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政治家は酒豪であるべきか、下戸であるべきか…岸田首相の酒豪伝説が国民に響かない理由

集英社オンライン / 2023年11月17日 11時1分

今の若者にはおそらく響かないであろう、おじさんたちのかつての「酒豪伝説」。岸田首相も酒飲みアピールをしていた時代があったという。だが、酒を飲まないからといって名君であるという訳でもないようだ。政治家と酒にまつわる多数のエピソードが収録された『政治家の酒癖』より、岸田首相の酒飲み話を一部抜粋、再構成してお届けする。

なぜ、岸田首相の「酒豪」がアピールされたのか

低支持率にあえぐ岸田文雄内閣。安倍晋三元首相が銃弾に倒れ、旧統一教会問題が噴出し、対応に追われている。「岸田は頼りない」「やっぱ菅さんのままで良かったよな」。そんな声すら聞こえてこないほど国民も諦めモードだ。

1年半ほど前は違った。

「祖父と父も衆議院議員の政治家一家」「リベラルの牙城「宏池会」の領袖」「(超進学校)開成高校の出身」「大のカープファン」、そして「政界随一の「酒豪」」。



2021年9月29日午後に自民党総裁に選出されると、その直後からメディアでは岸田氏の人となりが紹介された。特に岸田氏の酒豪ぶりを示すエピソードは豊富で、いくつもの具体的な逸話が掲載された。

・銀行員時代の後輩と一緒に飲みに行った際に後輩が他人に絡まれると、静かな低い声の広島弁で「許してやってくれんかのう」と助け舟を出してくれ、難を逃れた。

・30、40代は年に1回は記憶がなくなるまで飲み、一緒に飲んでいた人に電話をかけ、どこまで一緒だったかたどり、記憶を繫げた。

・若手政治家時代に台湾の政治家との飲み会で乾杯攻勢にあい、酒に弱い日本側の同席者の杯を一手に引き受けた。

・安倍元首相が新人候補の頃は選挙区が隣県のため、応援に訪れては酒が飲めない安倍氏に代わりビールをガブ飲みした。

・外相時代には、ロシアの酒豪で知られるラブロフ外相とウォッカの杯をどんどんあけた。

マイルドでおとなしそうな新総裁が実は豪快に酒を飲み、男気にあふれる意外な一面を押し出す広報戦略なのかもしれない。だが、こんなに酒飲みキャラで押す必要があるのだろうかという疑問を抱く人も少なくなかったはずだ。

そもそも今の若い人は酒を飲めても豪快と思わない。豪快に体に悪い行為をしているとしか思わない。若い有権者は投票に行かないので、中高年に向けたイメージ戦略だったのかもしれない。だが、老若男女を問わず「男気あふれているならシラフで発揮してくれよ」と考えるだろう。それにもかかわらず、どこ吹く風の「酒豪」押し。それほどまでに政治と酒は切り離せないともいえる。

会食、特に酒は人と人の潤滑油にもなるし、摩擦にもなる。為政者たちはそのことを知りつくしているからこそ、自身が酒を飲まなくても酒を人に勧め、会食の場を大切にしてきた。

源頼朝やロシアのピョートル大帝は酒を飲ませ、部下の本心をさぐり、中国の周恩来は乾杯を重ねながらも口に含んだ酒をナプキンに出し、相手にひたすら飲ませた。田中角栄は1時間おきに宴席を梯子し、人心掌握に努めた。

酒は使い方によっては便利だが、時に危険だ。自身が飲み過ぎれば、当然、自らの立場を危うくする。

明治の元勲のひとりである黒田清隆は酒乱のあまり、妻を斬り殺した疑惑をかけられた。ロシアのエリツィン大統領は他国の大統領のはげ頭をスプーンで叩いたり、泥酔して会談をすっぽかしたりした。

ただ、難しいのは、酒に飲まれるリスクを恐れて、酒を飲まなければいいということではないことだ。確かに、トルコ建国の父であるムスタファ・ケマル・アタテュルクが酒を飲み過ぎて早死にしなければヨーロッパの歴史は変わったかもしれない。

だが、英国のウィンストン・チャーチルが朝から晩までウイスキーを飲めなかったら、ストレスで第2次世界大戦の行方が変わったといっても英国人は笑わないだろう。そして、2023年の今、酒を飲まないからといって人間は合理的な判断を下すとは限らないことは、ロシアのウラジミール・プーチン氏が証明してくれた。

立身出世のためには酒や会食をうまく使うのは欠かせないが、酒を飲むか飲まないかに正解はない。時代や置かれている立場で変わる。米国の大統領は21世紀に入って以降、過半が禁酒派だが、米国の世界での存在感は高まっても低下してもいない。

今、当たり前だと思われていることがかつては決して当たり前でなかったし、今、当たり前なことが正しいとは限らない。もちろん、今後どうなるかはわからないが、未来は過去からしか学べない。

歴史を支えた者たちがいかに酒と向き合ってきたか。そして、酒癖が悪い為政者は実務にどのような影響を与えたのか、それとも実はほとんど影響がなかったのか。そこにはアフターコロナでの人付き合い、酒付き合いのヒントも転がっているはずだ。

黒田清隆、伊藤博文――妻を酔って斬り殺す?
鹿鳴館で強制わいせつ?

20世紀末までは、都内のターミナル駅には昼夜を問わず、カップ酒片手にふらふらしながら怪しい目つきをしたオジサンがいた。通りすがる人々に「てめえ、なにしてんだよ、バカヤロー」などと絡んだり、奇声を発したりしていた。叫んでいたり、怒ったりしている方向には誰もいないだけに恐怖を感じたが、彼らのような種族は一体どこにいってしまったのだろうか。

「酒を飲まなければいい人」は昔から無数に存在する。確かに、酒を極度に飲んでいる状態とは脳が麻痺した状態なので、「いい人」でなくなってもおかしくない。社会規範を守ろうという意思が人によってはぶっ飛ぶ。暴言を吐いたり、暴力を振るったりするのも脳がまともに機能しないから防ぎようがない。

だから、酒乱の政治家にマトモであることを求めてはいけない。彼らは病気なのだ。「そもそも、政治家の大半はマトモでないし、酒を飲もうが飲むまいが関係ない」という考えもあるかもしれない。しかし、酒を飲んだ勢いで妻を斬り殺した疑惑をかけられた政治家は、近代以降では黒田清隆しかいないだろう。

黒田は、1840年に薩摩藩の最下級武士の家に生まれる。戊辰戦争では鳥羽伏見から五稜郭まで転戦している。陸軍中将、参議、北海道開拓長官を歴任し、西南戦争では征討参軍として、戦功を立てる。西郷隆盛、大久保利通の死で薩摩派の頭領になり、1888年に伊藤博文の後を受け、2代目の内閣総理大臣に就任した。

黒田は刀が趣味で、酒を飲みながら刀を抜くなど少しばかりクレイジーなところがあった。だが、時代が時代だ。少し前まで、戦場どころか、いきなり路上で見知らぬ相手に斬りかかっていたわけだから、刀を抜くぐらい大した問題ではない。

さて、肝心の妻殺しだが証拠はない。恐ろしいのは、それにもかかわらず、「黒田は妻を殺した」とほぼ事実として言い伝えられていることである。

1878年3月の夜、泥酔して帰宅した黒田は、出迎えが遅いと腹を立て、妻・せいを斬殺したと伝えられる。せいは旧幕臣旗本の娘で23歳だった。

当時38歳の黒田は新政府最高位の参議の1人。黒田による惨殺疑惑を、新聞「団々珍聞」がスッパ抜いたことで世の中は騒然となる。辞任は免れぬ情勢だったが、時の最高実力者で同じ薩摩出身の大久保利通が、もみ消しに走る。

腹心の大警視の川路利良が自ら黒田夫人の墓を暴いて検視に当たる。川路は掘り起こした後に、辺りをにらみつけながら、「他殺の形跡なし」と報告して一件落着したという。川路がこの時、何を思ったかを伝えるものはないが、この頃から日本の政治に「忖度」の文化が垣間見えるのは気のせいだろうか。

文/栗下直也
写真/shutterstock

『政治家の酒癖』(平凡社刊)

栗下 直也

2023/3/17

968円

198ページ

ISBN:

978-4582860252

宴席をめぐって人心を掌握する田中角栄や酒を飲ませて部下の本心をさぐるピョートル大帝など、古くから、「酒」は人間関係を紡ぐ潤滑油とされ、時の為政者は、酒を勧める会食・宴席を重視した。
その一方で、飲み過ぎて周囲の信頼を損ねたエリツィンや酒をやめられずに命を落としたムスタファ・ケマルなど、酒によってその地位を危うくしたり失う者もいた。
歴史を動かしてきた政治家たちはいかに酒を飲んだのか。
古今東西の政治家と酒にまつわる、奇想天外なエピソードをユーモラスにつづる。

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