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感動の拍手で沸いた安倍総理の伝説的「米国連邦議会上下両院合同会議でのスピーチ」…安倍の希望で加わったフレーズと幻の”野茂プラン”とは

集英社オンライン / 2023年10月19日 9時1分

安倍元総理の外交政策スピーチを数多く手がけた谷口智彦氏が、総理の主要なスピーチを紹介しつつ、安倍外交の歩んだ道のりを辿る。今回は演説草稿の作成過程で、総理がこだわったキーワードを入れ込んだという、米国連邦議会上下両院合同会議でのスピーチを紹介する。『安倍総理のスピーチ』 (文春新書)より、一部抜粋、再構成してお届けする。

一世一代の米議会演説

まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。

「落ち込んだ時、困った時、…目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。

二〇一一年三月一一日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。



そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。私たちには、トモダチがいました。被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。

──希望、です。

米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。

米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。

希望の同盟──。一緒でなら、きっとできます。

ありがとうございました。

と、もちろん全文英語で総理が読み終えると、会議場は割れんばかりの、拍手。上院議長としての立場で発言者である総理の真後ろに下院議長と並んで座っていたバイデン副大統領(当時)も、同じように立ち上がって手を叩いていた。

2015年4月29日、米国連邦議会上下両院合同会議でのスピーチである。

米国連邦議会で上下両院議員が一堂に会し、誰かの演説を聞く機会は、大統領が議会に一年に一度だけ年初に現れ「年次教書演説」を読むときくらいなものだ。その際には、フロア面積が広い下院の本会議場が使われる。

来訪した外国要人を、これと同じ処遇で──下院本会議場で上下両院議員が迎えてスピーチさせる慣習は、さほど昔にさかのぼらない。それ以前は、下院本会議場で下院議員が迎え、聞くのを通例とした。

昭和32(1957)年に訪米した岸信介総理(当時)は、あまり知られていなかったが、下院を舞台に堂々たる演説をしていた。

そしてその後、ついぞなかった。1961年、当時の池田勇人総理が下院で述べたものは短かすぎ、「挨拶」として今に伝わるため省くとして、安倍総理は、米連邦議会演説としてなら祖父、岸に次いで二番目に当たるスピーチを、上下両院合同会議に対して、と、定義を狭くした場合なら史上初となる演説を、読み上げることとなった。

はからずもホワイトハウス見学

演説実施日の40日とちょっと前、3月20日ごろ、米議会からゴーサインが出て安倍総理の演説が本決まりになった。なお議会で誰にいつ話をさせるかは、日本においても同様だが政権がくちばしをはさむところではない。議会の専決事項だ。

つまりこのときまでに、日本の「シンゾー・アベ」について、迎え入れてよかろうというコンセンサスが米議会に成立していたことになる。強硬な反対意見を唱える有力議員が一人でもいれば、難しかっただろう。

ここまで持ち込むに当たってキャロライン・ケネディ駐日大使(当時)の働きが大きかったことは、後に触れたい。

実はこれに先立ち、3月1日日曜日出国、7日土曜日帰国の日程で、わたしは米ワシントンDCとの間を往復した。

このときは、本務先(安倍総理の外交スピーチをフルに手がけつつ、2014年4月以来テニュア教授職にあった慶應義塾での手は抜いていなかった)から得た研究費を年度内にきちんと使い、報告できる成果を作る必要に迫られていた。

研究テーマとして金融のウェポン(武器)化に興味があり、ドル決済網を用いた制裁の実務を、細部にわたって理解したいと思っていた。ゆくゆくは──といっても今日に至るも未完のままだが、制裁の主体となる米財務省の外国資産コントロール・オフィスについて詳述したいと考え、その先鞭をつけるのが目的のひとつ。

そこで専門家に会っておこうと、「財務省の戦争」と邦訳できる題の先駆的著作をもつウアン・ザラテ氏に、旧知のデイビッド・アッシャー氏の紹介で会ったのがこの時だ。

費用は一部学校支給の研究費で賄った。つまり、官費は使わなかった。あり得べき総理の議会演説を睨んだ下調べ目的の公費出張などではどこから見てもなかったし、実はそんな必要を全く認めていなかった。

オバマ大統領のスタッフと事前に会ったことが世間に知られた日には、米国と相談ずくで起案したのかなどと、痛くもない腹をさぐられかねない。

そもそも総理と一緒に作るんだと意欲満々だったスピーチに、誰かの意見、とりわけ米政権関係者の見解を参考にする必要など、毫も認めていなかった。これはわたしの、倨傲のゆえでもある。

ところが佐々江賢一郎大使以下当時の在米日本大使館スタッフは、時宜まことによろしきを得て谷口が来たと解釈し、お願いしたわけではないのに、ホワイトハウスのアジア担当上級部長としてオバマ政権アジア政策の中枢に座っていたイーヴァン・メデイロス氏や、第1章「スピーチライターとは何か」で述べたように大統領スピーチライター、ベン・ローズ氏との会合を、あらかじめセットしてくれていたのである。

