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「子どもを守る政治が大人を豊かにする」泉房穂元明石市長がまだ日本を諦めていない理由〈泉房穂×安冨歩〉

集英社オンライン / 2023年10月8日 13時1分

3期12年にわたり兵庫県明石市長をつとめ、10年連続の人口増、7年連続の地価上昇、8年連続の税収増などを実現した泉房穂氏。著書『日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来』の刊行を機に、東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授との対談が実現した。ともに「子どもを守る政治」を理念に掲げるふたりが見る、日本のあるべき未来とは?(前後編の後編)

「責任を取る」とはどういうことか

私は古典好きで、マックス・ウェーバーやジャン=ジャック・ルソーをよく読みますが、政治家に必要な要素って、情熱と判断力と、そしてもう一つ重要なのは責任感だと思っています。

安冨歩氏

安冨 責任を果たすという意味ですが、日本の場合、すぐ辞任するということになる。でも、辞任したって責任取ったことにはならないですよね。起きた事態に対して、よいほうに導こうという責任の取り方もあると思うんですが。



私が4年前にいわゆる辞職したときに、会見で責任を取るという2文字を使いました。でも、署名が集まって立候補するときも同じ責任の2文字を使いました。記者からの「責任は?」という追及を受けて、私には二つの責任があると答えた。一つは、自らの不祥事、言動に対する責任。もう一つ、もっと大きな責任は市民の期待に応える責任であると。どちらが重たいかというと、市民の負託に応える責任のほうだ。だから私は市民への責任を優先しますと言いました。

安冨 それが本来の責任の取り方だと私も思います。

4年前に私が再立候補して戻ったときに、市役所職員から、市長さんはいろいろあったんだから、これからはちょっとスピードを落として無難にやりませんかと言われました。私は何を言っているのかと、あんなことまでやって責任取って辞めた人間が市民への責任を果たすために戻ってきたのだから、これまで以上にスピードアップして市民のためにやらないでどうすると。

それで、養育費の立て替え、インクルーシブ条例、優生保護法の条例も含めて、これまで半ば諦めていたテーマにも取り組んだ。コロナのときにわずか2週間でテナント料を振り込んだときも全部そうです。市民のために責任を果たすんだという強い思いがあったからこそできたことだし、市役所職員にもそれが伝わったからこそ一つの組織として、市民への責任を果たせたんじゃないかと思います。

安冨 責任をどうやって果たすのかを考えると、まず市民、企業であれば顧客ですよね。その人々が何を求めているかを理解して感じ取り、聞き取り、そのために自分たちの在り方を変えてそれを実現する。このサイクルがちゃんと維持できるかが、責任を取れているかどうかの指標になると思う。聞く力といいつつ岸田さんは、その回路が切れていますよね。勝手に自分が考えたことを市民の願いだと考えて実現する、情熱を傾けるような政治家が多いんですが、泉さんの場合は、現実に存在する人々の声をちゃんと聞き取ることが大前提としてある。

責任を取る対象はあきらかに市民なのに、意外とそう思っている人は少ないんですよ。市議会議員への責任という発想の市長が大変多いし、総理大臣は、直接国民に責任を負わずに、国会議員に選ばれているのでかなりずれている。本当に国民や市民を見ていないなと感じます。見るべきは市民なんですよ。

私は結果に責任を負うことが政治だと思う。だから市民が腹いっぱい飯を食えるという責任、悲しい思いをしないですむ笑顔に対する責任があると思っています。市役所の職員にも心はあるんですから、子どもにご飯届けて喜んでもらえたり、市民の本気の笑顔を見るのはうれしいし、仕事が遅くなっても頑張ろうと思ってくれる。「本気の市民のため」の大義があると、最終的には議会も予算案を通してくれて、条例も可決に至る。私としては実感として、人間捨てたもんじゃないと思います。

子どもを守る政治が大人を豊かにする

安冨 それが、子どものための政治が大人を豊かにするということの意味だと思うんです。政治が具体的に何を目指すのかといえば、今おっしゃられた全ての子どもがおなかいっぱいご飯が食べられているという状態。これは人類社会が維持され、存続するための最低限のことだと思うんです。

