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3万円のダイバーズウォッチ、ロレックス、BABY-G、セイコー。作家・村山由佳を通り過ぎた男たちと時計の思い出

集英社オンライン / 2023年11月21日 12時1分

季節・猫・モノをキーワードにひもとく、極彩色の記憶たち。人気作家になって抱えた葛藤、編集者との関係、20年隠してきたある猫の秘密、過去の恋愛の数々など、作家・村山由佳が初めて明かすエピソードも満載。新刊エッセイ「記憶の歳時記」より一部を抜粋、再構成してお届けする。

最初の夫、二番目の夫と時計

ひとの価値観というものは、小さな持ち物ひとつにも滲み出る。

私はなぜだかとくに腕時計に思い入れがあって大切にもしているのだけれど、世の中にはそうでない人ももちろんいる。

最初の夫は倹約家だった。結婚して初めてのクリスマスに、何か思い出に残るものをと張りきった私が、自分のそれまでの貯金から捻出して三万円のダイバーズウォッチを贈ったところ、彼は箱を開けるなり暗い顔をして言った。



「なんでこういう無駄遣いをするかな」

時計なら一つ持っているし、黒い文字盤もあまり好みではないと言われ、結局それは翌日、買った店へ持っていって返品することとなった。

当時はとてつもなく悲しかった。物書きになってからもしばらくの間は、数百円のグラス一つ、タオル一枚新調しても、「コップならある」「タオルはまだ充分使える」と叱られる日々だった。

とはいえ、おかげで私は、浪費家だった母からは学べなかった経済観念というものを少しは身につけられたように思うし、彼のほうも少しずつ、時々は愉しみのためにお金を遣うことを覚えていった。何より、かつての房総鴨川での農場暮らしは、彼が金銭面においてしっかりしていたからこそ成り立っていたのは間違いない。

二番目の夫は、最初のうちはそれほど自堕落ではなかったはずなのだけれど、一緒に暮らすようになってからみるみる歯止めを無くしていった。私の悪い癖なのだ。自分に自信がないばかりに、付き合う男性には身の丈を越えて貢ぎ、見たくないことから目をそむけ、結果として相手を駄目にしてしまう。

写真はイメージです

付き合い始めた頃の彼は、腕時計なんて邪魔なだけだ、いま何時か知りたければ携帯を見ると言っていた。それがあっという間にブランドにこだわるようになり、通っているバーの常連客と持ち物で張り合うようになり、数年経っていざ離婚する段になると、こちらの贈った幾つかの腕時計を前にモソモソと呟いた。

「こういうのは、持っていくかどうか迷うんだよね。換金できるものだけに」

世の中にはそんな判断基準があるのかと、ぽかんとしてしまったのを覚えている。

そしてこれも私の悪い癖で、土壇場になるとつい見栄を張ってしまうのだった。

「贈った以上はあなたのものなんだから持っていけば?」

正直に言うと、後から何度も思い出しては歯ぎしりをした。ロレックスやブライトリングやパネライ。よけいなプライドなんか発動させず、「全部そこに置いていけ」と言えばよかった。そうすれば、いの一番に「換金」できたものを。

時々そんな具合に、見栄や意地があだになる。

でも、その二つの持ち合わせがなかったなら、あのどうしようもなくしんどい日々を乗り越えることもできなかったのだ。彼の置き土産みたいな負の遺産によっていよいよ疲れ果て、もういっそのこと全部終わらせてしまったら楽かも……などと夢想しかけた時だって、危ういところでこちら側に踏みとどまることができたのは、反動のようにこみ上げてくる見栄と意地とそして、ずっとそばにいてくれたもみじのおかげだった。

ケニアでの忘れられない思い出

時計といえば、忘れられない思い出がある。一九九四年の九月、ケニアを旅した時のことだ。

子どもの頃から「野生の王国」や「野生のエルザ」といったテレビ番組が大好きだった私は、デビュー後三作目となる小説の舞台に長年の憧れであるサバンナを選んだ。生まれて初めて三六十度の地平線をまのあたりにした時は、そのあまりの巨きさに五感が追いつかず、ただぼろぼろと涙を流すしかなかった。

