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なぜ財務省は日銀に対して強い影響力を持つのか? 日本のバブル経済をもひき起こした、本当の黒幕の正体とは

集英社オンライン / 2023年11月17日 8時1分

「日銀は〝財務(大蔵)省日本橋本石町支店〟と呼ばれるような存在」と産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員の田村秀男氏は言うが、その根拠は? 田村氏と元産経新聞政治部長でジャーナリストの石橋文登氏が対談で解きあかす財務省の実態に迫る。『安倍晋三vs財務省』(扶桑社) より、一部抜粋、再構成してお届けする。

* 2001年1月6日、中央省庁再編によって、それまでの大蔵省から財務省に名称変更になりました。本書では煩雑さを避けるため、基本的に「財務省」の名称で統一していますが、場合によっては「大蔵省」としている箇所もあります。

米国に操られる財務(大蔵)省、財務省に操られる日銀

田村 日銀は〝財務(大蔵)省日本橋本石町支店〟と呼ばれるような存在でした。公定歩合を決めるのは日銀の専管事項のはずなのに、実際は大蔵省銀行局の銀行課長が決めているような状況でした。



日銀は1998年10月施行の改正日銀法によって政策運営についての「独立」が保証されましたし、「大蔵省」も2001年1月に「財務省」に名称変更しましたが、財務省が日銀に対し強い影響力を持つ構図は1998年以前とさほど変わりません。

日銀総裁、副総裁、さらに政策審議委員は首相の指名によりますが、首相は財務省の意向を重視します。こういうかたちで財務省は内閣府を支配しているので、日銀に対して支配力を持つのです。

石橋 日銀が主体的に決めるのではなく、財務省に言われた通りに動いているだけなのが、日銀というわけですね。

田村 1985年9月に国際協調介入によるドル安・円高誘導を決めたプラザ合意があり、いきすぎたドル安・円高を是正するための各国の市場介入を決めたのが1987年2月のルーブル合意(*1)でした。

*1 1987年2月22日、パリのルーブル宮殿で開催された先進七ヶ国(日、米、英、独、仏、伊、カナダ)の財務大臣・中央銀行総裁会議で、1985年9月のプラザ合意によるドル安がいきすぎたため、歯止めをかけるための合意。

米国としてはドル安を止めたいが、金利は下げたい。しかし自分のところだけ下げると、他国との金利差が開いて、米国から資金が他国に流れていって、ドル安がさらに進んでしまいます。

そこで、当時のベーカー財務長官は、日欧、とくに日本と西ドイツに協調利下げを要請します。

日本で金利を動かすのは日銀の専管事項のはずですが、財務(大蔵)省を使えば日銀を簡単にコントロールできることを米側は知っていました。そこで、大蔵省のワシントン公使と示し合わせて、日銀にプレッシャーをかけるわけです。

日本は1986年前半、二度にわたって米利下げに協調して利下げし、さらに翌年2月のルーブル合意直後までに二度単独利下げしました。

それに対して西ドイツは、金融政策は自国のためにあるという原則を盾に、頑として応じません。

そして起きたのが、1987年10月19日のブラックマンデー(暗黒の月曜日)(*2)です。

*2 1987年10月19日の月曜日、ニューヨーク株式市場で起きた史上最大規模の大暴落。またたく間に世界中に波及した。

米国のダウ平均株価は1日で508ポイントも下落し、世界大恐慌の発端となった1929年10月24日のブラックサーズデー(暗黒の木曜日)を上回る株の大暴落を記録しました。

そのとき、私はワシントン駐在でとめどもなく下がるニューヨーク株価の模様をテレビ画面で見ていましたが、トレーダー、米政府関係者、エコノミストの誰もが茫然自失というありさまでした。

するとCNNのワシントン支社から電話があり、スタジオでの討論会に急遽、出演してくれとのことです。米国や欧州の記者も呼ばれましたが、真っ先に質問されるのは日本人記者の私で、「日本はどうするのか」というわけです。

私は、「ルーブル合意のG7の政策協調が崩れたためにニューヨーク市場が急激なトリプル安―株安、ドル安、債券安―に見舞われた。円高が進む日本が金融緩和を継続することで、市場安定に貢献できるはずだ」と答えました。

G7といっても、金融市場を動かすのは米・日・西ドイツの三ヶ国の政策です。その一角の西独連銀が動きそうにないし、米国はドル安を高進させる利下げには踏み切れません。アンカー(碇)役は日本しかなかったのです。

当時、米連邦準備制度理事会(FRB)議長―ボルカーに代わって就任したグリーンスパン―が9月に利上げしたばかりで、日銀も「この機を逃すな」とばかりに、利上げによる金融引き締めに動いていました。

しかし、ブラックマンデーを目の当たりにし、断念せざるを得なくなりました。もちろん、その背景には米財務省、FRBと気脈を通じている大蔵省の圧力もありました。

それで日本の公定歩合は0.25パーセントという低利のままで据え置かれることになります。

モノの生産が円高のために押さえつけられているなかでの超金融緩和ということで、余剰資金が株式や不動産市場に流れ込みます。

企業はエクイティファイナンス(*3)によって巨額の資金を株式や不動産投資に向けるので、株と地価が急騰する。いわゆるバブル経済となっていきます。

*3 時価発行増資などによる、株式市場での資金調達。エクイティとは「株主資本」のことで、発行会社からすると、返済期限の定めがない資金調達である。財務体質を強固にする効果が望める。

1987年2月のG7合意の際、当時の日銀総裁はすっかり青ざめていた

石橋 バブル経済は、財務(大蔵)省を動かして日銀をコントロールしていた米国が引き起こしたともいえそうです。

田村 日本の財務(大蔵)省としては、財政出動によって内需拡大を米国に迫られるのを非常に嫌っていました。

財政出動となれば、財政収支赤字が増えるというわけで本能的に嫌うわけです。

ベーカー財務長官はプラザ合意後、日本に対して財政・金融両面で内需を拡大せよと迫ってきたのですが、大蔵省は、財政は無理だが、金融ならできる、とかわして、大蔵省日本橋本石町支店の日銀にお鉢を回してきたのです。

いまでも鮮明に思い出しますが、1987年2月のパリ・ルーブル宮殿でのG7合意の取材に行ったとき、当時の日銀の澄田智総裁はすっかり青ざめています。記者会見では、宮澤喜一蔵相が記者たちと満足げな表情で受け答えしているのに、脇の澄田さんはほぼ一貫して無言でした。

あとでわかったのですが、宮澤蔵相は得意の英語で、英語の本家、英国のローソン蔵相を感心させたとのことです。合意の柱は為替レートのリファレンス・レンジ(参考相場圏)でした。

簡単に言うと、合意時の各国通貨の対ドルレートを中心値として、一定幅に抑えようというものです。

具体的にはドルに対する為替の変動幅を中心レートの上下2.5パーセントとし、為替市場介入は各国の裁量に任せるが、それを超える場合、上下5パーセント以内に抑えるよう介入を義務づけられました。

秘密の合意で、中心レートはまさに合意時点の相場で、円は1ドル153.5円、西ドイツのマルクが1ドル1.825マルクです。
記者発表される相場圏部分の原案は英語表記で〝around present levels〟(=現時点の水準周辺)だったのですが、宮澤蔵相は日本語に直すとあまりにもはっきりしすぎると言って反対しました。それを受けてローソン蔵相が「それでは〝present〟(=現時点)を〝current〟(=現行)にしよう」と提案して、合意に漕ぎ着けたのです。

私も、合意後、しばらくしてFRBの幹部に〝current〟とは具体的にいつの時点を指すのかと質しました。すると「あれはちょうど合意の時点(=at the present time)のレートのことだよ」とあっさりと認めていました。

〝present〟も〝current〟も米当局者にとってはどうでもよいことだったのです。

しかし、英語のニュアンスに敏感な宮澤さんは、具体的な中心レートがばれると、投機筋につけ込まれると恐れたのです。

澄田総裁がやつれきっていたのにはわけがあります。

為替安定に影響する金融政策については公式の合意文書では触れませんでしたが、実際には激しい議論がありました。為替相場の安定に向けて金融政策の果たす役割の重要性を米側が主張したのに対し、西ドイツは強く反対したのに、日本側はおおむね同意せざるを得なかったのです。

米国はドルが弱くなると日独が金利を下げるよう求めます。しかし、西ドイツは逆に米国が金利を引き上げるべきだと反論します。一方で対米協調利下げに応じてきた日銀は西ドイツに足並みをそろえることができません。

それどころか、ルーブル合意翌日の1987年2月23日には公定歩合を0.5パーセント幅、即ち2.5パーセントへと大幅引き下げを約束させられたのです。もとより、大蔵省日本橋本石町支店と揶揄される日銀は抵抗できなかったのです。

実際、ルーブル合意から一週間もしないうちに、西ドイツが為替市場介入合意から離脱し、ルーブル合意の崩壊が始まります。

もともと西ドイツは、「為替市場を当局がコントロールしようとすること自体が無理」という考えに立っていましたから、協調介入にも消極的でした。

澄田さんは大蔵省大物次官OBで、前任の日銀生え抜きの前川春雄総裁が1984年12月に退任したあとに、就任したのですが、翌年にはプラザ合意、そして1987年ルーブル合意に直面し、しかも1986年には二度も米利下げに付き合わされています。

資産バブルの兆候が見えはじめているのに、またもや利下げに追い込まれたのです。

日銀内部には生え抜きの三重野康副総裁を中心に、金融引き締め勢力から突き上げがありましたが、米国と組んでいる大蔵省からの金融緩和継続圧力には抵抗しきれません。

生気を失ったかのような澄田さんの表情には、その苦悩が滲み出ていたように思えます。

文/田村秀男、石橋文登 写真/shutterstock

『安倍晋三vs財務省』(扶桑社)

田村秀男 (著), 石橋文登 (著)

2023/11/17

¥1,980

304ページ

ISBN:

978-4594095444

国益、省益、権謀術数、出世、自己保身……
首相退任後、安倍晋三さんが財務省を非難した、ほんとうの理由を徹底的に明らかにする!
ベストセラー『安倍晋三 回顧録』で国民に衝撃を与えた、安倍さんの〝財務省不信発言〟。日本経済の分岐点を何度も世界各地の現場で体験してきた経済記者と、安倍総理に最も近いところにいた政治記者が、安倍さんの真意と財務省の実態を包み隠さず語り明かす全国民必読の書!
第一章 安倍さんを目覚めさせたのは、何か?
第二章 財務省の政界工作
第三章 財務省の〝真の事務次官〟
第四章 財務省と新聞社、政治家
第五章 財務省と日本銀行
第六章 財務省とアベノミクス
第七章 財務省と岸田首相

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