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34歳を過ぎたフリーターたちはどこにいったのか・・・本当は苦境だけじゃなく、IT長者も誕生した新しい「ロスジェネ論」

集英社オンライン / 2023年11月17日 16時1分

ロスジェネ世代、就職氷河期世代と言われる1970年〜1980年代前半生まれ。現在37歳〜51歳で、社会の中心にいながら、ときに「お荷物世代」とも呼ばれる人たちは、一体どんな時代を生きてきたのか。書籍『1973年に生まれて 団塊ジュニア世代の半世紀』の著者で1973年生まれのライター速水健朗氏に、巷の世代論とは一線を画す本書に込められた意図と、その裏テーマに迫る。

34歳を過ぎたフリーターたちはどこにいったのか

――前提として、就職氷河期世代とも言われる団塊ジュニア(1971年〜1974年生まれ)前後の非正規雇用や貧困について論じられた、いわゆる「ロスジェネ論」はいつごろから言われるようになったのでしょうか。


ライターの速水健朗氏 撮影/集英社オンライン

2007年です。それ以前は、単に不況と就職時期が重なった不運な世代、というくらいの話が、15年経って、世代に限った深刻な貧困問題になっていると指摘されて、日本中が驚いてしまった。

当時、朝日新聞が「ロスジェネ」という特集を組んで、「ワーキングプア」や「偽装請負」だったり、非正規労働者の低賃金が社会問題として一気に注目が集まりました。でも、当の本人である、こっちはもう30代半ばになってるんですよ。働き手としても、中堅になっていて、いまさら言われてもなあというタイミングではありました。

「無敵の人」なんて言葉も2008年に出てきたものなので、実は同じタイミングですよね。そして日本は、不況は抜け出していなくても、若年雇用はのちの2010年代にはよくなっているので、非正規雇用問題は、特定世代に押しつけられた感が強くなっていきます。

苦境を訴える「ロスジェネ」論への違和感

――当事者である速水さんとしても、自分は苦境の世代だという実感はありますか。

僕自身は、大学時代にコンピュータ雑誌の編集部にアルバイトとして入って、そのまま卒業後も編集者として勤めていたんです。だけど、労働条件的に見ると、残業代なんてもらったこともなければ、「偽装請負」と言われればそう、みたいな環境で働いていたなとは思いました。

でも実感として、苦境とはほど遠い感じでした。僕が身を置いていたのが、メディア業界とIT業界だったことが大きかったでしょうか。90年代後半は本当にバブル以上の活況を呈していた時代だったと思います。雑誌は創刊ラッシュ。90年代後半が、出版業界の売り上げのピークの時期ですし。僕が担当している年上の著者の方たちが、飲みに行くのについて行ったりすると、常に大手出版社の編集者たちが支払いをしてくれるんです。

僕は中小出版社で若手なので、大概おごってもらえました。ITバブル時のベンチャーの経営者たちも、めちゃめちゃ羽振りがよくて、僕も末端の記者として一端をのぞいていただけですが、ITバブルは一番隅っこで体感しました。

ちなみに、2000年前後くらいは、有名な海外のDJを呼んで、渋谷のクラブで新製品発表会が開催されていたり、ということが毎週繰り広げられていた感じでした。

――景気は悪くても、IT業界は元気だったと。

僕がいた出版社は薄給でしたけど、その周囲が裕福だったので、十分にトリクルダウンがあるというか。

自分が苦境世代で、悲惨な目にあって、という体験はしていないんです。ちなみにベンチャー企業にいるのと、"日本の古参の会社"っていう環境で働いているのとでは、まるで感覚が違ったと思います。労働時間も自由だし、経費も使えたし、本来なら競合するメディアでも仕事をしたり、グレーな副業なんかも怒られなかった。なので、特に不満もなくやっていた感じでした。

すぐに人が辞める環境でもあったんですけど、競合雑誌の編集部に移ったりと、流動性も激しかった。次の仕事先が見つかる前提だから辞める人も多かったという感じです。紙媒体の編集の仕事も、フリーランスになれば、すぐに年収は2倍くらいになるなという感じですし、ウェブのメディアへの移行期で、編集者から「メディアプロデューサー」として転身する同業者も多かったかな。

実際に僕がフリーランスになった2001年くらいもそんな感じでした。なので、のちに「ロスジェネ」世代と言われ始めたときに、自分の環境とは違うなという違和感があったのは確かです。『1973年に生まれて』は、サブタイトルに「団塊ジュニア世代の半世紀」とあるように、自分の世代について書いていますが、この世代=困難世代の色が強くなりすぎるところを踏まえて、それだけではない部分を書いているつもりです。

IT長者とワーキングプアは「格差」ではない

――2000年代に発展していくIT業界の中心にいたのが、団塊ジュニアの世代ですよね。

インターネット以降のベンチャーでは、サイバーエージェントの藤田晋(1973年生まれ)や堀江貴文(1972年生まれ)、あと米国NASDAQと東証マザーズに上場して最年少記録を更新したクレイフィッシュの松島庸(1973年生まれ)が同世代です。

80年代に子ども時代を経験した世代ですね。磁気テープとか、オーディオとか半導体とかでまだ日本が強かった時代で、日本が転落するなんて誰も思っていない時代を経験している一番下の世代かもしれないですね。国産のゲーム機と、国産のパソコンで育っている「国産デジタルネイティブ世代」というか。ゲームなんかは、90年代以降もトップだったし、発展産業の道筋は、ある時期まで見えていたような気がします。勘違いでしたけど。


この世代が一気に登場したときに、日本社会の世代交代の機運がありました。ナベツネなどの年長世代が、ホリエモンのTシャツ姿に疑問を呈するみたいな構図がまさにそう。旧弊の日本を、新世代が覆す下剋上みたいな。実際、当時の堀江貴文が、30才前半でした。IT化と世代交代の旗が振られて、それがライブドアショックで一気に後退したという感じになりました。世代交代は失敗して、そのまま変化せずにきた日本っていう実感もあります。

2005年、ニッポン放送を買収しようとした堀江貴文氏 写真/共同通信

――IT長者が生まれる一方で、同世代にはワーキングプアの問題に直面している人たちがいることも、本書では指摘しています。

経済格差の問題が2000年代に取り上げられるようになる。実際の経済指標で、生活レベル、賃金の格差が生まれるのは主に80年代のことなので、20年間軽視されてきた問題に、15年、20年遅れで社会が気づき始めたんです。ヒルズ族みたいな流行は、新富裕層の台頭を象徴するものですが、格差の議論とも重ねられて注目されました。

――そんなIT長者とワーキングプアの間にある格差は、たとえば山内マリコの小説『あのこは貴族』で描かれていた格差とはまた別のものですよね。

この小説、映画もよくできていますが、東京という街の複雑さが描かれてますよね。地方出身者と、裕福な家の出身、両方の女性登場人物がいて、彼女たちは東京という同じ場所に住んでいながら、見えている像が違う。でも、同じ都市の中に、明確な貧富の差のゾーンの違いがあるとか、そういうことではない。

それであれば、海外の都市でよく見る景色です。この小説は、ほぼすれ違うくらいの近距離にいながら、でも全然違うのがおもしろいところです。実際に、西麻布なんかはそういう街で、外を歩いていても、ここがリッチな人たちの遊び場だなんてわからないですよね。それが東京の特殊なところな気がします。

山内マリコの小説『あのこは貴族』

上の世代が散々食い散らかしたあとに登場したZ世代

――世代論には一定の関心が寄せられる一方で、常に「そんなに画一的じゃない」といった批判にも晒されます。

世代論は疑似社会問題である、ということを前提にする必要があると思います。

本来は連帯できる人々を、世代で区分し、対立構造をつくることで、分断を煽るのが疑似社会問題です。世代論は常にそれをはらんでいる。Z世代も、上の世代が散々食い散らかしたのちの社会に住むことへの反発から、世代間の連帯が原動力になっているところがありますけど、上の世代の全員が本当の敵かというと、もちろんそうではないわけで。

世代論は、連帯の道具でもあるし、あまりそれを強くすると、「あー面倒くさい世代だ」と思われてしまう。世代論は、あまり声高に叫ばない方がいいなという意識はあります。親世代が異常に声高な「団塊の世代」で、その世代を見てきた反省も含んでいます(笑)。

#2へつづく

取材・文/おぐらりゅうじ

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