写真はイメージです

観光ツアーではなく個人手配の旅だったので、日程やコースは完全にこちらの希望通りだった。桃色のフラミンゴが太陽を覆い隠して乱れ飛ぶナクル湖、雄大なキリマンジャロを背景に象やキリンの群れがそぞろ歩くアンボセリ、タンザニアと国境を接して広がる野生動物の宝庫マサイマラ……幾つもの国立公園や保護区の間を連日三百キロ以上も移動する旅の間、ずっと四駆のワゴン車を運転してくれたのはケニア人のドライバー、ロレンスさんだった。

私よりいくらか年上の三十三歳、お互いカタコトの英語しか意思疎通の手段がなかったぶん、かえって選ぶ単語も構文もシンプルの極みとなり、おかげでずいぶん話が弾んだ。奥さんやまだ小さい息子の話をたくさん聞かせてもらったし、私も自分のことや仕事のことを話した。その間じゅうカーステレオからはロレンスさんお気に入りのレゲエ歌手の歌がエンドレスで流れていて、「これは彼が獄中から幼い息子のことを想って歌った曲なんだよ」などと教えてもらったりした。

ある日、昼食のついでにマサイの村に立ち寄ったところ、漆黒の肌に赤い布を巻きつけた村人たちが、素朴な土産物を手にわらわらわらと集まってきた。木彫りの動物の置物やビーズの装身具ばかりか、長い槍や大きな楯まで押しつけてよこす。私が「ノー・マネー、ノー・マネー」と断ると憐れむような顔をして、だったらそっちの持ってる何かと交換しようと身ぶり手ぶりで迫ってくる。

と、中でもひときわ背の高い青年が、私の目の前に象牙色のくさび形のネックレスを差し出した。何?と訊いたら、ライオンの牙だと言う。

水色のBABY-G

あかん。こういうのに弱い。違法でないかどうかロレンスさんに確かめた上で、私は青年と取引することにした。ネックレスとオマケの槍と楯を、何と取り替えるか。お金はないと言い張った手前、今さら財布を取り出すわけにもいかず、結局ポケットから出した一個千円の腕時計(こういうこともあろうかとあらかじめ日本から用意していったものの一つ)と交換した。相手はこちらがびっくりするほど狂喜乱舞していたけれど、私にとってはライオンの牙のほうが、値段なんかつけられないほど価値のあるものだったのだ。

写真はイメージです

が、車に戻った私が戦果について得々と話したとたん、ロレンスさんは頭を抱えてハンドルに突っ伏してしまった。これから先の人生でも、あれほど真に迫った「オーマイガッ」を聞くことはもうないかもしれない。

「こんな電気も水道もない村に住むマサイに、新品の腕時計をくれてやることはないじゃないか。何に使うんだ、待ち合わせか?」

今はどうだかわからないが、当時のあの国においては、ちゃんと動く腕時計を持っているというのは一種のステイタスシンボルだったのだ。首都ナイロビでも貴重品で、ロレンスさん自身がはめている腕時計も、なかなか家にいられないドライバーの仕事を続けた末にやっと手に入れたものだった。

「まあ、君がいいなら良かったけど」と、彼はため息まじりに言った。「俺もいつか、女房に腕時計を贈ってやりたいよ」

自分は何も知らないのだと思い知らされた出来事だった。この国におけるモノの価値ばかりでなく、私には人の心の何ひとつわかっていない……。地平線まで続く赤い大地の上に、胸が痛くなるほど澄みきった紺碧の空が広がっていて、赤道の真上でも九月の空はこんなに高いのかと思った。からりと乾いた風は日本の秋風と似て、けれど思いのほか冷たかった。

