1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

【哀悼2023】坂本龍一と谷村新司は何を日本に遺したのか…まったく異なる2人のアーティストに共通する、1980年代以降に生まれた“新しい日本のスタンダード”

集英社オンライン / 2023年12月22日 12時1分

今年も多くの著名人が惜しまれつつこの世を去った。なかでも有名ミュージシャンの相次ぐ訃報が印象に残った2023年。日本の音楽シーンに多大な変化と影響をもたらしたふたりのレジェンド、坂本龍一と谷村新司について振り返る。(サムネイル/左:『WAR HEAD【完全生産限定/アナログ盤】』(ソニーミュージック)、右:『昴』(POLYSTAR))

レジェンドからベテラン、90年代を熱狂させたアーティストまで…

2023年は、数多くのアーティストの訃報が我々の耳に届いた。

大橋純子、もんたよしのり、高橋幸宏ら1970〜80年代に活躍したベテランに加え、KAN、BUCK―TICKの櫻井敦司、X -JAPANのHEATH、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのチバユウスケら、1990年代に頭角を表した、世代的にはまだまだ若いといえるアーティストまで。



訃報が流れるたびに、彼らが生み出した音楽と共に、自身の幼少期や青春時代を思い起こし、深い悲しみに浸る人は多かったことだろう。

特に、日本の音楽シーンに大きな足跡を残した2人のレジェンド、坂本龍一と谷村新司の訃報は、多くの人々に衝撃を与えた。

それは、彼らの音楽が長きにわたり、様相は変化しつつも、我々の人生の傍に存在していたからに他ならない。ここでは、この2人のレジェンドが、日本の音楽シーンに与えた影響を振り返ってみたい。

日本のロックシーンでは異色の存在だった坂本龍一

坂本龍一は1952年、東京都に生まれ、東京藝術大学在学中にスタジオミュージシャンとしての活動をはじめる。

藝大出身という肩書き、「教授」というあだ名から想起されるアカデミックなムードは、日本のロックシーンでは異色の存在であった。

1970年代には大瀧詠一や山下達郎らの作品に参加、大貫妙子のアレンジャーとしても深く関わり、歌謡曲がメインストリームだった日本の音楽シーンの中で、多くのフォーク、ロック系アーティストと交流を深める。

その活動が実を結んだのが、細野晴臣の誘いを受け、高橋幸宏と共に1978年に結成されたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)である。

2019年に発売された『浮気なぼくら+浮気なぼくらインストゥルメンタル』(ソニーミュージック)のジャケ写(オリジナル発売は『浮気なぼくら』1983年5月、『浮気なぼくら(インストゥルメンタル)』1983年7月)。ヒット曲『君に、胸キュン。』などが収録されており、1982年のメンバーのソロ活動や他アーティストへの楽曲提供などを経て、ポピュラー志向のテクノポップへと大きく路線を変更したアルバム

1979年から1981年にかけては、前述の大瀧、山下といったロック系のアーティストたちが次々とブレイクし、日本の音楽シーンのメインストリームに送り出されて行った時期だった。

その最大の求心力となったのがYMOで、テクノポップという新たなジャンルの音楽は、小学生層まで巻き込んで爆発的な人気を獲得。

特に坂本はメンバーの中でもサブカルチャーのアイコン的存在となり、1982年にはRCサクセションの忌野清志郎と組んで『い・け・な・いルージュマジック』も大ヒットさせた。その忌野清志郎も2009年に、58歳の若さで他界している。

「日本的でありつつエキゾチック」
どこにもない独自のメロディーを構築

1983年には、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』に俳優として出演、同時にサウンドトラックも担当し、メインテーマ『Merry Christmas, Mr. Lawrence』は、坂本の最も有名な曲となった。

この『戦メリ』で映画音楽を手掛けたことが、その後の坂本の活動に大きな影響を与える。

1987年にはベルナルド・ベルトルッチ監督に請われ、『ラストエンペラー』の映画音楽を担当。この作品で、日本人初のアカデミー作曲賞を受賞する栄誉を受け、「世界のサカモト」と呼ばれるようになる。

『Ryuichi Sakamoto - Merry Christmas, Mr. Lawrence』。Decca Recordsより

『戦メリ』やベルトルッチ作品では、坂本のオリエンタルな曲想が活かされ、日本的でありつつエキゾチックという、どこにもない独自のメロディーを構築されていた。

それまでソロ作品ではアカデミックな作風の多かった坂本が、洋画邦画を問わず、多くの映画音楽を手がけるようになったことで、その前衛性に大衆性が良質の形でブレンドされたのだ。

ブレイク前から年間300本以上のライブをしていたアリス

一方の谷村新司は、1948年大阪府出身。フォークグループのロック・キャンディーズを経て、1971年にアリスを結成。1975年の『今はもうだれも』でブレイクし、一躍人気グループとなる。

アリスはブレイク前からライブバンドとして全国津々浦々を周り、年間300本以上の公演を行った年もあるという。

1975年発売の『今はもうだれも』(東芝EMI)のジャケット。佐竹俊郎が結成したフォークグループ・ウッディ・ウーが1969年に出した曲をアリスがカバーした

また、谷村は単独で深夜ラジオ放送のパーソナリティを務め、そこでのあけすけで気さくなキャラクターが、高校生・大学生を中心に人気を集めた。
さらにはギターメーカーのCMに出演し、多くのギター少年を輩出。当時、アリスの曲でギターを覚えたという高校生は数多くいたものだ。

78年ごろから『冬の稲妻』『チャンピオン』などの大ヒットを連発し、この時期からテレビの歌番組にも頻繁に出演するようになる。学生に人気のライブバンドから、全国区の人気を獲得していったのだ。

日本的精神に共感できる谷村の世界観

谷村新司の音楽は、独特の世界観を持っている。

大陸的なスケールの曲想と、日本人の精神に則った、美しい日本語による歌詞が特徴で、それはソロ作品や、他の歌手への楽曲提供で顕著だった。

ソロ作品『昴-すばる-』、加山雄三との共作『サライ』、山口百恵に提供した『いい日旅立ち』といった楽曲は、文語体の歌詞やスケールの大きなメロディー、ネオジャパネスクとも捉えられるテイストを放ちながら、極めて日本人の精神に寄り添うナンバーであった。

『サライ』(ファンハウス)は、1992年11月に加山雄三と連名で発売された日本テレビ系「24時間テレビ『愛は地球を救う』」のテーマソング。サライはペルシャ語で「家」などを意味し、楽曲のテーマのひとつである「心のふるさと」とも結びつけている

一方でアリス時代の『帰らざる日々』やソロでのヒット曲『三都物語』などのメランコリックな曲調もまた日本人の琴線に触れるものだった。

ニューミュージック隆盛の立役者の1人であり、アリスではロック的な作品を歌いつつ、ソロではシャンソンやラテン音楽の影響を受けながら、しだいに日本的な作風へと回帰していった。

谷村の楽曲が長い年月を経て人々に愛される理由は、いつの時代もリスナーが歌詞に己を見出すことのできる日本的精神や、メロディアスな楽曲に共感を抱けるからである。

坂本龍一と谷村新司。その音楽性はまったく異なるものでありながら、共に、オリエンタルでエキゾチックなアプローチを試み、多くの日本人が共感できる言葉やメロディーをもって、80年代以降の新しい日本のスタンダードを生み出してきた。

アーティストの訃報を聞くたびに、我々の心に深く染み込んだ彼らの音楽を懐かしく思い出し、振り返ると同時に、もう彼らの新しい楽曲が聴けない悲しみも同時に押し寄せてくる。

だが、アーティストは世を去っても、その音楽は永遠に心の中で響き続ける。

文/馬飼野元宏

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください