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50万席完売も3億円の借金が残ったピンク・フロイドの前代未聞のライブ…それでもロジャー・ウォーターズが築きたかった“壁”とは

集英社オンライン / 2023年11月30日 17時1分

1973年のアルバム『狂気』によって世界的な成功に到達したピンク・フロイド。続く『炎』(1975年)『アニマルズ』(1977年)、そして1979年11月30日に発売された『ザ・ウォール』(1979年)でさらに名声を高めた。彼らはビートルズやストーンズ、ツェッペリンとは異なるもう一つの「ロック史」を築き上げ、巨大な恒星のように鮮烈な輝きを放つ伝説となった。

「自分とオーディエンスとの間に“壁”を築きたい」

すべての始まりは、1977年7月6日に行われたピンク・フロイドのツアー『In the Flesh』の最終日でのことだった。

モントリオールに建てられたばかりのオリンピック・スタジアムでの公演中。興奮した一部の観客たちが爆竹を鳴らし、殴り合っていた。



半年間にも及ぶ長いツアーで神経過敏になっていたロジャー・ウォーターズにとって、それは許し難い行為以外の何物でもなかったのだ。さらにステージのそばにいた一人の男が叫び声を上げて騒ぎ始める。

我慢の限界に達したウォーターズはついにその男の前に向かいかがみ込むと、顔に唾を吐きかけてしまった。

ウォーターズは自分の行為を後悔すると同時に、こう思うようにもなった。

「自分とオーディエンスとの間に“壁”を築きたい」

キャプ:ロジャー・ウォーターズ。バンドのリーダーだったシド・バレットの脱退後、創作面の中心に実質的なリーダーとなったウォーターズ。写真/shutterstock

17億の借金、破産寸前のバンドメンバーたちはやるしかなかった…

『THE WALL』は、ピンク・フロイドというよりもロジャー・ウォーターズの作品だったかもしれない。

この物語は大きく二つのパートに分けられ、「ピンク」として知られるロックスターの主人公が自分の人生を回想するというもの。

最初のパートはウォーターズの幼少時代が反映され、溺愛する母親、弱い者いじめをする学校の教師、そして第二次世界大戦での父親の戦死などが扱われる。

物語の後半では、主人公ピンクは結婚生活の破綻と愛の喪失によってドラッグにより深く溺れるようになり、ホテルの一室でTVをただ眺める孤独な日々の中、やがてある狂気に蝕まれていく……。

これは実際にロックスターとなったウォーターズの実体験に、1967年のデビュー当時、バンドのフロントマンでありながらドラッグが原因でパラノイアに陥って去っていったシド・バレットの凋落にヒントを得たもの。さまざまなところにシド・バレットの亡霊が描写されている。

他のピンク・フロイドのメンバーたちは、「ロジャー・ウォーターズの心の叫び」ともいえるその内容と壮大な構想に困惑したものの、やるしかなかった。

バンドはイギリスの莫大な税金対策のために行った他人任せのベンチャー企業投資がほとんど失敗し、17億円近くもの大金を損失。破産寸前で早く次のアルバムを出して金を作らなければならなかったのだ。

「こんなゴミみたいなの一体誰が聴くんだ?」

ウォーターズはデモテープをすぐさま政治風刺漫画家ジェラルド・スカーフに聞かせて、キャラクターのイラストを依頼。

スカーフの描くグロテスクな画がウォーターズの歌詞に影響を与え、新しい歌詞がまた新しいイラストを生むということが繰り返されていった。

レコーディング中もロジャーと他のメンバーたちの確執は深まるばかりで、実際にリチャード・ライトは解雇された。

こうした混乱した状況の中、2枚組アルバム『THE WALL』が1979年11月30日にリリースされた。

出来上がった作品は、急降下する戦闘機の爆音から始まるロック・オペラ。レコード会社の重役たちは声を揃えてこう言ったそうだ。

「こんなゴミみたいなの一体誰が聴くんだ?」

『THE WALL』(SonyMusic)。ロジャー・ウォーターズが持っていた観客とのコミュニケーションギャップを元に、社会に存在し続ける様々な壁を描いた作品となっている