そうです。今は本当に分断されていて孤立化しているので、ひとり親家庭でお母さんが夜のお仕事とかあると子どもが腹を減らしていても、周りも気づきにくいんです。明石市はそれを気づくように何とかネットワークを張って相当やっているつもりです。そこが今の時代における政治行政の使命、役割だと思います。

泉房穂氏

安冨 その線を守ることに反対する人なんていないと思うんですよね。だけど、実際にはおなかを減らした子どもたちが物すごい数、日本社会にはいる。それを放置していて平気だと言える政治家は一人もいないと思うのに、実際には放置している。全ての子どもが誰にも殴られず、寝るところがあって、おなかいっぱいになっている状態を実現する。これは誰も反対できない大義であるはずですが、これに本気で取り組むということを日本の国はしていないわけですよね。

そうですね。いいところのお嬢さん、お坊っちゃまが有名進学校を経由して政治家や官僚になると、想像力も貧困で、子どもたちへアンテナも張ってなければ、気づきもない。何か申請しても今検討中ばかりで、早うやれよと。子どもが腹減らしとんねんから、何でも食べ物持って行ったれよと。明石市はそれを持っていっている段階ですが、大事なのはおかずを届けることではなく、腹を減らさなくてもいい、子どもが泣かなくてもいい社会をつくることでしょう。子どもが泣かなくてもいい制度設計をするには国の政策が重要なんです。だから明石モデルを横展開、縦展開をして、国にいろいろやってくださいよと今働きかけているんですよ。

どんな議論より最優先すべきは子ども

安冨 全ての子どもがご飯をちゃんと食べられる、寝るところがある、殴られない。これを実現する前に、それ以外のことを議論するのは間違っていると思うんです。まず、それを実現してから、教育についても、国防やエネルギーをどうしましょうかと議論したらいいと思う。

本当にそのとおりで、本来政治行政のすべき 一丁目一番地が子どもの命であり、子どもの未来なんですよ。この一番マストのことすらせずに、しなくてもいいことをやりまくり、加えて不正なことまで手を染めているのが日本の政治です。ええかげんに本来やるべき子どものことをやりましょうと言いたい。

先ほどもふれましたが、明石市は9年ぶりに自腹で、明石市独自の児童相談所をつくり、職員数を国基準の2倍以上にしたんです。なぜなら、国の基準を守ると子どもが死ぬからですよ。子どもの命を守るという目的達成のために必要な人員配備をしたら、国基準を守れない。2倍要るんです。

安冨 子どもの命を本気で守るには、政治の総力を挙げないとできませんよね。戦争直後の日本には不可能だったけれど、1970年代以降の日本なら実現可能だったと思う。にもかかわらず訳の分からないことをやり続けてきたせいで、少子高齢化で国が滅びかかっている。本気であれば、子どもを守る政治はできるわけですよ。

日本は何もしなかったのではなく、あえてしないことを選んできたんですよ。30年も40年も、あえてほかの国の半分しか金を使ってこなかった結果が、子どもの貧困であり、子どもの虐待であるわけですから、当然もっと人も増やさなあかんし、お金も一気に増やして体制をつくらないといけない。

さらに、子どもが主人公だという発想の転換が必要です。子どもは親の持ち物ではないと。子どもは親の持ち物であるという日本特有の価値判断が、子どもの貧困や虐待の放置につながっているので、全て親任せじゃなくて、みんなで社会全体で子どもたちを応援するという発想の転換が今過渡期なんです。これが、あるかないかは大違いです。明石の児童手当の申請は子どもです。子ども名義の口座に振り込む。子どもの持ち主としての親に金配るのではなく、子どもに直接渡して、それを申請する子ども自身にも意識を促す。この方針には、本当に多くの市民が意味を理解していて、さすが明石やと応援していただいています。

安冨 その発想の転換は不可欠だと思います。これは、成果でもあるし、明石市の文化にそれを支える力があるんでしょうね。そこの転換ができるならば、全ては簡単に変換されていくはずだと思うんです。

