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二度目の夫との離婚と大借金…“金目のもの”をかき集めて出向いた渋谷の買い取りショップで一番高値がついたもの〈村山由佳の波乱万丈〉

集英社オンライン / 2023年11月19日 13時1分

デビュー作「天使の卵」がベストセラーとなり、南房総・鴨川でのゆたかな自給自足生活を経て、出奔そして離婚、東京での綱渡りの日々。型破りな軽井沢の家で新たな生活、3度目の結婚──。そんな村山由佳の大胆な生きざまと、作家としての30年を支えてきたものとは? 新刊エッセイ「記憶の歳時記」より一部を抜粋、再構成してお届けする。

モノの縁

残暑が去ってゆくと同時に、出版社から送られてくる女性誌の表紙がきっぱりと秋の装いに変わる。

柔らかなグレーやベージュ、こっくりとしたブラウン。カシミアやウールなどの質感は目にするとまだちょっと暑苦しくて、しかもこれを撮影していた頃はきっと夏の盛りだったのだろうと思うと、モデルや女優というのはやっぱりプロフェッショナルだと感心してしまう。



どの雑誌も、主張はだいたい似通っている。女性たるもの年齢を重ねるほどに、身にまとうあれこれに自分なりのこだわりを持つのが〈大人のおしゃれ〉というものであるらしい。

言わんとするところはわかるのだけれど、最近は正直、ちょっと面倒くさい。人生で何が苦手といって面倒くさいのがいちばん苦手な質なので、年々おしゃれから遠ざかるのはどうやら致し方ないことのようだ。

写真はイメージです

そう、最近とみに、身につけるものに頓着しなくなってきた。ふだん家にいる時はもとより、東京で人に会ったり取材を受けたりする時に着る服でさえ、昔ほどはこだわらない。素材は肌にチクチクしなければそれでいいし、締めつけが少なくて楽ちんならなおいい。欲を言えば、逞しい二の腕と、頼もしい肩幅と、ドスコイなお腹周りが目立たないに越したことはないのだけれども、そうした難点を覆い隠してくれる服というのは、値の張るブランドのメゾンなどよりもむしろ量販店や通販サイトに多い。極端な話、ユニクロとしまむらとフェリシモがあればだいたい生きていける。

靴だってそうだ。凶器のように尖ったヒールで街をがんがん闊歩していた時分はともかく、田舎へ引っ込んでからは運転と散歩に便利なぺったんこの靴しか履かなくなった。夏はサンダル、春秋はスニーカー、冬は防寒ブーツ、どれもABCマートで充分に事足りる。

あるいはまた、バッグ。一流ブランドの革製のかばんはもちろん美しいけれど、たいがい重い。重いものを肩にかければ首が凝るし、ぶらさげれば商売道具の手指に負担がかかるから、今やぺらぺらの大きな布製トート一つでどこへでも出かけるようになってしまった。買ったものをどんどん放り込めるのでエコバッグにももってこいだ。

そして装身具。かつてはアクセサリーやジュエリーが大好きだった。着ているものがたとえ白Tシャツとデニムでも、質の高いジュエリーと時計さえ身につけていれば安っぽい女にはならずに済む、そう思って吟味し、けっこういろいろと持っていた。特に腕時計は、私にとっては最愛のアイテムだった。

でも今は、ほとんど手もとに残っていない。

なぜって、あれもこれも売り払ったからだ。

ふくれあがった借金と買取ショップ

二度目の夫と離婚をしたのが夏のさなかで、これでもう大丈夫、ようやくバケツの穴がふさがった、と安堵したのもつかの間、秋口になって実際の負債額が判明した時のショックはちょっと忘れられない。借金はいつの間にやら、私の想像なんかはるかに超えてふくれあがっていた。

しかもその多くは、無担保で借りられるかわりに利子がべらぼうに高いローンだった。毎月毎月休みなく働いて必死に返しても、元金がまったく減っていかない。年に何度か税金がまとまって引き落とされる月などは青息吐息で、通帳をにらみながら付き合いのある各出版社に頭を下げまくり、原稿料や印税を前借りするなどしてどうにか凌いだ。年末、お財布の中身と銀行口座の残高を合わせた全財産が数万円を切った時には、立ち上がるどころか息を吸う気力もなかった。

写真はイメージです

クローゼットの引き出しを開け、いわゆる〈金目のもの〉をかき集めたのは、離婚から一年ほどが過ぎた秋の初めのことだ。ブランド物のバッグや靴や服などの多くはシーズンが過ぎればほとんど値がつかないけれど、貴金属は別だ。かつて取材で海外を訪ねるたび空港の免税店などで少しずつ買い求めた時計やジュエリー……思い出を辿ったりすると手放しにくくなるから、もう出来るだけ見ないようにしてあれもこれも紙袋に詰め、買取ショップに持ち込んだ。

街のショーウィンドウは一足先に色づいていた。おしゃれのいちばん愉しい季節だというのに、新しい秋服なんかには目も向かなかった。返済と日々の光熱費だけで手一杯で、とにかく破産しないための綱渡りに必死だったのだ。

渋谷の裏通り、狭苦しいエレベーターに乗り込んでビルの五階へ上がった。衝立で仕切られたブースに入ると、白い布手袋をはめたスタッフがこちらの差し出した品物を一つひとつ値踏みしてくれる。

いちばん高値がついたもの

生々しい話だけれど、いちばん高値がついたのは私の生まれ年に作られたロレックスの腕時計だった。それ以外では、『ダブル・ファンタジー』の取材先・香港で買ったゴールドのアクセサリー。日本では18Kが一般的だけれど香港では純度の高い24Kが主流だから、デザイン的にはいまひとつでもその日の金の相場できっちり売れた。そのほか各ブランドの、たとえば恋人にネジを留めてもらうという謳い文句のバングルやら、革ベルトを二重巻きにする時計などはキズがあってもそこそこの値がついたのに対して、ノーブランドの一粒ダイヤは最上級の鑑定書がついていても二束三文だった。それもこれも、いい人生勉強にはなった。

写真はイメージです

ふだんから仕事の窓口と経理業務その他を一手に引き受けてくれている友人〈おとちゃん〉は、

「由佳さんにそんなことまでさせて……」

と悲痛な面持ちでいたけれど、私はなぜかさっぱりとした気分だった。事情が事情だけにもっと惨めになるかと思っていたのに、そんなことはまったくなかった。

きっと、手放したものたちは皆それぞれ、私のもとでの役割を終えたのだ。縁あって私のところに来て、人生の一時期をともに過ごしてくれたけれども、今はもっと切実に必要なものと引き換えに私の手を離れ、綺麗に磨かれた上で、それを欲しいという誰かのもとへゆく。

そう思ったら執着はなかった。いっそ不思議なくらい、惜しいとも悲しいとも惨めだとも感じなかった。

装うのが面倒くさくなったのではなく

毎年、夏の名残の陽射しにひんやり冷たい風が混じり始めると、あの狭いエレベーターにこもっていた生温い空気と、せわしなく動く白い手袋を思い出す。あれから五年ばかりが過ぎ、最近はようやく、通帳残高を眺めても心が千々に乱れるといったことがなくなった。

そうなるまで途切れずに仕事を頂けたのはありがたい限りだし、我ながらけっこう頑張ったほうじゃないかと思う。いや、よくぞここまで頑張った、と褒めてやっていいと思う。

いまも手もとに残る貴金属のうち、換金できる類いのものは数えるほどしかない。あのぎりぎりの瀬戸際でさえどうしても手放せなかった時計が三つと、それに指環とネックレスが一つずつ。それぞれ、作家になって初めての本の印税で買ったものだったり、特別な旅の思い出と結びついていたり、とある節目の記念に贈られたものだったり、大切なひとから受け継いだものだったり……。

それ以外に新しい指環や時計を手に入れたいと、全然思わなくなった。女性誌に素敵な広告が載っていても、昔のようには物欲が発動しない。

写真はイメージです

けれどそれは、装うのが〈面倒くさい〉からではないのだ。自分を底上げしてくれる持ちものを吟味し、そのつどアップデートしてゆくのも大人の女の醍醐味ではあろうけれども、縁あって手もとに留まったものをひたすら大切に慈しむことも、人生を深く味わう術のひとつなのじゃないか。

今ではそんなふうに思うようになった。

文/村山由佳 写真/shutterstock

記憶の歳時記

著者:村山 由佳

2023年10月26日発売

1,980円(税込)

四六判/244ページ

ISBN:

978-4-8342-5377-1

村山由佳デビュー30年 記念碑的エッセイ
12の季節をめぐる記憶に引き出され、初めて明かすほんとうの想い。

【内容】
想い出をひもとくと、人生の味わいはぐっと深まる。
デビュー作『天使の卵』がベストセラーとなり、南房総・鴨川でのゆたかな自給自足生活。出奔そして離婚、東京での綱渡りの日々。常識はずれな軽井沢の家で新たな生活、3度目の結婚──。そんな村山由佳の大胆な生きざまと、作家としての30年を支えてきたものとは? 季節・猫・モノをキーワードにひもとく、極彩色の記憶たち。人気作家になって抱えた葛藤、編集者との関係、20年隠してきたある猫の秘密、過去の恋愛の数々など、初めて明かすエピソードも満載。
年若いあなたの肩を「案外、大丈夫よ」とやさしくたたき、人生後半戦のあなたに「この先が楽しみ」と思わせてくれる、滋味あふれるエッセイ集。

・特別書き下ろし掌編小説16ページ収録!
・軽井沢暮らしや愛猫たちの写真も満載!
・貴重な著者直筆コメント多数収録!

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