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〈18年ぶりの新作発売〉ザ・ローリング・ストーンズは実は解散寸前だった!? 原因はミックの“リードシンガー症候群”、キースは「第三次世界大戦が始まった」とこぼした

集英社オンライン / 2023年10月20日 8時1分

10月20日に18年ぶりに新作アルバムを世界同時発売する、ザ・ローリング・ストーンズ。1962年、ロンドンで結成されたロック・バンドは、ライヴ業界誌のPollstarが “2021年(1年間)で最も音楽ツアー収入をあげたバンド”と発表し、結成約60年たってもその人気が衰えることはない。しかし、この伝説的なバンドに解散の危機があったことを知っているだろうか。その理由を紹介しよう。

自分の才能を疑い出したミック・ジャガー

1980年代半ば。ローリング・ストーンズは結成以来、最悪かつ深刻な解散危機を迎えていた。

ことの始まりは、ミック・ジャガーのリードシンガー症候群だと言われている。キース・リチャーズが語るように、自分を他とは違う“特別な人間”だと本気で思い込む誇大妄想だった。


「何年も続いていた状況がとうとう来るところまで来た。ミックが何もかも支配したいって欲求に取り憑かれたことだ。あいつにしてみりゃ、ミック・ジャガーと“その他大勢”だった。俺を含めたバンドの他のメンバーは、もうみんな雇われ人だ。長年一緒にやってきた俺たちにまでそうなったら、もうおしまいだ」

1981~82年のワールドツアーは史上最大(※注1)と言われ、かつてない規模の成功を収めた。

『The Rolling Stones - (I Can't Get No) Satisfaction - Hampton Live 1981 OFFICIAL』。The Rolling Stonesより

その一方で、時代はMTVなどの登場によって音楽シーンが様変わりし始め、ヴィジュアル性に富んだ新しいスター(※注2)が次々と生み出されて行く。

巨大になり過ぎたストーンズは、もはや“旧世代の体制側”だった。その矛先はもちろん“リードシンガー”であるミックに向けられた。

アルバム『Undercover』(1983年リリース)を制作中の頃、ミックは自分の才能を疑い出したという。他のミュージシャンに対抗意識をむき出しにしたり、ダンスや歌のレッスンまで受け始めたりと、最先端の流行を追いかけ始めた。

(※注1) 1981年9月〜12月のUSツアーは、28都市50回公演で約265万人動員。5200万ドル以上の収益をもたらした。翌年のヨーロッパツアーは、23都市36回公演で約170万人動員。スタジアム会場がメインだった。この時の模様は映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』として1983年に公開された。ストーンズのツアーはこれ以降さらに大規模化していく。

(※注2) マイケル・ジャクソン、プリンス、マドンナ、ジョージ・マイケル、デュラン・デュランなど。しかしミックが一番対抗意識を持ったのは、同世代のデヴィッド・ボウイだった。

キースの怒りが爆発、ミックの「ストーンズは重荷だ」発言

そんな状況の中でストーンズはCBSと莫大なレコード契約を結ぶ。しかし、この契約の裏ではミックがソロアルバムを数作出すプロジェクトが密かに抱き合わせで組み込まれていた。

ミックがそのことをバンドの誰にも言わなかったことで、キースの怒りはついに爆発した。

1985年、ミックは計画通り最初のソロ作『SHE’S THE BOSS』をリリース。同じ年、ストーンズはキース主導で『Dirty Work』を制作するが、ミックはツアーに出ることを拒んだ。自分の次のソロ活動を進めたかったのだ。

1985年に発表されたミック・ジャガーの初ソロ作『SHE’S THE BOSS』(レーベル:Atlantic)のジャケット写真。これ以前にもソロ名義で映画のサウンドトラックには参加していたが、本格的にソロ・アルバムを制作したのはこれが初だった

イギリスの新聞に掲載されたインタビューでは「ストーンズは重荷だ」とまで語ってしまう。キースが「第三次世界大戦が始まった」と零したように、その関係は修復不可能なレベルにまで達した。

君は僕のナンバーワンだった
でもそんな日々ももう終わってしまった
時代は変わったけど 魅惑は今も残っている
愛は成就するけど 情熱はやがて消えて行く

1987年にリリースされたミックのソロ2作目『Primitive Cool』のハイライトとも言える『Party Doll』は、明らかにキースとの友情の終わりを歌っていた。

この曲にはミックとキースが長年敬愛するアイルランドのバンド、チーフタンズのパディ・モローニやショーン・ケーンがゲスト参加していたのが意味深い。

『Party Doll』。Mick Jaggerより

アイルランドの孤高の響きが“二人の物悲しい別れ”を象徴しているようで、ストーンズの長い歴史を知る聴き手にとっては、かつての光景が走馬灯のように駆け巡る感動的な曲だった。

離別の歴史を歩み続けたアイルランドの孤高の響きが、二人の心に何を訴えたのだろう?

──ミックとキースが歩み寄り、1989年になって最大の危機を乗り越えたストーンズは再び転がり始めていた。

文/中野充浩 サムネイル写真/shutterstock

*参考・コメント引用/キース・リチャーズ自伝『ライフ』(棚橋志行訳/楓書店)

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