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〈イスラエル−パレスチナ〉「考古学もまた紛争地帯だ」エルサレムで黒塗りにされるアラビア語の地名…ヘブライ語に置き換えても定着せず

集英社オンライン / 2023年10月24日 8時1分

パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスの攻撃が始まり、今も衝突が続いているイスラエル。人類史上最もやっかいな問題と言われるイスラエル−パレスチナ問題だが、その争いの火種は、なぜここまで複雑化しているのか。『イスラエル 人類史上最もやっかいな問題』(NHK出版)より、一部抜粋、再構成してお届けする。

地図は領土ではない

1990年代後半、私はイスラエルの(ほとんどはエルサレムの)、改変や汚損の跡がある道路標識を撮影しようと決めた。被写体のほぼすべてで2〜3カ国語表記からアラビア語の地名が削除されていた。そういう標識が何百もあった。

写真を見ると、アラビア語の地名がペンキで黒く塗りつぶされたり、ウルトラ・ナショナリズム的なヘブライ語のバンパー用ステッカーが貼られたりしているのがわかる。



この国とパレスチナ人とのつながりと、この国におけるパレスチナ人の存在を(文字どおり)隠蔽し、ここは彼らが属する場所ではないというメッセージをアラブ人に送ろうとするその試みは、政治と人口動態に関する願望的思考への傾倒を如実に示す一つの例にすぎない。

イスラエル人もパレスチナ人も多大な労力を費やし工夫をして、相手方の領有権を否定することで自らの領有権の主張を強化しようとしてきた。

認識をめぐるこの戦争の主な戦場は歴史、地理、地図作製、考古学だ。

2001年に、イスラム法学の最高権威の一人であるエルサレムの元ムフティーが「エルサレム旧市街にはユダヤ人のものは石ころ一つない。ユダヤ人がエルサレムにいた証拠は何一つない」と言い放った。

また、パレスチナの指導者ヤセル・アラファトは、こんにち岩のドームが建っているエルサレムの神殿の丘にかつてユダヤ神殿が建っていた証拠はないという、完全に誤った主張をした。

一方、パレスチナのアラブ人の起源は7世紀およびそれ以前のイスラム教徒によるパレスチナ征服にあるが、親イスラエル派の一部はそのつながりを否定し、パレスチナ人というものはなく、あったとしても、パレスチナのアラブ人は皆、過去2世紀のあいだにやってきたと強弁している。

特に地図は、しばしば双方でプロパガンダのテコ入れと視点形成の武器とされ、その手口は滑稽なまでに酷似していた。

イスラエルやパレスチナ自治政府による公式の領土地図は、たいがいグリーン・ラインも、相手方がその土地に実在する事実も示さず、代わりに不可分の国という夢想を描いている―全部イスラエル、あるいは全部パレスチナなのだ。

しかし、そのような公式の地図は、正確さを眼目としてはいない。ありのままの世界ではなく、望ましい世界を提示することを意図している。

それだけに、役に立たないどころか有害であり、危険な代物になってしまっている。地図(たとえばエルサレムのバス路線図)は、それが必ずしも現実を反映していないにもかかわらず、領土に対する一定の視点を形成する可能性がある。

パレスチナ人とイスラエル人の子供たちは、何世代にもわたって自分たちだけが国土の正当な所有者だと教える地図を見て育ってきた。

そのような深く根づいた意識と思い込みが現実と食い違うときは、要注意だ。それこそが、新たな世代の紛争と嫌悪を生み出す大きな要素だからだ。争いの的であるこの地域に関しては、地図は領土ではない。

エルサレムの領有権はユダヤ人だけのものだと強く主張するイル・ダビデ財団

考古学もまた紛争地帯だ。

ユダヤ人もパレスチナ人もこの土地と結びついていることを明示する実際の歴史的・考古学的根拠は豊富であるにもかかわらず、その多くが、説得力に富む歴史的主張を裏づけるためだけでなく、「相手方」の結びつきを否定するためにも利用されてきた。

1990年代にイスラエルは、パレスチナ領域である東エルサレムの人口密集地シルワン(シロアム)地区の真ん中で、考古学的遺跡群をイル・ダビデ(ダビデの町)国立公園として公開した。

シルワンとイル・ダビデはグリーン・ラインの東、16世紀にオスマン帝国が建築した旧市街の城壁のすぐ外側に位置し、かつて古代ユダヤの都市エルサレムが築かれていた場所の一部を占め、神殿の丘の南の傾斜地にかかっている。

