「私と同じくらいの苦しみを味わわせてやる」余命1年半の宣告と夫の不倫告白を同時に受けた74歳女性の壮絶な復讐劇
集英社オンライン / 2023年12月6日 18時1分
「不倫はすることより、バレてからが本番」、「男は世間体をとり、女は自分をとる」。余命宣告を受けた74歳の女性が夫から告白されたのは衝撃的な告白だった。恋に浮かれる人にも、不倫の愛に悩む人にも、人生を狂わされた人にも突き刺さる不倫劇とは。『男と女:恋愛の落とし前』より一部を抜粋・再構成してお届けする。
恋愛の奥底には負の感情が渦巻いている──
余命1年半、夫と友人の不倫を知った74歳
私の目の前にいる方は、74歳の郁代さん。
現在、76歳の夫・修さんと横浜郊外の二戸建てで暮らしている。娘ふたりは結婚し、子供もいて、それぞれ家庭を築いている。
テーマが恋愛なのですが、よろしいですか。
「ええ、もちろん。でも、もうこの歳ですから、期待外れの話になってしまうかもしれませんけど」
どうぞお気になさらずに。
「何からお話しようかしら」
では、自己紹介から伺わせていただきます。
「私はいわゆる戦後第一次ベビーブームの団塊世代です。とにかく人数が多かったから、1クラス50人以上も生徒がいて、それでも教室が足りないから、化学室やら美術室までつぶすような状況でしたね。何をやるにしても競争社会で、受験戦争も経験しています。いちおう第1志望の私立大学に合格できたのでホッとしました」
学生生活はどのような?
「学生運動の真っただ中でしたから、巻き込まれるような形で私も集会に参加したりしていました」
結婚は26歳の時です。
夫は大学の2年先輩で『広告研究会』
というサークルで出会いました
活動に熱心だったのですか?
「だからってのめり込むようなことはなく、今思えば好奇心だったのでしょうね、その時代の通過儀礼とでもいうべきかしら。いろいろありましたけど、大学を卒業し、就職もしました」
お仕事は?
「アパレルメーカーです。洋服関係が好きでしたし、高度成長期の真っただ中で、将来性のある仕事だと思えました」
その後大流行となったDCブランドブームが懐かしく思い出される。私も若い頃にはお世話になった。
仕事は楽しかったですか?
「ええ、とても。やはり仕事って楽しくないと続けられませんね。だから娘たちにも子供の頃からよく言い聞かせてきました。楽しいと思えることを仕事にしなさいって。おかげで娘たちも今の仕事を楽しんでいるようです」
ご結婚は?
「26歳の時です。夫は大学の2年先輩で『広告研究会』というサークルで出会いました。結構目立つ人で、女の子たちからも注目される存在だったから、最初は何て言うか、ちよっと浮ついた男に見えたんですけど、話しているうちに頭の回転もいいし、将来のこともきちんと考えていることがわかって、交際が始まりました。交際6年の結婚です」
モテ男だったのですね。周りからの嫉妬もあったのではないですか。
「あったかもしれませんけど、あまり気にならなかったですね。私も今はすっかりおばあちゃんですけど、これでも若い頃はかなりモテましたから、そこのところはお互い様ってことで」
ジョーク混じりに仰ったが、確かに今もお綺麗である。
ご主人の仕事を聞かせて下さい。
「広告代理店です」
華やかな職種である。
夫は40歳の頃に、顧客の後押しで
会社を立ち上げました
「ええ、やはり派手な業界なので、結婚してから頭を悩ますこともありました」
それはどういう。
「いわゆる女遊びですね。まあ相手はほとんど玄人さんだったから、後腐れもなかったし、今の若い人が聞いたら呆れるでしょうけど、どこかで男は女にモテてナンボ、みたいな感覚があったんでしょうね。離婚は考えたことはありません。夫の稼ぎはそこそこあったし、結局は私のところに帰ってくるわけだから、ここは太っ腹なところを見せるのが妻の甲斐性みたいな気持ちでした」
団塊の世代の若い頃はウーマンリブ(女性解放運動)が世界的に展開される時期であり、ヒッピー的フリーセックス思想も広まったが、日本ではまだまだ良妻賢母の風潮が色濃く残っているという、混沌の時代でもあった。
仕事は続けられていたんですか?
