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悪夢の民主党政権時代に全消失した日米の信頼関係を一瞬で取り戻した、2012年、安倍総理・伝説のスピーチで見せたテクニック

集英社オンライン / 2023年10月20日 9時1分

谷口智彦氏は安倍総理の外交政策スピーチ手がけた人物だ。対米関係という外交・安保を支える基軸にぐらつきを生じさせていた局面において、谷口氏が見た安倍外交の軌跡を紹介する。『安倍総理のスピーチ』 (文春新書)より、一部抜粋、再構成してお届けする。

#1

アーミテージ・ナイ・リポートの衝撃

2012年8月、日本において民主党政権がまだ続くと大方が予想し、安倍氏の復権、復活などおよそ想像する向きのなかったとき、米国からひとつ日本に痛棒がくだった。

いわゆる「アーミテージ・ナイ・リポート」の最新版が出て、そこで日本はいったい米国とまともに組む資格をもつ「ティア・ワン・ネーション」か、と問われたのである(RichardL.Armitage and JosephS.Nye,The U.S.-Japan Alliance: Anchoring Stability in Asia)。



「ティア・ワン・ネーション」とは要するに「一等国」である。日本は本当に一等国なのかと問われたわけだった。いま同リポート冒頭部分からいくらか引用しておくと、

一等国とは、経済において相当の重きをなしつつ、能力の高い軍事力をもつとともに、視野においてグローバルで、国際問題に関して誰もが知るリーダーシップをもつ国をいう。〔中略〕米国がこの意味で一等国であり続けることに疑いを挟む余地はないとして、日本には決断が必要だ。日本はいったいこの先も、一等国であり続けようとするのか。それとも、二等国の地位へずり落ちることに甘んじてしまうのか。

とそう鋭く日本に迫ったうえ、日米の同盟は日本がまともな一等国であって初めて成り立つことを強く示唆した。

すぐさま感じられるとおり、不出来な息子だか、娘だかに説教する父親然とした、パターナリズム(父権主義的押しつけがましさ)の臭いがここにはある。

だとしても、ついに問われるべき問いが米国知日派の核心から出たという感じがあった。

リチャード(リッチ)・アーミテージ氏は元海軍軍人。主に共和党政権の要路で日米同盟の強化に腐心した。一方のジョゼフ(ジョー)・ナイ氏はハーバード大学教授で国際関係論の大御所。「ソフト・パワー」概念をつくったことで名高いが、こちらは民主党政権に加わり同じく日米同盟の維持強化に意を注いだ。

二人とその周辺を取り巻く集団の意識こそが、民主党であれ共和党であれ、ときの政権の対日アプローチを決定づける。

日本は「セル」ではない、「バイ」なのだ、ゆえに日米同盟はいよいよ堅固なのだと、こここそは安倍総理によるワシントン政策コミュニティに向けた「投資家広報」が必要な場面だった。

わたくしは戻ってきた!

「ジャパン・イズ・バック」

安倍総理が就任二カ月弱で赴いた米ワシントンでの演説が、まさにこのワン・フレーズを強烈に印象づける点に意を用いた事情は、右の成り行きに照らしてご理解いただけよう。

鳩山由紀夫氏が総理となる前、沖縄・普天間海兵隊基地を「最低でも県外」に移すと安易に約束してからというもの、同基地の辺野古移設は見通しが立たなくなっていた。

来日したバラク・オバマ大統領が自身看板政策としたTPPに関して都内で熱弁を振るっている間、鳩山総理はもう都内にいなかった。外交日程があるとて、シンガポールに飛んでいたからだ。外国から首脳を招いた立場の受け入れ国首脳がさっさといなくなるなどは、外交史に残る椿事である。

われわれは、米国ジャーナリズムに「どうしたの(ルーピー)?」とあきれられる人物を総理に戴く恥を忍んだ。

東日本大震災後、復旧のため米軍が尽力してくれたことはとりわけ日本国内で日米同盟に対する支持を増した一方、米国には、日本が果たして頼りになるか、日米同盟は強くできるか訝る向きが増えていた。東京では、毎年総理大臣が替わっていた。日本の先行きを不安視したのも、むべなるかなである。

