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附属池田小事件の犯人・宅間守は本当に死にたかったのか?~死刑を望んで人を殺傷した男たちの罪と罰~

集英社オンライン / 2022年5月26日 18時1分

「死刑になりたい」と無関係な人々を殺傷する事件がたびたび起こるが、中でも世間に大きな衝撃を与えたのが、2001年に附属池田小事件を起こした宅間守だ。宅間は異例ともいえる早期執行で死刑となったが、そこに問題はなかったのか? 父も祖父も刑務官で、自身も27年間にわたって刑務官を務めた作家の坂本敏夫氏が、あらためて事件を紐解く

殺人罪での死刑判決はわずか1%

2021年、「死刑になりたい」と無関係の人々を殺傷する事件が連続して起こった。8月6日、小田急線上り快速急行の車内で、対馬悠介(当時36歳)は居合わせた乗客に持っていた刃物でいきなり襲い掛かり、被害者の一人、20歳の女子大学生の胸と背中を執拗に斬りつけて重傷を負わせた。対馬は今年1月に殺人未遂などの罪で起訴された。



また、同年10月31日には京王線上り特急電車で服部恭太(同24歳)がナイフを振り回して男性客の胸部を刺し、さらに騒然となった車両にライターのオイルをまき散らして火を放った。乗客多数が怪我をし、刺された男性(同70歳)は、一時重体となった。服部は今年3月、殺人未遂と現住建造物放火、銃刀法違反の罪で起訴された。

この二人は共に精神鑑定後に責任能力があると検察が判断しての起訴である。計10人を刺傷した対馬は、「幸せそうな人を見ると殺したくなり、密室となる走行中の急行電車内ならば、大量に人を殺せると思った」と供述。

17人に重軽傷を負わせた服部は「自分では死ねないので死刑になりたい」と、事件を起こした理由を供述している。

いずれのケースも犯人は被害者の数を意識していたことが分かる。現在、殺人罪での死刑判決はわずか1パーセントに過ぎず、大量殺人でなければ簡単には死刑にはならないのだ。

私は1967年に大阪刑務所に着任以来、27年間にわたって刑務官を務めた。多くの死刑囚との交流を持ち、刑の執行の現場にも立ち合った経験がある。

ここで改めて死刑の問題を世に問いたい。「改めて」と言ったのは、20年以上前から私は著書や報道番組などで死刑の廃止を提起し続けているからである。

今回は私が死刑=NOと言う理由をまず明らかにしておきたい。

死刑制度は犯罪の抑止力がない上に、実に不経済であること。そして、実際には極刑を望む遺族感情にほとんど応えていないのである。対馬や服部の以前にも、死刑を望んで凶行に走った人間が何人もいた。彼らに焦点を当てて、塀の中を知る者として死刑の問題を記していきたい。

宅間守と附属池田小事件

死刑になりたいと重大事件を起こした男たちの中でも、世間に与えた衝撃の大きさという点でまず思い浮かぶのは宅間守(犯行当時37歳)だ。

事件は2001年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校で起こった。校内に侵入した宅間は逃げ惑う子どもたちを追いかけまわし、出刃包丁で1、2年生8人を殺害、13人に重傷を負わせ、止めに入った教職員2名にもけがを負わせたのだ。

駆け付けた警察官に現行犯逮捕された宅間は殺人、殺人未遂、建造物侵入、銃刀法違反の罪で起訴され、2年後の2003年8月、大阪地裁で死刑判決が言い渡された。弁護人が控訴したが本人が取り下げ、死刑が確定した。

現在の大阪拘置所は高層化され新舎房が建てられているが、宅間が収容されていたのは1957年から受刑者の手によって5年余りの歳月をかけて建てられた旧舎房だった。宅間のいるフロアには他に2名の死刑確定囚と死刑、無期又は長期の判決が見込まれる被告人を収容していた。

宅間は一審の判決確定後、「死刑になりたくて事件を起こした」「早く死刑を執行しろ」と騒ぎ立て、法務大臣にも文書で申し立てていた。はたして死刑になりたいからと前代未聞の大事件を起こした男の希望どおりに、早期の死刑執行をしていいものなのか。法務省も大いに困惑したに違いない。

5度目の結婚を獄中で果たした宅間の心情の変化

宅間は獄中から手紙と面会で交流をはじめた女性と結婚した。手も触れられない、入籍だけの獄中結婚である。宅間と親しく言葉を交わしていた第4舎を担当する処遇係長は、宅間がこの5度目の結婚に幸せを感じているのでは、と思っていた。

過去4度の結婚については、憎々しげに相手方のことを語り、「俺は女どもに不幸のどん底に突き落とされた。世間が俺のことを忘れないうちに死刑にしてくれ」と語っていた宅間だったが、ある時、冗談とも受け取れる口調で、「刑務所は俺たちの希望をきかないよな。いつもその逆のことをするのだから。懲らしめることが、あんたらの仕事だろ?」と吐き捨てた。

意味不明の質問だったが、処遇係長は何となく死刑執行時期に関する事だろうと察知し、
「それは俺にはわからないが、結婚できてよかったな。優しくていい嫁さんだろ?」
と返答すると、宅間は照れるように微笑んだのだ。

処遇係長は、その何とも言えない表情に、妻を愛することで幸せな気持ちになっているのだろうと感じた。しばらく観察を続け、宅間の心情の変化に確信を持った係長は、次のとおり所長に報告した。

検察が宅間の死刑執行を急いだ理由

「宅間は自分本位ですが、犯した罪と控訴を自ら取り下げたことを悔いていると感じました。死にたくないと思っているのです。自分を取り巻く社会や女性に対する恨みつらみで生きてきた男が、今回の結婚によって人生を閉じたくないと念じています。

ああいう性格ですから、いつまで今の妻に対する感謝の気持ちが続くか分かりませんが、今は幸せの絶頂にいるものと思います。『早く刑の執行をしろ』と騒いでいる間は、死刑を執行されない。死刑になりたいと事件を起こし、そのとおり死刑判決を受けた自分を、国は希望通り早々に殺すわけがないと思っているようです」

この報告が法務省に届いた後、急遽、宅間の死刑執行が検討された。こう書くと、「そのような可変的な感情で安易に人の命が権力によって奪われてしまうのか」と多くの人が驚くかもしれないが、事実、宅間の死刑は確定から一年後という異例の早さで執行された。

検察は事件の記憶が鮮明なうちの、早期の死刑執行こそが世間を納得させると考えているが、実際のところ、これまでの事例では死刑確定から執行までには10年前後かかっている。その原因は、死刑囚の多くが再審請求をしているからであり、また、執行は判決確定順と言った暗黙の秩序に縛られているからである。

この事件で検察が宅間の死刑を急いだのには二つの理由があったと考えられる。ひとつは宅間に対する懲罰的な意味合い。もうひとつは早期執行の前例実績を作ることで、執行順序を撤廃することだ。

日本犯罪史上まれに見る無差別大量殺人事件であれば、世論の大きな後押しも期待できる。まさに一石二鳥と言えた。

死刑執行

2004年9月14日。死刑執行当日の午前8時過ぎ、警備隊員5名が宅間を連れに独房に向かった。宅間は死刑が執行されることをまだ知らない。所長以下の幹部は皆、宅間が「そう簡単には自分を連行も執行もできないだろう」と考えていると確信していた。そのため職員を通路等に増配置し、暴れた場合の制圧訓練も行っていた。

「宅間、出房(しゅつぼう)だ」

宅間は何事かと怪訝な表情をしたが、房から出ると直ぐに職員に取り囲まれたので事態を飲み込んだのだろう。「ウッ!」と声をあげたが、抵抗はしなかった。エレベーターで一階に降りてから中央通路を通って死刑場に向かう。ふらふらと体勢をくずしながら歩き、何度か立ち止まったが、最後まで自力で死刑場入り口にたどり着き、階段を上った。

教誨室には所長、処遇部長、教育部長らが到着を待っていた。
所長が死刑執行の言い渡しをする。宅間は小さく顎を引いた。さらに所長は、
「言い残すことはないか?」と訊く。顔面蒼白な宅間は、握った拳を震わせながらも落ち着いて答えた。

「妻に『お世話になりました。ありがとう』と伝えてください」

所長は「それだけか?」とさらに問いかけたが、宅間は無言で小さくうなずいた。被害者や遺族への謝罪の言葉はついに出なかった。

所長は階下に移り、検事と検察事務官と共に所定の位置に置かれた椅子に座った。およそ半世紀前までは死刑執行直前、所長の判断で最後に煙草を吸わせ、菓子や飲み物を与えたこともあったというが、これらは過去の話である。

法廷では傍聴席の遺族に罵声を浴びせ、法廷を大混乱させた宅間だったが、一切抵抗することもなく静かに逝った。首にロープを掛けた警備係長に語った最期の言葉は、「嫁にありがとうと必ず伝えてください」だった。

刑死が確認されてから、大阪拘置所は死刑が執行されたことを妻に伝えた。妻は遺体での引き取りを希望した。

遺体は警備隊員の手で清拭され、遺体安置室に運ばれた。当日午後、霊柩車をチャーターして遺体の引き取りにきた妻に宅間の最後の言葉を伝え、遺品を手渡した。

霊柩車は職員に誘導され裏門から構内に入り、総務部長ら幹部が妻に同行して遺体安置室に案内した。本人確認のために棺の蓋が開けられ、妻はこの時はじめて、宅間に触れ、冷たくなった頬に両手を置いた。

妻は宅間が自分の犯した罪を悔い改めたのか、それを気にしていたのだろう。所内での様子をいくつか質問しながら、用意されていた生花を幹部職員と共に棺に納めた。刑務官は全員敬礼し、霊柩車を見送った。

「死にたい」男の願望を、刑罰が叶えた

死刑が確定したのならば、「極悪非道な殺人犯を悔い改めさせてから死刑台に送ることが、殺害された被害者へのせめてもの鎮魂である」と多くの刑務官は思っているが、宅間の妻となった女性もそうであった。

あまりにも悲惨な事件に心痛めた女性は、宅間に悔い改めさせようと面会と手紙のやり取りを繰り返した。そもそも女性が宅間の妻になることを選んだのは、死刑判決確定後は戸籍上の親族関係がないと文通、面会、差し入れが一切できなくなるからだった。

家族や周囲の反対を押し切って死刑囚の妻となった女性の思いは、確かに宅間に伝わったのではないか。それだけに私は宅間の死刑執行を知って複雑な気持ちになった。

宅間の内心の変化はさておき、死刑執行の事実だけを見れば、確定から一年後という異例の早期執行である。「死にたい」という男の願望を、結果的に刑罰によって叶えたのだから、似たような無差別殺傷事件や通り魔事件が再発するのではないか、と私はこの時、危惧した。

担当刑務官によれば宅間は、女性との愛によって悔い改めたようであった。その改心に応えるように無期懲役にして、長く仕事をさせて遺族への賠償金を稼がせることは可能だったはずだ。少しだけ法律を変えて、重警備の刑務所を一つ作って運用すればいい。

「塀の中で生き続けることは本当につらいです」

今や終身刑と化した無期懲役刑に服す囚人から私が直接聞いた言葉であるが、生きて罪を贖いたいという死刑囚には、それこそが更生の環境になりうるのではないか。

写真/共同通信社 Getty images PIXTA

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