地域政治が取り戻すべきは、教育と医療と警察

安冨 子ども問題にくわえて、市長選を経験して改めて思ったのは、教育と医療と警察という、市民地域社会にとって最も大切な三つが市長から切り離されていることです。なぜそうなっているかは明確で、国家が国民を、国家を維持するための材料だと考えている。それを揺るがさないためにこの三つを押さえているんです。私は地域政治がこの三つを取り戻す必要があると思っているんです。

かつて国政選挙や市長選に立候補したこともある安冨氏

全く同感です。教育も、自らの生命や健康、医療というものは、本来もっと近いところにあるべきですし、犯罪も大変リスクが高いテーマですから、もっと身近でいい。アメリカの警察は市がやっていますし、教育なんて世界のほとんどが地方自治で、国家がやっているのは日本ぐらいですよ。その意味で日本は非常にイレギュラーな珍しい国家で、その結果、自分で首を絞めて、経済成長もせず少子化に歯止めがかからずという状況です。そろそろ気づいて、オーソドックスなグローバルスタンダードの政治体制とか権限分配にしたらいいんです。それを、せめて明石だけでもと思って、今できることをやってきたと、こういう経緯です。

安冨 恐らくこの三つを全部融合し、子どもが飢えたり殴られたり居場所がない状態にしないという施策に投入すれば、社会は劇的に変わるでしょうし、絶対に実現可能だと思うんです。

私が市長の最後の仕事としてやったのが、全国の児童相談所で働いている職員の研修所の全国2か所目の拠点を明石につくったことです。これは国の機関ですよ。それを明石の土地を提供してつくり、オンライン配信で、全国の児童相談所の勉強の機会を提供している。私としては、意地でも、「国がせんかったら明石でやる」を通した。それこそ「誰もせんかったら自分がやる」と。日本中の子どもの命を守るのが政治家の仕事だと本気で思っていますので。

安冨 泉さんがこの本の中で書いていることは、改めて私の考えでもあったと思います。国を守るということは、国という抽象的なものを守るのではなくて、私たちの子孫、子どもたちを守ることです。それを単に口で言うのではなく、具体的にどう守っていくのか、問題を立て替えれば、やるべきことはおのずと明らかになると思う。それは明石市という非常に限定された、つまり、警察もなければ医療もなくて教育機関も奪われている、そういう市役所という機関でも十分に実現可能であった。だから、ほかの市でも可能だし、さらに国が本気で取り組めば、絶対に実現できるはず。今日のお話でその確信を得た気がします。

おっしゃるとおり。私はポジティブシンキングの代表みたいな人間なので、意外と近い段階で国が変わると思っているんですよ。全然諦めていません。一番大きいのは、世の中の悲鳴です。もう耐え難いぐらい国民も負担しているのにかかわらず、子どもが死に続け、子どもが腹を減らしている状況を、さすがに多くのみんなが気づき始めている。

明石から始まった流れは、もう社会のニーズです。これが一気に広がっていって、国も方針転換をせざるを得なくなると思っています。ベルリンの壁のように変わるときは一瞬でぱっと変わる。それは幸せのようで、不幸でもあります。そこまで追い詰められているということですからね。


構成・文=宮内千和子 撮影=野辺竜馬(泉氏)坂東望未(安冨氏)

日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来

泉 房穂

2023年9月15日発売

1,100円(税込)

208ページ

ISBN:

978-4-08-721279-2

大増税、物価高、公共事業依存、超少子高齢化の放置…
社会の好循環を絶対生まない「政治の病(やまい)」をえぐり出す
泉流ケンカ政治学のエッセンス!

◆内容紹介◆
3期12年にわたり兵庫県明石市長をつとめた著者。「所得制限なしの5つの無料化」など子育て施策の充実を図った結果、明石市は10年連続の人口増、7年連続の地価上昇、8年連続の税収増などを実現した。しかし、日本全体を見渡せばこの間、出生率も人口も減り続け、「失われた30年」といわれる経済事情を背景に賃金も生活水準も上がらず、物価高、大増税の中、疲弊ムードが漂っている。なぜこうなってしまったのか?
著者が直言する閉塞打破に必要なこと、日本再生の道とは? 市民にやさしい社会を実現するための泉流ケンカ政治学、そのエッセンスが詰まった希望の一冊。

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