すなわち日本は対米関係という外交・安保を支える基軸にぐらつきを生じさせていた。比喩ついでに言うなら、最大安定株主の信頼を損ね、割当増資に応じてくれるか案じられる局面だった。

2013年2月22日、安倍総理は練習に練習を重ねた英語のスピーチを読み始めた。ところは、米ワシントンの中道保守系シンクタンクCSISの大会議室だ。

昨年、リチャード・アーミテージ、ジョゼフ・ナイ、マイケル・グリーンやほかのいろんな人たちが、日本についての報告を出しました。そこで彼らが問うたのは、日本はもしかして、二級国家になってしまうのだろうかということでした。アーミテージさん、わたしからお答えします。日本は今も、これからも、二級国家にはなりません。それが、ここでわたしがいちばん言いたかったことであります。繰り返して申します。わたくしは、カムバックをいたしました。日本も、そうでなくてはなりません。

この二つ目のパラグラフについては英語で掲げることを許されたい。覚えてもらいやすい文章にしてあるからだ。

Secretary Armitage, here is my answer to you. Japan is not,and will never be,a Tier-twocountry.That is the core message I am here to make. And I reiterate this by saying, I am back,and so shall Japan be.

わたくしは、戻ってきた。そのわたくしが、日本の強さを取り戻す。このわたくしに賭けて、信じてくれと、これは安倍晋三なる人物が、自身の人格を賭しての切なる訴えである。異例だ。どこの国の首脳でも、こんなふうには言わない。会場は、安倍総理にいっせいに注目した。

説得力を自身の復活と覚悟に求めようとするレトリックは、中盤でこう続く。

ですから本日は、この場で、リッチ、ジョン、マイクやお集まりのご友人、ご賓客のみなさんのもと、わたくしはひとつの誓いを立てようと思います。強い日本を、取り戻します。世界に、より一層の善をなすため、十分に強い日本を取り戻そうとしているのです。

わたくしは、なさねばならない課題を現実とするべく、総理となる機会を選挙民に与えられました。わたくしはいま毎朝、大いなる責任の意識を重々しくも醒めて受けとめ、目を覚ますのであります。


いま、アベノミクスなるものがあります。わたしが造語したのではありません。つくったのはマーケットです。これは、三本の矢からなる私の経済活性化策のことを言います。日本では、デフレがかれこれ一〇年以上続いてきました。わたしのプラン、いわゆるアベノミクスとは、まずもってこのデフレを取り除くためのものであります。

と語ったここが記録として面白いのは、まだこの時点で安倍氏には自分の政策におのれの名を冠して呼ぶことに躊躇いがあった事実を証しているところだ。

しめくくりは、あたかも「サビ」の主旋律のリフレインである。まずはスタッカートで読める短文を連ねた英語から。

The road ahead is not short.I know that. But I have made a come-back,just to do it.For the betterment of the world, Japan should work even harder.And I know I must work hard as well to make it happen. So ladies and gentlemen,Japan is back.Keep counting on my country.

続いて日本語で。

前に伸びる道は短いものでないことを、わたしは承知しています。しかし、いまわたくしは、日本をそうした国とするためにこそ、カムバックをしたわけであります。世界をよりよいものとするために、日本は一層の努力をしなくてはなりません。わたしもまた、目的実現のため懸命に働かなくてはならないのです。みなさん日本は戻ってきました。わたしの国を、頼りにし続けてほしいと願うものです。

ところでこのほぼ二カ月後、麻生太郎副総理兼財務相がやはりCSISで英語のスピーチをした。冒頭のつかみはこうだ。

I am Taro Aso and I will say this.I AM BACK,too.

