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脳梗塞のリハビリ中に認知症を発症した大山のぶ代。在宅介護に励む夫・砂川啓介がある夜、階段で「グニャリ」と踏んづけたものは? それでも確かにある“夫婦のぬくもり”

集英社オンライン / 2023年12月10日 11時1分

人気声優・大山のぶ代さんが直面した認知症。お風呂ギライ、排泄への困難、幻覚など日常生活に様々な支障をきたすようになり……夫・砂川啓介さんが赤裸々に語った、自宅介護の記録『娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』(双葉社)より、一部抜粋、再構成してお届けする。(サムネイル:出典/共同通信)

きれい好きのカミさんが風呂ギライに

「大山さんは、いつから認知症になったんですか?」

取材で記者にそう聞かれることがあるのだが、正確に答えるのは難しい。カミさんの場合、脳梗塞のリハビリをしている最中に認知症になったわけなので、どこまでが脳梗塞の後遺症で、どこからが認知症なのか、はっきりしないからだ。



「後遺症とアルツハイマー型認知症は別物です」

医師は、そう語っていた。確かに医学的には、そうなのだろう。でも、脳梗塞から認知症へと徐々にスライドしていったのではないか……というのが、日々、カミさんを見てきた僕の実感でもある。だが、認知症と診断された頃から、明らかに「これまでとは違う」と思うことが頻繁に起こるようになっていった。

その一つが、「衛生面への無頓着さ」だ。これは、認知症の典型的な症状の一つなのだという。

カミさんの場合はまず、極端に風呂を嫌うようなった。あんなにきれい好きだったのに、入浴を面倒くさがるようになったのだ。僕は何度か、彼女を執拗に風呂に入れようとしたことがある。介護をしているご家族の方ならお分かりだろうが、病気の患者をお風呂に入れることほど大変なことはない。

写真はイメージです

「ペコ、お風呂入りなさいよ」

僕がそう諭すと、彼女はしぶしぶ浴室に行くありさまだった。だが、入ったふりをして実際には入浴していないこともある。浴室に足は運ぶものの、ものの1分ほどで出て来てしまうのだ。

「ペコ、お風呂入ってないでしょ? ちゃんと入らないと」

「入ったわ」

浴室を見に行くと、案の定、床も壁も乾いている。

「ほら、全然濡れていないよ。やっぱりペコ、入ってないでしょ?」

「あたし、入ったってば!」

こういった声を荒げての激しいやり取りが続くと、僕はただただ深い溜め息をつくしかない。

僕がいくら言ってもカミさんは風呂に入りたがらないので、その後は週2回、マネージャーの小林が一緒に入浴してくれることになり、それは現在に至るまで続いている。

ある夜、「グニャリ」と踏んづけた、それは……

しかし、入浴以上に、僕の頭を心底悩ませるカミさんの行動がある。

ある夜、2階に上がろうとすると階段の踊り場に黒いものが点々と落ちていた。ゴミ屑か何かだろう。思い切り踏んづけたその瞬間、「グニャリ」とした感触が足元を襲った。

ん?これはゴミじゃない。よくよく見ると、なんと人間の大便ではないか。すぐに、ペコがしてしまったのだろう……と理解できた。慌てて、僕はトイレットペーパーを持って来てつまみ上げた。でも、便は床にこびりついていて、上手に取れない……。

写真はイメージです

消臭剤を吹きかけて硬くなった便を柔らかくしてから、タオルを何枚も使ってゴシゴシと床をこすったが、それでもまだ汚れが残っている。しまいにはスコップを使い、こびりついた部分をガリガリ削り落とした。そうでもしないと落とし切れないのだ。

ペコの便を片づけている最中、僕は我を忘れていた。もともと僕はきれい好きで、臭いにはかなり敏感なほうだ。嫌な臭いが漂う場所は、正直言って耐えられない。

「とにかく早く片づけなくちゃ」と必死だったのだと思う。

だが、ひととおり作業を終えた僕を待っていたのは、言いようのない疲労感だった。ずっと背を丸めて床に向かっていたので、腰にも鈍い痛みが走る。

「いったい何をやっているんだ、俺は……」

これから先、ペコの在宅介護を続ける限り、こんなことが毎日続くのだろうか。

「お願いだから、ペコ……もう二度と、やらないでくれよ」

認知症患者に、そんなふうに思うこと自体、間違っているのだろうが、それが僕の本音だった。

大人用紙オムツも嫌がってしまう

翌朝――。
カミさんは、いつもと変わらない様子で起きてきた。

「ペコ、昨日、トイレが上手くできなかったのか?」

「どうして? そんなことないわよ」

「階段に大便がたくさん落ちていたんだよ。もしかして、トイレに間に合わなかったんじゃないのか?」

「知らないわよ、あたしじゃないもの!」

カミさんは、本当にまったく覚えていないのだ。それどころか、「よく覚えていないけれど、もしかしたら、粗相してしまったかも……」と顧みようとする素振ぶりさえない。彼女の答えは、頑なまでの“完全拒否”だった。

大山のぶ代さん(共同通信)

この頃から、カミさんはトイレを普通に使うことができなくなっていた。一人で用を足すことはできても、流すことを忘れてしまう。きちんと便器に用を足すこともできないことがあるので、彼女が入った後のトイレは、そこらじゅうが汚れていた。

我が家には2階と3階にトイレがあり、3階のトイレは洗面所と一体型になっている。ある日、3階のトイレで顔を拭こうとしたら、タオルが妙に臭うことがあった。顔を近づけてよく見てみると、黒っぽいものが……。きっと、彼女が便を触った手でタオルに触れてしまったのだろう。

また、あるときは、お尻を拭かずに下着をはいてしまい、下着に大便がついていたこともある。次第に、尿意をもよおしてトイレに向かっても、ペコは間に合わず途中で漏らしてしまうことも増えるようになってしまった。これでも、僕も家政婦の野沢さんも、掃除がとても追いつかない。

2014年の夏頃だっただろうか。
ついに、カミさんに大人用紙オムツをはいてもらうことにした。

当初、彼女は嫌がって、オムツを脱いでしまうことが多かった。トイレに行くと汚れたオムツを脱いで、そのまま何もはかずにパジャマのズボンを上げてしまうのだ。

当然、お尻をきれいに拭いていないので、ズボンはどんどん汚れてしまう。おかげで、パジャマのズボンを何本ダメにしたことだろうか。おそらく10本はくだらないだろう。

「そこに3人いるでしょ」しかしそこには誰もいない

「ダメよ! そんなことしちゃ!」

ある夜のこと――。草木も眠る丑三つ時と言われる午前2時頃、僕は寝室に響き渡る大声で目が覚めた。

3階の僕とカミさんの部屋の間には、大きな納戸がある。この納戸は、互いの寝室から直接出入りできるようになっているのだが、中はほとんどカミさんの洋服と、ドラえもんのぬいぐるみやグッズなどの小物でパンパンなので、普段は僕が使うことはあまりない。

彼女にとっても、脳梗塞で倒れてからは、おしゃれをして出かける機会がなくなっていたので、納戸に出入りすることはほとんどなかったはずだ。だが、それなのに深夜の寝静まった頃、この納戸からペコの叫び声が聞こえてきたのだ。

「ダメって言ってるでしょ! ちゃんと言うことを聞いてちょうだい」

誰かを叱っているような声だった。
あまりの大声に、いったい何事かと驚きながら納戸の扉を開くと、そこには、たくさんの服に埋もれて立てない状態になりながら、一人でしゃべり続けるカミさんの姿があった。

慌てて、服の山から彼女を救い出す。

「ペコ、こんな時間に、どうしたんだよ?」

「だって、この子たちが……」

「この子たちって、誰としゃべってるんだい? ここには誰もいないよ」

「そこに3人いるでしょ」

「何を言ってるんだ? ペコ、誰もいないよ」

「いるわよ、よく見て! 子供が3人いるじゃない!」

写真はイメージです

その後も彼女は1時間以上、一人でずっとしゃべり続けていた。どうやら、認知症の症状の一つである幻覚が見えているようだ。まるで、学校で学生たちを教えているような口ぶりだ。

昔、専門学校で教鞭を執っていた頃の記憶を混同してしまっているのだろうか?

