第三十二回小説すばる新人賞を受賞した佐藤雫の『言の葉は、残りて』は、鎌倉幕府の三代将軍・源実朝とその妻の信子の人生に託して、夫婦の愛情と言葉の力を描いた、素晴らしい作品であった。そして第二長篇となる本書は、戦国時代を題材にしている。豊臣秀吉の側室になった茶々(淀殿)と、彼女に尽くした大野治長の生の軌跡を活写した、やはり素晴らしい作品なのだ。
波乱の人生を歩んで、秀吉の側室になった茶々は、歴史上の有名人だ。大坂夏の陣で彼女が、息子の秀頼と共に散ったのは、周知の事実であろう。また茶々の乳母子であり、最期のときまで彼女に仕えた大野治長も、戦国時代の注目すべき人物である。
秀吉亡き後に豊臣家を継いだ秀頼が、茶々と治長の密通により生まれた子だという噂があるが、作者はこれを巧みにストーリーに織り込む。秀頼だけでなく、その前に生まれて早世した鶴松も茶々と治長の子として、濃密なストーリーを創り上げているのだ。密通や不義の子に対する、迷いや怯えに苛まれる茶々と治長の心だけでなく、やがて秀吉と正室の寧の想いも見えてくる。息苦しいほどの人間ドラマに圧倒されてしまうのだ。関白秀次とその妻子たちの悲劇を、秀吉の想いと絡ませたところも優れていた。
さらに作者の小説技法が、随所で光っている。たとえば、茶々と治長が手を携えるシーン。一度目の落城に続き、二度目の落城のときも、茶々は治長に手を引かれる。しかし二度目のとき、治長の手が血で濡れていたことに怯えるのだ。ここから、人は否応なく変わっていくのだという、やりきれない事実が伝わってくるのである。その一方で、治長に変わらぬ友情を抱く真田信繁(幸村)の存在が、一服の清涼剤になっていた。
時代の流れと、権力者の恣意に翻弄された、茶々と治長の愛は切ない。だから夢中になって読んだ。本書は、堂々たる戦国小説であり、嫋々たる恋愛小説なのである。