1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

崩壊直前の1991年6月のソ連にて…「ビッグマックに大行列、ワイロとチップがものをいう…これが社会主義というものだ」

集英社オンライン / 2023年12月19日 8時1分

1991年ソビエト連邦崩壊。2022年ロシアによるウクライナ侵攻――30年前と現在で、変わったもの、変わらないものとは。1991年から94年にかけて、ソ連崩壊前後の激動の時代をTBSモスクワ支局特派員として過ごした記者・金平茂紀は、ロシアによるウクライナ侵攻直後、30年振りにロシアを訪れた。その体験を日記形式で綴った書籍『ロシアより愛をこめて あれから30年の絶望と希望』より一部抜粋して、「大国ロシア」とそこで暮らす人々の実態をお届けする。

モスクワの夏

前略。
早いもので、ここモスクワに住み始めて3カ月が過ぎてしまいました。今、モスクワは緑が鮮やかでとてもいい季節です。

今実感しているのは僕たちがいかにソビエトのことを知らないかということです。別の言い方をすれば今までいかに「知ったかぶり」をしてきたか。ソビエトに関する数えきれないほどの言説と出会っていたのにそれらが何と空虚に感じられることか。ペレストロイカ。グラスノスチ。急進改革派。保守派。社会主義革命。チェルノブイリ。KGB。ゴルバチョフ。



エリツィン。これらの記号を組み合わせて何かを言ったような気がしても次の瞬間に「だからそんな解釈がさ、何だっていうの?」という声が聞こえるような気がするんですよね。現地の重みというか、そう、言葉以前の生活のリアリティーとでもいうか、うまく表現できないんですけれども。

例えば最近モスクワの街角で物乞いをよく見るんですよね。それから都心をツィガン(*1)と呼ばれている浮浪児たちの集団が闊歩していたりする。僕も一度彼らに取り巻かれてポケットに手を突っ込まれるわ、腕時計を引っぱがされそうになるわ、思わず力を込めて彼らを振りほどいたんですが、よく見ると、彼らはまだ小さな子供なわけです。

裸足だし、髪はボサボサだし、でもものすごく力は強い。何か社会主義という言葉とそういう現実がやっぱり頭の中でどうもうまく噛み合わない。悲惨な現実がこんなに露わでいいのかな、などとつい思ってしまうのです。

さて、こちらの食料事情は飽食日本とは比べる術もないのですが、やはりあるところにはある。けれどもモスクワの市民が正直に公営商店にだけ通っているとろくな食物が手に入らないという目に遭ってしまうみたいですね。今は夏だから、自由市場(ルイノク)なんかに行くと結構ものが豊富ですけど、ロシア人の収入を考えるとメチャ高です。

でも僕らは外国人しかも日本人(ヤポーニェッツ)ですから、こちらじゃ特権階級です。大体の外国人は(といっても出稼ぎに来ているベトナム人とか北朝鮮の人なんかは別ですけど)ハードカレンシー・オンリーの外国人専用のスーパーマーケットで生活用品を買い込んでいます。

ビッグマックを食べたいロシア人

ロシア人たちはどこへ行っても長い長い行列を作ってものを買うわけですが、外国人はドルとかクレジットカードを持っているがゆえにそういうところでものが買える。

ちょっと前、この種の外貨スーパーのウインドーに誰かが投石して、ガラスがメチャクチャに壊されたことがありました。スイスとの合弁企業の「サトコ」というスーパーは、この春からドルさえ持っていれば誰でも買い物ができるというふうに規則を改めたんですが、その途端、2軒あるこの「サトコ」の前にはロシア人たちの長い長い行列ができるようになりました。

ロシア人たちはさまざまなルートで手に入れたドルを片手に握りしめながら公営商店では絶対売っていないコーラとかウイスキーとか靴とか肉・野菜のたぐいを買うわけです。

でもドルを入手できるロシア人はほんの少数でしかない。モスクワへの外国人観光客を狙うタクシーの運転手とか外国企業で働いている人とかそれくらいなわけです。1回の買い物量を見ると、アメリカ人それから、日本の商社もすごいです。ロシア人の運び屋を連れてきて、一度にコーラとかビールなんか10ケースとか20ケースとかでまとめて買って持っていかせる場面なんか見たことがあります。

行列で思い出しましたけど、東京の街ならどこにでもあるマクドナルドというのがモスクワに1軒だけあって、ここには「アメリカを食べたい」というロシア人たちが信じられないくらいの長い行列を作って待つわけです。ビッグマック1個の値段が10ルーブル。日本円に直せば50円ぐらいですけど、こっちの大卒の初任給が180ルーブルくらいですから、これはメチャクチャに高い代物なわけです。ピザハットというピザ屋さんもあるんですが、こちらの方ではロシア人はもっと残酷な目に遭わされる。

入口がハードカレンシーを持っている者とルーブルしか持っていない者とで別々になっていて、僕らはもちろんすぐに入れて座って食事ができる。けれどもロシア人たちは雨が降ろうが雪が降ろうがカンカン照りだろうがまた行列を作らなければならない。でも、こちらの社会は独特のコネ社会があって、そういうつてをロシア人たちはうまく利用しておいしいものを手に入れているみたいです。

