ドラえもん声優・大山のぶ代がチンピラを前に見せた驚きの演技。アニメ化にさほど乗り気でなかった藤子・F・不二雄が思わずもらした言葉とは
集英社オンライン / 2023年12月9日 11時1分
26年間、テレビアニメ「ドラえもん」の声を担当した人気声優の大山のぶ代さん。2015年5月に大山さんの認知症を公表した夫・砂川啓介さんが語る、大山さんとの出会い、闘病、認知症介護の実情とは? 砂川啓介さんが伝えたい、大山のぶ代さんとの半生を『娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』(双葉社)より、一部抜粋、再構成してお届けする。
妻・大山のぶ代との馴れ初めは1963年
あの日ひらめいた僕の直感は、大当たりだった。
僕とカミさんが出会ったのは、1963年。オリンピックを翌年に控えた東京の街。
どこもかしこも工事の音が鳴り響き、新しい時代の幕開けを感じ焦る空気の中で、僕たちの運命は大きく舵を切った。
当時、26歳だった僕は、NHKの朝の幼児番組『うたのえほん』に「体操のお兄さん」としてレギュラー出演していた。
『うたのえほん』は驚異的なまでの人気を誇り、視聴率40%を記録することも。いつしか、三角帽子にピタピタのコスチュームで踊る僕は、子供たちだけでなく母親や若いOLからもアイドル並みの人気を集めていた。同時に歌手、俳優としても少しずつ活動を始めた頃だった。
一方のカミさんは、俳優座養成所を出た後、時代劇やコメディに出演する傍ら、海外ドラマや人形劇の吹き替えまで幅広く活動していて、個性派女優としての地位を固めつつあった。今でいうマルチタレントのようなものだ。
彼女の数多い仕事の中でもよく知られているのが、NHKの『おかあさんといっしょ』の中で演じられていた人形劇『ブーフーウー』のブー役だろう。子豚の三兄弟が騒動を繰り広げるこの人形劇は、子供たちに大人気。ちなみに、ウー役の黒柳徹子さんとカミさんとの仲は、このとき以来、長年にわたりずっと続いている。
同じNHKの幼児番組で人気が出た者同士、縁があったのだろうか――。僕たちは、ミュージカル『孫悟空』で共演することになった。主役が僕で、恋人役のヒロインがカミさん。二人とも演じるのは猿の役だった。
初めて会ったときから運命を感じて……と言いたいところだが、残念ながら僕の彼女への初対面の印象は、あまりよくない。
というのも、あろうことか、カミさんは僕をまったく知らず、「蕎麦屋の出前のお兄さん」だと思い込んでいたというのだ。しかも、小柄で筋肉質だった体型からなのか、それとも少し軟弱な雰囲気がしたからなのか、僕のことを「オカマ」だと勘違いしていたのだというから、心中穏やかじゃない。
結局、その後すぐに「オカマ疑惑」は晴れたのだが、きっと彼女の方も、出会ったばかりの頃は僕を男として、まったく意識していなかったことだろう。
「ねえ、あの子たち、助けてあげない?」
その頃から、カミさんは皆に「ペコ」というあだ名で呼ばれていた。
「どうしてペコって言うの?」
「鼻がペコンとしているからかしら。自分でも理由はよく分からないのよ」
そう笑う彼女の印象は“豪快”そのものだった。
実際、サバけた性格のカミさんは、俳優仲間からも一目置かれていた、外見は派手だけれど、後輩を自宅に呼んで得意の手料理を振る舞ったり、借金の世話まで焼いてあげたり。その面倒見のよさで「女親分」なんてあだ名もついていたくらいだ。
“女親分”のカミさんと“出前持ち”の僕の距離が近づいたのは、舞台の本番を控え、明け方まで歌の稽古をしていた日のこと。休憩の合図を聞き、僕はスタジオで共演者に声を掛けた。
「眠気をさますためにも、いい空気を吸いに外へ出ませんか?」
けれど、誰からも返事は聞こえない。全員、疲労困憊で座り込んでいたのだ。
「あたし、行くわ! ついでに、みんなの飲み物も買ってくるわね」
僕を気の毒に感じたのだろうか。一人だけ立ち上がってくれたのが、彼女だった。
そして僕は愛車の助手席にカミさんを乗せて、買い物をしに夜明け前の街に繰り出した。長時間の稽古中にもかかわらず、ドライブ中もよくしゃべる彼女のおかげで、車内にはおだやかなムードが流れていたが、皇居前に差しかかったとき、空気が一変した。
反対車線の歩道で、いかにも中学を卒業後に上京してきたばかりという風情の15~16歳と思しき少年二人組が、ガラの悪いチンピラ男に絡まれていたのだ。僕は気の毒だと思いながらも、その場を通り過ぎようか悩んでいたとき、彼女の声が響いた。
「ねえ、あの子たち、助けてあげない?」
その言葉を聞き終わる前に、僕は車をUターンさせていた。そして、胸ぐらをつかみながら少年に殴りかかろうとするチンピラ男の横に、車を急停車した。
仙台訛りでチンピラを撃退が、「運命の赤い糸」だった
「あのう、スミマセン。神田のほうへ行くのは、こっちでいいんですか?」
窓から身を乗り出して、チンピラ男ににこやかに尋ねるカミさん。さすが女優、堂々とした演技だ。
怪しまれないように、僕も恐る恐る後に続く。
「さっき道を聞いたおまわりさんは、ここを真っすぐって言ってたんだけどな。この道でいいんですか?」
「あぁん?あんたら神田も知らねえのか。どこから来たんだ?」
「あ、仙台がらです……」
僕はとっさに訛りながら、おふくろの故郷を口に出した。
「仙台か。しょうがねぇな、神田は反対だよ、反対」
「えっ。まだUターンすか?」
マズいぞ、このままでは会話が終わってしまう。なんとかチンピラ男の注意を引きつけている間に、少年たちを逃がさなくては―。焦った僕の気持ちを察したかのように、カミさんはまたも堂々たる演技で、訛ったまま話を続けた。
「もぉう……。まだ間違えちゃったわ。あんだ、やっぱり反対でえがったんだ」
「チッ。まったく田舎のヤツは。ここをなぁ、Uターンして真っすぐ行くと、道が二又に分かれてるから……」
カミさんの迫真の演技に上手いこと引っかかったチンピラ男は、運転席に近づいてきた。
しめた、今だ!
カミさんは、必死に少年たちに目で合図を送っている。ところが、彼らはなかなか気づかない。ハンドルを握る手から脂汗がにじみ出ていた。
ようやくカミさんの合図に気づいた少年たち。そっと駆け出して行ったのを見届け、
「そうですか、やっと分かりました! どうもありがとうございます」
僕は車を急発進させた。
残されたチンピラ男が振り返ったとき、少年たちの姿はもう、そこにはなかった。
地団太を踏むチンピラ男をバックミラーに眺めながら、僕は胸をなで下ろした。
「うまくいった……」
僕たちは、お互いの顔を見合わせて笑った。
台本がなくても、二人の息はピッタリだった。声に出さなくても、お互いの気持ちが空気を伝って分かり合えたような気がしたのだ。後で聞いたのだが、それはカミさんも同じだったのだという。
「運命の赤い糸」などというものは信じていないのだが、もし赤い糸があるならば、僕たちの小指に結ばれたのは、生まれたときでも出会ったときでもなく、このときだったのだろう。
この事件のおかげで、ただの共演者に過ぎなかった僕たちの関係は、一気に進展。すぐに交際に発展し、彼女のアパートで、こっそりとデートを重ねるようになった。
「ドラえもんは、あたしたちの息子みたいなものね」
「もしも~し、ドラえもん、いるぅ?」
受話器の向こうから聞こえる子供の声――。
イギリスのマーガレット・サッチャーが誕生した1979年。その年から、カミさんはテレビアニメ『ドラえもん』の声優を務めるようになった。そして、それ以来、我が家にはこんな電話が頻繁にかかってくるようになったのだ。
僕たちに子供がいないこともあって、当初は、ドラえもんが、そしてカミさんの声がこれほどまでにウケているとは、正直なところピンと来ていなかった。だが、気づけば、世間では僕の想像をはるかに超える空前の“ドラえもんブーム”が巻き起こっていたのだ。
『ドラえもん』は、テレビ朝日で放送が開始される数年前に、別のテレビ局で放送されていたが、半年ほどで打ち切りになっていた。だから、原作者の藤子・F・不二雄先生は、一説には、テレビでの放送にあまり乗り気ではなかったと聞いたことがある。
だが、テレビ朝日で放送が始まることになり、新たにドラえもん役に抜擢されたカミさんの声を聞いたとき、先生は大変喜んでくれたのだという。
「先生がね、あたしが声入れをした完成作品の試写を見て『ドラえもんって、こういう声だったんですねー』って、おっしゃってくれたの。それを聞いて、あたしもう、ウフ、フ、フ、フ、本当に嬉しくって」
藤子先生の言葉は、プレッシャーを感じていたカミさんにとって大きな励みになり、大きな自信に繋がったのだろう。
彼女のドラえもんへの気合いの入れようは尋常ではなかった。
ドラえもんが子供に愛されるキャラクターになるように心を砕き、台本にぞんざいなセリフがあれば、自ら別のセリフを提案することもあったほどだという。すっかり定番となった「コンニチハ、ボク、ドラえもんです」という挨拶も、このようなカミさんの思いから生まれたそうだ。
実際、カミさんはドラえもんを心の底から愛していた。
芸能人には、「仕事関係のものは、自宅では見たくない」という人も多いのだが、彼女は正反対。我が家は、瞬く間にたくさんのドラえもんグッズで溢れ返った。各国の民族衣装を身につけたドラえもんのぬいぐるみ、目覚まし時計、クッション、コップ、茶碗、トースター、スリッパ、バスローブ、貯金箱にカレンダー。トイレに入れば手洗いの蛇口までが、ドラえもんになっている。
そのうちカミさんは、素の声までドラえもんそっくりになってきた。夫婦ゲンカをしたときも、あの声で反論してくるので、
「おい、ペコ、ドラえもんになってるぞ」
と僕が言うと、二人とも思わず笑ってしまい、それでケンカはおしまいだ。
「ドラえもんは、あたしたちのところに来てくれた息子みたいなものね」
ことあるごとに、彼女はしみじみと、そう呟いていた。
文/砂川啓介
写真/Shutterstock
『娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』
砂川啓介 (著)
2015年10月21日発売
1430円(税込)
240ページ
9784575309553
2012年秋、しっかり者の姉さん女房だった妻が、認知症と診断された―。ドラえもんだった自分を忘れてしまった妻、大山のぶ代と、妻の介護に徐々に追いつめられる夫、砂川啓介。おしどり夫婦と呼ばれた2人の日々は、今も昔も困難の連続だった……。全国460万人以上の認知症患者とその家族へ綴る、老老介護の壮絶秘話!
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