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「奥様に拘束衣をつけてもいいでしょうか?」大山のぶ代が認知症を発症する前に経験した、知られざる2度の闘病生活。その病名と実情とは

集英社オンライン / 2023年12月9日 11時1分

ドラえもんの声を担当した人気声優の大山のぶ代さんに突如襲った認知症。しかし認知症発症前に、直腸ガン、脳梗塞と2度の知られざる闘病生活を経験していた。夫・砂川啓介さんが明かす真相、『娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』(双葉社)より、一部抜粋、再構成してお届けする。(サムネイル:出典/共同通信)

#1

幸せな夫婦を襲った直腸ガンの宣告

「あたしね、ガンなんだって。やっぱり……」

電話口のカミさんの声が、遠く響いた。

あまりにも突然すぎる言葉に、僕はうろたえることしかできなかった気がする。

「でもね、ガンって言ったって、すぐにどうこうなるわけじゃないのよ……。3年や5年は大丈夫だし、チョン切っちゃえば悪いところはなくなるはずよ」



淡々とそう話す彼女に、なんと返事をしたのかさえ覚えていない。

大山のぶ代さん(共同通信)

2001年4月、カミさんは直腸ガンの宣告を受けた。

ガンを発見できたのは、人間ドックのおかげだ。この頃、僕たち夫婦は毎年春、懇意にしている姫路にある個人病院で人間ドックを受けていた。

姫路は二人にとって思い出の地。結婚前から、車にカミさんを乗せて旅行に出かけていたものだ。それに、食いしん坊の彼女にとっては、検査の後、瀬戸内海の新鮮な魚介などの美味しいものを食べて歩くのが、何よりの楽しみになっていたのだ。

だから、日頃仕事で忙しく、なかなか一緒に過ごす時間がない僕たちにとって、この「人間ドック旅行」は、年に一度の恒例行事のようなものだった。

人間ドックを毎年受けていたのには、もう一つ大きな理由がある。
カミさんは、高校3年生で母親を子宮ガンで亡くしていた。だから、カミさんにとって、ガンは身近な恐怖だったのかもしれない。

ただ、30代の半ばから続けてきたこの恒例行事も、年とともにだんだん億劫になってくる。特に食事制限をしたり、何かと事前準備が大変な腸の検査は、パスしがちになっていた。

でも、この年、なぜか僕はカミさんに言っていた。

「今年は腸の検査、やっておいたほうがいいんじゃないの?」

なぜ、そう口にしたのか、自分でも覚えていない。もしかしたら、第六感というやつが働いたのだろうか。

再検査の結果、カミさんの直腸には腫瘍が見つかり、すぐに手術を受けたほうがよいと薦められた。それまで、自覚症状はまったくなかったという。まさに青天の霹靂だ。

それにもかかわらず、電話で結果を知らせてきたカミさんの声は驚くほど冷静だった。

それどころか、告知を受けた直後には「入院する間、『ドラえもん』の収録スケジュールは大丈夫かしら」などと考えていたのだというから、見上げたものだ。

一方、僕は完全に取り乱していた。受話器を握りしめながら脳裏に浮かぶのは、瘦せ衰えて病院のベッドに横たわるカミさんの姿――。

「まったくもう、これじゃ、どっちが病人なんだか……」

すっかり狼狽している僕の様子に、電話口の向こうでカミさんはちょっと呆れていたらしい。今思えば、この頃から僕は、頼りない亭主だったんだろう。

ドラえもんの存在が手術を支えた

手術は、自宅から近い病院のほうが何かと安心だ。そう考え、入院先には東京の慶應病院を選んだ。

手術の日、僕はストレッチャーに乗せられたカミさんを笑顔で見送った。

「ペコ、頑張れよ」

「うん、啓介さん、行ってくるね」

静かに閉じる手術室の重い扉。無理にでも笑っていないと、不安で押しつぶされそうだった。それは彼女も一緒だったのかもしれない。

写真はイメージです

手術前、カミさんは不安そうな顔や、辛そうな表情を僕に見せたことは一度もなかった。でも、本当は夜の病室で一人、涙が止まらなかったのだという。

「もしかしたら、あたし、死んじゃうのかなって思ったら、怖くて仕方なくて……。でもね、啓介さんのほうがどんどんやつれて、口数が少なくなっていくんだもん」

その彼女が明かしてくれたのは、手術の後――。やっぱり、僕を気遣って笑顔を作ってくれていたんだ。なんだか自分が情けなく思えてくる。そして彼女は、こうも話していた。

「病室に連れてきたドラえもんのぬいぐるみに、『せっかく22年もアンタと一緒に楽しくやって来たのに、私だけいなくなったら、アンタどうするの?』って尋ねてみたのよ。そうしたらね、なぜか涙が止まらなくなって、ワーッて泣いちゃった。

でもね、のび太くん、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫は22年間、ずーっと同じ仲間でやってきたでしょ。だから、あたしだけが、どこかに行っちゃうなんてできない、できるわけがないって。そう思ったら、『ガンになんて、負けないぞ!』って急に勇気が湧いてきたの」

