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樋口真嗣を映画の道に進ませたシン・原点。それは「すごいものを作る機会がなぜ失われたのか?」という疑問だった!【『だいじょうぶマイ・フレンド』】

集英社オンライン / 2023年12月16日 12時1分

『シン・ウルトラマン』の樋口監督が、1982年、高校生時点で見た原点ともいうべき映画たちについて熱く語るシリーズ連載、これにて第1部・完! 偉大な作品になるはずだった『だいじょうぶマイ・フレンド』に何が起きたのか?

廃墟のような日本映画界に潜り込んで

映画の仕事を始めてもうそろそろ40年です。

何が凄いかって40年間ダマしダマしですがこんな使えない私がこの世界で生き抜いてきたこと、それよりも日本の映画産業が40年間無事に残ってきたことです。

本当にどん底だったなあ、とあの頃を思い返します。1950年代から1960年代にかけての黄金時代は体験したことはないけど、1970年を境に急坂を転がり落ちるように斜陽化していった日本映画界。超買い手市場で映画会社に入れるのは高学歴のエリートばかりだったのが、各社新規採用を削減し、とうとう見送るようになり、入社しても配属先は映画とは縁もゆかりもない着実な実業的な部署で、唯一の演出担当社員を大卒で採用していた奇特な会社は、ロマンポルノで糊口を凌いでいた“にっかつ”——かつては漢字の日活、最近も漢字の日活——だけでした。



だから、人材を選ぶなんて高い志も経済的余裕もない中ゆえに高校出たてのどこの馬の骨ともわからぬチンピラ風情だとしても、映画の現場に入れたのかもしれません。仮に私が門戸を叩くタイミングが映画の黄金時代であったなら、こんな形で映画界に残ることはおろか、入ることさえままならなかったでしょう。

物心ついて映画作りに興味を抱いたときには、それまで繁栄を謳歌していた映画界は廃墟のような様相だったのです。そんな時だからできたのかもしれないのが異業種からの映画制作への介入でした。

テレビ局、出版社、レコード会社といった映画の近隣産業だけでなく、広告、不動産、商社、果ては大手電化製品メーカーが金にあかせて日本を飛び越えてハリウッドの映画会社を買収しちゃいます。さすがにハリウッド買収ではなんのご利益もなかったと思うのですが、この異業種介入によってどん底の日本映画界にはカンフル剤が注入されました。

その先鞭を切ったのは、大手3社に今ひとつ水をあけられ気味だった出版社の角川書店。自社が抱える作家の一通り売り切ってしまった代表作を自社出資で映画化して、原作のみならず作家の過去作さえもまるで新作であるかのようなパッケージングをして店頭を埋め尽くし、映画も小説も大ヒットという新たなビジネスモデルを構築したのです。

プロデューサー、監督として一世を風靡した角川春樹氏も80代に(右)。2020年には最後の作品として『みをつくし料理帖』を監督、東京・神田明神でのヒット祈願に、主演の松本穂花と登場した
写真/アフロ

メディアミックスという、今でこそ手垢のついた言葉を旗印に、異業種企業が次々に映画界に押し寄せてきました。その企業の多くを率いるのは、若く野心的な経営者。彼らが旧態依然とした日本の映画作りに対して疑問をぶつけると、中堅どころの脚本、監督、俳優といった製作者は売られたケンカを買う形で、若手は自分たちに巡ってきたチャンスを逃すものかとぶつかり合い、その熱量は完成した映画にも色濃く反映されて日本映画界は突然の活況を呈することになったのです。

そうなると閑古鳥の鳴いていたスタジオはにわかに活気づき、仕事を求めてテレビやコマーシャルに流出した映画の黄金時代を支えた優秀な人材の穴埋めとして、お鉢が回ってきたのが俺たちのような浮草どもでございました。

兎にも角にも原作・横溝正史、監督・市川崑、1976年公開の角川春樹事務所作品『犬神家の一族』を皮切りに、日本映画は質、量ともに持ち返し、それは新たな野心的な企画を立ち上げるにふさわしいプラットフォームへと復権してきたのであります。

その流れに乗り、追い風を受けて始動したのが、音楽プロデューサーの多賀英典製作、村上龍=原作・脚本・監督の新作映画『だいじょうぶマイ・フレンド』なのです!

