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「悔しさ」が先か「申し訳なさ」が先か…日本人が失敗するとすぐ謝ってしまう「みんなに悪いことをした」という意識

集英社オンライン / 2023年12月6日 11時1分

「これくらいが自分にはちょうどいい」と、日常の中で無意識につくってしまう「分相応」の自己評価が、己の挑戦や成長を妨げる「壁」となっている……じつはその原因は「日本らしさ」にあった。「分相応の壁」を破り、現状を打開するためのマインドとメソッドを、書籍『分不相応のすすめ』から一部抜粋して紹介する。

失敗して申し訳ない、
みんなに悪いことをした

自分が何かに失敗したとき、反射的にこう思ってしまうことはありませんか。学校でリレーの選手として走って勝てなかったときに、「クラスのみんなに悪い」。サッカーや野球などのチームスポーツでミスをしてしまったときに、「チームのみんなに悪い」。

テニスや陸上などの個人スポーツで負けたときには、「応援してくれたみんなに悪い」。仕事で目標を達成できなかったときには、「会社のみんなに悪い」。



失敗したことへの自分自身の悔しさや怒りよりも、失敗してしまったことによる周囲の人々への申し訳なさや罪悪感の方を大きく感じる人は少なくないはずです。

「悔しさ」が先か「申し訳なさ」が先か

以前、こんな話を耳にしたことがあります。海外のスポーツ選手は、大事な試合で負けた後、何よりも「自分が悔しい」と思い、ときに荒れて物に当たったり、試合後の会見を拒否したりして、怒りをあらわにする人が多いといいます。

それに対して、日本のスポーツ選手は、同様の場面で、「申し訳ない」と思い、落ち込み、支えてくれたチームやスタッフ、応援してくれたファンへ涙ながらに会見で謝罪する人が多いそうです。例外はあれど、全体的な傾向としては納得できる違いでしょう。

もちろん、会見に対応することがプロ選手としての責任の1つになっている競技もあるし、会見での言葉が決して選手の本音とは限らないこともあります。その意味では、日本のスポーツ選手はプロ意識が高く、「周囲が自らに求めている役割をちゃんと全うしよう」という集団意識を持っているといえます。

ただ、より根源的には、「自分のために頑張ったのに、失敗して悔しい」という個人の意識よりも、「みんなのために頑張ったのに、失敗して申し訳ない」という集団の一員としての意識が強すぎることが背景にあると考えられます。つまり、個人としての自分よりも、集団の一員としての自分の方が、優先順位が高いのです。

文化によって基準が異なる「良い子」

こうした意識も、分相応を形成する文化的自己観を通じて育まれるものです。アメリカでは、親が子に期待する「良い子」は、しっかり言葉や行動で自己主張できる子です。

それに対して、日本で親が子に期待する「良い子」は、大人に対して従順で礼儀正しく、感情や行動をちゃんとコントロールできる子であることが研究で指摘されています。だから、日本の子どもたちは、日本の文化における「良い子」になるために、自分の本当の気持ちをコントロールして、相手の立場になって考え、周囲の期待に応えられる行動を選びやすくなるのです。

そして、そのように刷り込まれた価値観や選択は、成長して大人になってからも、そう簡単には大きく変わりにくいものです。

日本の文化で育った「日本らしい人」ほど、自分が個人的にやりたいことを頑張るモチベーションよりも、親や先生、監督やコーチ、上司、あるいは友人、ファン、SNSのフォロワーといった周りの人々が自分に期待することを頑張る、というモチベーションの方が持ちやすいのです。

これは、単純に、「もっと自分のことを優先できるエゴイストになっていい」といえば解決できることではありません。なぜなら、「周囲の期待に応えたい」という思いが、自分のエゴになってしまっているからです。

「みんなのため」もじつは「自分のため」

「集団のために」という意識は、より正確には「集団の中にいる自分のために」であり、それほどに文化的自己観が、人の価値観や考え方に与える影響は支配的で強力です。

だから、自分のことを優先するためには、まずは集団の一員としての自分ではなく、個人としての自分について考え、一人だけでの「自分らしさ」を作っていくことが大切になります。

日本語には、自分のことを指す単語がいくつもあり、周囲の状況、場面、相手などによって使い分けます。私、自分、俺、僕、当方、小生……などさまざまに変わることができて、自分を表す主語がなくても文章が成立して、意味を成すこともできます。

一方、英語における「自分」は基本的に「I」だけで、周囲の状況、場面、相手によって変化しません。また、文章において省略されることも通常はありません。こうした言葉の違いは、文化におけるコミュニケーションの違いに繋がるとされており、その意味でも、やはり日本における「自分」は、優先順位の低い存在として考えられやすいといえるでしょう。

文/永井竜之介
写真/shutterstock

分不相応のすすめ

永井竜之介

2023/11/20

¥2,200

216ページ

ISBN:

978-4911194003

「これくらいが自分にはちょうどいい」。生活でも仕事でも無意識に作ってしまう「分相応」の自己評価。じつはこれが「壁」となり、挑戦や成長が妨げられている。その原因は「日本らしさ」にあった。マーケティングの科学的知見を背景に、自分の「分相応の壁」を破り、周囲の空気に負けずに、現状を打開するためのマインドとメソッドを提示。「自分はこんなもの」と悟ったように見えて、「本当は自分を変えたい!」という諦めきれない本音を多くの人が隠し持っている。行き詰まりを感じて思い悩む現代人に必読の一冊。

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