「長女が産まれるまでは。心残りはありましたけど、あの頃は子供が出来たら退職するのが当たり前の時代でした。2年後には次女も誕生して、今でいうワンオペでしたけど、子供たちは可愛かったし、生活も安定していたし、特に不満はありませんでした」
穏やかな口調で話は進んでゆく。
「夫が40歳の頃に、顧客の中で後押しするから独立しないかと言ってくれる人がいて、夫は会社を立ち上げました。夫も、やりたいことがあっても組織に属していると思うように動けない、というジレンマを抱えていたようで、決心したみたいです。あの頃は景気がよかったから独立はそんなに珍しいことじゃなかったですね。夫の周りにも何人かいて、お給料の2倍、3倍と稼いでいました」
ご主人もですか。
バブル崩壊で住んでいた家は賃貸に、
実家近くへ引っ越しました
「ええ。とても順調で、おかげで一軒家も購入することができました」
順風満帆ですね。
「ところが、数年たった頃にバブル崩壊がありまして」
ああ……。
多少なりとも私にも影響があった。世の中が負に反転する状況を初めて目の当たりにした初めての経験でもあった。
「夫の仕事は激減し、収入も10分の1程度にまで落ち込んでしまいました。私としては、それは一時のことであって、景気さえ回復すれば仕事もまた舞い込むだろうと信じてたのですが、状況はなかなか好転しなくて、それで夫と話し合って私も働きに出ることにしたんです。その頃はまだ娘たちが小さかったものですから、住んでいた一戸建ては賃貸に出し、私の両親に子供たちの面倒をみてもらうことにして、実家近くのマンションに引っ越すことになりました」
生活が一変した人は多くいただろう。
「でも、心のどこかで再び働きに出られるのがちょっと楽しみでもありました。できることならアパレル関係に戻りたかったのですが、やはり不況で、前の会社はもちろん、13年もブランクのある専業主婦を中途採用で雇ってくれる会社なんてなくて、いろいろ当たってみたんですけど、なかなかいい返事が貰えなくて、諦めるしかないって思っていました」
再就職が難しいのは、今も昔もあまり変わりはないようである。
「そんな時、大学時代に同じサークルにいた友人・晴恵ちゃんから連絡があったんです。私が仕事を探しているという話が耳に入ったみたいで、『もしよかったら、私が働いているところに面接に来ない?』って誘ってくれたんです」
持つべきものは友人である。
働きにでる妻に夫は渋った
「彼女は25歳のときに会社の先輩と結婚して、勤めていた流通会社を寿退社したんですけど、子供の手が離れたからって、その時は子ども服のセレクトショップで販売の仕事をしていました。店舗は3つあって、社長を含めて20人足らずの小さな会社なんですが、上質でセンスの良い品物が揃っていて、地方からもわざわざ買いに来てくれるお客様もいたりして、小さいながら売り上げは好調とのことでした。
緊張しながら面接に出向いたんですけど、社長は50歳くらいの鷹揚なタイプの男性で、気さくに対応してくれました。会社そのものがアットホームな雰囲気で、印象はとてもよかったです。ちょうど買付する人材を探していたとのことで、私にアパレル経験があったことで、すぐに採用となりました」
それは幸運でした。
「でも、夫は最初、渋ったんですよ」
なぜ?
