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「爪を立てて掻きむしりたい!」という衝動…びっしりいっぱいの蛙や蛾の卵、アトピー性の皮膚…集合体恐怖症の正体とは

集英社オンライン / 2023年10月19日 17時1分

蛙の卵や鯉の群れ、ひいてはいちごの粒々にさえ恐怖を感じる人がいるという。集合体恐怖症である。集合体恐怖症の人たちが集合体を目にしたときに感じる、ぶるっとした感覚、叫びたい気分の正体を、仔細に解説。読んだあなたも、集合体恐怖症になってしまうかもしれない。

※本記事は春日武彦『恐怖の正体――トラウマ・恐怖症からホラーまで』から抜粋・編集したものです。

びっしりと……集合体恐怖

専門書の類を読んでも、恐怖症がなぜ生ずるかについて腑に落ちる説明に出会ったことがない。たとえそんなことを解明できても、せいぜいイグ・ノーベル賞しか貰えそうにないからなのか。仕方がないので、せめて自分の甲殻類恐怖を手掛かりにして説明を試みようとしているわけである。



集合体恐怖(Trypophobiaトライポフォビア)についてはどうだろうか。

木肌にびっしりと産み付けられた蛾の卵、限度知らずといった按配に産み落とされたカエルの卵、岩肌を覆うフジツボ、コモリガエルの背中、海ぶどう、ハスの花托(丸い穴の集合)のひとつひとつに種がいちいち嵌り込んでいるところ、そういった小さな穴や突起やブツブツしたものの集合体に過剰反応をするのが集合体恐怖である。

そのバリエーションとして、たとえばこんな光景も含まれるだろう。高橋たか子(1932~2013)の短篇小説「誘い」(『怪しみ』所収、新潮社)の一部で、主人公が女学生の頃に遠足で立ち寄った神社の境内、そこにあった池にまつわるエピソードである。


〈その池ではたくさんの鯉が飼われており、池辺には餌を売る売店があった。

……同じ学年の誰かが、すっとん狂な声をあげて、餌を買い、まわりの友達に分けあたえて餌を投げた。その声に煽られて、何人かが声をあげた。だが、静粛に、と教師がきびしく言い放ったので、すぐ元どおり静まりかえった。その頃は、教師の一声で、全員がまったく従順に言われたとおりになった。

しんとしてしまったその場所に、しかし逆に、みるみる賑わってくるものがあった。餌が投げられたために、池の鯉が全部そこに寄ってきて、密集してきたからである。

水面すれすれのところまで、彼らの赤や黒や白や桃色の体が浮上し、粘った魚鱗がいっそう粘ってみえ、どれもがちょっとでも餌にありつこうと、他のものとたがいに重なりあうほどに、やみくもに寄りあい、人間の赤子の口のような口をあんぐり上にむけてあけている。

1つ1つの口腔が奥まで見えている。なにか目をそむけたくなるほどの生なものをさらけだしているのであった。1匹1匹というより、全部が連続してひとつながりになっているようでもある。それまで隠されていたものがそこに過剰にあらわれ出て、水面すれすれのところで、赤や黒や白や桃色という色になって、理由もなく、いわば暴力的に湧いている。
私はぶるっと戦慄した。叫びたい気分になった。〉

たしかに主人公の「ぶるっと戦慄し」「叫びたい気分になった」は、集合体を前にしたときの感覚そのものである。

私はいちごが食べられない

柴田よしきのホラー短篇「つぶつぶ」(井上雅彦監修『異形コレクション恐怖症』所収、光文社文庫)ではどうだろう。


〈そう、たとえば私はいちごが食べられない。

いちごを平気で食べる大部分の人間は、いちごの赤い果肉の表面に、茶色の小さなつぶつぶが無数についていることに気づいていないか、気づいていても気にしない。しかしあれをよくよく目の前に近づけてみれば、それがどれほど気味の悪いものであるか知って愕然となるに違いない。茶色くかたいつぶつぶが、赤く柔らかな果肉に食い込むようにしてへばりついているのだ。何粒も何粒も何粒も何粒も何粒も……

私はいちごを目にすると、あのかたいつぶつぶをひとつずつ、爪楊枝の先でほじり出して赤い果肉をすっきりさせてやりたい衝動を抑えるのに苦労する。

いちごだけではない。少し神経を尖らせて観察すれば、この世の中は、つぶつぶ、で溢れていることに気がつくはずだ。〉


まさにその通り。迂闊にも見過ごしているだけで、おぞましい集合体はこの世の中にいくらでもあり、わたしたちがうっかり「気づいてしまう」のをじっと待っている。

集合体恐怖の理由の説明として、寄生虫や皮膚病、伝染病などに皮膚が冒された状態を連想させてその危機感や不快感が恐怖につながる、といった話が比較的流布しているようである。それはそれでその通りとは思う。

わたしはかつて小児喘息とアトピーに悩まされていたが、アトピーでは肌にみっしりとブツブツが生じ、それを目にするとますます痒みが激しくなる。いくら掻いても痒みは治まらず、自分の皮膚はいよいよ異様な状態に変化していく。

透明な汁がじくじくと滲出し、落屑が雲母のようだ。おぞましいものに変身していくかのような気味の悪さをひしひしと自分自身に感じたものであった。そのせいか、集合体恐怖的な傾向が強く、それどころか自虐的な遊びに耽っていた時期さえある。