しかし、そんな反応をよそに11年ぶりにリリースしたシングル『Another Brick in the Wall (Part II)』がイギリスやアメリカなどでNo.1ヒットを記録。アルバムもすぐにプラチナディスクを獲得し、現在までにアメリカだけで2300万セット、世界で3000万セット以上を売り上げている。

『Pink Floyd - Another Brick In The Wall, Part Two (Official Music Video)』。Pink Floydより

ここで話は終わらない。

『THE WALL』が革新的だったのはコンセプト・アルバム制作だけでなく、ステージショウと映画から成立するメディアミックス・プロジェクトだったのだ。

レコードに続き、1980年2月からスタートしたロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドン、西ドイツを巡回した29回のステージショウも圧巻だった。

冒頭、ピンク・フロイドが登場して1曲目の『In The Flesh?』が終わると、戦闘機が客席の頭上からステージに墜落して火花を散らす。すると今度は後ろから別のピンク・フロイドが登場する。最初に登場したバンドは影武者だったのだ。

物語が進むにつれステージ上では400個の頑丈なダンボールで作られたレンガが積み上げられていく。こうして中盤ではバンドと観客の間に高さ12メートルもある“壁”が本当に築かれた。そしてクライマックスでは壁が崩壊するのだ。

この前代未聞のショウは50万席のチケットが完売し、各メディアから大絶賛されたにも関わらず、セットに費用がかかりすぎて赤字を出す羽目になった。このツアーでメンバーは3億円の借金を抱えたという。

ヒットとは縁遠かったが、レディオヘッドに多大な影響

さらに映画『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』も製作された。監督は同じイギリス人でウォーターズと同い年のアラン・パーカーを起用。

二人が作った脚本はわずか35ページ。パーカーはこう言った。

なぜ脚本なんかいるんだ? 音楽に語らせろ!

登場人物に一切セリフはなく、実写とアニメと音楽だけの95分。

主人公ピンク役にはロジャー・ウォーターズ本人というアイデアもあったらしいが、最終的にはブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフ(あのLIVE AIDの主催者)に決まった。

パンク世代のゲルドフにとって、スタジアム・バンドのピンク・フロイドは批判すべき対象だったのだが、一流のスタッフと仕事することのほうに未来を感じたのだろう。

演技の経験などなかったゲルドフは、次第にピンクになりきった。シド・バレットのエピソード(体毛を剃り落とすシーン)や独裁者のシーンの撮影では、その気になりすぎて恐れさえ抱いたという。

映画は1982年7月に公開。MTVがスタートしたばかりの80年代前半にはまだ早すぎたクオリティの高さもあって、当初は一般的に理解されずヒットとは縁遠かった。

しかし、ビデオ化されると多くの映像作家たちを刺激。特に英国バンド、例えばレディオヘッドなどは多大な影響を受けている。

映画『Pink Floyd The Wall: ウォール(DVD)』(SonyMusic)。ロックスターである主人公のたどる孤独と挫折の中の葛藤を強烈な音楽と幻想的な映像、さらにアニメーションを駆使して描かれた作品だ

ところでピンク・フロイドは『THE WALL』で解散すべきだったという声もある。

その後、メンバーは分裂(訴訟問題へと泥沼化)。ウォーターズ抜きの新生ピンク・フロイドは1987年にアルバムを発表し、興行収入記録を塗り替えることになるワールドツアーへ出た。

一方のウォーターズは「ロジャー・ウォーターズの心の叫びPart2」とでも言うべきピンク・フロイド名義の『ファイナル・カット』(1983年)を経て、ソロアルバム『ヒッチハイクの賛否両論』(1984年)や『RADIO K.A.O.S.』(1987年)をリリース。

1990年にはベルリンの壁崩壊を記念した『The Wall Live In Berlin』を開催。ゼロ年代になってソロツアーで『The Wall』の一部を披露したり、2010年代には大規模なツアー『The Wall Live』を実現させるなど、世界情勢と向き合うウォーターズの『THE WALL』へのこだわりは続いている。

文/中野充浩


*参考・引用/
『ザ・ウォール』DVD特典
『ピンク・フロイドの神秘』(マーク・ブレイク著・伊藤英嗣訳/P-Vine BOOKS)

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