「晴恵ちゃんのことは、同じサークルだったからもちろん知っていて、今更妻を働かせるなんて甲斐性がないと思われるのが嫌だったんじゃないかしらって、その時は思ってました。ほら、男って見栄っ張りのところがあるから」
ああ、なるほど。
久しぶりのお仕事はどうだったのだろう。
「どんな形であれ、アパレル関係の仕事に戻れたのは嬉しかったです。晴恵ちゃんと同じ職場というのも安心でしたし、世界も開けて毎日楽しかったですね。お給料はさほど高くはなかったですが、自分で稼いでいるということは、自信にもつながりました」
妻が働きに出ることで、夫婦関係は変わったのだろうか。
最近は共働き夫婦が多く、家事も子育てもふたりで協力し合っていくのが当たり前となっているが、あの時代はまだ、男は仕事に邁進し、女は家庭を守る、という概念が根強く残っていた。妻が働きに出るのは構わないが、家事や育児に影響が出ない程度に、が夫側の条件だという話もよく耳にした。
事実無根の「社長との不倫」の噂
「うちの場合、決まったらもう何も言いませんでしたね。夫は仕事の依頼があれば仕事をするけれども、そうでないときは業界の人と飲んでばかりでした。とは言え、そういうところから仕事に繋がっていく業種だということはわかっていましたし、元々家にあまりいない人だったから、特に問題はありませんでした。娘たちは安心して両親に預けられるし、仕事の方も私が買付けた商品がよく売れて、すべて順調でした」
それは何よりです。
「そのまま1年ほど過ぎて、すっかり働くことに慣れた頃に……なんとなく職場の人間関係がぎくしゃくし始めたんです」
何があったのですか。
「私は買付に出ていて、ほとんど店舗やオフィスにいなかったからよくわからなかったんですが、晴恵ちゃんから聞いたところ、どうやら社長が社内で不倫をしているらしいって話でした。確かに、年の割に雰囲気のある男性で、そういうこともあるかもしれないなって感じでした。社内では、相手は誰だって犯人捜しみたいなことも始まっていたようです。私は外回りが多いので、ほとんど関知していなかったのですが」
何だか、悪い予感が。
「ご推察の通り、いつの間にか相手は私ということになっていました」
火のないところに煙は立たない、とも言われるが。失礼を承知で言わせてもらうが、思い当たるふしはなかったのだろうか。
「社長とは時々一緒に仕入れ先に出向いたり、時には接待に同行したりもしていましたけど、それだけです。事実無根です」
身に覚えはないと。
「もちろんです。聞いた時は本当にびっくりしました。どうしてそんなことになったのか見当もつきませんでした。最初は馬鹿らしくて放っておいたんですけど、噂はあっという間に広がって、店に顔を出すと、ついこの間まであんなに和気藹々だったのに、露骨に避けられるようになってしまったんです。小さい会社でしょう、こういう時、逃げ場がないんですよね。それで晴恵ちゃんに相談したんです。彼女はすごく心配してくれて、ちゃんとみんなに説明しておくし、放っておけばじきに誤解も解けるわよって言ってくれたので様子を見ていたんですけど、状況は悪くなるばかりでした。
半年近く経った頃、さすがに社長も問題視して、みんなの前できっぱり否定しました。私もそういう事実は一切ないって説明しました。でも状況は変わらないまま。ついには社長の奥さんの耳にまで入ってしまって」
夫は私を信じてくれていたので、それがせめてもの救いでした
大事になってしまった。
「そのうち、晴恵ちゃんからこんなことを言われました。もう不倫が本当かどうかの問題じゃないって。みんな、あなたのことが信用できなくなっているって。それに自分が紹介した人が原因で社内の雰囲気がぎくしゃくするようになっていることに耐えられないって、泣かれてしまいました。そんな晴恵ちゃんを見て、これ以上迷惑は掛けられないと思って、それで辞めることにしたんです。誤解を完全に払拭できなかったのは悔しかったけれど、もうどうしようもありませんでした」
後味の悪い結末でしたね。
「夫は私を信じてくれていたので、それがせめてもの救いでした。次の仕事を見つけて心機一転頑張ろうとしたんですけど、やはり3年ぐらいは引き摺りましたね。人が信じられなくなったし、陰で誰に何を言われるかと思うと怖くて。今も何かの拍子にあの時のことが思い出されて、嫌な気分になります」
生きていれば理不尽な扱いを受けることもある。
さぞかし悔やしい思いにかられただろう。
ふた月ほど前のことなんですけど、実は私、余命宣告されまして