愛する“息子”であるドラえもんの存在があったからこそ、カミさんは手術への恐怖を乗り切れたのだ。もちろん、ドラえもんのぬいぐるみは、しゃべらない。でも、入院中ずっとカミさんを見守り、励まし続けてくれていたのだと思う。

彼女にとってのドラえもんの存在が、こんなにも大きいものだとは……。このとき、そのことを改めて実感せずにはいられなかった。

「今晩、もう1回、飛ぶかもしれません!!」

「なんだか頭が重いの……」

朝、我が家の2階の台所で彼女が浮かべた苦しそうな表情。忘れもしない、2008年4月24日のことだ。このとき、カミさんは74歳になっていた。

この日、カミさんは、御成門の専門学校で講義の予定が入っていた。

「ペコ、学校に電話して、講義は休ませてもらったほうがいいんじゃないのか?」

「でも、啓介さん、そういうわけにもいかないし……」

彼女の持ち前の責任感からだろう。カミさんは、不調を押して出かけて行った。

写真はイメージです

午後3時頃。僕が仕事から帰宅すると、我が家の電話のベルが鳴り響いた。

「今、慶應病院にいるの。すぐに来て」

いつになく動転し、ただならぬ様子のペコの声。僕は慌てて信濃町にある慶應義塾大学病院へ車を飛ばした。到着すると、カミさんと一緒にいたマネージャーの小林が、事の一部始終を教えてくれた。

「大山さん、学校で講義を始めようとしたんですが、身体がどうにもしんどかったそうなんです。学校の方から『帰って休んだほうがいいですよ』とおっしゃっていただいて。それで、二人でタクシーに乗ったんですが、大山さんは、やっぱり何かおかしいと思ったようで……。青山一丁目の交差点で、運転手さんに右に曲がってもらったんです」

青山一丁目の交差点を左に曲がれば、僕たちの自宅のある目黒方面。ところが、いつもと違い余程、体調が悪かったのだろう。自宅に戻らず病院に行ったほうがいいとカミさん自身が判断し、右折するようタクシーの運転手さんにお願いしたのだ。

それだけしっかりしているなら、大したことはないんじゃないか。

最初、僕はそう思った。だが、医師から病状を聞かされたとき、僕は言葉を失った。

「脳梗塞です。今すぐに入院してください!」

「えっ……。脳梗塞って、あの脳梗塞ですか?」

「今晩、もう1回、飛ぶかもしれません!!」

「飛ぶって……あの、何がですか?」

「血栓が脳に行って詰まるということです。1回軽く飛んでから、また、その晩にもう1回飛ぶことが多いんです。そうすると麻痺が残り、身体をうまく動かせなくなったりする可能性があります」

金槌で殴られたようなショックを受け、僕は頭が真っ白になった。

僕に脳梗塞についての詳しい知識はなかったが、一命を取り留めても、身体に麻痺が残ったり、記憶に障害が出たりすることぐらいは知っていた。

「とりあえず、ご主人は今日はお帰りになってください」

医師に促され、僕は後ろ髪を引かれながら自宅に戻ったが、その夜はなかなか寝付けなかった。

カミさんは歩けなくなってしまうのか――。

あれだけハキハキと動く口が回らなくなって、上手にしゃべれなくなってしまうのか。
美味しそうに食事を頬張ることもできなくなってしまうのか。
僕のことを……二人で過ごしてきた時間を……忘れてしまうのか――。そんな不安が頭の中をグルグルと駆け巡り、どんなに振り払おうとしても、何度も何度も浮かび続けた。

「大山のぶ代、心筋梗塞」デマの真相

翌朝、病室を訪れると、彼女の身体にはたくさんの管が繋がれていた。しかも意識は朦朧としていて、話しかけてもほとんど返事はない。時折、うっすら目を閉じて僕を見るのだが、痛いのか、苦しいのかさえ、僕には判断できなかった。

カミさんは、手術せず投薬を続けていたが、医師が予測していたように、その日の夜、僕が帰宅している間に、やはり再び血栓は飛んでしまったそうだ。

入院3日目の早朝、看護師さんから電話が入り、「すぐに来てください」と言う。何事かと思って飛んで行ったら、病室には大パニックを起こしているカミさんの姿が!

カミさんは「なぜ自分が、ここにいるのか?」も判断できず、分かるのは夫である僕がそばにいないということだけ。僕がいないことが、パニックのすべての原因だったようだ。

写真はイメージです

医師の説明によれば、血栓が詰まったのは前頭葉とのこと。脳梗塞の中では比較的、軽度で済んだようで、身体での麻痺は残らないという。ただ、前頭葉がダメージを受けたことで、しばらく記憶がハッキリしないだろうとのことだった。

また、彼女が「脳梗塞になった原因として、糖尿病が考えられる」と医師は言っていた。なんでも、糖尿病患者は、そうではない人に比べて脳梗塞になりやすいのだという。

「趣味は食べること」というぐらい、食べることに関しては一切我慢をしなかったカミさん。まるでドラえもんのように丸々と肥えていたが、それでも節制する気にはならなかったようだ。

糖尿病、そして脳梗塞は、そんな生活のしっぺ返しなのだろうか……。

病院から帰宅すると、通信社の記者が我が家に待ち構えていた。親しい友人にさえ明かしていなかったのに、いったい、どこからペコの病気のことを入手したというのか、かなりの早耳だ。

「大山さんが脳梗塞で入院したと聞いたんですが?」

「いえ、いえ、違います。大山は心筋梗塞の検査で入院しているだけです」

僕は、とっさに記者に嘘をついてしまった。心筋梗塞も場合によっては命に関わる重篤な病気だろう。それでも、この段階で「脳梗塞」だと本当のことを明かすことは憚られる気がしたのだ。

ただ、そのせいで、「大山のぶ代、心筋梗塞で緊急入院」という誤った情報が、一部マスコミで報じられてしまった。報道を知り、心配して連絡をくれた人もたくさんいたのだが、なんと言えばよいのか……。返答に困り、ここでも僕は適当にやり過ごすしかなかった。

加えて、正直なところ、僕はそれどころではなかったのだ。

「奥様に拘束衣をつけてもいいでしょうか?」

カミさんが入院している病院からは、相変わらず早朝に呼び出しの電話が来た。いや、本当のところは、カミさんが無理を言って看護師さんに電話をかけさせていたようだ。

その都度、僕は慌てて病院に飛んで行く。でも、彼女の病状が悪化したわけではなく、僕がいないことにパニックを起こして、勝手に動き回ったりするらしいのだ。ただ、僕が到着したときには、すでに眠り込んでいることさえあった。ある日、今度は医師から連絡が入った。

「奥様に拘束衣をつけてもいいでしょうか?」

僕は一瞬、意味が理解できなかった。

「先生、どうしてですか?」

聞けば、カミさんは身体の自由がきくので、点滴などを勝手に外してしまうというのだ。そうすると、当然ながら治療は進まない。

拘束衣は家族の同意を得てから装着することが決まりになっているらしく、医師は僕にその許可を求めてきたのだ。身動きできないように押さえられてしまうなんて……。本心では、可哀相で仕方なかった。でも、治療のためにはやむを得ない。

ただ、拘束衣によって動けない状態になっても、カミさんの不安定な状態は収まらなかった。とうとう医師も困り果てたのだろう。「ご主人が奥さんの病室に付き添っていただけませんか?」と提案される始末で、僕は毎晩、病院に泊まり込むことになった。病室に並べたパイプ椅子が、僕の寝床代わりだ。

写真はイメージです

深夜、ふと気づくと、彼女がベッドから身を乗り出して僕をジッと見つめていることがあった。だが、脳梗塞の後遺症のせいで、カミさんはまだ会話はできない。僕の顔を見て何か言うわけでもなく、ただ、ジッと見つめるだけ。そして、僕がいることを確認すると、安心して眠りについた。

たまに、カミさんが突然、ニコニコと微笑みを向けてくることもあった。

「どうしたの? ペコ、何かあったの?」

そう話かけても、彼女は何も答えない。

「ペコ、俺はここにいるよ。大丈夫だから。安心しろよ」

そうこうしているうちに、カミさんの表情は次第に乏しくなり、何を考えているのかさえ、まったく分からなかった。

病院に泊まり込みを続けて2週間ほど経つ頃には、僕自身も疲労がピークに達していた。

その後、結局、この病院には2カ月ほど入院していたが、この間のことは彼女の記憶からスッポリ抜け落ちているらしい。

「ペコは最初、慶應病院に2カ月、入院していたんだよ」

「えっ、あたしが?」

退院後、何度かカミさんに入院当時の話を言って聞かせたが、まったく思い出せないのだ。それほど、脳梗塞の病状が深刻だったということなのだろうか?

また、入院中、カミさんが僕に向かって別人の名前を呼んだこともあった。

「ソウスケさん……」

ソウスケは、僕の妹の夫の名前だ。しかし、この件に関しては、たまたま言い間違えただけだったのではないか、と思っている。

なぜなら、脳梗塞で入院した直後、まだ意識が朦朧としているときから、彼女は僕のことだけは、しっかりと認識していたのだ。

僕がいないと不安になり、僕がいれば安心する。記憶の混乱の中にあってもなお、カミさんはいつも僕を求め続けていたのだ。

それに、両親はとうに他界し、数年前にはお兄さんも亡くした彼女には、身寄りがいない。

「ペコには、俺しかいないんだ」

そう身震いしたときから、僕の長い介護生活は幕を開けたのだ。

文/砂川啓介
写真/Shutterstock

『娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』

砂川啓介 (著)

2015年10月21日発売

1430円(税込)

240ページ

ISBN:

‎97845753095534

2012年秋、しっかり者の姉さん女房だった妻が、認知症と診断された―。ドラえもんだった自分を忘れてしまった妻、大山のぶ代と、妻の介護に徐々に追いつめられる夫、砂川啓介。おしどり夫婦と呼ばれた2人の日々は、今も昔も困難の連続だった……。全国460万人以上の認知症患者とその家族へ綴る、老老介護の壮絶秘話!

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