア語にして、それをまたカードに書き写したものだ。

「こんにちは、みゅうです。私は日本で、車椅子で生活しながらモデル活動をしています。ミラノファッションウィークに参加するために、初めてイタリアに来ました。いろいろ親切にしてくれて、ありがとう。マルコさんのおかげで、フィレンツェをとても楽しめました」

簡単な手紙だけど、マルコはにこっとして受け取り、制服の胸のポケットに入れた。最初は右側に入れようとして「ノー、ノー、ハートサイド」と自分で言いながら左側に入れ直した。

大事なものは心臓の近くに――うれしかった。

「人生はライブ」全ては受け止め方次第

ミラノからフィレンツェに移動するとき、電車のトラブルがあってちょっとうんざりしたけど、遅れたおかげでマルコと出会い、いい思い出ができた。もしも予定どおりに移動して普通に大聖堂に入れたら、私はただの観光客として、彼と言葉を交わすこともなかっただろう。

人生はライブだから、何が起きるかはわからない。何がいいとか悪いとか、その一場面だけ切り取ったらわからない。

でも、どんな悪いこともハッピーエンドにつなげられる。自分の受け止め方次第で。

行かないと感じないこと、出会わないとわからないことが、この世界にはまだ、たくさんある。私はできないことを数えないから、どんなところだって行くつもりだ。電動アシストの車椅子で。

バッテリーは、いつもたっぷり充電しておくよ。

車椅子も、自分の心も。


文/葦原海
写真/『私はないものを数えない。』より出典 ©︎ Sumiyo IDA

『私はないものを数えない。』

葦原 海

2023年5月25日発売

1,650円(税込)

239ページ

ISBN:

978-4763140555

SNS総フォロワー数70万人!パリ&ミラノコレクションのランウェイを車椅子で闊歩。その圧倒的行動力に世界が注目する“両足のないモデル”が初めて本を書いた!
「世界は“できること”であふれてる!」

TikTok36万人、YouTube25万人、SNS総フォロワー数70万人超。「両足を切断したパリコレモデル」が車椅子で世界中を飛び回る姿に、日本はもとより世界中が大注目!
2022年秋にミラノコレクション、2023年3月にはパリコレクションのランウェイを歩き、MISIAのアリーナツアーではバックダンサーも務めた「みゅうちゃん」こと葦原海。

「車椅子女子」という“ハッシュタグ”を超えたその圧倒的行動力と、ポジティブなものの見方・考え方が、ファンならずとも「応援したい」と大反響を呼んでいます。

両足をなくしても、「そんなの全然関係ない!」とばかりに、やりたいことにまっすぐに、ハッピーに毎日を楽しみ尽くす彼女の姿は、幸せとは、何かが「ある」とか、「ない」とかでは決まらないことを教えてくれます。
この本は、「ないものを数えずに、自分にあるものだけを見て生きていく」という彼女の生き様を語り尽くした、はじめての本。
葦原さんの、究極の前向きさと、底抜けに明るい「心持ち」、そして「やりたいことをやりつくす」圧倒的行動力に、思わず心動かされ、「やろう!」と背中を押されること請け合いの1冊です。

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