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“藤井キラー”と呼ばれたライバルを下し、31年ぶりに最年少記録更新! 藤井聡太八冠が16歳にして迎えた“最後の”新人王戦。その時、母は…

集英社オンライン / 2023年10月22日 11時1分

若手プロ棋士の登竜門と言われる「新人王戦」。26歳以下、六段以下の棋士に参加資格が与えられるが、連続昇段により16歳にして「最後の新人王戦」に挑むことになった藤井聡太とライバル棋士たちの熱戦を振り返る。戦いを見守った師匠、姉弟子、そして家族の思いは…? 『藤井聡太のいる時代』(朝日文庫)より、一部抜粋、再構成してお届けする。

最後の新人王戦へ

将棋界で主に若手棋士を対象にした棋戦のうち、最も歴史があるのが新人王戦だ。新人王戦の参加資格は、現状では「26歳以下」「六段以下」となっているほか、女流棋士やアマチュア、三段リーグの成績上位者にも枠がある。歴代優勝者には羽生善治や渡辺明ら一流棋士がずらり名を連ねる。



2016年10月にプロ入りを果たした藤井は、17年の第48期新人王戦に初参戦した。トーナメントで2勝を挙げたが、準々決勝で当時四段だった佐々木大地(ささきだいち)に敗れた。

2回目の挑戦となった第49期の初戦(2回戦)は18年2月14日、古森悠太(こもりゆうた)に勝った。この日はちょうどバレンタインデーだった。日本将棋連盟関西本部によると、2月1日に順位戦でC級1組への昇級を決め、五段に昇った藤井に対し、「持ちきれないくらい」のチョコレートが届いたそうだ。

さらに、7月28日に指された3回戦から、「最後の新人王戦」として注目を浴びていく。新人王戦初戦の3日後に第11回朝日杯将棋オープン戦で優勝して六段に昇り、5月18日の竜王戦ランキング戦で連続昇級を果たし七段になった。新人王戦の参加資格は「六段以下」。矢継ぎ早の昇段で、16歳にもかかわらず、次期以降は出場できなくなったからだ。

3回戦の対戦相手で当時六段の八代弥は第10回朝日杯の優勝者。対局は「全棋士参加棋戦の朝日杯を制した大型新人同士の激突」として注目を浴びた。3時間の持ち時間を両者ほぼ使い切る熱戦を制したのは藤井だった。終局後、藤井は「最後の最後まで、きわどい局面が続きました」と振り返った。勝った後でも喜びをあらわにしないタイプの藤井が珍しく、うれしそうな笑顔を見せた。

藤井は、8月31日の準々決勝で当時五段の近藤誠也(こんどうせいや)、9月25日の準決勝で同じく当時五段の青嶋未来(あおしまみらい)を連破した。関東の俊英を下した藤井は決勝三番勝負という檜舞台に躍り出た。「公式戦での番勝負は初めて。全力を尽くしたい」と話した。

初めての番勝負で最年少優勝

2018年秋。藤井が初めて番勝負に登場した第49期新人王戦の決勝三番勝負は関西勢同士の対局となった。舞台は関西将棋会館。タイトル戦と同じように高段棋士が立会人を務め、対局者におやつも提供された。

対戦相手は、奨励会の三段だった出口若武(でぐちわかむ)。年少でも、すでに棋士だった藤井の方が格上で、負けられない戦いだった。

出口が井上慶太の弟子ということも話題を呼んだ。井上一門の棋士たちは藤井との対局で好成績を残し、「藤井キラー」と称されていたからだ。井上は出口を「鋭い攻めを秘めた、井上一門の隠し玉」と評し、好勝負を期待していた。

第1局は10月10日。午前8時すぎ、すでに関西将棋会館の前に人だかりができた。藤井の初めての番勝負とあって、福崎文吾らによる大盤解説会が特別に企画され、午後2時の開会をファンが待っていた。急遽、整理券が配られた。

第1局は相懸かりという戦型になった。先手の出口が積極的に仕掛け、終局後に藤井も「途中は苦しい場面もありました」と振り返るほどだった。だが、結果は午後5時、112手で藤井が先勝した。

第2局は1週間後の17日。戦型は藤井得意の角換わり。出口は「公式戦で角換わりを指したのは初めて」。大勝負で新しいことに挑戦する度胸の良さを見せたが、中盤で「すごい失敗をしてしまった」。