「あの、話はここからなんですよ」
不意に郁代さんが言った。
「ふた月ほど前のことなんですけど、実は私、余命宣告されまして」
えっ……。
思わぬ言葉に目を見開いてしまった。
「7年前に大腸がんが見つかったんですけど、その時は初期で、手術をして、ずっと経過は良好でした。だから安心していたんですけど、再発が判明したんです。もう肺にも肝臓にも転移しているとのことでした」
言葉を失ってしまう。
「そりやあショックでした。孫たちの成人式くらいは見届けたいと思っていましたから。でももう手の施しようがないことがわかって、覚悟を決めました。もって1年半とのことです」
そうですか……。
「ただ、私以上に夫がショックだったようです。まさか私が先に逝くなんて考えてもいなかったんでしょうね、私以上に落ち込んでしまって」
何と言っていいものか……。
晴恵ちゃんと浮気していたことを白状した夫
「それでも最近は少し落ち着いて、夫ともよく話すようになりました。他愛ない話です。学生時代のこととか、家族の思い出話なんかをしていたんですけど、先日、あの時のことが思い出されて話をしたんです」
不倫の濡れ衣の話ですね。
「ええ、あの時はすごく辛かったけれど、あなたが信じてくれて嬉しかったって言ったら、夫が突然、私に頭を下げたんです。あの時はすまなかったと」
え、それはいったい。
「夫は晴恵ちゃん、もう呼び捨てでいいですよね、晴恵と不倫していたことを白状しました」
ええっ。驚きの展開である。
「たまたま仕事先で顔を合わせて、久しぶりだから飲みに行こうとなって、それからだそうです」
いつ頃の話だろう。
「下の娘が生まれた頃ですね」
どれくらいの期間を?
「私に最初のがんが判明した時まで続いていたそうです」
ということは30年以上も。
「びっくりしたなんてものじゃありません、まさに青天の霹靂」
それはあまりにも酷い裏切りである。
晴恵は私を自分の下に置くことで
溜飲を下げるつもりだったんでしょう
「夫は、しょっちゅう会っていたわけじゃない、2、3か月に一度ぐらいとか言ってましたけど、本当かどうか。私の病気がきっかけで、これじゃいけないって思って別れたそうです」
もし病気が判明しなかったら、もっと続いていたかもしれない。だとしたら、言い訳にもならない。
「昔から遊び相手がいたのはわかっていましたけど、いつも玄人さんだったし、黙認してきました。それが悪かったのかもしれません。夫の話によると、晴恵は学生時代から夫のことが好きだったそうです。もちろん彼女にも家庭はあってお子さんもいて、互いに家庭を壊す気はなかったようなので、恋愛と言っていいものか、割り切って付き合っていたところはあったと思います。
あの就職の件も、バブルが崩壊して仕事が激減してしまった夫から、私が働きたがっている話を聞いて、晴恵は自分が勤める会社を紹介することにしたらしいです。夫は反対したようですけど、晴恵は話をどんどん進めて、もう止められなかったと言っていました」
だからあの時、ご主人はあまり乗り気ではなかったんですね。
「そういうことです。それにしても、不倫がバレたら困るのは晴恵なのに、どうしてそんなことをしたのか最初は理解に苦しみました。もしかしたら優位に立ちたかったのかもしれません。夫日く、晴恵は学生の頃から私をライバル視していたそうです」
彼女が学生時代にご主人を好きだったのなら、恋の恨みもあったのかもしれない。
「晴恵は私を自分の下に置くことで溜飲を下げるつもりだったんでしょうけど、実際に入社したら、私の仕事は順調で、社長も私を褒めるようになって、それが癪で、今度は辞めさせようと画策したわけです。それも恥をかかせて、追い出そうと」
不倫の噂も晴恵が仕組んだことでした
つまり、不倫の噂は。
「ええ、晴恵が仕組んだことでした」
これまた驚いてしまう。非常に陰湿な手口である。
が、女にはそういうところがあることも否定できない。執念深いというか逆恨みというか、憎む相手がいることで自分を奮い立たせようする。そんな女を、私も何度も小説に登場させて来た。
「それを知った夫は、そこまでやる晴恵に空恐ろしさを感じたようです。結局、それで尚更別れられなくなったと言っていました。別れたら、何をされるかわからない気がして、不安になったと」
それはそれで腹立たしい言い訳である。
「このことは、夫は最初、死ぬまで秘密にしておくつもりだったようです。でも、思いがけず私のがんが再発して、先に死ぬことがわかって、罪悪感に苛まれたんでしょうね。懺悔となったわけです」
夫を許したのですか?
