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どんな暴力映画よりも絶望的な“老い”と“死”を追体験させる傑作。鬼才ギャスパー・ノエが提示した、ホラーよりも恐ろしい現実

集英社オンライン / 2023年12月9日 17時1分

人は必ず老い、そして死ぬ。しかも65歳以上の高齢者の3人に1人は認知症になるという。理屈ではわかっていても、ごく身近な人がそうならない限りなかなか自分事として考えられないかもしれない。暴力、性、薬物などを題材に、観客に居心地の悪い思いを強いてきたギャスパー・ノエ監督が、老いと死を疑似体験させる新作『VORTEX ヴォルテックス』は恐ろしすぎる傑作だ。【※本記事では映画『VORTEX ヴォルテックス』の内容や結末に触れています。ご注意ください】

問題作連発のフランス映画界の鬼才

ギャスパー・ノエ監督はこれまで、モニカ・ベルッチが9分間にわたってレイプされるシーンを描いた『アレックス』(2002)で物議を醸し、何者かにLSDを摂取させられたダンサーたちが精神を崩壊させていく『CLIMAX クライマックス』(2018)で観客にショックを与えてきた。かつてフランス映画界の若き鬼才と呼ばれてきた彼も、本作公開の2023年12月には還暦を迎える。



筆者は1994年、羽田空港近くのホテルのバーでギャスパーと2人で酒を飲んだことがある。そのとき、彼はまだ中編『カルネ』(1991)を撮っただけの新人監督で、ふたりとも30歳前後だったこともあって意気投合し、「モントリオール映画祭がすごくいい雰囲気だから今度行ってみるといいよ」と言われたのを覚えている。それから30年近く経ち、ともにそれなりに年を取り、親の認知症という問題に直面する年齢になったわけだ。

筆者の場合は父親が、ギャスパーの場合は母親が認知症だと聞くが、老いや死といったテーマが身近なものとなったことで、彼はそれを映画として観客に突きつける決意をしたのだろう。

スプリットスクリーンで観客を観察者に

© 2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – GOODFELLAS – LES CINEMAS DE LA ZONE - KNM – ARTEMIS PRODUCTIONS – SRAB FILMS – LES FILMS VELVET – KALLOUCHE CINEMA

実験的手法で知られるギャスパー・ノエ監督作品だが、本作では終始、ふたつの画面が横に並んで描かれるスプリットスクリーンの手法が取り入れられている。

認知症になって徘徊する妻と、必死になってその妻を探す夫、あるいは仕事をしたり愛人と電話でこそこそ話したりしている夫と、長年の習慣で散らかっているゴミを片付けている妻を同時に示すことで、観客をあたかも夫婦の行動を逐一見つめる観察者のような気分にさせる。

老いや死に抗う老映画評論家

ルイを演じたダリオ・アルジェント(左)の、俳優デビューとは思えない自然な演技は見事
© 2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – GOODFELLAS – LES CINEMAS DE LA ZONE - KNM – ARTEMIS PRODUCTIONS – SRAB FILMS – LES FILMS VELVET – KALLOUCHE CINEMA

『VORTEX ヴォルテックス』の最大の話題は、夫のルイ役を、『サスペリア』(1977)などで知られるイタリアホラー映画の巨匠ダリオ・アルジェント監督が演じていることだろう。長年の友人であるギャスパーのラブコールに応えて、齢80にして初めて俳優に挑戦した。ドキュメンタリー・タッチの本作で、演技はほぼ即興だという。

ルイの職業は映画評論家で、原稿の執筆にはタイプライターを叩き、スマホではなくふたつ折りの携帯にこだわっている。物事を変えたがらない、年寄りにありがちな頑なさが見て取れる。数年前に心臓の大手術をしたにもかかわらず、かつての愛人に「まだ愛してる」と電話をするなど、老いにあらがい、生を燃やすことに執着を示している。

