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樋口真嗣少年と東京の閉塞に、怒りと暴力と音楽で風穴を開けた…文学界のサブカル選抜といえば、リュウ! リュウ・ムラカミ!【村上龍】

集英社オンライン / 2023年12月2日 12時1分

『シン・ウルトラマン』の樋口監督が、1982年、高校生時点で見た原点ともいうべき映画たちについて熱く語るシリーズ連載。今回は映画を離れて作家の村上龍氏の話…と思わせて映画へ!

1982年、サブカルがやってキタ!

まあ高校2年という年齢のせいにしてしまえばそれまでかもしれないが、どうしてあんなに自意識が大きくなっていたんだろうか? 中学の頃とは違う、中学の頃よりもタチの悪い念が渦巻き沈澱していたのだ。 何者でもない自分を棚に上げて俺はお前たちと違うんだよ、俺はお前らと一緒にくすぶってるような人間じゃねえんだ! そんな内なる魂の叫びを一瞬でも外に漏らしたら、入学以来築き上げてきた“当たり障りのない樋口くん”が崩壊してしまう。



本当の俺、破壊、恐怖、絶望を好み、死と血を愛する俺様がなぜ、唾棄すべき凡俗どもに「樋口くんヤバくない?」などと言われなければならないのか? この俺の崇高な理想が理解できないお前たちに俺の本当の姿を教える必要なんてない!

おい40年前の俺! そういうこと思ってもいいけど、ノートの端っこにびっしり描いたら消すか焼くかしたほうがいいぞ。残すな! いまの俺が見たらもう死にたくなるほど恥ずかしいじゃないか。過去の俺が未来の俺を攻撃するとは、逆ターミネーター。やるな40年前の俺。すげえダメージだ…!

中学2年から高校2年までの3年間に何が起きたのか。もちろんマンガや特撮やアニメや映画を中心に生きてきた訳ですが、それを包括しつつ大きな流れというかうねりのような動きが、社会の中に始まっていました。

サブカルです。サブカルがやってきました。

「ビックリハウス」「宝島」といった雑誌の、社会の隙間、重箱の隅をつついてうすら笑いを浮かべるセンスかっこいい! 音楽はYMOから派生したニューウェイブのエッジの効いたサウンドやべえ! 王道を嘲る斜め向きな姿勢が最先端だと、今にして思えば勘違いも甚だしいのですが、いずれなっていくであろう大人に対して翻せる唯一の反旗がサブカルでした。

なんせ中学生から高校生にかけてだから仕方ない。 友達の少ない、教室に居場所のない奴らが自己正当化のために纏う鎧、それがサブカル! そして文学界のサブカル選抜といえば、リュウ! リュウ・ムラカミ! 村上龍先生ですよもう!

樋口少年を興奮させた著者第2作『コインロッカー・ベイビーズ』
村上龍・著/講談社文庫

デビュー作にして芥川賞をかっさらった『限りなく透明に近いブルー』の、それまでの行儀のいい教科書的な文学と真逆の、不良性あふれる世界は刺激的だったけど、いかんせん中学生にはちょっと早すぎた。主人公たちが耽嗜するドラッグの描写がどうにもこうにも中学生には連関すべき体験が見当たらず、想像力の範囲を超えて、それほどまでにヤバい体験がオトナになったら待ち受けているのか?と訳もわからずビビるあたりが所詮中学生。

しかしその後の1980年に上下巻の大冊で出版された『コインロッカー・ベイビーズ』は、もろにストライクでした。コインロッカーに遺棄されても生き延びて成長した2人の少年の波乱に満ちた人生を軸に、ダチュラという人間を凶暴化させる軍用ドラッグ、少年愛癖のある音楽プロデューサー、巨大なワニを飼うモデル少女、というアイコンが、東京の閉塞に怒りと暴力と音楽で風穴を開ける——。

幼少の頃から繰り返し夢想していた破壊、滅亡のイメージの中心に、自分と同世代の少年の刹那的な衝動が抑圧されたわたしの自我を解放していく。実際にそんなことしたら社会的に抹殺されるであろう、暴力による破壊が活字を追うだけで体感できるのだ。

——と、映画でもない、漫画でもない、小説だけが紡ぐことのできる言語化できない衝動に興奮したものです。

限られた者のみに狭く深く刺さるもの

あとで知ることになるのですが、井上陽水、小椋佳を世に出した音楽プロデューサーの多賀英典さんが、1976年に親殺しの少年を描いた『青春の殺人者』(1976)でデビューした長谷川和彦監督の2本目の映画として村上龍さんに書かせたけど、実現しなかった数本のプロットの中の一つをもとに小説化したのが『コインロッカー・ベイビーズ』だったのです。

