1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

まるでアル中のように酒を求め、日々深く酔っぱらう椎名誠と福田和也。相まみえないふたりの共通点は他にも…【〈ノンフィクション新刊〉よろず帳】

集英社オンライン / 2023年11月3日 12時1分

ノンフィクション本の新刊をフックに、書評のような顔をして、そうでもないコラムを藤野眞功が綴る連載〈ノンフィクション新刊〉よろず帳。今回取り上げる『サヨナラどーだ!の雑魚釣り隊』(小学館)は椎名誠の最新刊だが、なぜか福田和也についても書くと言い始め――。

椎名誠と福田和也の共通点

ふたりとも嫌がるに違いないが、椎名誠と福田和也は似ている。〈ちょっと冗談じゃないぜ〉【1】と椎名は唸り、福田は巾着をぶんまわすかもしれない【2】。そういえば、福田は『作家の値うち』で椎名の作品【3】を酷評していたし、一方の椎名も〈小説家の世界では文芸評論家など殆ど誰も相手にしていない〉【4】とのたもうた。

それでも、ふたりはよく似ている。



ほとんど中毒者のように酒を飲み、日々深く酔っぱらうところ。早くに結婚し、一姫二太郎の順で子供を授かったこと。デビューした時期が10年違う【5】が、いずれも雑誌の全盛期に書き手としてのキャリアを積み、あらゆる場所でコラムを書き、ゆうに百冊を超える著作を持っている。

ふたりの殴り方

だが、なにより似ているのは、このふたりの書き手が、上っ面の正義(ポリティカル・コレクトネス)への挑戦者として拳を振り上げた後の、その殴り方だ。椎名と福田は社会を直接描写するのではなく、自分と社会の間に「仲間たちの小宇宙」を挟むことで、「多数決や法律が決める正しさ」と「自らの信ずる正しさ」を拮抗させようと試みてきた。

それは自伝的と称される『哀愁の町に霧が降るのだ』(椎名)を起点とするシリーズ、福田にとっては『罰あたりパラダイス』に特徴的に表れている。前者には、その後も半世紀以上にわたって椎名の作品世界を支える沢野ひとしや木村晋介といった面々、後者には壹岐真也や澤口知之【6】。

百冊以上の本を著しながら、ふたりは「ノンフィクション」という看板を使おうとしなかった。新聞やテレビといったマスコミ、出版業界が単に「商品の陳列・販売上の利便性」から捏造した看板を信じていないからだろう。

報道であれ、告白であれ、その看板に秘められている――ような顔をして――露骨に宣伝されているのは「書きたくないことも書いている」「すべてがさらけ出されている」というナルシスティックな恰好つけだ。

椎名が仲間たちと織り成す小宇宙

椎名も福田も、書きたくないことは書かない。だから椎名は〈スーパーエッセイ〉【7】だとはにかみ、福田にいたっては、登場人物や発言を実名で書きながら「これは妄想である」【8】と蛇足を加えてしまう。どうにも中途半端だけれど、意識的な分だけ正直な気もする。

実際のところ、ルポルタージュや参与観察といった看板を掲げている書き手の多くも、書きたくないことは都合よく伏せている。にもかかわらず、その取捨選択の政治的意図を隠して「さらけ出し」を偽装するのが常なのである。

2005年から始まった〈雑魚釣り隊〉は、本書『サヨナラどーだ!の雑魚釣り隊』(小学館)で大団円を迎えた。帯に〈「あやしい探検隊」結成から60年〉とある通り、このシリーズは、椎名が仲間たちと織り成す小宇宙を書き続けてきたことの証だ。

吐いてもいないツバをまき散らす椎名

青年期から20代前半までを描いた『哀愁の町に霧が降るのだ』(1981年刊)を起点と考えたとき、椎名の人生年表の上で次にくるのは、会社員だったころを物語化した『新橋烏森口青春篇』と『銀座のカラス』だ。この新橋・銀座と同じ時期の、休日の行状から材を取ったのが、『わしらは怪しい探検隊』(80年刊)である。

興味深いのは、誰もが何者でもなかった『わしらは~』や『哀愁の町~』では、実名で記されていた仲間たちが、椎名が売れっ子作家になってからの小説『新橋~』(87年)では仮名がほとんどになってしまう点だ。その理由を、『哀愁の町~』と『新橋~』の間に書かれた『岳物語』(85年刊)に見出すことは不自然ではないだろう。

椎名は〈隊長〉すなわち「集団を率いる父」の立場から、隊員たちの人格に虚実をないまぜにして、魅力的なキャラクター集団を作り上げた。吐いてもいないツバをまき散らすことになった陰気な子安、本当は澄んだ眼の高橋イサオ、まるで岳のような近所の腕白坊主フジケン。彼らが椎名の筆法を許したのは、物書きになる前からの友人連中だったからだ。

褒めるという次元を越えたキャラ造形

次に「ひとりの息子の父」【9】として、椎名は岳に同じ筆法をふるった。正確にはまったく同じではなく、文体や虚実の塩梅が調整されているので、作家自身によるカテゴライズでは『岳物語』はエッセイではなく、〈私小説〉【10】とされているわけだが。

それにしても、岳のキャラクター造形は見事だ。褒めるという次元とはまったく別の水準で、彼はとびきり魅力的な快男児として世間に披露された。『岳物語』は数百万部を売り上げたが、キャラクター化された本人は苦労しただろう。この作品を機に、父子の間に長きに亘って深い溝が生まれたことについては、椎名も岳も否定していない。

その後、椎名は〈怪しい探検隊〉についても隊員の人選を変えた。物書きになる前から付き合いを始めた友人たちではなく、作家としての仕事をきっかけに仲を深めた公私の狭間に位置する者たちと〈いやはや隊〉を結成し、従来よりもキャラクター造形に抑制を利かせるようになったのだ。

仲間を書き、家族を書いた椎名のまわりで起きたこと

他方、福田和也は父としてではなく、最初から「息子」として現れた。『「内なる近代」の超克』において設定された蕩児の自画像は『罰当たりパラダイス』で加速し、雑誌『en-taxi』誌上で花開く。椎名とその仲間たちが『本の雑誌』を作ったように、根城となる雑誌を器から創り出した点でもふたりは似ている。

かつて福田は、椎名の小説を指して「エッセイの骨法を脱していない」【11】と評したが、今では、その判断を覆している可能性もある。2007年の力作『俺はあやまらない』において、福田が仲間たちと繰り広げた小宇宙は明白に、あるいは無意識のうちに椎名の骨法を踏襲しているからだ【12】。

だが、同じように「ひとりの息子の父」となった福田はついに「父としての家族」【13】を描かなかった。福田が描き続けているのは「息子としての家族」だけだ【14】。

椎名は仲間を書き、家族を書いた。書かれた家族の心はいったん離れたが、短くない時間を経て、帰ってきたそうだ。その間、椎名の筆法は変わったのか。集団の父を演じていたころ、あるいは子供らの父であったころからは変わっただろう。岳や葉がもはや子供ではなくなったように、椎名も父ではなくなった。父でなくなった男は、ふたたび息子に戻るのだろうか。

なぜ椎名が仲間と家族を同じ地平で描けるようになったのか

『サヨナラどーだ!の雑魚釣り隊』においてはそうかもしれない。椎名は相変わらず〈隊長〉を名乗るが、皆を率いるのではなく追いかけている。房総、瀬戸内海から高知、宮古島、最後は思い出の八丈島。隊員たちは同年代から、20代まで。椎名は今年、79歳になった。

権威をもって父が息子を眺めるように、というより、むしろ息子が大人を仰ぎ見るように、椎名は書く。敬愛の入り混じった眼差しで、隊員ひとりひとりのどこが好きなのかを、遊んでもらう立場から綴っている。

なんだかヌルくなったと読む人もいるだろうが、1980年代からでも、2000年代からでも、かつて椎名に夢中になり、しばらく忘れていた人はぜひ読むといい。自分も、椎名と同じだけ年齢を重ねたと実感するし、仲間や家族との距離感の変遷も脳裡をよぎるだろう。

読み進めるうちに、なぜ椎名が仲間と家族を同じ地平で描けるようになったのかにも得心がいく。誰かを護る必要がなくなるタイミングは、自分が衰えたときではなく、彼や彼女の実力を認めたときにこそ訪れるのだ。

文/藤野眞功


【1】椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』(下巻/小学館文庫)より引用。

【2】福田和也『罰あたりパラダイス』(扶桑社)収録の座談会を参照。『日本の家郷』で三島由紀夫賞を受賞した福田が泥酔し、アレックス・カーの作品を「なんだこんなの」と床に叩きつけたり、車谷長吉が持っていた巾着を取り上げ、ぶんまわした挙句、「おまえ、才能ないよ」と本人に通告した夜のことを、担当編集者であり福田の小宇宙を構成する仲間のひとりでもあった中瀬ゆかり(新潮社)が語っている。

【3】福田和也『作家の値うち』(飛鳥新社)を参照。椎名が雑誌『文學界』に発表した硬文学『黄金時代』に、福田は32点をつけた。同書で示されている点数基準によれば、39点以下は〈人に読ませる水準に達していない作品〉ということになる。福田が椎名につけた最高点は59点〈読む価値がある作品〉で、『武装島田倉庫』に与えられている。

【4】椎名誠『フィルム旅芸人の記録』(集英社文庫)より引用。

【5】椎名の実質的なデビュー作『さらば国分寺書店のオババ』(情報センター出版局)が刊行されたのは1979年の11月だが、同年2月には、会社員としての肩書き(「ストアーズレポート」編集長)で、『クレジットとキャッシュレス社会』(教育社)を商業出版している。