なぜ、なぜポップに振った!?

読まねばならないのは村上龍先生の新作書き下ろしの原作小説でした。
その能力を失って地球に落ちてきたスーパーマンのいとこ、ゴンジー・トロイメライを巡って渦巻く陰謀。ゴンジーの底知れぬエネルギーを秘めた体細胞を狙うバイオ企業体“ドアーズ”から、心優しく弱き超人を守るのは音楽とダンスそして自由を愛する若者たち。
製薬会社とファミレスと精神病院を経営するドアーズの、やがて明らかになる真の目的。
目指すのはドラッグで大衆を洗脳して徹底的に管理された全体主義社会。まるでキューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』(1971)です。

樋口監督所蔵の書籍『メイキング・オブ・だいじょうぶマイ・フレンド』。原作小説からシナリオ、挿入歌歌詞まで網羅

ゴンジーが告白するその出生の秘密もなかなかフリーキーで、『コインロッカー・ベイビーズ』に登場する「薬島」と呼ばれる汚染された新宿の高層ビル街を彷彿とさせ、映画への期待はいやが上にも高まります。
音楽面でもサディスティックミカバンドの加藤和彦を音楽監督に迎え、豪華なメンバーが書き下ろしの楽曲で映画を彩るだけでなく、先行して発売されたメインキャスト3人版と、プロデュースを手がけた前出の加藤和彦版、それぞれが歌う主題歌が別々のレーベルから同時発売、しかもヒットチャートを賑わせて今までの日本映画では考えられない展開になってきました。

そして1983年4月29日、ついに公開の日が来ます。

この連載は、私が高校2年生だった時の1年間の間に出会って人生を狂わせた映画を取り上げるという暗黙のルールを設定してきましたが、3年生になってから見た作品を取り上げてしまうこと、連載を20回を重ねてきたのでお許しいただきたい。原作小説の発売は2月だから、ギリギリ高校2年生だったし。
もう限界なんですいろいろ。

で、高校3年になって最初のゴールデンウィーク。エッジの効いたサブカル的アイコンに彩られた日本映画が社会に拡散していく…はずだったのです。そうあるべきでした。
この1本で日本の映画は名実ともに新たな一歩を踏み出すのだ!と、後にも先にも何度となく犯す過ちを改めることなく信じて疑わずに足を運んだせいで、映画の未来を根拠もなく盲信した高校2年生改め3年生はとてつもないしっぺ返しをうけることになるのです。

映画の骨子は小説と同じように、能力を失った超人ゴンジー・トロイメライとその細胞を狙うドアーズの争奪戦、そしてドアーズが企む陰謀。
そこに立ちはだかるのは音楽とダンスと自由を愛する3人の若者で、ドアーズはその若者たちを狙い、従順なジャンキーにして手懐けようとあの手この手を繰り出します。
いっぽうの若者は若者で、俺たちの自由を脅かしゴンジーを苦しめる大人たちなんかぶっ飛ばせ!とコミュニケーションギャップを克服しながら歌とダンスで自由を勝ち取るための戦いを挑みます。

…ポップです。
期待とは違う鮮やかなポップなのです。


冒頭はニューヨークの書割りを背景にしたヒロインと外国人とのダンスシーンで始まるんですけど、これが黄金期のアメリカ映画の持つ華やかなエンタテインメントを手本として、ある程度形になってないと成立しないぐらいハードルの高い場面なんですよ。始まってすぐ夢オチとわかるので、優先順位としてはそれほど高くないはずだからそこまで頑張っても仕方ないというのに——。

私が映画を志す理由となったもの

『コインロッカー・ベイビーズ』で受けた衝撃的な波動は、小説であるにもかかわらず、どちらかといえばパンキッシュなロックのそれでした。かつて協働作業を前提に作られたそのプロットを却下して、『タクシードライバー』の脚本家の弟レナード・シュレイダーと作り上げた長谷川和彦監督2本目の映画『太陽を盗んだ男』(1979)も、ガレージ・ロックといえる不良性を帯び、万人に向けた行儀の良いエンタテインメントの枠に収まらないエネルギーに溢れていました。

