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〈まさに現代の“異能”〉史上初八冠を獲得した藤井聡太が、小学4年でコメダ珈琲で頼んだ「クリームソーダ」の物語

集英社オンライン / 2023年10月20日 11時1分

史上最年少の14歳2ヶ月でプロ入りを果たし、遂に史上初の八冠達成など、数々の記録を打ち立ててきた棋士・藤井聡太。その活躍は、いまや社会現象とも言える「将棋ブーム」を巻き起こした。“史上最強の棋士”はどのように生まれ育ったのか。5歳で本格的に将棋を学び始めるや、すぐにその才能の片鱗を見せていた藤井少年の“異能”ぶり、杉本昌隆に弟子入りするに至った小学生時代を、『藤井聡太のいる時代』(朝日文庫)より、一部抜粋、再構成してお届けする。

「選ばれた才能の持ち主」の手

2010年3月7日。聡太がまだ小学1年生だったころ、東海研修会で、のちに師匠となる杉本と初めて出合った。

杉本が強烈に覚えているのは、参加していた少年少女の中で、ひときわ小さかった聡太の姿、そして、その時の聡太の言葉だ。



「ここに歩を打たないと、この将棋は(自分に)勝ちがないから」

将棋を指し終えた後、対局を振り返る「感想戦」で、聡太が対戦相手に自分の考えを伝えていた。

杉本は、そのときの状況を振り返る。

「藤井の玉の近くに、相手の歩が迫ってましてね。それに対し、普通は、一マス空けて自分の歩を打って受けるところを、藤井は相手の歩が利いているマス目(相手の歩の前)に自分の歩を打つ、『顔面受け』のようなことをやったわけです」

7歳の聡太が暗に「普通ならこうやるというセオリーは承知しています。でも、勝負手(しょうぶて)として、ひねった手を選びました」と言っているわけだ。

写真はイメージです。

もう一つ、杉本の心に焼き付いた局面がある。8歳となった聡太が、現在は女流棋士となった中澤沙耶(なかざわさや)と対局したときの手で、相手の飛車金銀香が利いている地点に打ち捨てた「焦点の▲(先手 ) 7二銀」だ。

対局後の感想戦の変化手順の中で、聡太が指摘した絶妙手だ。たまたま眺めていた杉本は「身震いが止まらなかった」。相手はこの銀を飛車、金、銀、香車、いずれでも取れるが、どれで取っても先手の鮮やかな攻めが続く。選ばれた才能の持ち主にしか指せない、杉本はそう悟ったからだ。

「このときから藤井の将棋は欠かさず見るようにした」と杉本。「あまりに感動したので、この図面を書き留めて、ことあるごとに他の棋士に見せた」。その言葉から、聡太の輝く才能に気付いた杉本の喜びが伝わってきた。

将棋盤を覆って号泣、母がひっぺがした

聡太が幼かったころの性格について、多くの人が挙げるのが、その負けん気の強さだ。杉本は、聡太が反則負けし、将棋盤に覆いかぶさるように号泣した場面に出くわしたことがある。

「泣く、なんてもんじゃなかったですね。吠える、というか。その状態になると、周囲がどうなぐさめても止まらない。そんなときは、いつもお母さんが来て、将棋盤からひっぺがして、どこかに連れて行っていましたね」

だからと言って、負けたらいつも泣いていたわけではないらしい。自分が「情けない」と感じた負け方をしたときに、泣いていたようだった、と杉本は推測する。

一方、杉本は、聡太の切り替えの早さも心に残っている。「あれだけ泣いたら、すぐ次の対局は勝てないものです。でも、藤井は何事もなかったかのように勝っていました」

2010年に名古屋市であった「将棋日本シリーズこども大会(現テーブルマークこども大会)」東海大会。低学年部門に出場した聡太は、決勝戦で敗れて号泣した。大きな見落としが敗因だった。

同じ年の11月、名古屋市で催された「将棋の日」のイベントでの出来事も語り草になっている。

小学2年だった聡太は、史上最年少(当時)の21歳2カ月で名人になり、永世名人の資格も持つ谷川浩司(たにがわこうじ)に二枚落ちで指導を受けた。ところが、谷川の玉が藤井陣に入り込み、詰まなくなった。敗勢だ。谷川は好意で引き分けを提案したが、聡太は「うわああん」と泣き始めた。

近くで見ていた杉本によれば、号泣、絶叫だったという。プロの高段者相手に引き分けと判定され、泣く子はまれだろう。

杉本はそのときの聡太の様子を振り返った。「途中で勝負が終わるのが悲しくなったのでしょう」

9歳、詰将棋で大人に次々と勝つ

数多くの詰将棋を解くことで、聡太の読みの速さ、正確さは徐々に磨かれていった。その驚異的なスピードは、東海研修会に通う小学生の頃から、詰将棋愛好家の間では有名だった。