家の中にはフリッツ・ラング監督の『メトロポリス』(1926)や、ジャン=リュック・ゴダール監督の『女は女である』(1961)などの映画ポスターが飾られており、“映画と夢”についての新著を執筆中という設定だ。

生き続けることを拒絶する妻

エルを演じたフランソワーズ・ルブラン(左)は、『ママと娼婦』(1973)でデビューした伝説的女優。認知症を徹底的に研究した演技は必見だ
© 2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – GOODFELLAS – LES CINEMAS DE LA ZONE - KNM – ARTEMIS PRODUCTIONS – SRAB FILMS – LES FILMS VELVET – KALLOUCHE CINEMA

フランソワーズ・ルブラン演じる妻エルは、元精神科医。ふたりはいわばキャリア・カップルだったのだが、彼女は近頃、自分が何をしているのか、ときおりわからなくなってしまう。そんな自分のことを、「もはや生きていても意味がない」と考えるようになる。

やがてルイは心臓発作を起こして自宅で倒れるが、エルは救急車を呼ぶことすら思い浮かばず、かろうじて息子に電話するものの、ルイは呆気なく死んでしまう。夫が死んだことがわかっているのかすら判然としないエルは、もはや生き続ける意味を見いだせない。

ふたりが生きた痕跡は跡形もなく消え去る

© 2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – GOODFELLAS – LES CINEMAS DE LA ZONE - KNM – ARTEMIS PRODUCTIONS – SRAB FILMS – LES FILMS VELVET – KALLOUCHE CINEMA

こうして観客は、老いと死にあらがいつつも、なすすべなく死んでいくルイと、生き続けることへの意思も目的も失ったエルの姿を目撃することになる。誇りをもってプロとして仕事を成し、夫婦として人生を共有してきた彼らの生きてきた証も、亡くなってしまえば何も残らない。

ふたりの死後、アパートにあった家具や思い出の品々は業者によって次々と運び出される。おそらくルイが大切にしていた『メトロポリス』や『女は女である』のポスターなども、その価値もわからない誰かによってゴミとして捨てられるのだろう。

部屋の荷物がしだいに片付けられ、がらんどうの部屋に戻るまでをスチール写真のモンタージュで示したラストは、ワールドプレミア上映されたカンヌ国際映画祭で、すすり泣く声が多数聞かれたという。

© 2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – GOODFELLAS – LES CINEMAS DE LA ZONE - KNM – ARTEMIS PRODUCTIONS – SRAB FILMS – LES FILMS VELVET – KALLOUCHE CINEMA

ギャスパー・ノエが冷徹な目で示したのは、人が生きた痕跡は跡形もなく消え去っていくという、恐ろしく残酷でもあるが、至極まっとうな事実にほかならない。

老いと死は、すべての人間が経験していく普遍的な出来事であり、誰もあらがうことはできない。そのことを淡々と疑似体験させる『VORTEX ヴォルテックス』は、どんなホラー映画よりも恐ろしく、どんな暴力映画よりも絶望的だ。


文/谷川建司

『VORTEX ヴォルテックス』(2021)VORTEX 上映時間:2時間28分/フランス


映画評論家である夫(ダリオ・アルジェント)と、元精神科医で認知症を患う妻(フランソワーズ・ルブラン)。離れて暮らす息子(アレックス・ルッツ)は ふたりを心配しながらも、家を訪れるたびに金を無心する。心臓に持病を抱える夫は、日に日に重くなる妻の認知症に悩まされ、やがて日常生活に支障をきたすようになる。そして、ふたりに人生最期のときが近づいていた……。

© 2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – GOODFELLAS – LES CINEMAS DE LA ZONE - KNM – ARTEMIS PRODUCTIONS – SRAB FILMS – LES FILMS VELVET – KALLOUCHE CINEMA

12月8日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開中

提供:キングレコード、シンカ 配給:シンカ

公式サイト:https://synca.jp/vortex-movie/

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