対するに、敵の組織の名前として冠していた“ドアーズ”から想起するアシッド・ロックの香りはどこにあるのだろうか? ニューヨークを舞台にした不良性の高いミュージカルならもっといっぱいあるだろう——『だいじょうぶマイフレンド』はサブカル的というにはあまりにもメインストリームに対する憧れに満ち、無邪気なポップスへと突然舵を切ったように見えたのです。

そのとき、小説のときのように向き合い牙を剥く相手の存在が、映画や音楽やダンスにはいないのか? それともキチンと敵意を練り上げていないのか? ピュアな憧れが映画が孕むべき悪意を解毒しているのでしょうか。

冒頭の合成カットをハリウッドの新興特撮スタジオ、イントロビジョンが手がけたり、ゴンジー・トロイメライ墜落の場面のために新宿副都心の高層ビルにあるプールとおなじものを撮影所に再現し、落着の衝撃でプールの水が全部飛び出してしまう、というとんでもない大仕掛けを組んだり、クライマックスはなぜかサイパンで大ロケーションを敢行したり、おそらく相当な規模の予算が投下されている様子です。

エンドロールを見ると『太陽を盗んだ男』のスタッフだけでなく、数年前素晴らしい成果を収めた『ウルトラマン80』(TV/1980)の中核メンバー、神澤信一さんや大岡新一さん、山口修さんの名前も見えます、が。

どうしてこんなことに——。
出来上がった内容を論じることは誰にでもできるでしょう。しかし、他の表現方法では冴えまくっていた作家の舌鋒が溶けてなくなっているのには、何か原因があるのではないかと疑ってみたくもなります。
すごいものを作れる機会がなぜ失われたのか?
それまでの日本映画が陥っていたどん底の状況下で、何と引き換えに環境の改善、作りたいものが作れる場が手に入ったのか?

こちらも監督私物のDVDのジャケット。物持ちのオニ! ちなみに現在、公式ビデオグラムはなく、配信にもないため、中古品が高額で取引されている

それを理解するには、実に40年の歳月が必要だったし、それを知りたくて、映画を作る仕事を目指したのかもしれません。そのきっかけは、紛れもなく村上龍=原作・脚本・監督の『だいじょうぶマイ・フレンド』と、第15回で紹介した橋本忍=原作・脚本・監督の『幻の湖』、そしてもう1本あるのですが、そろそろ時間がなくなってまいりました。新しい映画の準備にとりかからねばなりません。そもそもこうやってあの何もない時代に先輩たちが汗水たらして作り出した作品を労せずして高みの見物がてらに訳知り顔で講釈を垂れていると天罰がくだるような気がして仕方がありません。

言いたいことがあるなら自分の作った映画で言えばいい——。

現状に対する不満ばかりで何一つ生み出そうとしない、使い物にならない若造に言い放った先輩の一言に従って今日まで作ってきました。
それでもまだ見ぬ映画の最新情報にときめいて居ても立ってもいられなくなるほど膨らむ期待に胸焦がし、高まれば高まるほど大きくのしかかるガッカリする絶望。それでももしかしたら今度こそは! そう思わせる可能性が雑誌の小さな紹介記事や映画館に掲出されたスチールやロビーカードで馳せる夢想こそが最高に盛り上がる映画体験だったような気がします。

まだ見ぬ映画が一番面白い———。
夢は醒めない方が良いのかもしれなかったのです。

それでも、私は作り続けたい。
あの高校生の時に根拠もなく「こうすればできるじゃん!」と天に唾してしまった落とし前を着けなければならないので!


文/樋口真嗣

『だいじょうぶマイ・フレンド』(1982) 上映時間:1時間59分/日本
監督・脚本・原作:村上龍
出演:ピーター・フォンダ、広田レオナ、渡辺裕之、乃生佳之 他

飛ぶ鳥落とす勢いだった村上龍の監督2作め。ストーリーなどは本項にあるとおり。キャスティング、音楽、美術など、豊かな人脈と資金のうえに企画され、結果、現在はほぼ幻となっているカルト作。集英社も出資し、原作を刊行している(集英社文庫)。

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