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狂犬病から真に安全な場所は世界で6地域だけ。発症したら100%死亡する恐ろしい感染症、現代まで続くワクチンの概念とは

集英社オンライン / 2023年12月12日 11時1分

外科医けいゆうとして、Xで10万人超のフォロワーを持つ著者が、医学5000年の歴史を解き明かした『すばらしい医学――あなたの体の謎に迫る知的冒険』。本記事では、未だ発症したら100%が死に至るとされる「狂犬病」と、そのワクチンの発見をめぐるエピソードを一部抜粋・再構成してお届けする。

狂犬病は多くの人命を奪う

致死率ほぼ100パーセント。世界でもっとも致死率が高い病気としてギネス記録にも掲載される感染症がある(1)。狂犬病だ。

毎年、世界で5~6万人が狂犬病で死亡している(2)。大半は狂犬病にかかったイヌに嚙まれて感染したケースだが、ネコやコウモリ、キツネなどの野生動物から感染することもある。世界のほとんどの地域で狂犬病は絶えず発生し、多くの人命を奪っている。



ところが、日本でこの事実はあまり知られていない。イヌやネコに嚙まれたことのある人は少なくないだろうが、日々狂犬病のリスクに怯えている日本人はいないはずだ。日本は世界でもまれに見る、狂犬病清浄地域だからである。

狂犬病清浄地域とは、狂犬病が蔓延していない地域のことだ。日本以外の狂犬病清浄地域は、アイスランド、オーストラリア、グアム、ニュージーランド、ハワイ、フィジー諸島の六地域しかない(3)。つまり、ごく一部の島国や島嶼地域だけである。

日本なら狂犬病にかかる心配はないという事実は、当たり前ではない。これは、1950年の狂犬病予防法の公布以後、先人たちが命の危険に晒されながら築き上げた貴重な環境だ。

1950年以前は、日本でも多くの人が狂犬病で亡くなっていた。だが、狂犬病予防法によって飼い犬の登録やワクチン接種が徹底され、1957年に狂犬病が撲滅されたのだ。

それ以後、日本での狂犬病感染例はない。1970年に1人、2006年に2人、2020年に1人、いずれも海外でイヌに嚙まれたのち日本で発症し、死亡した例があるのみである。だが、この恵まれた環境を維持することは、さほど容易ではない。狂犬病に感染した動物が日本に侵入する危険性は常にあるからだ。

動物検疫所では、海外からの動物の輸入について、厳密な規則を定めている(4)。特に狂犬病清浄地域以外からイヌやネコを日本に連れてくる場合、まず皮下へのマイクロチップの埋め込み、2回以上のワクチン接種と抗体検査、さらには日本到着まで180日間以上の待機期間が必要となる。

こうした地道な努力があるからこそ、私たちは日本で狂犬病の心配をすることなく生活できるのである。

紀元前から知られた狂犬病

狂犬病は、狂犬病ウイルスが引き起こす人畜共通感染症である。人間を含むすべての哺乳類が狂犬病に感染しうるが、人から人に感染することはない。またワクチン接種によって予防が可能だ。

感染から発症までの潜伏期間は1~2カ月と長いのが特徴である。ひとたび発症すると治療法はなく、ほぼ100パーセント助からない。一方、狂犬病の蔓延地域でイヌやネコなどの野生動物に咬まれ、狂犬病に感染した可能性がある場合は、発症を予防するためにワクチン接種を受けなければならない。これを暴露後ワクチン接種という。

日本から一歩外に出れば、狂犬病は日常的な病気である。海外での動物咬傷のリスクを知っていることが何より大切だ。

狂犬病はさまざまな症状を引き起こす。発熱や頭痛、食欲不振、嘔吐などの感冒症状から始まり、興奮、錯乱状態になって幻覚が現れ、攻撃的になる。最終的には昏睡状態となり、呼吸停止に至って死亡する。

狂犬病の特徴的な症状に、「恐水症状」がある。その名の通り、「水を恐れる」というものだ。狂犬病ウイルスは神経に侵入し、その機能を侵す。水を飲もうとすると、神経が過敏になっているために喉の筋肉が痙攣し、患者が水を飲むことに過剰な恐怖を抱くのである。

こうした過敏反応は風が吹くだけでも起こり、これを「恐風症状」という。症状に対する恐怖が、こうした特異な現象につながるのである。

狂犬病は紀元前から知られた病気で、古代バビロニアのハンムラビ法典にも狂犬病に関する記載があるという(5)。また1世紀の古代ローマの医学書『医学論』で、この病気は「恐水病(hydrophobia)」と命名されている(6)。はるか昔から、この恐ろしい症状は知られていたのだ。