「許すというか、深々と頭を下げる姿を見ていたら諦めみたいな気持ちになっていました。考えてみれば、この人をひとり遺してゆくことが、結局最大の復讐になるんだろうなって」
確かに残酷な復讐である。
これ以上根も葉もないことを言うなら
名誉棄損で訴えてもいいのよ
「でも、晴恵はこのままにはしておきません」
郁代さんはきっぱりと言った。
何を考えているのだろう。
「この間、彼女に電話したんですよ。直接話をするのは、仕事を辞めて以来ですから30年ぶりくらい」
相手の反応はどうだったのだろう。
「そりゃあ、驚いてましたね」
どんな話を?
「世間話をする気はなかったので、単刀直入に聞きました。あの時、社長との不倫の噂を流したのはあなたねって。その上、私の夫と不倫してたわねって」
そしたら?
「最初はとぼけてましたよ、誤解だの勘違いだの、はぐらかそうとしました。すべて夫から聞いていると言っても、何の話かわからない、旦那さんボケたんじゃない、なんて言うんです。挙旬の果て、これ以上根も葉もないことを言うなら名誉棄損で訴えてもいいのよって言い始めました」
強気に出て来ましたね。
「その時まで、もし晴恵が心から謝罪してくれるなら、すべて水に流そうと思っていたんです。けれど、その気がまったくないことがわかりました」
不貞を訴えると伝えて慌て始めた晴恵
それで?
「さすがに私も腹に据えかねて、わかった、じゃあ私もあなたを不倫で訴えさせてもらうわねって言ったんです」
おお。
どう返って来ましたか。
「彼女は『あなたが恥をかくだけよ』って。『たとえそうだったとしても、そんな昔のことなんてもう時効だし訴えられるわけがない』って笑いました。だから私、言ってやったんです。知らないようだから教えてあげるけど、浮気の時効は20年、あなたは7年前まで夫と会っていた、私がそれを知ったのはつい最近だし、浮気消滅時効は3年ある。だから、いくらでも訴えられるのよって」
詳しいんですね。
「インターネットできっちり調べさせてもらいましたから」
相手の反応はどうでしたか。
「慌て始めましたね。それで、会うといったって年に数回のことだし、お茶を飲みながら世間話をする程度のことだから浮気じゃないって。それなら、調停の場でそう言えばいいんじゃないって返したら、絶旬していました」
不謹慎ではあるが、ちょっとスカッとする。
「晴恵はすっかり黙り込んでしまって、話にならなくなったから、最後に、いつ裁判所から呼び出しがかかるかわからないから覚悟しておいてね、と言って電話を切りました」
あの時私が苦しんだのと同じくらいの時間を、
彼女にも味わわせてやる
彼女は今、どんな気持ちで過ごしているだろう。
「そりやあ、落ち着かないでしょうね」
それにしても、本当に訴えるつもりですか。
「余命のことがありますから、たとえ訴えたとしても時間切れになるでしょうね。ただ、少なくともあの時私が苦しんだのと同じくらいの時間を、彼女にも味わわせてやるつもりです」
そして、郁代さんはまっすぐな目を向けた。
「私ね、命が限られたと知ったら、人はきっと悟れるに違いないと思っていたんですよ。すべてに感謝し、すべてを赦し、誰も恨まず憎まず、仏のような気持ちになってあの世に旅立てるんじゃないかって。ましてやこの歳ですし。でも、実際はそうじゃなかったですね。本音を言うと、今、とても爽快な気分なんです。もしかしたら訴訟可能な3年くらい生きられるんじゃないかって思えるほど」
実際、とてもエネルギッシュに見える。
「もし、彼女のことを胸の中にしまったままあの世に行ってしまったら、ちゃんと成仏できなかったんじゃないかしら。彼女の枕元に化けて出るかもしれません。現世の決着は、やっぱり現世で付けておかなくちゃね」
そう言って郁代さんは快活に笑った。
若い人からしたら、いい年をした大人が、
と呆れるだろう
恋愛話ではなかったが、それに勝るとも劣らぬ濃い話を聞かせてもらった。