ここモスクワで見ている限り、通貨は実質的にドル本位制みたいなもので、マールボロ1個が大体今30ルーブルくらいの価格で取引されている。平均的なアパートの家賃が1カ月15〜20ルーブルくらいですから、マールボロ1個さえあれば、家賃2カ月分になる。何という理不尽。でもそのアパートがほとんどもう見つからない状態だというから超大国が聞いて呆れるというものです。

「ベーソ」という語感があるでしょ? 米ソ、つまりアメリカとソ連ですけど、二大超大国なんていう冷戦構造下のウソっぱちをよくもまあ無理やり突っ張ってもちこたえてきたなと思うんですよね。だって、モスクワ市民の平均的な生活水準はとてもアメリカの比じゃないし、そうですね、アジアのNIES諸国(編注/シンガポール・台湾・韓国など)よりもずっと下というのが実感ですよね。

まあ、1940〜50年代というのはちょっと別だったんでしょうけど。全く人間というのは観念で生きる化け物だと思います。「ベーソ」という観念が結構生きながらえていたんですから。

何人かの学生と話をしたんですが、彼らは西側の価値観を100%礼賛していて、できるならば亡命したいとまで言う。アメリカは難しいと思うが、オーストラリアはどうか? いや、南アフリカやイスラエルでもいいが、などと本気で聞かれると、ちょっと何と答えたらいいのか困ってしまいます。

例えば日本の常識じゃ考えられないような理不尽な目に遭うとするでしょ。そうすると「どうしてだ?」と若い人たちに聞くと、決まって「これが社会主義というものさ」(エータ・ソツィアリズム)と答える。

飛行機移動にはワイロが必須

アエロフロートで国内を移動すると、各空港では大抵イヤな経験をする。機内への荷物持ち込みの重量制限が極端に厳しいため、僕らの場合大体が重量オーバーになる。そういう時、空港の職員は必ずと言っていいほど、「タバコ持ってるか?」とワイロ(=タバコ)を要求する。

「こういう不正を誰か咎めたりチェックしたりする奴はいないのか?」と言うと、「仕方のないことだ。彼の責任ではない。これは社会のシステムが悪いのだ。エータ・ソツィアリズム」と諦めたように言うわけです。

彼の説明はこうです。空港職員の給料だけでは家計が苦しい。もともと機内持ち込みが極端に厳しい法律自体が理不尽なのだ。あの場で職員とケンカをすると正規のバカ高い(といっても日本で考えると安い)超過料金を支払ったうえ、預けた荷物が届く保証はない。

「そうすると、あのようなことが変わるきっかけとして誰が一体最初に異議を申し立てるのか?」と興奮気味に尋ねると「さあね。知らない。これが社会主義だから。彼のようにワイロをとって生きようがクソ真面目に働こうが給料は同じだからね。家族のことを考えるとワイロを要求する彼の方がエライと思うよ」。


* * *
最後に最近経験した話を1つだけ報告しときます。こちらへ来てまもなくの頃、うちの大型冷凍庫が突然ぶっこわれてしまい、東京から持ってきた生鮮食料品がほとんどダメになってしまいました。

途方に暮れて新しいのを買おうと思ったんですが、モスクワで新品の冷凍庫を購入するのは至難のわざ。ところが、ある外貨ショップに1台だけ置いてあるのを見たという人がいて、すぐに車で駆けつけたところ何とちゃんとあるではありませんか。それで買ったのはいいんですが、こちらには品物を配達するシステムというのがないんです。だから、買ったものは全部自分で運ばなくちゃならない。大型冷凍庫なんて乗用車に入るはずもない。

困ったもんだと思案していると、そこの女店員が「隣の病院へ行け」と言う。「どうしてか?」と思ったら、病院の救急車にチップを渡せばいつでも運んでくれると言う。「みんなやっていることよ」と彼女はこともなげに言うわけです。どうも僕はそれ以来、街中で救急車と出会うたびに、あのサイレンを鳴らしながら猛スピードで走っている救急車の中身は冷蔵庫に違いないと思うようになりました。

では、お体に気をつけて。ロシアより愛をこめて。さようなら。


*1 ツィガンというのはヨーロッパ各国で通称「ジプシー」と呼称されている流浪の民と同じと考えてもいいかもしれません。彼らは寒い冬の間は南の地方に流れ、暖かくなるとモスクワなどの都市部に戻ると言われています。


写真/shutterstock

ロシアより愛をこめて あれから30年の絶望と希望

金平 茂紀

2023年9月20日発売

1,056円(税込)

文庫判/480ページ

ISBN:

978-4-08-744567-1


1991年ソビエト連邦崩壊。2022年ロシアによるウクライナ侵攻――
30年前と現在、変わったもの、変わらないものとは。
記者・金平茂紀が見た「大国ロシア」のありのままの姿。

1991年から94年、ソ連崩壊前後の激動の時代をTBSモスクワ支局特派員として過ごした著者が見たロシアの実態、そこに生きる人々との交流を書簡と日記形式で綴る。そして時は流れ、2022年ロシアはウクライナに侵攻する。開戦直後にウクライナを訪れた際の日記、22年~23年の年末年始にモスクワを訪れた際の記録を追加収録。著者の体験を通し、「大国ロシア」とそこで暮らす人々の本質に迫る。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください