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マイケル・ジャクソンがムーンウォーク初披露の夜に犯した致命的なミス「ねえ、一体誰があんなダンスを教えてくれたの?」とたずねる少年にマイケルは…

集英社オンライン / 2023年11月30日 11時1分

誰もが“The King of Pop”として認めるマイケル・ジャクソン。常に完璧を求めるマイケルが初めてムーンウォークを披露した後、大喝采が送られている中、実は内心では心残りがあったという…いったい何があったのか。1982年11月30日、伝説のアルバム『スリラー』がリリースされたこの記念すべき日に紹介する。

「自分はミュージシャンであってエンターテイナーではない」

マイケル・ジャクソンのもとに、モータウン・レコードから「創立25周年番組に出演してほしい」というオファーが来たのは1983年上旬のことだった。

モータウンは、マイケルが11歳のときにジャクソン5の1人としてメジャー・デビューを果たして以来、エピックに移籍するまで10年以上に渡って支え続けてくれたレコード会社だ。



しかし、マイケルは短時間で一気に仕上げなければならないというテレビの制作現場では、「自分の納得できる完璧な仕事ができない」「自分はミュージシャンであってエンターテイナーではない」という理由からテレビ出演のオファーは断り続けていた。

モータウンには恩義を感じながらも、やはりテレビには出たくないという理由で、モータウンからのオファーも断っていた。

だが、熱心な説得に押されたマイケルは、条件を一つ出すことにした。

わかりました。だけど、出演するなら、『ビリー・ジーン』を演らせてください。

移籍先のエピック・レコードから1982年11月30日にリリースされたアルバム『スリラー』からの第2弾シングル『ビリー・ジーン』は、すでに全米チャート1位の大ヒットとなっていたが、マイケルはこの曲の更なる成功を求めていた。

『Michael Jackson - Billie Jean (Official Video)』。The Official YouTube Channel of The King of Pop - Michael Jacksonより

とはいえ、この曲をやれば、モータウンの式典の中で1曲だけ、モータウンではない曲が流れることになってしまう。

「それでも大丈夫なのか」とマイケルは気にかけたが、「とにかく君に出てほしいんだ」という返事を受けて、遂にマイケルは番組への出演を承諾した。

ムーンウォークに続いてスピンした後に犯した致命的ミス

モータウン25周年コンサートの収録は、1983年3月25日にカリフォルニア州のパサデナ・シビック・オーディトリアムで行われた。

そのステージでマイケルはジャクソン5のメンバーと共に、モータウン時代のヒット曲メドレーを歌って25周年に華を添える。そしてソロの『ビリー・ジーン』で公の場では初となる“ムーンウォーク”を披露した。

曲が終わってスタンディング・オベーションの大喝采が送られたマイケルだが、内心では心残りがあった。

というのも、ムーンウォークに続いてスピンした後につま先だけで立って静止するはずが失敗してしまい、静止できなかったのだ。常に完璧を求めてきたマイケルにとって、それは致命的なミスに思えた。

家族やスタッフからの称賛に喜びを感じつつも、どこかで満足していなかったマイケルだったが、ステージ裏でタキシードを着た見知らぬ少年に話しかけられる。

ねえ、一体誰があんなダンスを教えてくれたの?

少年が自分のダンスに感動し、憧れと興味の眼差しを向けていることを感じたマイケルは、そこで初めて自分のパフォーマンスに心から満足したという。

それから1年後。1984年2月28日。

第26回グラミー賞において、マイケル・ジャクソンが最優秀レコードや最優秀アルバムなど8部門受賞という大記録を打ち立てた。

一人のアーティストが一つの作品で最優秀賞を多部門で独占するのはグラミー史上初のことだった。

パフォーマンスしなかったが、ファンへのサービスを決して忘れなかったマイケル

世界規模の大成功へと導いたのは、プロデューサーのクインシー・ジョーンズの功績も大きい。

音作りに関して先入観を持たずに、新たな試みに参加してくれるような外部プロデューサーと組みたかったのです。いい耳を持っていて、曲を選ぶのを助けてくれるような人を必要としていました。それがクインシーだったんです。

それまでのモータウンでレコーディングされていたマイケルのアルバムは、制作サイドが主導して作られたものだった。現場においてもマイケルは歌を歌うだけの存在だったが、クインシーと組んだ『オフ・ザ・ウォール』(1979年)から、マイケルのアイデアも盛り込まれることとなった。

『オフ・ザ・ウォール』(SonyMusic)のジャケット。世界で初めて、1枚のアルバムから4枚の全米TOP10シングルを送り込んだアルバムでもある

ポール・マッカートニーやエディ・ヴァン・ヘイレンなどの豪華ゲストを迎えたアルバム『スリラー』は、ビルボートの年間チャートで2年連続(1983〜84年)トップとなり、No.1ヒットの『ビリー・ジーン』『今夜はビート・イット』を含む7曲全てがトップ10ヒットを叩き出した。

MTV時代も追い風となり、大反響を生んだ『スリラー』の15分程度のミュージックビデオに使われた予算は、通常の10倍以上となる1億円を超えていたそうだ。

『Michael Jackson - Thriller (Official 4K Video)』。The Official YouTube Channel of The King of Pop - Michael Jacksonより

結果、『スリラー』は現在まで全米で3,400万枚、全世界で7,000万枚(1億枚以上の説もあり)という驚異的な売り上げを記録した。

『スリラー』(SonyMusic)は1982年11月30日の発売以来、ビルボード・アルバム・チャートに500週以上ランクインし、通算37週間にわたって1位を独走。累計1億枚以上のアルバム・セールスを記録している

グラミー賞の授賞式当日は、ノミネートされた話題のアーティストが次々に登場し、豪華アーティストのコラボレーション・ライブなど、ここでしか実現できないスペシャルなパフォーマンスが繰り広げられる。

しかしこの日、マイケルはパフォーマンスをしなかった。

壇上にジャネット、リビー、ラトーヤの三姉妹を呼び、家族全員に対する感謝の言葉を伝えた。客席では母親のキャサリンや兄のジャーメインも満面の笑みを浮かべていた。

ちなみにこの日、会場が最高に盛り上がったのは、マイケルがサングラスを外すシーンだった。

本当は外したくないのですが…親友のキャサリン・ヘップバーン(女優・当時77歳)が外すべきだと言うので。彼女と2階のファンのために外します。

マイケルはファンへのサービスを決して忘れなかった。

文/TAP the POP 写真/Shutterstock

引用元・参考文献
『ムーンウォーク マイケル・ジャクソン自伝』(マイケル・ジャクソン著・田中康夫訳/河出書房新社)

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