そして、村上龍先生と袂を分かった形の長谷川和彦監督が、2本目の映画の題材として選んだのが原爆。その映画が製作、公開されたのが1979年。

鬱屈した人生を歩む物理教師が原子力発電所からプルトニウムを盗み、独学、自力で原爆を作り、政府を恐喝する。神に等しい原子の力を手に入れたにもかかわらず、物理教師は何に使えばいいかわからない。そんなシニカルな切り口の物語を、当時最高レベルのダイナミックなアプローチでカタチにした『太陽を盗んだ男』(1979)に対する返歌が、小説としての『コインロッカー・ベイビーズ』であるようにも見えました。

どちらも映画や小説の可能性を拡張させるようなエキサイティングな波を作りだし、それが『スター・ウォーズ』(1977)とは違う軸で押し寄せている気がしました。 『スター・ウォーズ』は全世代にくまなく届くようなオープンな娯楽性なのに対して、その波は限られた世代や生き方を選んだ者のみに狭く深く刺さってくるのです。

樋口少年が夢中になった、エッセイをまとめた『アメリカン・ドリーム』
村上龍・著/講談社文庫

どちらの優劣を競うものでもありませんが、『太陽を盗んだ男』や『コインロッカー・ベイビーズ』は、この社会にちょっとでも疎外感を感じている自分たちに向けてダイレクトに語りかけられている! これこそがサブカルであり、もしかしたら大変な過ちを犯しているかもしれないけれど、それが共有できるのも10代の特権なのではないかと都合のいい解釈で乗り切ろうという図々しさがまた10代であると言えましょう。

村上龍先生については、小説だけでなくエッセイも貪り読みました。当時写真を中心としたグラフィカルな視点で時代の断面を切り取っていたサブカル雑誌「写楽」(と書いて“しゃがく”と読む)という月刊誌が小学館から出ており、世の男子高校生どもは篠山紀信撮影による衝撃のグラビアに夢中になってましたが、私は違った。巻頭を飾る清純派女優決意の素肌を飛ばして、巻末・モノクロページの村上龍エッセイ連載「アメリカン・ドリーム」から立ち読みしていたのは、世界でもおそらく俺一人でしょう。 ちょっと後の1984年ごろの話ですが。

主演はハリウッド・スター!?

そんな村上龍先生の次回作は映画化を前提として書き下ろした小説であり、その映画は自身で監督する!という情報がかなりセンセーショナルに発表されたのが1982年のことでした。

なんせ、『コインロッカー・ベイビーズ』の作家がオリジナルストーリーで監督する映画のスタッフのほとんどは、『太陽を盗んだ男』のクルーだというではありませんか! ヤバい! 間違いなく俺のために、俺を興奮させるためだけに、ドリームチームが日本のどこかで結成されてすごい映画を作り始める!

追加情報が出て、だんだん映画の全貌が見えてきます。主人公はゴンジー・トロイメライという名のスーパーマンのいとこ。そのオフビート感覚はまさにサブカル! とはいえスーパーマンというアメリカを代表するIPをどうやって日本映画に連れて来られるのか、事情は当時の高校生にはわかる術もありませんがとにかくヤバいです。そんなことを思いつくのも、そんなことができるのも村上龍先生以外には考えられません。

製作が、先の村上龍×長谷川和彦をぶつけようと企んだ音楽プロデューサーの多賀英典さんだったこともあり、参加するミュージシャンがとんでもなく豪華でした。加藤和彦、清水信之、来生たかお、高中正義、桑田佳祐、そして坂本龍一(敬称略)…サブカルも束になったらメインカルチャーでしょう。1本の映画では考えられないようなメンバーが集まり、サウンドトラックを作り上げられるのも、音楽会にも顔がきく村上龍先生以外には考えられません。

そして主人公ゴンジー・トロイメライはアメリカのサブカル、ニューシネマのアイコン、『イージー⭐︎ライダー』(1969)の主人公、キャプテン・アメリカことピーター・フォンダ! どうしてピーターが極東の島国、日本映画に参加するのか? 参加できるのか?

『イージー★ライダー』のピーター・フォンダ。当時の若者を熱狂させた、時代の顔ともいうべき存在
©Mary Evans/amanaimages

とにかく高校生レベルでも日本映画の歩留まりなんてものはなんとなく推して知るべしだったのに、それを『だいじょうぶマイフレンド』は易々と飛び越えてきます。 しかも特撮は村上龍先生が直々にハリウッドの特撮ファシリティを見て回った結果選んだ『アウトランド』(1981)で木星の衛星イオの採掘プラントを映像化した、発足まもないイントロビジョン社が担当。

そのスケール感に眩暈がしますが、これが1982年に起きていて、我々高校2年生も体感できる、世界が変わるかもしれない映画革命の足音だったのです。

※この項続く

文/樋口真嗣

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