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箱根駅伝で留学生がいるチームが優勝したのは過去3回のみ…俊足の留学生選手が優勝に絡むファクターにはなりづらい理由

集英社オンライン / 2023年12月28日 11時2分

留学生の外国人選手たちがトップで区間を走り抜ける、あるいはごぼう抜きの快走をするといった印象も強い陸上や駅伝競技。しかし昨今の駅伝においては留学生の位置付けが変化しているという。いったいどういうことなのか。『箱根駅伝に魅せられて』 (角川新書) より、一部抜粋、再構成してお届けする。

「ヴィンセント先輩超え」なるか、大学長距離界におけるすごい留学1年生

東京国際大のイェゴン・ヴィンセントの登場によって、大学長距離界における留学生の「次元」が変わってきたようだ。

ヴィンセントは2020年、1年生の時に箱根駅伝の3区で区間新記録をマークすると、翌年は2区で区間新。3年の時は不調もあって2区で区間5位となったが、23年に出場した最後の箱根では4区に登場し、またまた区間新記録を樹立した。これで2、3、4区と区間記録保持者にはヴィンセントの名前が並ぶことになってしまった。



東京国際大学は、ヴィンセントが卒業して苦しくなると思ったが、2023年春には、またまたすごい1年生が入学してきた。

ケニア出身のリチャード・エティーリは4月22日に10000mで27分06秒88の学生新記録を樹立すると、5月4日には5000mで13分00秒17のこれまた学生新記録をマークした。

いずれもヴィンセントの記録を上回っている。順調にいけば、5000mでは12分台をマークするだろうし、箱根駅伝でも「ヴィンセント先輩超え」が期待される。

しかし、実は箱根駅伝における留学生は優勝に絡むファクターにはなりづらい

こうなると、日本で生まれ育った選手にとっては勝負するのは厳しいと思わざるを得ないが、ヴィンセントが本調子でないと、日本の選手がタイムで上回ることも珍しくなかった。

その筆頭は田澤廉(駒大→トヨタ自動車)だったが、ヴィンセントほどの破壊力をもった選手がいたとしても、箱根駅伝では優勝につながらないところが面白いところだ。

もちろん、距離、人数ともに少ない出雲駅伝では留学生の威力は大きいものがあるが、チームの総合力が問われる箱根だと、そのインパクトも薄められる。

実は、留学生がいるチームが優勝したのは1992年、94年、95年の山梨学院大学しかなく、21世紀に入ってからもっとも優勝に近づいたのは、2021年に10区のゴール目前までリードを保っていた創価大学である。

つまりは、留学生は優勝に絡むファクターにはなりづらくなっており、全体を見渡してみると、基本的には予選会突破、あるいはシード権獲得のための位置づけになっている学校が多い。

優勝を狙う学校のエースほど、3区で勝負の理由

また、全国高校駅伝でも留学生をめぐる構図は変わりつつある。

各校のエースは「花の1区」と呼ばれる最初の区間に投入されるのが一般的だったが、最近は留学生区間である3区の8.1075㎞を走ることが多くなってきた。

2022年は吉岡大翔が区間2位(佐久長聖→順大)、工藤慎作(八千代松陰→早大)が区間5位と留学生と堂々たる勝負を繰り広げた。

遡れば、21年は世代ナンバーワンだった佐藤圭汰(洛南→駒大)が区間1位とは11秒差の区間4位と健闘を見せており、優勝を狙う学校のエースほど、3区で勝負しに来るようになった。大学生だけでなく、高校生レベルから日本人エリートのレベルアップが図られていることが分かる。

世界を目指す選手ならば(大学レベルでも1学年に1人か2人しかいないのが実情)、高校時代から身近にターゲットとなる留学生選手がいる方がいい。それは2008年に北京オリンピックに出場した竹澤健介が言っていた。

「山梨学院に『モグちゃん』がいたのが、僕にとってはありがたかったですね」

モグちゃんとはメクボ・モグスのことだ。

「高校時代からモグちゃんと競うことで、それが自然と世界と競うことになっていたんですよね。その意味では、良い環境を与えられていたんです」

竹澤のこの言葉は、私の報道観にも大きな影響を与えた。

高校バスケ界で起きてしまった留学生の年齢詐称問題

私は以前から日本の高校、大学スポーツにおける留学生の参加については、レギュレーションをしっかり設けるべきだと考えている。

たとえば、高校バスケでは留学生の年齢詐称問題で、優勝が取り消しになったケースがある。

インターハイで2004年に優勝し、05年にも3位に入った福岡第一高校には、当時、セネガル人の留学生がいた。ところがその留学生に年齢詐称があったとして、全国高体連はこの2年間の福岡第一の成績を抹消したのである。

なぜ、こんなことが起きたかというと、この留学生は1982年1月4日生まれだったが、名前を変えて別人になりすまし、86年10月4日生まれのパスポートを取得していた。2003年4月に福岡第一に入学した時は、既に21歳だったのだ──。

日本では考えられないことだが、出生届の制度が整っていない国では、こうしたことが起こり得る。これが罷り通っていては、スポーツの大前提であるフェアネス、公平性を担保できなくなってしまう。

スポーツにおけるボーダーレス化時代の留学生の在り方

箱根駅伝に関していえば、初優勝した際の山梨学院には2区にジョセフ・オツオリ、3区にケネディ・イセナと2人の留学生がいた。2位の日本大学との差は3分47秒。2人の存在はあまりに大きかった。

翌年からレギュレーションが変わり、レースに出場できる留学生は1人となった。

1993年の箱根では、山梨学院・ステファン・マヤカ、早稲田・渡辺康幸の2人の1年生が2区を走り、激闘を繰り広げた。櫛部、渡辺、花田、武井と未来の国際級のランナーをそろえた早稲田がいなければ、山梨学院は4連覇を達成していただろう。

早稲田の選手たちに「マヤカに対抗しなければならない」という思いがあったからこそ、その後の成長が促された面は否定できない。つまり、留学生の在り方が日本の競技力を上げた可能性はある。

ルール、レギュレーションの運用の仕方によって、試合、大会の価値、面白さは変わってくるが、それが強化に結びつくか否か、ということもレギュレーションを定めるにあたって、大きなファクターとなる。

21世紀は、スポーツにおけるボーダーレス化が進んでいる時代でもある。

他の競技に目を移してみると、ラグビー日本代表に対して「代表とはいっても外国人ばかりじゃないか」という声があったのも事実だ。

しかし、2015年にリーチマイケル主将のもと、ワールドカップで南アフリカを破り、そして19年の日本大会で8強に進出したことで、様々な国の選手が日本代表のジャージを着ることに違和感を覚える人が少なくなったのは事実だろう。

それと同様、陸上界で生まれた日本とアフリカのつながりは、いまはポジティブな方向へ進ませることが大切だ。

東京国際大のスーパーなエティーリの存在が、駒大の佐藤、中大の吉居駿恭、順大の吉岡らにどんな影響を与えていくのか、観察をしていきたいと思う。


文/生島 淳 写真/Shutterstock

『箱根駅伝に魅せられて』 (角川新書)

生島 淳 (著)

2023/10/10

¥990

240ページ

ISBN:

978-4040824673

箱根駅伝100回大会。歴史と展望を存分に味わう一冊

正月の風物詩・箱根駅伝では、100年の歴史の中で数々の名勝負が繰り広げられ、瀬古利彦(早稲田大)、渡辺康幸(同)、柏原竜二(東洋大)らスター選手、澤木啓祐(順天堂大)、大八木弘明(駒澤大)、原晋(青学大)ら名監督が生まれてきた。
今やテレビ中継の世帯視聴率が30%前後を誇る国民的行事となっている。
なぜここまで惹きつけられるのか――。45年以上追い続けてきた著者・生島淳がその魅力を丹念に紐解く「読む箱根駅伝」。

100回大会を境に「中央大・順天堂大の時代」が来る――!?

99回大会で「史上最高の2区」と称された吉居大和(中央大)、田澤廉(駒澤大)、近藤幸太郎(青学大)の激闘の裏には、名将・原晋が思い描いた幻の秘策が隠されていた――。

入学時からマインドセットが違った絶対的エース。
柏原竜二(東洋大)「勝負は1年生から」
大迫傑(早稲田大)「駅伝には興味はありません」

渡辺康幸(早稲田大)VSマヤカ(山梨学院大)
竹澤健介(早稲田大)VSモグス(山梨学院大)
田澤廉(駒澤大)VSヴィンセント(東京国際大)
留学生の存在がもたらした「箱根から世界へ」

箱根史を彩る名選手、名監督、名勝負のエピソードが満載。

【目次】
はじめに
第1章 箱根を彩る名将たち
第2章 取材の現場から1
第3章 取材の現場から2
第4章 駅伝紀行
第5章 目の上のたんこぶ
第6章 メディア
第7章 箱根駅伝に魅せられて
おわりに

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