郁代さんの最後の落とし前をどう思われただろう。死期を悟っても、決して赦そうとしなかった決断に、様々な感覚を持たれた方がいるだろう。
「昔のことなんだから水に流してあげればいいのに」
「世俗の感情など捨てて死を迎える方が本人も気が楽なのでは」
それは確かにもっともな意見だが、逆に、溜飲を下げた方もいるはずだ。
「なぜ、された方が黙って許さなくてはならないの」
「それが生きる励みになるなら容赦なく叩きのめせばいい」
そっち側に手を挙げる人もいるだろう。
私は、理想としては後者だけれど、きっと納得できないまま、黙って終わらせてしまうタイプのような気がする。とはいえ、その状況になってみないとわからない。私にも、私の知らない私がまだまだ埋もれているに違いない。
そして、郁代さんの話を聞きながらも、実のところ、晴恵さんの言い分も聞いてみたかったというのがある。
30年もの間、家族と友人を裏切り続けて来たエネルギーは、どこから湧いて来たのだろう。ずっと心の中に抱えていた仄暗い何か。たとえば郁代さんに対する競争心や嫉妬心。相手が郁代さんの夫でなければ、関係は持たなかったのではないか、とも思える。世の中には「あの人より幸せだ」と思うことでしか自分の人生を肯定できない人間もいるのである。晴恵さんもそんなひとりだったのかもしれない。
若い人からしたら、いい年をした大人が、と呆れるだろう。それも自分の親年代の恋愛がらみの揉め事など、聞きたくもないと感じる方も多いはずだ。
けれど、いつか、その年齢になればわかる。
大人になっても、いやなったからこそ、人知れず、けれども確実に、恋愛はそこここで繰り広げられている。恋愛を前にすると、そこにいるのはただ心を拗らせた少女と少年でしかないのである。
わかって欲しいとは言わない。どうせ、いつか気づく時が来る。その時「これがそうか」と思い出してもらえると嬉しいが、もちろん忘れているだろうし、それでいい。そうやって私もこの年になってしまった。
さて話は逸れるが、双方共に郁代さんぐらいの年齢で恋愛中のカップルがいる。互いに独り身。それぞれの家を行き来し、食事に出掛けたり、時には旅行したりと、後半の人生を楽しんでいる。互いの家族も受け入れているという。
女性はこう言っている。
「もう嫁も妻も母親も卒業したんだもの、籍も入れないし同居もしない。一緒に暮らせばいろいろ摩擦があるのはわかっている。もう命の限りも見えているんだし、喧嘩なんかに時間を使うのはもったいないじゃない。本来、恋愛は楽しむもの。人生の総仕上げを目前にして、ようやく本当の恋愛ができている気がする」
好きという気持ちだけでいい、他に何もいらない。恋愛とは、この一瞬のために永遠を捨てても構わない、と思えること。そう思えるのは、老いてからの恋しかないのかもしれない。
写真/shutterstock
男と女:恋愛の落とし前 (新潮新書)
唯川 恵 (著)
2023/10/18
¥924
256ページ
978-4106110177
不倫はすることより、バレてからが本番――
恋愛小説の名手が実話を元に贈る「修羅場の恋愛学」。
著者初の書下ろし恋愛新書
男は世間体をとり、女は自分をとる――。12人の女性のリアルな証言に基づく恋愛新書、爆誕!
他人の男を奪い続けて20年、何不自由ないのにPTA不倫に陥り家庭崩壊、経済力重視で三度離婚など、36歳から74歳までの、未婚、既婚、離婚経験者12人の大人の女性のリアルな証言を、直木賞作家・唯川恵が冷徹に一刀両断。
「大人の恋には大人の事情があり、責任がある」「恋愛は成功と失敗があるのではない。成功と教訓があるだけ」――恋に浮かれる人にも不倫の愛に悩む人にも、人生を狂わされた人にも。
説得力のある珠玉の名言集にして、著者初の新書。
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