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なぜ男性は座って用をたすようになったのか…「座る派」に転向した人々の4割が実は本心では「立ちたい」と思っている事実

集英社オンライン / 2023年12月8日 11時1分

ある洗剤会社の調査によると、近年、男性で「小用をするときには座る派」が49%にのぼり、「立つ派」の45%を超えているという(2018年)。なぜ男性のトイレスタイルの意識が変わったのか、男性の心理を『ルールはそもそもなんのためにあるのか』より一部抜粋・再構成して解説する。

片側は譲るが、席は譲らない──
「優先席」という悪しきルール

エスカレーターではルールが変わっても、急ぐ人々のためにいまだに右側もしくは左側を自ずと譲る人々が減らない理由について述べた。しかしその一方で、電車内の席は譲らない人々が多い。これはなぜなのか。

2023年初夏、駐日ジョージア大使のSNSヘの投稿が話題となった。彼は自分のアカウントに、電車に揺られながら都心に向かう姿を公開した。その画像は、ラフな格好で席に腰掛け、読書をしている姿だった。電車は空いているようだったが、彼が座っていたのは「優先席」だった。



この投稿に対し「どうして優先席に座っているんですか?」「優先席座るなよ」などの批判的コメントが寄せられた。

それらに対し、ジョージア大使は、「空いている優先席に座ることには問題ありません」「理屈のない不要な圧力は、生きづらい社会につながる。必要とする人が来た時に、率先して譲る精神が必要である」とコメントした。

その後、SNS上には大使を支持するコメントに溢れることとなった。「優先であって専用じゃないのだから、必要とされる方がいたら譲れば問題ない」「空いているなら座っても問題ない。逆に混んでいるときには座らない方が迷惑」など。

だが、批判的なコメントにも耳をかたむけるべきだろう。「自分は優先席を必要とする当事者だが、すでに座っている人に対して譲ってくださいと言い難いから空けておいてほしい」「先に座っている人がいたら、優先席が必要な人でも、譲ってもらえないだろうと諦めてしまう」など。

これらの意見も理解できる。見た目では分かりづらい障がいがある人や、さまざまな理由でヘルプマークをつけている人など、座る必要があっても自分から言えない人がたくさんいるだろう。

私の見解を述べよう。「優先席」だが、1車両に3〜6人分である。だが乗客の中には、座る必要がある人がもっと多くいるだろう。だからあれは、鉄道会社の免罪符みたいなもの、いわゆる「やってます感」を出しているだけのものではないかと思っていた。

しかも問題なのは、乗客はそういう席があるからいいやとばかり、空いた席に座ったとたん居眠りを決め込むとか、スマホとイヤホンで他の人々への関心をシャットアウトしている。つまり優先席は、乗客が、困っている人々への気遣いや思いやりをもたないことを許す口実になっているのだ。

優先席もルールのひとつとすれば、それは他者への関心や想像力を失わせるルールであり、悪しきルールの典型である。むしろ優先席をなくし、困っている人に気づいたら進んで席を譲ることができる他者への関心を培うことの方が大事だと思う。大使も「(座ることを)必要とする人が来たら率先して譲る」という姿勢こそが社会全体に必要だという趣旨のことを語っている。私も至極同感である。

一方で、席を譲りたくても行動に移せないという人もいる。恥ずかしがりの人、また、高齢者だと思って席を譲ったらキリッと断られたなどの経験がある人々である。社会心理学に「評価懸念」というのがある。自分が助けに行って何もなかったとしたら皆の前で恥をかくことを恐れるがゆえに助けに行くことを躊躇するということである。だから譲られた人も、たとえ必要なかったにもせよ、「ありがとう」の一言を添えて優しく断ってほしい。

条例を作ってもエスカレーターの片側空けがなくならない理由、そして優先席ルールの弊害について述べた。いずれも利己主義と他者への無関心が原因となっている。ならば、それらと真逆の事情がはたらくならば、ルールは自ずと変わりやすい、ということになる。

実は、その真逆の事情がはたらいているがゆえに、男性の小用のたし方が変化しているといえるのである。

なぜ男性は座って用をたすようになってきたのか

ある洗剤会社が「男性のトイレスタイル大調査!」というのを実施した。対象は20〜60歳代の男性500名である。それによると近年、「小用をするときには座る派」が49%にのぼり、「立つ派」45%を超えているというのだ(2018年)。

もちろん、男性は公衆の面前で用をたすわけではない(酔っ払って電柱などに立ち小便することはダメですよ!)。だからあくまでも自宅の洋式トイレでのスタイルを回答してもらった結果である。年齢別では30歳代と、意外にも60歳代で「座る派」が多かった。

「立つ派」にその理由を問うと、案の定「習慣だから」というのが90%近くで圧倒的。続いて「男は立つものだから」というプライドによる理由が30%ほどであった。やはり古来の慣習やルールが「内的側面」になっているがゆえに立つスタイルに固執する人が多いようだ。一方、「座る派」に変わった人々の中には、「身近な人から座って欲しいといわれたから」というのが20%近くあった。

ここでひとつ気づくことがある。「自宅のトイレ」と「家族や恋人など身近な人々と共用している」という事情が、立つ習慣を変えることに影響しているということである。エスカレーターの利用法が変わらない原因の中に、「周囲の人はみな赤の他人」「他人の不利益など知ったこっちゃない」というのがあった。

それと真逆なのである。自宅のトイレはプライベートな空間である。しかし同時に家族などと共用する(トイレが複数ある大邸宅もあろうが)。その家族から「座ってしてよ」と言われると、よほど頑固な人でもない限り、座るスタイルに変えざるを得ない。どうやら、公共の場でなく「私的な空間」で、赤の他人でなく「親密な人々」と関わっている場合には、その「親密な人々」の苦情を受け入れて習慣を変えやすいようである。

古来の「立つスタイル」では、便器の外に尿ハネが飛散することが近年問題視されている。汚しがちな箇所を尋ねると、70%くらいの人々が「便器のふち」と回答した。他には「床」「便座の付け根付近」「便器の外側」と続いている。汚れを放置していると家族や恋人などから𠮟られるのだろう。

汚してしまったときには6割の人が「いつも拭いている」らしい。そういうことが続けば、いっそ座るスタイルに変えた方がましという選択になるだろう(もちろんそういう人々も、公衆トイレでは立ってするだろうが)。ひとり暮らしであっても、自宅のトイレを清潔に保ちたければ、座ることを選択するだろう。つまり親密圏の人々に注意されることだけが理由でなく、「自分の利益のため」というのもルール変更の理由になっているのである。

「座る派」に転向したきっかけとしては他に、「引っ越した」「自宅を新築した」「結婚した」などが挙げられている。新居のトイレは汚したくない、配偶者に嫌がられたくない、などの動機がよくわかる。

いずれも突き詰めていえば自分の利益に関わることである。このように、赤の他人と共用する公共物エスカレーターの場合とは真逆に、自分自身や自分の所有物は汚したくない、自分の配偶者や家族とは永続的な関係を保ちたいという動機がはたらくことによって、多くの「立つ派」が「座る派」にあっさりと転向したのである。

とはいえ、調査した対象の男性の7割が、やっぱり「立つスタイル」のほうが好きと答えている。「座る派」に転向した人々の中の4割も、実は本心では「立ちたい」と思っているという。本音は立って用をたしたくても、家族や身近な人との関係を維持する、そして自分の家は汚したくないという自己利益の方が勝った結果、「座る」方にシフトしたのだろう。

ゲーム理論を参考にすれば定着したルールを変えられる

定着したルールを変更させるためには、罰則を設けて命令したり、「こうした方が効率的なんですよ」「みんなのためになるんですよ」と口を酸っぱくして説得したりといった方法だけでは限界がある。逆に人間の利己性を利用した方がいい。

これまでのやり方を変えた方が自分自身の利益になる、また身近な人々との長期的な関係をよい状態で維持する、ということを経験させ、実感させる方が効果的なのである。

昭和の駄菓子屋のよい知恵がある。まだジュースの容器が瓶だった頃、飲み干した空き瓶をポイ捨てされないように、返してくれたら10円返金する、というものである。子どもたちはその10円でさらに駄菓子を買ったりゲームを楽しんだりした。いわゆるディポジット制度みたいなものである。

違反者に罰を科すことによって行動を改めさせようというのが、法律や条例などの常套手段であったが、前述したようにそれは監視・摘発をする人員を要するうえに、隠れて違反されることを止めることができないので不効率だ。

それよりも違反をしない方が自分の具体的な利得になるというシステムを作る方がよいのである。たとえば家電の不法投棄が社会問題になっているが、それは廃棄の時に高い負担金が課せられるからである。それよりは、新製品購入時に処理費用を一緒に徴収する方がマシだろう。

写真/shutterstock

『ルールはそもそもなんのためにあるのか』 (ちくまプリマー新書)

住吉 雅美 (著)

11月9日発売

880円(税込)

176ページ

ISBN:

978-4480684660

ブルシットなルールに従う前に考えてみよう!
この国で疲弊しているあなたには「法哲学」が必要だ

決められたことには疑問も持たず従うことが正しいと思っている人が日本社会には多い。だが、ルールはどういう趣旨で存在するのか、その目的を理解した上で従うものではないか?

ルールの原理を問い、武器に変える法哲学入門。

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ルールは、そもそも何でそういうルールが作られたのかという目的を考えなければ理解できないし、また、それを忠実に守ることによって自分が得られる利益と、それを破ることによって得られる利益とを天秤にかける必要も出てくる。……

私は、守った人が損をするルールはダメルールだと考えている。その意味では日本の議会、政府、自治体は、ルール作りがヘタッぴだなーと思っている。そういう怒りを込めて、この本を書こう。……

フランスのアナーキスト、ピエール・ジョセフ・プルードンは言った、「法律は、金持ちにとっては蜘蛛の巣。政府にとっては漁網、人民にとってはいくら身をよじっても脱けられない罠」だと。まさに今の日本の状況そのものじゃないか!……

こんな日本でルールをどう語ったら良いのか。政府や役所を信頼してもしょうがないから、庶民が各自の生活と命を守るための自生的なルールの可能性を考えてみよう。
(はじめにより)

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