私たちが体育の先生に対して抱いているイメージの起源について、昔からよく指摘されてきたことがあります。それは、歴史的に体育の先生には、軍隊を経験した人が多かったということです。そして、これは一つの事実です。
細かい話は省きますが、少なくとも、日本において学校教育が明治時代に始まった頃には、軍隊を退役した人を、優先的に体育の先生として採用していたことがありました。現在の学校教育の原型は、1872(明治5)年の「学制」という制度の開始とともに始まりました。その後の1924(大正13)年の調査では、体育の先生の半分以上が退役軍人だったとも言われています。
そこから、1945(昭和20)年に日本が太平洋戦争に敗戦し、学校教育の抜本的な改革が行われるまでのおよそ70年の間、なんらかのかたちで、退役軍人が学校の体育にかかわっていたと考えることができるわけです。
2023年の現在から振り返ってみると、日本の学校における体育の歴史の約半分は、退役軍人を体育の先生にしていくことを、国として進めていたという事実が見えてきます。そして、このような歴史を踏まえて体育の先生のイメージに話を戻していくと、そこには必然的に、「軍人的」なイメージが見出されることになります。
ここで軍人的と言われるイメージには、前章でも述べた「規律」や「管理」のイメージがピッタリと重なります。つまり、整列や号令、そして行進などは、まさに軍隊において求められていたものと合致しているわけです。したがって、そのような体育の授業における先生の役割とは、さながら軍隊の指揮官のようなものであったと考えられます。言われてみれば、「気をつけ」や「休め」なども、完全に軍隊の名残だということがわかります。
余談ですが、私たちが経験している「気をつけ」の姿勢は、昔の軍隊で行われていたものとは全然違うようです。軍隊では踵重心ではなく、上半身を15度前傾させていました(竹内敏晴、1999年、『教師のためのからだとことば考』、筑摩書房)。
それが、次の行動にすぐに移ることのできる、極めて実践的な姿勢だったからです。この点、今私たちが学校でやっている「気をつけ」は、全然動ける感じのない、むしろ固まった姿勢です。これは、昔の名前だけが残っている、形骸化の典型例だと言えます。