イスラエル・パレスチナ「結局どちらの言い分が正しいのか」…現代のパレスチナ人の一部はおそらく、イスラエルが対立するユダヤ人の子孫だという皮肉
集英社オンライン / 2023年10月23日 17時1分
イスラム組織ハマスが大規模攻撃をイスラエルに仕掛け、全世界を震撼させた。衝突は激化する一方だが、そもそも、この紛争の根源には何があるのか。古代から現代に至るまでのイスラエルの歴史を概観し、この国をめぐる厄介な論争を解説する。『イスラエル 人類史上最もやっかいな問題』(NHK出版)より、一部抜粋、再構成してお届けする。
シオニズムは正当化できるか?
数年前、私はカリフォルニア州東部に位置するハイシエラ〔シエラネバダ山脈〕のリベラルなユダヤ人のサマーキャンプで、一週間にわたってイスラエルについて教えたことがある。
キャンプの指導員たち(カリフォルニアのベイエリアのきわめて進歩的な人びとと軍隊上がりの若いイスラエル人)が、キャンパーを相手に、またお互いに、イスラエルについてどう話すべきかという問題と格闘する手伝いをしたのだ。
ある日、一人の指導員からこう頼まれた。11歳の子供たちが集まる彼のキャビンで、午後の時間を使ってイスラエルの歴史について話してくれないか、と。
子供たちがどこまで知っているか、どこまで理解して吸収してくれるかはわからなかったが、やってみようと思った。
私は初歩から始めることにした。それから数時間をかけて、子供たちと共に、何千年にも及ぶユダヤ人の歴史を大急ぎで駆け抜け、現在のイスラエルの状況を理解できる地点までたどり着いた。
シオニスト(シオニズム:世界各地に離散していたユダヤ民族が、母国への帰還をめざして起こした民族国家建設運動)とパレスチナへのユダヤ人大量移民の話題になったとき、ブランドンという子が口を開いた。
「オッケー。ちょっと整理させて。つまり、こういうことかな。僕は生まれたときから、自分の土地にある自分の家で暮らしてきた。両親も、おじいさんおばあさんも、ひいおじいさんおばあさんも、ひいひいおじいさんおばあさんもみんなここで暮らし、僕と同じように土地を耕してきた。いつも誰かに家賃を払っていたけど、ずっとここで暮らしていた。ある日、畑に出て、夕方家に帰ってみると、この人(ここで彼は隣に座っていた子を指さした)とその家族が僕の家の半分で暮らしている。
僕が『おい、僕の家で何をしてるんだい?』と言うと、彼は『僕たちはここから遠く離れた町を追い出されたんだ。近所の人は殺され、僕たちの家も焼かれた。ほかに行くところはないし、受け入れてくれるところもない。だからここに来たんだ。ひいおじいさんおばあさんの、ひいおじいさんおばあさんの、そのまたひいおじいさんおばあさんが、はるか昔に暮らしていた場所にね』―というわけで、どちらも正しいが、どちらもほかに行くところがない。こんな感じでいい?」。
板に乗っている他人を海に突き落とす自然権はない
私はブランドンにこう言った。
「君は、世界で最も複雑で解決困難だと言う人もいる問題の本質を簡潔に言い当てたんだ。私がこれまで話をしてきた大人の9割より、この紛争の核心をよく理解しているね」と。
イスラエルの作家で平和運動家の故アモス・オズは、その代表作『イスラエルに生きる人々(In the Land of Israel)』の中でこう書いている。
シオニズムは「正当性を備えている。それは、溺れる者が唯一しがみつくことのできる板にしがみついているという正当性だ。この板にしがみついている溺れる者は、自然的、客観的、普遍的な正義のあらゆる法則によって、板の上に自分のスペースを確保することが許される―そうすることで、他人を少しばかり押しのけざるを得ないとしても。たとえ、板の上に座っている他人が、力ずく以外の手段を彼に残さないとしても。だが彼にも、板に乗っている他人を海に突き落とす自然権はない」。
イスラエルの最も偉大な作家とイーストベイに住む11歳の少年にとって、要するに、これが問題のすべてなのだ。
***
では、ブランドンの言った、ずっと家で暮らしていた人びととは誰だったのだろうか?
ちょっと待て、ここには人がいる パレスチナ人はどうなる?
もちろん、ヨーロッパのユダヤ人が経験した歴史や不幸は、19世紀にユダヤ人移民が到着しはじめた頃のパレスチナの住民には何の関係もない。
19世紀のシオニストは、そこへの「帰還」を切望していたパレスチナを「土地なき民のための民なき土地」と表現した。この有名な言葉の唯一の問題は、それが間違っていることだった。
パレスチナには、われわれが現在パレスチナ人と呼ぶ人びとがすでに住んでいたのだ。新たにパレスチナにやってきた人びとに祖国を奪われたことは、忘れがたい悲劇である。
それは依然として開いたままの傷口であり、こんにちまでパレスチナ人を、そしてイスラエル人を苦しめている。
パレスチナ人の起源は複雑で、少々わかりにくく、この物語に関わるほかのあらゆる事柄と同様、論争や異論にさらされている。
一説によれば、現代のパレスチナ人は、聖書時代のカナン(旧約聖書で、神がイスラエルに与えたとされる約束の地)人やペリシテ人(「パレスチナ」という名称はここに由来する)の直系の子孫とされる。
この説は、エルサレムの地に対して、より「正統な」権利を持つのはユダヤ人かパレスチナ人かという果てしない論争に、ある種の攻撃材料を提供する。
パレスチナ人がカナン人の子孫だとすれば、当然ながら、パレスチナ人はユダヤ人より長くその地に住んでいることになるからだ。というのも、聖書によれば、ユダヤ人はカナン人を侵略して征服したとされているのだ。
しかし、パレスチナの大義の信奉者の中には、この説を批判する者もいる。
なぜならこの説を認めるということは、ユダヤ人は大昔からこの地と関わりを持っており、最近ヨーロッパからやってきた入植者ではないというシオニストの物語を認めることになるからだ。
こうして、この説はパレスチナ人が拒否する考え方、つまり、ユダヤ人とパレスチナ人は、この国の支配権をめぐって何千年も争ってきたという考え方にお墨付きを与えてしまうのである。
パレスチナ人の一部はおそらく、ユダヤ人の子孫
より最近の本格的な研究によって、次のことが明らかになっている。
パレスチナ人は、何世紀にもわたってパレスチナに存在してきたさまざまな民族や文明が混ざり合って生まれたのであり、そうした民族には聖書に登場する古代の住民も含まれているのだ。
この土地に住む人びとは、時と共に、最も支配的な集団の宗教(土着の宗教、ユダヤ教、キリスト教、そして最後はイスラム教)や言語(ヘブライ語、アラム語、最後はアラビア語)を選んできた。
お気づきのように、ここには一つの皮肉がある。現代のパレスチナ人の一部はおそらく、少なくともある面で、彼らが対立している当の人びと、つまりユダヤ人の子孫なのである。
キリスト教国であるビザンティン帝国〔東ローマ帝国〕がこの地を統治していた期間、つまり4世紀から7世紀にかけて、パレスチナの住民の大半はキリスト教徒になった。
ところが、638年に新興のイスラム帝国がパレスチナを征服すると、19世紀までにほとんどの住民がイスラム教に改宗した。アラビア語が主要言語となり、それ以降、パレスチナの住民の多くは基本的に自らをより大きなアラブ世界の一部と見なすようになった。
エルサレムがキリスト教の支配下にあった数世紀のあいだ、ほとんどのユダヤ人はその地から追放されていたが、アラブ人の統治者は彼らの帰還を許した。
エルサレム旧市街の「神殿の丘」、つまりユダヤ第二神殿(ローマ人はそれを破壊し、キリスト教徒の統治者はゴミ捨て場として使っていた)があった場所に、イスラム教徒のアラブ人征服者は、初期イスラム建築としては世界屈指の重要性を持ち、驚くほど美しく、おそらく現在までエルサレムの最もわかりやすいシンボルとなっている「岩のドーム」(692年完成)を建設した。
ずいぶんたくさんの聖なる営みがなされた一つの小さな岩
このドームは、実はモスクではない(8世紀に建てられたアル=アクサ・モスクがすぐ隣にある)。
そうではなく、聖堂なのだ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の伝統では、このドームの下にある岩は「礎石」であり、世界有数の神聖な場所だと考えられている。
そこでは、神がアダムを創造し、アブラハムが息子のイサクを危うく生贄にしかけ、「契約の箱〔十戒が刻まれた石板が納められた櫃〕」が安置され、ムハンマドが「夜の旅」で天に昇ったとされている(さまざまな説がある)。
一つの小さな岩なのに、ずいぶんたくさんの聖なる営みがなされたものだ!
こんにち、パレスチナ人は「岩のドーム」のイメージを利用して、自分たちとエルサレムとのつながりを示そうとしている。エルサレム旧市街のイスラム地区にあるアラブ人民家のドアの上には、このドームが描かれているのが見られる。
16世紀までに、コンスタンティノポリス(のちのイスタンブール)を首都とする強大なオスマン帝国が、パレスチナを含むアラブ世界の大半を支配するようになった。
スルタンであるスレイマン一世は、エルサレム旧市街にいまも残る城壁を築いた。だが、19世紀後半には、オスマン帝国は急速に衰退しつつあった。
パレスチナはと言えば、開発の遅れた無法地帯であり、辺境のへき地だった。人びとは貧しく、識字率も低く、都市部はほとんどなかった。最大の都市エルサレムでさえ、人口は2万人程度にすぎなかった。
大半の土地は不在地主の所有で、貧しい小作人によって耕されていた。地元の有力なアラブ人家庭出身の少数のエリートが、貧しい大衆を牛耳っていた。中流階級と呼べるような人びとはほとんどいなかった。シオニストの移民が押し寄せはじめる直前の1880年、パレスチナ全体の人口はわずか60万人足らずで、その95パーセントがアラブ人だった。
パレスチナの状況が好転しはじめたのは、改革に熱心だったオスマン帝国当局が、ヨーロッパのライバルに大きく後れをとっていた自国の近代化に本気で取り組んだおかげだった。
1880年代、オスマン帝国はパレスチナの無法地帯を取り締まり、道路や鉄道といったインフラを整備した。これによって農業が発展し、それが今度は、食糧の増産、人口の増加、生活水準の向上につながった。
パレスチナでなされたような近代化の努力は、数十年にわたる衰退を反転させるべく、帝国全土で実行されていた。
パレスチナのアラブ・ナショナリズム
実際には、オスマン帝国による近代化の努力は、その衰退に拍車をかけることになった。
生活水準が向上し、社会のあり方に関するヨーロッパ的な思想が持ち込まれたせいで、オスマン帝国の支配下にあったさまざまな地域で民族主義的な感情が高まり、自治への渇望が強まったからだ。
ギリシャ人、マケドニア人、ブルガール人、アルバニア人は、オスマン帝国による支配の終焉を望んでおり、パレスチナを含むアラブ世界も例外ではなかった。
パレスチナのアラブ人の中には、アラブの政治的統一を目指してますます盛んになっていた汎アラブ・ナショナリズム運動に加わる者もいた。
一方で、より局地的な運動を支持する者もいた。こうしたナショナリズム運動が領土全体で勢いを増すにつれ、すでに「ヨーロッパの病人」と呼ばれていたオスマン帝国は、さらに弱体化しはじめた。
パレスチナのアラブ人は、自らのナショナリスト的思想を発展させると同時に、パレスチナの海岸にやってくるシオニストの移民と接してもいた。
シオニストの野望がどれほど大きいかを理解するにつれ、アラブ人は、自分たちの希望に対する脅威はオスマン帝国の領主だけではないことを悟った。
シオニストおよび、ユダヤ人移民と施設建設を進める彼らの運動に反対することが、パレスチナのアラブ・ナショナリズムの本質的要素となっていった。
パレスチナのアラブ人ナショナリストは、シオニストと同じように、新聞を創刊し、政治的な団体や組織を設立し、自らの大義を推進するために会議を開催した。
要するに、こういうことだ。またしても皮肉なことに―この物語は皮肉に満ちている―パレスチナのアラブ・ナショナリズムの一部は、ユダヤ・ナショナリズム、すなわちシオニズムの帰結として、またそれに対抗するものとして形成されはじめたのである。
文/ダニエル・ソカッチ 翻訳/鬼澤 忍 写真/shutterstock
『イスラエル 人類史上最もやっかいな問題』(NHK出版)
ダニエル・ソカッチ (著)、鬼澤 忍 (翻訳)
2023/2/25
¥2,860
400ページ
978-4-14-081933-3
「知らない」ではすまされない、世界が注視する“この国”を正しく知るための入門書
イスラエル。こんなテーマがほかにあるだろうか?
人口1000万に満たない小さな国が世界のトップニュースになるのはなぜか?
アメリカのキリスト教福音派はなぜ、イスラエルとトランプを支持するのか?
なぜ紛争は繰り返されるのか?
そもそも、いったい何が問題なのか?
世界で最も複雑で、やっかいで、古くからの紛争と思われるものを正しく理解する方法などあるのだろうか?
国際社会の一員として生きていくために、日本人が知っておくべきことが、この一冊に凝縮されている。
争いを拡大させているのは、私たちの無知、無関心かもしれない。
第1部 何が起こっているのか?
1章 ユダヤ人とイスラエル/2章 シオニストの思想/3章 ちょっと待て、ここには人がいる/4章 イギリス人がやってくる/5章 イスラエルとナクバ/6章 追い出された人びと/7章 1950年代/8章 ビッグバン/9章 激動/10章 振り落とす/11章 イスラエルはラビンを待っている/12章 賢明な希望が潰えて/13章 ブルドーザーの最後の不意打ち/14章 民主主義の後退
第2部 イスラエルについて話すのがこれほど難しいのはなぜか?
15章 地図は領土ではない/16章 イスラエルのアラブ系国民/17章 恋物語?/18章 入植地/19章 BDSについて語るときにわれわれが語ること/20章 Aで始まる例の単語/21章 Aで始まるもう一つの単語/22章 中心地の赤い雌牛/23章 希望を持つ理由
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