東海研修会が開かれた板谷将棋記念室の本棚には、板谷進九段が残した蔵書のほか、杉本らが寄贈した将棋の定跡書が並ぶ。「東海研修会貸し出し帳」を開くと、「藤井聡太」の名前があった。

借りた本は、『小夜曲(さよきょく)』『塚田詰将棋代表作』『極光』など。いずれも詰将棋づくりの名手とされる人の作品集で、難題が並ぶ高度な書籍だ。数多くの詰将棋を解き、最大の武器とされる相手玉を仕留める終盤の力を付けてきた。

詰将棋の早解きを競う「詰将棋解答選手権」という大会がある。2010年、7歳の聡太は初めて参加し、「初級戦」「一般戦」に出た。翌年には、手を超すような難問が出題され、トップ棋士も参加する「チャンピオン戦」に挑戦。24人中13位の成績を収めた。

選手権を運営する全日本詰将棋連盟会長の柳田明は、9歳の聡太がみせた早業に目を丸くした。詰将棋愛好家の集まるイベントで読みの速さと正確さを競う余興をしたときのことだ。「小さくてかわいらしい子が大人を次々と負かして優勝してしまった。驚きました」

詰将棋の才能は、その後さらに開花する。15年、12歳の時には、選手権で並み居る棋士を押しのけて優勝。それから毎年勝ち続け、19年3月には5連覇を果たした。

17年6月、公式戦28連勝を達成したときの記者会見で「どうしてここまで強くなれたと思うか」と問われ、聡太はこう答えている。

「詰将棋をよく解いてきたのは、いい影響があったかなとは思います」

始まりの「クリームソーダ」

「弟子入りを申し込まれて安堵しました」。杉本は、小学4年生だった聡太から申し出があった時のことをこう振り返る。

夏の奨励会試験が迫ったある日。名古屋市中心部にある喫茶店「コメダ珈琲店栄三丁目店」。母の裕子に連れられた聡太は、クリームソーダを注文した。緑色のソーダ水に、たっぷりのソフトクリームが浮かぶ。聡太はストローでクリームを底に沈めようとしては、ソーダ水をテーブルにこぼした。

「藤井にあまり指導した記憶は無いんですが、この時は、『こうやって飲むもんだよ』と先にソーダを飲むことを指導しました」と杉本は楽しそうに語る。「その瞬間は、どんくさいな、と思いましたね」とも。

聡太は小学3年生の時に「全国小学生倉敷王将戦」と「将棋日本シリーズこども大会(現テーブルマークこども大会)」東海大会の低学年の部で優勝。「上でやっていける自信が出た。本気でプロを目指すようになりました」と後に話している。

奨励会の入会試験を受ける前、多くの受験者がプロ棋士に弟子入りを志願する。師匠は、将棋界での身元引受人の意味合いも強い。聡太が通う東海研修会で指導をしていた杉本は「いつ、弟子入りしたいと言われるか」とドキドキしていた。別の師匠を求めたり、才能ある聡太が別の道に進んだりしたら。「かと言って、こちらから『弟子になってくれ』というわけにもいかないですし……」

それでも、「もっと、すごい棋士に師匠になってもらった方が藤井のためかも」と、ふと思う日もあった。「『光速の寄せ』で一世を風靡(ふうび)した谷川浩司九段とか。自分が師匠で良いのか、と自問自答したこともありました」

こののち、杉本は師匠として聡太の活躍を支えていくことになる。

#2につづく

※肩書き、名称、年齢、および成績などのデータは、原則として取材当時のものです。


文/朝日新聞将棋取材班
写真/photoAC、共同通信社(サムネイル画像)

『藤井聡太のいる時代』

朝日新聞将棋取材班

2023年8月7日発売

858円(税込)

240ページ

ISBN:

978-4022620804

朝日新聞の大人気連載が待望の文庫化!
タイトル獲得の舞台裏から睡眠時間、勉強法まで、将棋界の歴史を動かした不世出の棋士を知る決定版。
どのような環境で生まれ育ち、どのように将棋と出合い、強くなっていったのか。
本人、家族、個性豊かな対戦相手の棋士の取材で浮かび上がった、ニューヒーローの素顔と、強さの本質。
自宅での本人インタビューの様子や、家族提供の貴重な写真もカラー口絵で多数収載。

ご注意:本書は2020年11月に発売された同名タイトルの書籍の文庫化です。

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