イル・ダビデのプロジェクトを手掛けた右派ナショナリスト宗教団体イル・ダビデ財団は、エルサレムの領有権はユダヤ人だけのものだと強く主張している。

とりわけこの施設が目指すのは、ダビデ王の王宮と、彼の息子ソロモンが建てた神殿の痕跡の発掘だ。ソロモンの神殿に取って代わったのがヘロデ王による神殿の丘の建築群(嘆きの壁を含む)だが、それもやがてローマ帝国に破壊され、最終的に岩のドームが建てられていまに至っている。

現場での発掘作業をイスラエル考古学庁が行なう一方、イル・ダビデ財団は発掘による成果を利用し、聖書を根拠にユダヤ人がエルサレム全域の権利を持つという彼らの物語を裏付けようとしている。

同財団はこの物語を実践に移し、イル・ダビデ近辺のパレスチナ人の住宅を買い上げてユダヤ人家庭に提供している。そうやって、東エルサレムのパレスチナ地区の真ん中にユダヤ人の新たな入植地をつくり出しているのだ。

アメリカの元駐イスラエル大使ダン・シャピロは、東エルサレムの人口構成を変えようとするイル・ダビデ財団の動きには「イスラエルの恒久的支配を決定的にするという明確な政治的意図がある。それは、いまでも解決の望みを持つ者にとっては、いいことではない」と述べている。

しかし、財団側から見れば、2000年余の一時的不在を経て、ユダヤ人を神殿に近い地区に帰還させているだけだ。

そのような同財団の活動は、公園も、考古学的遺跡も、入植地も、すべて政府の後援と政府との連携によって運営され、政府は毎年、財団の最新式のビジターセンターを見学させるために大勢の学童や兵士を送り込んでいる。

ダビデ王の宮殿やソロモンの神殿の存在を証明する実際の考古学的証拠は見つかっていない

地政学的な争点以外にも、一つだけ問題がある。

考古学者たちは古代エルサレムの理解に役立つ驚異的な発見をいくつもしてきたものの、ダビデ王の宮殿やソロモンの神殿の存在を証明する実際の考古学的証拠は見つかっていないのだ。

たしかに、古代エルサレムにユダヤ人が存在したこと、エルサレムがまさにユダヤの王国の首都だったことを示す考古学的証拠には事欠かない。まっとうな歴史家や考古学者でそれに異議を唱える者はいないし、パレスチナの指導者やその支援者が異なる主張をすれば、根本的な侮辱となる。

しかし、パレスチナ人が将来の首都だと主張する地域の真ん中にイスラエルが巨大な考古学施設を建設してエルサレム全域の領有権の主張を補強しようとするのも、パレスチナ人に対する同様の侮辱だ。

それでも、こんにち、観光客や、イスラエルの学童や、イスラエル国防軍の兵士たちがこの考古学施設を見て回り、ガイドは、実際の証拠がまったくないにもかかわらず、目の前の遺跡が実際にダビデの王宮だったかもしれないという考古学的には疑わしい説明をしている。

実はイスラエルの考古学者たちも、エルサレムの豊かな考古学的記録を操作して政治的に利用する試みを憂慮し、エメク・シャヴェというNGOを設立して、イル・ダビデが提示する「もう一つの事実」と願望的思考の一部を訂正しようとしている。

現代のイスラエルの町がつくられた場所は、イスラエル独立戦争中に放棄され、住民がいなくなり、根こそぎにされたアラブ人の町や村の廃墟だった所が多い。

また、そうしたアラブ人の町や村は、中世や聖書の時代のユダヤ人居住地に建てられたものだ。

したがって、ユダヤ人もアラブ人も、この土地に対してつながりと所有の強い意識を持っている。その意識に関しては相手方よりも自分たちのほうが正しいのだと、双方共に主張しようとする。

実際、それぞれの物語の擁護者は、この土地に対する相手方のつながりや歴史の証拠をむきになって否定したり無視したりしがちだ。本章の冒頭で述べた、改変された道路標識はその好例である。

アラビア語の地名をヘブライ語に置き換えても定着せず

争いは地名の変遷にも表れる(ヘブライ語の地名がアラビア語の地名に取って代わるのだが、そもそもアラビア語の地名が聖書中のヘブライ語の名前を想起させる)が、相手の存在を抹消しようとする双方の試みがいつも成功するとはかぎらない。