だが何千年もの間、病気の実態は知られず、予防法もないままだった。狂犬病ワクチンが開発されたのは19世紀になってからだ。その最大の功労者は、フランスの化学者ルイ・パストゥールである。

狂犬病ワクチンを生み出した救世主

毎年9月28日は、「世界狂犬病デー」として世界各国で啓発イベントが開催されている。この日は、パストゥールの命日である。

19世紀後半、パストゥールは、かつてのジェンナーと同様の方法で病気を予防したいと考えていた。ただし、ジェンナーの用いた牛痘(ぎゅうとう)のように似た病気を利用するのではなく、人為的にワクチンを生成したい。その願いは一つの偶然によって実現した。

1879年、パストゥールは家禽コレラという細菌感染症の研究をしていた(7)。家禽コレラとは、鳥類に感染し、70パーセント以上を死に至らしめる家畜の病気だ(8)。パストゥールは、家禽コレラの原因菌をニワトリに注射し、病気の進行を記録していた。

ある日彼は、ニワトリに細菌を注射するよう助手に指示し、休暇に入った。ところが、助手はこの指示をすっかり忘れ、注射をしたのは1カ月も経ってからであった(9)。このミスが予想外の発見につながった。致死的だったはずの細菌は、軽い症状を呈する程度まで弱毒化しており、かつニワトリは家禽コレラに免疫を獲得したのである。

人為的に病原体から感染力を奪い、これを人に注射することで免疫のみを獲得させる。まさにこれこそが、現代まで続くワクチンの概念そのものであった。

パストゥールが次に目をつけたのが、狂犬病だった。パリで狂犬病のイヌが増えているのを懸念した獣医師が、彼に研究を依頼したのだ。

パストゥールは、家禽コレラと同様に病原体の弱毒化を試みた。用いたのはウサギの脊髄だ。狂犬病に感染させたウサギの脊髄を乾燥させることで、病原性はほとんど失われ、かつ発症を予防できるワクチンが生み出されたのである。

当時、ウイルスの存在はまだ知られていなかった。それでもパストゥールは、細菌よりはるかに小さい何らかの病原体が狂犬病を引き起こしていると予想した。天才の直感が証明されるのは、彼の死後、ウイルスを観察できる電子顕微鏡が発明されてからである。

1885年、パストゥールは狂犬病のイヌに嚙まれた9歳の少年にワクチン接種を行い、少年は一命をとりとめた。まさに奇跡的な出来事であった。その後、何百人もの人が狂犬病ワクチンによって救われ、その成果は世界に大きな衝撃を与えた。

狂犬病ワクチンの開発を契機にパストゥールのもとには莫大な寄付が集まり、1887年、この基金をもとに研究所が設立された。これが今パリにあるパストゥール研究所である。

パストゥールが初めて築いたワクチンの概念は、免疫学に大きな影響を与え、ジフテリア、ペスト、麻疹など、致命的な病気に対するワクチンが次々とつくられたのである。


【参考文献】
(1) Guiness World Records「Highest mortality rate (non-inherited disease)」 (https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/640123-highest-mortality-rate-non-inherited-disease)
(2) 厚生労働省「狂犬病」(https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/)
(3) 動物検疫所「指定地域(農林水産大臣が指定する狂犬病の清浄国・地域)」 (https://www.maff.go.jp/aqs/animal/dog/rabies-free.html)
(4) 動物検疫所「犬、猫を輸入するには」(https://www.maff.go.jp/aqs/animal/dog/import-index.html)
(5) 〝わが国における犬の狂犬病の流行と防疫の歴史〟唐仁原景昭.日本獣医史学会.2002;39.
(6) 〝第4回「狂犬病 パスツールがワクチン開発」〟加藤茂孝.モダンメディア.2015.61
(7) Britannica「Vaccine development of Louis Pasteur」
(https://www.britannica.com/biography/Louis-Pasteur/Vaccine-development)
(8) 家畜疾病図鑑Web「家きんコレラ 急性で高い死亡率」
(https://www.naro.affrc.go.jp/org/niah/disease_dictionary/houtei/k23.html)
(9) The College of Physicians of Philadelphia History of Vaccines「Louis Pasteur, ForMemRS The Father of Germ Theory」(https://historyofvaccines.org/history/louis-pasteur-formemrs/timeline)

文/山本健人
写真/shutterstock

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山本健人 著

2023/9/12

¥1,515 Kindle版 (電子書籍)

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978-4478118016

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