福田は1985年に慶応大学大学院の仏文学専攻修士課程を修了し、退学。実家の福田麺機製作所の社員として営業を担当しながら、後に『奇妙な廃墟』(国書刊行会)として発表される原稿を書き続けた。1989年に完成し、公刊。

【6】壹岐真也は、かつて扶桑社に在籍した編集者。福田とともに季刊文芸誌『en-taxi』を創刊し、編集長としてリリー・フランキーの『東京タワー』を担当。久住昌之(原作)と谷口ジロー(作画)による漫画『孤独のグルメ』を生み出した編集者でもあり、同作の完全オリジナル小説である『孤独のグルメ望郷編』(壹岐真也・著/扶桑社)の執筆を許されるほどの信頼を得ていた。現在、フリーランス。

澤口知之は、イタリア料理の料理人。五反田「イル・クアードロ」勤務時にデビュー直前の福田と知り合い、意気投合した。イタリア修業を経て帰国後、六本木「ラ・ゴーラ」を開く。2003年、六本木「アモーレ」を開店。2012年、体調不良のため閉店。2017年、死去。福田の原稿にたびたび登場し、自身も文を能くした。料理人としてリリー・フランキーと対峙した『架空の料理 空想の食卓』(扶桑社)は、とくに面白い。

【7】『さらば国分寺書店のオババ』(情報センター出版局)より引用。

【8】商業出版の看板としての「ノンフィクション」では、たとえば椎名による下記の加工は「新発見」になりかねない。『哀愁の町~』(下巻)に掲載された沢野ひとしの日記(4月11日)を引用する。

〈相手を突き倒すことばかり考えている椎名や、歯を磨くために生きているようなイサオや、恋人のノリちゃんのために勉強しているような木村晋介など、いろいろ人間は生きる道を見つけている中で、ボクはいったいどうしたらいいのだろう〉

上の日記は、実際に残された克美荘日記と「ノンフィクション」的には同一ではない。日付も4月11日が、5月3日に加工されている。

〈相手を突きたおすことばかり年中考えている勲君や、歯をみがくために生きているような椎名の誠君や、ノリちゃんのために勉強している晋介君等、いろいろ人間は生きる道をみつけているなかでボクはいったいどうしたらいいのだろう〉(『自走式漂流記』新潮文庫より)

では、椎名による「非ノンフィクション化された日記」と「証拠物としての克美荘日記」で、真実性の優劣を競うことは可能だろうか。

福田は、立川談春と墓を巡った(『俺はあやまらない』扶桑社)。柳家小さん、六代目円生、先代桂文楽、志ん生、円朝。「逢仏殺仏 逢祖殺祖」と題して、その日のことを書いた。末尾にはこう――〈文中の福田以外の発言も、すべて福田が再構成、あるいは創作したものであり、文責はすべて福田和也にあります〉。

談春を護る、というだけでは足りない。そこに核心があるわけではないと思う。政治的に、「形式」として嘘だということにすれば、ほんとうに「嘘」になるのか。はたまたその逆は? 

【9】長女の葉は、小学生時代から「私のことは書かないでほしい」と椎名に伝えていたため、『岳物語』には登場しない。椎名は本人の許しを得て、後に『娘と私』(『はるさきのへび』集英社文庫に収録)を著している。葉がアメリカへ旅立つ物語であることが、双方の黙契を思わせる。

【10】椎名誠『岳物語』(集英社文庫)より引用。

【11】福田和也『作家の値うち』(飛鳥新社)を参照。

【12】『罰あたりパラダイス』において福田自身が意識していたのは、椎名ではなく、矢作俊彦『複雑な彼女と単純な場所』のような風合いだろう。矢作に対しては、『作家の値うち』でも最上級の評価(「あ・じゃ・ぱん」90点)を与えている。だが、ふたりの書くものに相通ずる部分は少ない。福田は、矢作よりも国語に誠実だからだ。

【13】『グロテスクな日本語』(95年刊)から『贅沢入門』(2002年刊)あたりまでは、福田にも「父としての家族」を描こうと試みた瞬間があった。「集団を率いる父」としては、椎名と同じように多くの仲間を育てたといえるだろう。酒井信、大澤信亮、鈴木涼美、佐藤和歌子から明石陽介(「ユリイカ」編集長)まで多士済々である。

【14】『福田和也コレクション』(1/KKベストセラーズ)巻末の寄稿(伊藤彰彦)によれば、福田は2011年に出奔し、メルモ(手塚治虫)によく似た女性編集者と暮らしているという。しかし、その新たな家族についても福田は書いていない。

最強のボクサー、井上尚弥の〈言葉〉はなぜ面白くないのか? 話題の1冊『怪物に出会った日』が井上に敗れた者たちだけを取材した理由〉へ続く

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください