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23歳から本格的にボクシングを始めた児童養護施設出身のボクサー・苗村修悟。「33歳までに日本王者、35歳までに世界王者。でも、本当の目標は…」ずっと存在を認めてほしかったという思いを胸に…【2023スポーツ(男性編) 3位】

集英社オンライン / 2023年12月23日 17時1分

2023年度(1月~12月)に反響の大きかったスポーツ記事ベスト5をお届けする。男性編第3位は、児童養護施設出身のボクサー・苗村修悟選手のインタビュー記事だ(初公開日:2023年7月4日)。“平成のKOキング”坂本博之氏の愛弟子、苗村修悟が躍進を続けている。苗村は坂本氏と同じ児童養護施設出身のボクサーだ。ボクシングキャリアのスタート、初めての敗戦、アマチュア王者との出世試合、そして今後の展望について聞いた。(前後編の後編)

2023年度(1月~12月)に反響の大きかった記事をジャンル別でお届けする。今回は「スポーツ記事(男性編)ベスト5」で第3位、児童養護施設出身のボクサー・苗村修悟選手のインタビュー記事だ。(初公開日:2023年7月4日。記事は公開日の状況。ご注意ください)

3年の空白期間

20歳の頃、坂本博之氏が会長を務めるSRSボクシングジムに入会した苗村だったが、すぐに足が遠のいてしまった。そして最後にジムに姿を見せてから、あっという間に3年が経った。

「東京での生活では練習時間を確保するのが難しくて。でも同棲していた彼女とも別れて、『やっぱりこのままじゃいけないな』って、もう一度ジムに勇気を出して顔を出したんです。そしたら坂本会長は『おお、苗村、戻ってきたか』とだけ言って、笑顔で出迎えてくれたんです」

苗村にとって、坂本氏の懐の深さを感じた出来事だった。待ち続けた坂本氏にそのときのことを尋ねると、短くこう言った。

「ボクシングは本人の気持ちが大事だから」

そこからはプロデビューに向けて坂本氏の指導の下、みっちりと練習を重ねていく。プロデビュー戦は2019年9月、豪快なダウンを奪っての1R TKO勝ちだった。苗村は振り返る。

「勝ったときは不安から解放されて安心したのと、同時に自分の存在が証明された感じがしました」

初めてジムを訪れてから、5年が経っていた。

デビュー戦、勝利後の控え室で(写真提供:SRSボクシングジムブログより)

その後はすべて豪快なKOで、破竹の3連勝をおさめる。師匠の現役時代と重ねて、“坂本二世”という評判が聞こえてきた。しかし腕を思いっきり振って相手をなぎ倒すスタイル自体は、「俺の指導ではないよ」と坂本氏はいう。

ジムには現役時代の坂本氏の写真が飾られている

「たまたまKOで勝ってるけどね。それよりボクシングは打たせちゃダメ。俺みたいに、打たれてもいいから自分も打つ、という戦い方は真似してほしくない。畑山(隆則)選手との試合で俺も倒れたでしょ。

『俺のようになれ』ではなくて、『俺がされて嫌だったボクシング』を手本に指導している。俺は4人の世界王者と戦ったけど、一番技術的にかなわないと思ったのは初戦の(スティーブ・)ジョンストン戦。とにかくパンチが当たらなくて、試合中びっくりした。彼がみんなのお手本」

「1回でも負けたら辞めようと思っていたけど…」

勢い任せの強打で勝つスタイルは、まもなく壁に当たる。2020年、無敗のまま迎えた東日本新人王のトーナメント決勝戦で、ダウンを奪われて完封負けを喫した。

「1回でも負けたら辞めようと思っていましたが、すぐに悔しさがこみ上げてきました。会長に聞いたら、『悔しいなら引きずらずに、早く日常生活に戻ってこい』と。それで、試合翌日からそれまでと同じルーティンでジムに夕方行って、ただ試合のダメージがあって練習はできないので、しばらくは掃除だけしに通ってました」

今でもジムの掃除は率先して行う

ジムには通い続け、やがて練習も再開した。いつかのように、目の前の道から逃げ出すことはしなかった。そして東日本新人王の敗戦から1年3か月後、苗村は復帰戦をKO勝利で飾る。

しかし5勝すべてKO勝ちとなると、その強打を警戒されて今以上に試合が組みにくくなるかもしれない。そんな不安を坂本氏が抱きはじめたころ、驚くような選手との対戦オファーが届いた。その相手、馬場龍成選手はプロ戦績こそ1戦1勝とデビュー間もないが、アマチュア戦績70戦以上で日本代表として世界選手権出場経験もある。一時は五輪代表候補とも目されていた大型新人で、競技経験は圧倒的に苗村を上回っている。

だが坂本氏は迷わなかった。

ジムワークで着ているTシャツには、会長の座右の銘であった「不動心」の言葉が背に乗っていた

「『ええ、やりますやります、ウチの苗村でよければぜひ』って。『アマチュアエリートだから馬場選手も相手見つからないでしょう?』と言ってね。はい、もちろん勝算はありましたよ。相手がプロのリングに慣れた2年後、3年後にはどうかわからないけど、今だったら十分に見込みはあると」

ゴング直前まで震えたアマチュア日本王者戦

試合相手を聞いた苗村は少し青ざめた。ただ、アマチュアエリートには対抗心があった。自分は23歳から本格的にボクシングの練習を始めた“たたき上げ”である。勲章はまだないが、自分だって一生懸命練習に励んでいる。『一般家庭の奴らに舐められるな』といういつかの反骨精神にも似た熱い思いが、内から湧いた。

しかし、試合当日。リングに上がると体が緊張で固まってしまう。

「馬場選手のアマチュア戦績が、リングコールのとき読み上げられたんです。それで自分、すげえビビっちゃって。試合が始まったら、やっぱりめちゃくちゃ上手い。

でも1R終了後のインターバルで、セコンドの中島(吉謙)トレーナーが『お前のパンチ、めちゃくちゃ効いてたよ!』て背中を押してくれたんです。それでスイッチが入りました」

2R開始から猛攻を仕掛けた苗村は作戦が功を奏し、3Rに見事レフェリーストップ勝ちをおさめた。戦前の下馬評は馬場選手が有利と見られており、いわばアップセットだった。ところがざわつく会場の雰囲気を気にする様子もなく、試合後の苗村は首を振ってコーナーに戻り、表情を落としていた。

馬場龍成戦の苗村は果敢にパンチを出し続けた(写真提供:SRSボクシングジムブログより)

当時彼のことをよく知らなかった筆者はその様子をみて、この勝ち方で不満の表情を示すとは、なんて志が高い選手なんだと苗村のことを思った。

しかし映像でよく見ると違った。苗村は安堵のあまり泣いていたのだ。

坂本一家で食べた初めての家族の食卓

苗村の所属するSRSボクシングジムには、男子3名、女子1名のプロボクサーがいる。軽量級の選手はおらず、スパーリングは主に出稽古で行う。筆者はふと、練習環境の改善を求めて、大手ジムや選手数が多いジムに移籍する選手も増えていることが頭によぎる。

練習時以外の坂本氏の態度はひょうきんで柔らかい。「あ、パソコン触ってるところ撮るの? なんか俺あれだな、キャリアウーマンみてえだな。あ、ウーマンは女だっけ」

リング上でも、また取材時も、坂本氏が苗村を大切にしている様子がうかがえる。しかしだからこそ、手元を離れていく不安も大きくなるのではないか。失礼を承知で尋ねると、「ああ、修悟にははじめから行ってもいいよと伝えてますよ」とあっさりと答えてくれた。

「そこは本人の意思に任せてますよ。(移籍に関する制限が切れる)ライセンス契約の更新期限についても伝えてますし、それも含めて包み隠さず話すのがコミュニケーションなんですよ。選手に対して悪いなと思ったときは頭を下げるし、何かを強制もしない。基本的には対等。移籍は裏切りでも何でもないからって伝えてます。むしろ俺は修悟にわざと『行け!』って言ってますよ(笑)」

坂本氏から「お前もうすぐ3年のライセンス更新期限だろ? どこか移籍したいとこねえのか?」と尋ねられる苗村。「ないです」と苦笑

あとで苗村に尋ねると、「SRSジムを辞めるくらいならボクシングを辞める」ときっぱり宣言する。苗村にとって坂本氏は恩師のような存在だ。リング外での大切な思い出もある。

「プロデビュー前に一度、坂本会長の自宅に夕食に呼んでいただいたことがあるんです。奥さんや娘さんと一緒に食卓に座って、奥さんの手料理を食べさせてもらったんですけど、本当に美味しくて。今までこんな美味しい料理食べたことなかったし、ああ、これが家族かって。自分もこんな風に、幸せな家庭を築けたらいいなって」

ただ一方で、強い恐怖心もある。「今まで誰かに思いっきり甘えた経験がないので、家庭の築き方が分からない」という。

「両親の愛情を受けられなかったのが今でもコンプレックスで。自分28歳なんで、もう甘える年齢でもないんですけど、ジムで親子でいらっしゃる会員さんとかみると、大人側の目線ではなく、子ども側の目線になるんです。『お父さんに可愛がってもらっていいな』と、ほんと小さくですけど、嫉妬の感情がどうしても湧いちゃうんです」

いつか母に試合を見てほしい

母親とは祖父の葬儀の時以来、一度も会っていない。遠戚の方が身の回りの世話をしているという。大人になってから、自身が困難から逃げ出した経験を踏まえて、「お母さんもしんどかったのかもしれない」と理解できるようになったと話す。

デビューから4年、28歳になった

「いつか会場に自分の試合を見に来てほしい?」と尋ねると、しばらく沈黙した。そして「もういい年だし、甘えたいとかはないんですけど」と、また同じ前置きをして言った。

「お母さんの笑顔を生まれてから一回も見たことがないので、喜んでいる姿は想像できないですけど、試合を見にきてくれたことがきっかけになって、普通の親子関係で交わすような他愛のない会話ができたらいいなと思います。そのために自分ができることは、とにかくボクシングを頑張って、その日が来るまで勝ち続けることだけです」

プロデビュー後、自身が育った児童養護施設だけでなく、全国の施設を坂本氏に同行して訪れている。かつての自分と同じような境遇の少年少女たちと、目一杯全力で遊ぶ。ミット持ちもする。「存在を認めてほしかった」という自分の思いを重ねて、彼らの存在を全身で受け止める。

プロデビューしてから坂本氏達と一緒に、全国の児童養護施設を訪問している

デビュー戦以来、かつての施設の同級生や先生、今現在も施設で暮らしている子どもたちが応援に駆けつけてくれる。多くの人が、苗村修悟というボクサーの存在を瞼に焼き付けて帰って行く。

「将来のボクシングの目標は33歳までに日本王者、35歳までに世界王者です。でもそういうタイトルとかよりも、自分は、もっと人間的に強くなりたいんです。強いボクサーは、人間的にも強いじゃないですか。坂本会長みたいに強い人間になって、いつか結婚して。それで、子どもがいて、一緒に夕食を食べて、お風呂に入って……」

取材・文/田中雅大 撮影/石原麻里絵(fort)

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