また、別の夜のこと――。

「さっきまで、あたし、お母さんとしゃべってたの。お母さんがね、”身体に気をつけなさいね“って言ってたわ」

「ペコ、ちょっと冷静になって……。しっかりしてくれよ」

彼女のお母さんは、僕たちが出会うよりずっと前に亡くなっているというのに……。

カミさんに現実や昔の事実関係を理解してもらうのは、もう無理なのだろうか?

理解させようと必死になればなるほど、それは“虚しさ”という形でしか返ってこないことに、僕は気づき始めていた。

父親に甘える少女のような笑顔の妻

「ペコ、寝る前に、ちゃんと口をゆすいでね」

「はぁい。大丈夫よ」

カミさんは毎晩夜の21時頃にはベッドに入り電気を消すのだが、23時頃に再びトイレのために起きることが多い。もちろん、認知症のために視野が狭くなっており、トイレを出てゆっくりゆっくり歩いてくるのだが、必ず僕の寝室に立ち寄り、前述したような僕たち夫婦の恒例儀式が始まる。

最近では体調が良い日が続き、さらに“希望の光”が増して、きちんと「おやすみなさい」が返ってくる回数が増えている。

「おはようございます!」

「これから寝るところなんだから、“おやすみ”だろう、ペコ」

「おやすみなさい、啓介さん」

こう言うと両手を大きく広げて、あのドラえもんのような笑顔で僕にハグを求めるカミさん――。

大山のぶ代さんイベントの様子(共同通信)

今だから明かせるが、僕は当初、彼女のこの“行動”に戸惑いを隠せなかった。だって僕たちは、これまで長年にわたり“触れ合わない夫婦”だったからだ。30代の頃から寝室を別々にしていたカミさんと僕は、もう長いこと互いの肌に触れることはなかったし、彼女がこんなふうに“抱擁”を求めてくることもなかったのだ。

「なんだか、恥ずかしいよな」

僕がこう照れ笑いを浮かべても、彼女は僕を真っすぐ見つめて両手を広げている。
結婚から半世紀を経た今になって、毎晩、ギュッと夫婦で抱きしめ合うようになるなんて。
この年になって初めて、夫婦のぬくもりを今、痛切に感じている気がする。

間もなく80代に突入する僕の腕は、若い頃とは違って筋骨隆々とした逞しさはないし、力強くペコのことを抱き上げることだってできない。

それでも、優しく静かに彼女を抱きしめることだけはできる。
僕の腕の中で、カミさんは満足そうな笑顔を浮かべる。父親に甘える少女のような、屈託のない穏やかな笑顔。彼女の体温が、じんわりと僕の心に沁み込んでいく。

「啓介さんのことが、好きで好きでしょうがないんでしょうね」

野沢さんや小林さんにそう言われると、気恥ずかしくなる一方で、僕はつい考えてしまう。

もしかしたらカミさんはずっと僕と触れ合うことができずに、寂しかったんじゃないか?

口には出さなかったけれど、本当はもっと触れ合い、抱き合いたかったんじゃないだろうか?

時には、なんの脈絡もなく、彼女は突然、手を差し出してくることもある。

「啓介さん、握手してよ」

「え? ペコ、握手?」

「そう。握手、握手よ」

そう言われるがままに、彼女が差し出した手を取ると、強く強く、ペコは僕の手をギュッと握り返してくる。

「啓介さん、あたしのそばから離れないでね。ずっと、隣にいてね……」

彼女の手はまるで、そんなことを言っているみたいだ。出会った頃からずっと、決して変わることのない僕への“愛のメッセージ”を、囁いているような気がする。だから僕も、そっと手を握り返す。

文/砂川啓介
写真/Shutterstock

『娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』

砂川啓介 (著)

2015年10月21日発売

1430円(税込)

240ページ

ISBN:

9784575309553

2012年秋、しっかり者の姉さん女房だった妻が、認知症と診断された―。ドラえもんだった自分を忘れてしまった妻、大山のぶ代と、妻の介護に徐々に追いつめられる夫、砂川啓介。おしどり夫婦と呼ばれた2人の日々は、今も昔も困難の連続だった……。全国460万人以上の認知症患者とその家族へ綴る、老老介護の壮絶秘話!

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