午後3時、105手で藤井が制した。16歳2カ月での新人王戦の優勝。1987年に森内俊之が17歳0カ月で達成した最年少記録を31年ぶりに塗り替えた。

「新人王戦は最後のチャンスでしたので、優勝という形で卒業できたことをうれしく思います」。終局後、藤井は初々しく語った。

一方、敗れた出口は翌春、プロ四段に昇った。「新人王戦という大舞台を経験できたのは大きかった」と感謝する。

「弟」を気遣う姉弟子

「10秒将棋で負けたのは痛恨でした」。藤井が冗談交じりに笑顔で漏らしたことがある。その対戦相手は、同じ杉本門下の室田伊緒。藤井の姉弟子にあたる。

2018年1月3日。杉本一門の新年初めての研究会が名古屋であった。室田が藤井と1手10秒の練習将棋を指し、角道(かくみち)を止めず、積極的に攻めを狙うゴキゲン中飛車戦法で勝利した。結果が関西将棋界に伝わると、室田の評価はグンと上がった。

2人の初対戦は11年12月までさかのぼる。奨励会に入る前に、アマチュア有段者が腕を磨く東海研修会に通っていた9歳の藤井と、女流初段だった22歳の室田がハンディなしの平手で対戦。室田が勝った。

「私が勝つと、師匠に『よく勝ったね』と言われて。私も女流プロなんだから、って思いました」。室田はそう振り返る。

杉本は毎年、一門で新年の研究会を開いている。「弟子たちにお年玉も渡したいですし」と杉本。

18年に続き、19年も1月4日に室田と藤井は10秒将棋を1局指した。ここまで1勝2敗だった藤井の勝ち。いずれも非公式戦とはいえ、対戦成績は2勝2敗の五分となった。一門ら8人は練習将棋を指し、豚汁をつくって夕食をとった。研究は午後11時ごろまで続いた。室田は「まるで家族みたいな、和やかな感じでした」と話す。

藤井が優勝した18年の新人王戦三番勝負。大盤解説会に出演した室田は、藤井の普段の姿についてあまり話さなかった。記者がその理由を聞くと、「姉弟子の私が何かしゃべって、藤井君の負担や邪魔になったらいけないと思った」。

この話を聞いた藤井は「気を遣(つか)っていただくのはありがたいですし、尊敬します」とうれしそうだった。

「棋士」でいる間、母は

窓外に広がる芝生が、冬の日差しに照らされて輝いていた。

2018年12月4日。結婚式場として名高い明治記念館で、新人王戦を史上最年少で優勝した藤井の表彰式が行われた。

式は毎年、囲碁の新人王の表彰も合同で行われる。えんじのネクタイを締めたスーツ姿の藤井に対し、囲碁の新人王・広瀬優一(ひろせゆういち)は、りりしい和服姿で現れた。当時16歳と17歳の2人が晴れ舞台に臨んだ。

藤井への祝辞に立ったのは、師匠の杉本。

「藤井が小学4年の時、初めて平手で指して負かされました。もう一局指して、実は私が勝ちました。こちらはあまり報道されていないので、この場をお借りしてお話しします」

約170人の来場者の笑いを誘う一方、こう述べた。

「よく『師匠が育てた』と表現していただくが、師匠がやってあげられることは少ない。本当に育てたお父さん、お母さん、ご家族の存在が大きくて、今の藤井聡太七段がある」

写真はイメージです。

会場には、藤井の母・裕子の姿もあった。息子の晴れ姿を見るために愛知県から駆けつけたが、本人には声をかけなかった。藤井が「棋士」でいる間は、そっと見守る。それが、親子の暗黙のルールだ。

式次第は謝辞へと移った。金屛風の前に進み出た藤井は、緊張気味に語り出した。

「新人王戦はトップ棋士への登竜門と言われている棋戦ですので、この優勝を機に、さらなる飛躍ができるよう、日々精進していきたいと思っています」

藤井が頭を下げると、会場から拍手が湧き起こった。

わずか3カ月余りの間に四段から七段に昇段し、第11回朝日杯将棋オープン戦では全棋士の頂点に立った18年。最後の出場となった新人王戦でまた一つ勲章を手にした藤井は、新たなステージの入り口に立っていた。

※肩書き、名称、年齢、および成績などのデータは、原則として取材当時のものです。


文/朝日新聞将棋取材班
写真/photoAC、共同通信社(サムネイル写真)

『藤井聡太のいる時代』

朝日新聞将棋取材班

2023年8月7日発売

858円(税込)

240ページ

ISBN:

978-4022620804

朝日新聞の大人気連載が待望の文庫化!
タイトル獲得の舞台裏から睡眠時間、勉強法まで、将棋界の歴史を動かした不世出の棋士を知る決定版。
どのような環境で生まれ育ち、どのように将棋と出合い、強くなっていったのか。
本人、家族、個性豊かな対戦相手の棋士の取材で浮かび上がった、ニューヒーローの素顔と、強さの本質。
自宅での本人インタビューの様子や、家族提供の貴重な写真もカラー口絵で多数収載。

ご注意:本書は2020年11月に発売された同名タイトルの書籍の文庫化です。

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