佐々江大使は、外務省で筆者が初めて麻生大臣のため書いたスピーチをノーチェックで通してくれたという、その後いっさいあずかれなくなる特別待遇をしてくれた恩義ある方だけれども、このときワシントンで頂戴した配慮も、やはりありがたかった。

ホワイトハウスのウエストウイングに入り込んで、思っていたよりせせこましい、陽光の差し込まない場所だとわかったり、ホワイトハウスの給仕給食は海軍の管轄なんだと、見て妙に納得したり、なんでもないことに臨場感が味わえた。

メデイロス、ローズ両氏といちおう顔見知りになったことも含め、これから総理と作ろうとするスピーチが届くであろう人々の面構えや、その働く空間について具体像を抱けたことは、自信や安心を抱く一助になったと思える。

安倍総理の指示で加わったキーワード

そんな旅から帰国すると、正味一カ月間の、スピーチ作成作業が始まった。

いま記録を確かめてみると、原稿の第三版から第四版の間に、総理の指示によって重要なキーワードが加わっていたことがわかった。

日米同盟を、「希望の同盟」と呼ぶんだと、そう明確に言う表現が加わったのが、第四版だった。

自分の記憶違いにも気がつく。安倍総理(やわたし)は、寝床に持ち込んだラジオで深夜放送に聞き入った世代の一人。

安倍氏はなんでも高校生の頃キャロル・キング「君の友だち(You’ve got a friend)」を愛聴したとかで、第一版作成時点から、歌詞の一節を入れられないかと指示が来ていた。

残ったメモの様子から記憶をたぐるに、総理の指示を聞いた今井尚哉秘書官が簡単な原稿にし、わたしに手渡してくれていたようだ。わたしは、「ユーヴ・ガッタ・フレンド」の歌のエピソードは、演説作成過程のごく終盤に総理自身の指示で入ったような気がしていた。

一緒に忘れてしまっていたことは、当初は傍聴席(ギャラリー)にキャロル・キングその人に来ていてもらい、あなたはわたしの憧れでしたと、総理が直接呼びかける演出を考えていたことだ。

あぁ、きっと、大きな、割れんばかりの拍手が出るなぁ、すると総理は一気に喜色満面、最後の大団円に向かって、フォルティシモで盛り上げる力強いフィニッシュができるなぁと、そんな想像をし、ひとり興奮した記憶がほのかによみがえる。

拍手が取れるスピーチをつくろうとして腐心しなくてはならない理由のひとつはそこだ。拍手はスピーカー自身の感動を増す。それがストレートに出ると、会場は興奮をシェアし、増幅してくれる。ライブ・コンサートとなんら変わらない。

だからわたしは、「こう書けば、きっと」と、いつも拍手を引き出せる流れや文章をああだこうだと考えるのを常とした。

そしていまいった大団円をどうつくるかは、スピーチの寿命を決める。着地がぴたりと決まると、全体の印象が顕著によくなる。「あのときの、安倍さんの、あれ、すごかったねえ」といったように語り草となって、長く覚えていてもらえるかもしれない。

幻に終わったプランといえば、当初はギャラリーにメジャーリーグの元投手、野茂英雄氏に来ていてもらい、「100マイルでなく、10マイルの球速で、ゆっくり投げてください」と演台から呼びかける安倍総理に向かって、ほんとに球を投げてもらう演出を(も)考えていた。

白球はきっと、ゆるやかな放物線を描いて安倍総理のグローブに収まっただろう。そしてそれは残像となって、見る者の眼底に長く残っただろう──。

別段ことさらなケレンを求めたのではない。野茂投手は、覚えている人が多いだろう、クリントン政権発足後三年目、日米経済摩擦がその陰の極にあり、とげとげしい感情と言葉が日米間を飛び交ったまさにそんな時期、1995年に単身太平洋を渡った。

するとその一度上体を真後ろにひねった後で投げるトルネード投法は、大リーグの強打者たちをばたばた三振にとった。かといって、表情ひとつ変えない野茂。

米国の野球ファンたちは、貿易摩擦の、なんのかのはおかまいなし、強い野茂をただ強い野茂として、純粋に喜び迎えてくれた。そのことが、どれだけ日本のわれわれに、干天の慈雨のごとき慰藉を与えてくれたことか。

野茂こそは真のパイオニアであって、彼がいなければイチロー、松井秀喜、もろもろの日本人選手は果たして大リーグにいたか疑問なくらいだ。とそう考えて、わたしはしばらく野茂に執心した。

野茂氏の都合がつかなかったのだと記憶するけれど、このプランは早期に消えた。

なにごともやり過ぎはいけないし、いくらケレンでないとわたしごときが言おうが、安倍総理は結局のところ、演出過多の気味合いが出るのを嫌っただろうと思う。飛んできたボールを取り損ねて何かを壊しなどしてもまずい。つまり野茂投手の線は、やはりなかった。

日米同盟に未来へのベクトルを

ここで、改めて考えておきたい。なんのための、米議会スピーチだっただろうか。

いま安倍総理が抱いた企図を要約しておくと、第一に、旧共産圏との対抗上生まれ、冷戦の産物だった日米同盟をこの際一新し、一気に未来へ向いたベクトルを与えること。

日米同盟を「希望の同盟」と呼ぶべし、という安倍総理直々の指示は、まさしくその狙いから出た。

ここで告白しておくけれども、「希望の」という形容が、当初わたしはなんだか気恥ずかしかった。“シュガーコーテッド”、「糖衣」的な感じを受けたからだ。わたしの心中から、内発的に出てきた表現ではない。あくまでも安倍総理が執心して、ああなった。

後知恵で言うならば、これはこれで、ほんとうに良かった。

「希望」というだけで、目線が未来を向く。向日性が出る。明るい。英語で言うと、アライアンス・オブ・ホープ。

アライアンス・オブ・コンビーニエンス(便宜上の同盟)ではないのだと、言外にだが、雄弁に示すこともできる。

演説の中に、「米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません」との箇所がある。

これはごく初期段階の草稿から残ったフレーズで、米国の、その最良の部分を米国人自身に思い出させ、自信をもてと促す応援のメッセージだった。

オバマ時代の米国は、世界の警察官という立場を放擲した。だからといって国内に引きこもり、不毛の対立あれこれにかまけて、柄にもなく冷笑主義のとりこになってもらったのでは困る。自信喪失のアメリカなど、世界にとってむしろ迷惑だ。

「希望」の力こそ、アメリカン・ウエイ・オブ・ライフの土台だったじゃないかと言い、それをbe動詞の時制をさまざまに変えて訴えたものだった。

第二に、日本の未来は海洋民主主義大国米国とともに切り拓くものであって、大陸勢力への接近によって得られるものではないと、国家の基礎を据え直すこと。

これは、マリタイム(海洋)・アイデンティティを固め直すことだったと言い換えてもよい。「おのれとはなにものか」規定しようとする「アイデンティティ・ポリティクス」の、ひとつの形だった。

近代の日本にとって、海へ行くか大陸に傾くかは、一見主体的選択の対象であるかに──二択問題ででもあるかのように、見えることがしばしばだった。

大陸には自ら対処すべき大きな脅威があり、それと同じくらい巨大な、裨益すべき可能性と利益がある。それに中国は日本と「同文同種」ではないか──。そんな呼び声は、国民心理のどこか基層に、通奏低音として響いている。

けれども現実はといえば、その種のロマンチシズムが入り込む余地など、実はない。

安倍総理は第二次政権発足早々「地球儀を俯瞰する外交」という方針を打ち出した。中国と、一対一のサシで立ち向かうことは有害にして無益、そもそも無理、という判断に立ったリアリズム外交をいう。

海洋民主主義国と地平をまたいで手を組み、志を結び、それで初めて中国の台頭に適切な間合いを取ることができる。──それが安倍流「地球儀俯瞰外交」の本旨である。

すなわちこの路線を追い求めるには、日米同盟の強化に次ぐ強化が不可欠であるうえ、日本国民のアイデンティティも、「コンチネンタル」ではなく、「マリタイム」にし、堅固にしておく必要がある。米議会スピーチは、それを内外に闡明する機会だった。

マリタイム・アイデンティティを確かなものとしてこそ、いわゆるFOIP、「自由で開かれたインド太平洋」という、安倍総理案出になるもうひとつの地政学的コンセプトの追求に、日本は資格要件において十全たるところを主張できる。

そして第三には、日米の愛憎相半ばした過去のいきさつに、戦後七〇年にして大きなエンドマークを打つことである。

第一、第二の、いずれも未来を向いた日本の路線選択と日米同盟の更新をこの際一気に進めるためにも、米国人がいまも抱く日本に対するわだかまりに、最終決着をつけておく必要があった。

以上をスピーチに企図として含めるならば、何をどんな順番で、どう言うかおぼろげながら見えてくる。

第三の点を打ち出すキーワードとして浮かんだ言葉は、「悔悟」だ。これの英訳として選んだのは、「リペンタンス(repentance)」だった。ここには、のちの章でもう一度立ち返る。安倍総理にとって、歴史認識の根幹に関わるところだったからだ。

文/谷口智彦 写真/shutterstock

『安倍総理のスピーチ』 (文春新書)

谷口 智彦 (著)

2022/9/20

¥990

304ページ

ISBN:

978-4166613823

アメリカ議会演説、戦後70年談話、ヒロシマと真珠湾で交わした和解スピーチ、全国戦没者追悼式式辞――「総理のスピーチライター」が明かす安倍外交の軌跡。米議会演説前には寝室、総理専用機、そしてアメリカの迎賓館でもスピーチの練習を続ける総理の姿が。演説草稿の作成過程で、総理がこだわったキーワードとは? 総理と一体となり、言葉を紡いだ著者にしか書けない「安倍さんの肉声」。昭恵夫人による喪主挨拶も掲載。

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