「アイ・アム・バック・トゥー(オレも、戻ってきたからね)」と、例のひしゃげた声で真似してご覧になるといい。安倍氏の講演がまだ耳朶に残る聴衆は、膝を叩いて喜んだことだろう。ここらは、安倍氏のスタイルにない麻生流関節外しワザである。余談だが。

安倍総理は例年九月末、国連総会に出るためニューヨークへ赴いた。合間を利用しては、金融・経済界との対話をもつことが定例化していく。

バイ・マイ・アベノミクス

「アベノミクス」を大いに宣伝した一例として、2013年9月25日、ニューヨーク証券取引所を会場に実施した演説がよく話題にのぼる。

「〔ウォール街の〕名前を聞くと、マイケル・ダグラス演じるゴードン・ゲッコーを思い出します

と映画への言及で始まったスピーチは、終盤、大団円をこう作る。

「ゴードン・ゲッコー風に申し上げれば、世界経済回復のためには、三語で十分です。

『Buy my Abenomics』」

いまだから言うけれど、この三語は、わたしには思いつけなかった。教養の間口において狭隘なわたしは、映画とスポーツ、ロックバンドの「メタリカ」まで出てくる絢爛豪華な本スピーチの起案者と擬せられることがまことに面はゆい。

この演説は何人かの合作であって、わたしはむしろ控え目な貢献者だったに過ぎない。それよりこのときはやはり通訳ブースに入り、せいぜいアメリカ訛りの英語にし、おおいに曲をつけて読んだ。そちらのほうが記憶になまなましい。

「バイ・マイ・アベノミクス」というフレーズ、時としてあざとく出た方が人の記憶に残るよい実例だ。IRに懸命な日本国CEOの言葉として、永遠に残る三語と言ってもいいのではないか。

歴代総理の発信力

最後に、少し近過去の歴史をみておこう。

中曽根康弘は、自身つくりあげたスタイルが荘重すぎて、IRなどはできなかったに違いない。宮澤喜一は、英語がうまいと言われていた。語彙は豊富、学識は豊かだったかもしれないが、その英語は実のところまことに聞きづらかった。官僚的に過ぎ、「希望」を語るには、適役と言えなかった。

小泉純一郎氏は、その息子、進次郎氏がそっくり受け継いでいるけれど、もらった原稿をじっと読むのに堪えない人だった。英語で話すこともできなかった。

民主党時代の三総理となると、既に論及した鳩山氏を除き、菅直人氏は中国首脳との会談で一度も顔をあげて相手を見ることができない有様。野田佳彦氏も、外国人との応接をいかにも苦手としたのが傍目にも明らかだった。

日本は米国という安定大株主に納得を得て割当増資に応じてもらわねばならない──、すなわち日米同盟強化に一直線で進まねばならない折も折、巨大化する中国を尻目に、戦略空間を一気に拡大する必要に迫られたまさにそのとき、そして長い不況の中、しおれかけた国民のガッツを呼び起こさなければどうにもならなくなっていたその局面で、どこにでも出て行って、ひたすら直球を投げ込む安倍晋三というコミュニケーターを得て、幸いだった。

口舌だけで、世の中など変わるものではない。しかし黙ったままでいては、本当に「二等国」扱いに甘んじなければならなくなっていたかもしれない。安倍氏率いる日本は、世界中のレーダースクリーンに、日本の存在を示す輝点を灯すことに成功した。


文/谷口智彦 写真/shutterstock

『安倍総理のスピーチ』 (文春新書)

谷口 智彦 (著)

2022/9/20

¥990

304ページ

ISBN:

978-4166613823

アメリカ議会演説、戦後70年談話、ヒロシマと真珠湾で交わした和解スピーチ、全国戦没者追悼式式辞――「総理のスピーチライター」が明かす安倍外交の軌跡。米議会演説前には寝室、総理専用機、そしてアメリカの迎賓館でもスピーチの練習を続ける総理の姿が。演説草稿の作成過程で、総理がこだわったキーワードとは? 総理と一体となり、言葉を紡いだ著者にしか書けない「安倍さんの肉声」。昭恵夫人による喪主挨拶も掲載。

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