その遊びとは、画用紙の裏から鉛筆の尖端で紙を突き刺すのである。ただし貫通はさせない。すると表面には尖った「ささくれ」が生じる。ほぼ1センチメートル間隔で紙の裏全体をまんべんなく鉛筆で突く。

そうなると画用紙の表面は大根おろしの「おろし金」さながら「ささくれ」でみっしり覆い尽くされる。それは目にしただけで十分にぞわぞわと皮膚感覚を刺激する。しかもその表面を指先でそっと撫でたり、頬に擦りつけたりして突起の密集がもたらす不快感を堪能するのである。ああ、気味が悪い、病んだ皮膚そのものじゃないか、おぞましくて耐え難いなあ、と。

そして最後には画用紙を無茶苦茶に破り捨てるのであるが、切手の目打ちみたいに突起が互いにつながるようにして破れていき、そのつながっている感触がなぜかわたしをぎょっとさせる。妙に生々しく生き物めいた手応えを指先に伝えてくるのだった。

集合体の暴力性

集合体を目にしたとき、不快感とともに感じるのは「爪を立てて掻きむしりたい!」という衝動である。そんなことをしたら、爪のあいだに粒々や鱗片みたいなものが詰まってしまったり、潰れて溢れ出した粘液状のもので指が汚れたりしそうで嫌なのだけれど、それでもなお、がりがりと掻きむしりたい。そのことで自分が感染したり寄生虫に潜り込まれたりしかねないのに、それでもなお掻きむしりたい。

小さな穴が、たこ焼き器の凹みさながらにびっしりと並んでいたら、その穴の1つ1つに鉛筆の尖端を突き刺して掻き回したい。そうしなければ、もどかしさで頭が破裂しそうだ。

そしてそんなことを思っているわたしの頭の中にはミクロなパニックが生じている。高橋たか子の小説で、「それまで隠されていたものがそこに過剰にあらわれ出て、(中略)理由もなく、いわば暴力的に湧いている」と書かれている箇所は重要である。

集合体は、一定数以上が寄り集まると、算術級数的であることをやめて幾何級数的な存在感をもたらす。それはまさに恐慌を起こさせるに十分な刺激であり、不条理感を伴う「圧倒的な存在の手応え」となって暴力的に迫ってくる。

しかも「1匹1匹というより、全部が連続してひとつながりになっているようでもある」、つまり1匹や1個の集合はやがて個々の意味を凌駕して、全体として何らかの意味を持っているかのように見えてくる。しかもその意味とは、わたしたちをもその集合へと取り込んで不快な存在感の誇示へ加担させようという意志ではないのか。

菊池新『なぜ皮膚はかゆくなるのか』(PHP新書)には、「2013年になって「かゆみを想像しただけでかゆくなる」ことの、脳内メカニズムが解明された。被験者にじんましんが出ている皮膚の写真を見せたときの脳の活動を、fMRIを使って調べたのだ。

結果、写真を見たときに、情動をつかさどる島皮質と、運動の制御や欲求をつかさどる大脳基底核という部位の活動が高まっていることがわかった。つまり「かゆみを想起させる写真を見ただけで、脳の掻きたいという欲求を刺激する部分が反応した」というのだ」と述べてあった。

なるほど、ブツブツを見ただけで、我々の皮膚にはそれに似た想像上のブツブツが生じるというわけだ。それはすなわち我々がブツブツにたじろがされると同時に、他者へ掻痒感やぞっとする感覚を与えかねない「加害者」へと暴力的に変身させられるということである。一人二役で被害者と加害者とを同時に演じさせられる。そうした暴力性(そして屈折に屈折を重ねた誘惑や依存性)に恐怖を覚えても無理はあるまい。

集合体恐怖は、痒みを中心とした皮膚感覚を通してわたしたちの心へ侵入し脅かす。自分も集合体の一部に変身してしまうといったおぞましさを惹起する。その事実を反対側から述べている文章を参考までにここへ引用してみよう。

ドイツの神学者オットー・ベッツ(1917~2005)の『象徴としての身体』(西村正身訳、青土社)で、皮膚に関して語られている一節である。


〈私たちは愛する人に皮膚を優しく愛撫されるときに、いちばん気持ち良く感じる。そのとき初めて私たちは、皮膚が肉体の他の部分と並ぶ単なる部分なのではなく、身体のすべての部分と結びついているのだということに、本当に気づくのである。

従って皮膚ではなく、その人の全てが愛撫されるのであり、皮膚は優しい愛撫の入口であって、あらゆるニュアンスを受け入れ、それをさらに伝えることができるのである。〉


オットー・ベッツによるこの記述の悪夢バージョンが、すなわち集合体恐怖という次第である。

文/春日武彦
写真/©shutterstock

恐怖の正体 トラウマ・恐怖症からホラーまで(中央公論新社刊)

春日 武彦

2023年9月1日発行

¥1,012

261ページ

ISBN:

978-4121027726

うじゃうじゃと蠢く虫の群れ、おぞましいほど密集したブツブツの集合体、刺されば激痛が走りそうな尖端、高所や閉所、人形、ピエロ、屍体――。なぜ人は「それ」に恐怖を感じるのか。人間心理の根源的な謎に、精神科医・作家ととして活躍する著者が迫る。恐怖に駆られている間、なぜ時間が止まったように感じるのか。グロテスクな描写から目が離せなくなる理由とは。死の恐怖をいかに克服するか等々、「得体の知れない何か」の正体に肉薄する。

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