厳しい芸能界で生き残るために必要なのは超人“片岡鶴太郎スタイル”か!? かつてはボクサー、今はヨギーの鶴太郎が手を出し続けた35年の「キングオブ余技」生活
集英社オンライン / 2023年10月29日 16時1分
本業の肩書を越えた活動には何かとネガティブな物言いを付けられがちな芸能人。そんな余計なお世話を跳ね除けてきた、片岡鶴太郎の“余技遍歴”。ボクサーではプロテストに合格し、芸術の世界では個展も美術館も開いてしまう無双感。テレビ番組に関する記事を多数執筆するライターの前川ヤスタカが、芸能人以外も見習いたい片岡鶴太郎の“余技スピリット”を考察する。
我々はなぜ芸能人の余技を厳しい目で見てしまうのか?
一般社会では副業解禁といったニュースがよく聞かれるようになった。
私自身も言ってみれば兼業ライターだが、本業を持ちながら、副業で特技を生かすようなことが大っぴらに認められる世の中になったことは、なかなかに感慨深い。
しかし昭和の時代から今に至るまで、芸能人が本業以外で何かを始めることはあまり歓迎されない。
芸能人にとって本業とは何なのかというのはそれはそれで難しいが、大体の場合「世に出た際の肩書」がその人の本業とみなされることが多いだろう。
芸人として世に出たならこの人の本業は芸人だと思われるだろうし、ミュージシャンとして世に出たならミュージシャンが本業と世間の人は認識するのが常である。
俳優が歌を出したり、芸人が俳優業をやったり、コント師が脚本を書いたりというのは、比較的本業の延長線とみなされるが、アートに傾倒したり映画監督をやったりすることは未だに何となく色眼鏡で見られてしまう。オンラインサロンとかレストラン経営みたいなお金の絡む事業となると、かなり色の濃い眼鏡でその人のことを見てしまう。
お金の匂いのするゾーンのことは話がややこしくなりそうなので一旦置いておくとして、芸能人が余技に精を出すことはなぜこんなにも斜に構えた目で見られるのだろう。
理由の一つは、おそらく芸能人パワーを使って特定の分野に気軽にズカズカ踏み込んでいくのは、専業でやっている人に失礼なのでは?みたいな感覚だろう。
確かに、画家を目指し続けてやっと小さな画廊で個展を開けるようになった人と比べて、芸能人はその知名度とパワーを使い大きな美術館で個展をバンバン開くみたいなイメージがあるかもしれない。
助監督として下積み何十年というような人を差し置いて、映画を撮ったことのない芸能人がいきなり監督としてすべてを決めることに抵抗を感じる人もいるだろう。
芸能人が何か本業以外のことをやる=片手間の余技という先入観で物を見てしまっているというのもあるかもしれない。そんなんやってる暇があるなら本業をもっとちゃんと頑張れよという気持ちは、どこかしら心の片隅には生じる。
そこで片岡鶴太郎である。
芸能界の「キングオブ余技」がヨギーに至るまで
約40年前、彼が世に出た時の肩書はモノマネ芸人だった。
しかしその後、俳優、ボクサー、画家とさまざまなものに手を出し続け、今はヨガの人である。ある意味、誰もが認める芸能界の「キングオブ余技」と言ってもいいだろう。
芸能人が本業以外に手を染めることが好意的に見られないにもかかわらず、なぜ彼はこんなにもいろいろなものに手を出し続けてきたのだろう。
もともと片岡鶴太郎が本格的にこの世界に入ったのは、高校卒業後に声色(こわいろ)芸の片岡鶴八に弟子入りしたことが最初である(有名なエピソードとしてその前に女優の清川虹子に弟子入りを志願したが断られた経緯がある)。
カバン持ちを3年、ガンリーズと言うコントグループで2年など芸歴を重ね、紆余曲折がありながらも芸能の世界で少しずつ頭角を現していった。
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『オレたちひょうきん族』時代からシフトチェンジする未来を見据えていた?
そんな彼の名前がお茶の間でも有名になったのは1982年の『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系列)の出演がきっかけ。
マッチ(近藤真彦)のモノマネをする人としてひょうきんベストテンに出演した彼は、その後コンスタントにテレビ出演する売れっ子お笑いタレントになった。
しかし、当時のインタビューの時点ですでに「もう一段階、なんかやりたいですね。ドラマとか。なんかもう一つ自分の作品としてヒットするようなものを作りたいですね」と話しており、レギュラー9本を抱えながらドラマに出始めた87年ごろのインタビューでは「お笑いだけでやってたら、バラエティの司会だけなら、う〜んあと5年。(中略)ドラマは少なくとも台本はあるしキャラクターとは別に役柄を掘り下げることもできるしね」と俳優業へのシフトをかなり色濃く語っていた。
そしてここから鶴太郎の人生の振れ幅は拡大の一途を辿る。
ボクサーでも芸術でも余技以上の「結果」を出す
1988年にはボクシングを始め、プロテストに合格。減量に成功したこともあって、俳優としてのオファーも増え、映画『異人たちとの夏』の演技で同年の国内映画賞を総なめ。
当時世間では意外な起用との声が多かったが、大林宣彦監督が「彼を無名時代に見たことがあったがエノケン、八波むと志の系譜と認識していた」と才能を認識した上での起用だったことを語っている。
さらには同年に、革製品などを自身のブランドで扱う雑貨店「鶴TARO」を渋谷にオープンした。
90年代には、棟方志功役を演じたことなどをきっかけとして絵を描くことに傾倒。その後は書の世界にもシフトしている。画集の出版や個展の開催にとどまらず、自身の名を冠した美術館や工藝館まで開いている。
ヨガに勤しむ片岡鶴太郎。果たしてこれは余技?
そして繰り返しだが、今彼の生活の中心はヨガである。
17時に寝て22時に起きて5時間ヨガという生活を繰り返し仙人のようになった片岡鶴太郎に、かつて『鶴ちゃんのプッツン5』(日本テレビ系列)や『上海紅鯨団が行く』(フジテレビ系列)などで軽妙なトークを繰り広げていた小太りの「鶴ちゃん」の面影はもはやない。
余技に傾倒し続ける片岡鶴太郎を揶揄する声は、この35年ずっとあった。
しかし、もうここまで来ると彼の本業がもともと何だったかなど気にする人はいない。
余技は「これは余技だよね」と周囲に感じさせるから余技なのであって、余技が本業を追い越していけばもうそれは本業である。そう認めざるを得ない。
片岡鶴太郎の本業はヨガ。もうそれでいい。
余技=本業。片岡鶴太郎に「この次」はあるか?
近年では芸能人が本業以外に進出することが好意的に見られることも多くなってきた。
たとえばフワちゃんのプロレスがそうだ。プロレス挑戦が報じられた際、抵抗の声は多数あったが、練習への真摯な取り組みや、見応えある試合内容のおかげで、そういった外野の声は称賛に変わった。
本業と同じくらいあるいは本業以上に本気で取り組むなら、それはもはや本業の一部とみなされる。そういう世の中になってきた。
片岡鶴太郎はまだ68歳。人生100年時代に、もう一度や二度、彼の本業に何かが加わる日が来るかもしれない。
文/前川ヤスタカ イラスト/Rica 編集協力/萩原圭太
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