十日のあいだ朝から晩まで取材に付き合ってもらい、ようやくナイロビに戻ってきた別れ際、私はロレンスさんに、ほんのお礼の気持ち、と小さな包みを渡した。

「よかったら奥さんに。新品じゃなくて申し訳ないけど」

物々交換のために用意してきた時計ではなく、私個人の愛用していた水色のBABY-Gだった。前の晩に隅々まで洗って磨いたとはいえ、お古をあげるなんてと遠慮もあったのだけれど、包みを広げてそれを目にしたロレンスさんは、顔を上げたとたんに私をものすごい力で抱きしめたかと思うと、子どもを振りまわすようにぐるぐる回りながら快哉の雄叫びをあげた。身体を離した時には目にいっぱい涙を溜めていた。

「ユカ、知ってる?ここではだいたい六時に陽が昇って、六時に沈むんだ。女房にはこの十日間のことをたくさん話すよ。これからは、陽が昇って沈むたびに君のことを思い出す」そして彼は、「腕時計のお返しにはならないけど」とはにかみながら、旅の間じゅうずっと聴いていた例のカセットテープをくれた。

父の遺品の腕時計

今の私にとって、それこそ値段を付けられないほど大切な宝物はといえば、父の遺品の腕時計だ。

一九六九年に、世界で初めてクオーツ式腕時計を発売したのは日本のSEIKOで、当初は車が買えるくらい高価だったらしい。父のはさすがにそこまで古くないけれど、それでも手に入れてから四十年あまり経つだろうか。

私が時計好きなのを知っていた父は、晩年、会うたびわざとそれを見せびらかしてよこしては、

「まだ、やらん。俺が死んだらやる」

と言ってニヤニヤした。

「あっそ。ほな楽しみに待っとくわ」

などと憎まれ口を返していたら、思うより早くその時が来てしまい、だから今でも手首にはめるたび、

(そんなつもりやなかってんけどな)

と、寂しい言い訳をしてしまう。

写真はイメージです

最後に父自ら電池を替えたのは、亡くなる半年ほど前、実家のある南房総千倉で秋の祭礼が行われている最中だった。

老人特有の気の短さで、針が止まってしまった時計をどうしても今すぐ何とかしたかった父は、甥である背の君に運転手を命じ、町の時計屋さんを探した。たぶんあの店なら、と親切に道順を教えてくれたのは、祭りの法被を着てねじり鉢巻きをした青年だったそうだ。

町じゅうの電柱から電柱へ、桃色の提灯がずらりと連なっていた。家々の門には色とりどりの薄紙で作った花飾りが立てられ、風に乗って遠くから祭り囃子が聞こえていた。

たとえば腕時計のそもそもの役割は時間を報せることで、ただそれだけのためなら、なるほどスマホを見れば事は済む。

でも私たちは、液晶画面に表示されるあのそっけないデジタルな数字を偏愛することはないし、特別な思い入れを持つこともないだろう。

モノには、思い出が宿る。

やがては命も宿る気がする。

文/村山由佳 写真/shutterstock

記憶の歳時記

著者:村山 由佳

2023年10月26日発売

1,980円(税込)

四六判/244ページ

ISBN:

978-4-8342-5377-1

村山由佳デビュー30年 記念碑的エッセイ
12の季節をめぐる記憶に引き出され、初めて明かすほんとうの想い。

【内容】
想い出をひもとくと、人生の味わいはぐっと深まる。
デビュー作『天使の卵』がベストセラーとなり、南房総・鴨川でのゆたかな自給自足生活。出奔そして離婚、東京での綱渡りの日々。常識はずれな軽井沢の家で新たな生活、3度目の結婚──。そんな村山由佳の大胆な生きざまと、作家としての30年を支えてきたものとは? 季節・猫・モノをキーワードにひもとく、極彩色の記憶たち。人気作家になって抱えた葛藤、編集者との関係、20年隠してきたある猫の秘密、過去の恋愛の数々など、初めて明かすエピソードも満載。
年若いあなたの肩を「案外、大丈夫よ」とやさしくたたき、人生後半戦のあなたに「この先が楽しみ」と思わせてくれる、滋味あふれるエッセイ集。

・特別書き下ろし掌編小説16ページ収録!
・軽井沢暮らしや愛猫たちの写真も満載!
・貴重な著者直筆コメント多数収録!

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