1950年代には、西エルサレムに残存するアラビア語の地区名をヘブライ語に変える大規模な計画が実施された。

それをシオニズム運動の重要な事業と見る当局者もいたが、この都市の実際の歴史への冒瀆だという見方もあった。

結局、各地区にヘブライ語の名称がつけられたものの、その名称は定着しなかった。

私が一時期住んでいたエルサレムのユダヤ人地区には、1950年代にモラシャという立派なヘブライ語の名前が付けられていた。ただし、誰もその名で呼ばなかった。誰もが依然としてアラビア語の旧名「ムスララ」と呼んでいた。

19世紀後半にその地区が建設されたとき、基礎を築いたアラブ系キリスト教徒がその名をつけたが、数十年後の1948年、独立戦争/ナクバの最中に、彼らの子孫はグリーン・ラインの東側の地区への避難を余儀なくされた。

それでも、記憶、歴史、地理をめぐる闘いは続く。

2011年には右派のクネセト議員二人が、エルサレム当局にヘブライ語の地区名の使用を義務づける法案を提出した。法案は否決されたものの、エルサレムの地名をめぐる長い戦争がこれで終わるとは思えない。

言語や、歴史や、その土地における「相手方」の存在や土地との関係の現実を消し去ろうとするこうした試みは、成功したためしがない。

また、歴史を変えようとする試みも、(しばしば疑問符のつく)考古学や地図製作や地名の命名(と改称)に基づいて歴史的優位性を主張する試みも、成功したためしがない。

ユダヤ人とパレスチナ人がこの土地に感じるつながりはあまりに深いがゆえに、消えることはけっしてない。

結局のところ、ユダヤ人は何千年ものあいだ、異国で暮らしながら祖先が失った土地への帰還を祈り続け、パレスチナ人は前世紀の大半を、先祖が逃げたり追い出されたりした家の鍵を比喩的に、ときには文字どおり持ち続けて過ごしてきたのだ。

煎じつめれば、ダビデ王が本当にシルワンに王宮を建てたのか、あるいはパレスチナ人がペリシテ人の子孫なのかは、あまり重要ではない。

事実は、歴史や神話や信仰や実体験によって築かれた強い絆が、ユダヤ人やパレスチナ人と、両者が領有権を主張する土地のあいだにあるということだ。

それを否定する証拠を探すのは、はた迷惑だし骨折り損である。自分はいい気分になるかもしれないが、相手が感じていることを感じなくさせることはできない。

それならば、双方が感じている深いつながりを認め合うことこそ、紛争の解決法を探る第一歩として有効かもしれない―少なくとも、シャピロ元大使の言うように「いまでも解決の望みを持つ者にとっては」。


文/ダニエル・ソカッチ 翻訳/鬼澤 忍 写真/shutterstock

『イスラエル 人類史上最もやっかいな問題』(NHK出版)

ダニエル・ソカッチ (著)、鬼澤 忍 (翻訳)

2023/2/25

¥2,860

400ページ

ISBN:

978-4-14-081933-3

「知らない」ではすまされない、世界が注視する“この国”を正しく知るための入門書

イスラエル。こんなテーマがほかにあるだろうか?
人口1000万に満たない小さな国が世界のトップニュースになるのはなぜか?
アメリカのキリスト教福音派はなぜ、イスラエルとトランプを支持するのか?
なぜ紛争は繰り返されるのか?
そもそも、いったい何が問題なのか?
世界で最も複雑で、やっかいで、古くからの紛争と思われるものを正しく理解する方法などあるのだろうか?
国際社会の一員として生きていくために、日本人が知っておくべきことが、この一冊に凝縮されている。
争いを拡大させているのは、私たちの無知、無関心かもしれない。

第1部 何が起こっているのか?
1章 ユダヤ人とイスラエル/2章 シオニストの思想/3章 ちょっと待て、ここには人がいる/4章 イギリス人がやってくる/5章 イスラエルとナクバ/6章 追い出された人びと/7章 1950年代/8章 ビッグバン/9章 激動/10章 振り落とす/11章 イスラエルはラビンを待っている/12章 賢明な希望が潰えて/13章 ブルドーザーの最後の不意打ち/14章 民主主義の後退
第2部 イスラエルについて話すのがこれほど難しいのはなぜか?
15章 地図は領土ではない/16章 イスラエルのアラブ系国民/17章 恋物語?/18章 入植地/19章 BDSについて語るときにわれわれが語ること/20章 Aで始まる例の単語/21章 Aで始まるもう一つの単語/22章 中心地の赤い雌牛/23章 希望を持つ理由

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