1972年10月1日。フジテレビで夕方に生放送でオンエアされていた若者向けの情報番組『リブ・ヤング!』で、「ロキシー・ファッション」という企画が取り上げられた。(注1)
4人全員がリーゼントに革ジャンという出で立ちのバンドが、そこで自分たちのオリジナルを1曲だけ歌って演奏した。
そのバンドは「キャロル」という名前だった。
「最後までノッていけよ!」矢沢永吉の掛け声で始まった熱狂ステージ…キャロル解散コンサート最終日で起こった完全に想定外のトラブル
集英社オンライン / 2023年12月25日 11時1分
レジェンド・矢沢永吉が1972年に結成した伝説のロックバンド・キャロル。メンバーのジョニー大倉が『クリスマス・キャロル』の神聖なイメージにちなんでつけたというバンド名のグループは、いかにして伝説になったのか…。
クリスマスにちなんだバンド名のキャロルが『ルイジアンナ』でデビュー
![](https://assets.shueisha.online/image/-/2023/12/18054608185599/800/5.jpg)
その日、同番組に出演していた内田裕也は、リハーサルを見てすぐに「プロでデビューしないか」というオファーを出した。
家でテレビを見ていたミッキー・カーチスは、まだ番組が終わる前なのに、電話でディレクターを呼び出した。そして「自分のレーベルで出したいから」と伝えて、オンエアが終わった直後に電話でメンバーの矢沢永吉と話を進めた。
サウンドもヴィジュアルも新鮮だったので、本番中にテレビ局に電話してスカウトした。次の日の朝には契約して、翌日の昼にはレコーディングしていた。
(ミッキー・カーチス著「おれと戦争と音楽と」亜紀書房)
『リブ・ヤング!』出演からわずか10日後。キャロルが日本フォノグラムと専属契約を結んだという話が音楽業界に広まった。もちろんプロデューサーはミッキー・カーチスだった。
そして12月25日に、キャロルはシングル盤『ルイジアンナ』でデビューした。
![](https://assets.shueisha.online/image/-/2023/12/18054659202395/0/2.jpg)
1972年12月25日にキャロルのファーストシングル『ルイジアンナ』でキャリアをスタートした矢沢栄吉。画像は1973年3月25日発売デビュー・アルバム『ルイジアンナ』(Philips)のジャケット
※注1:初めてフジテレビの『リブ・ヤング!』に出演した日付に関しては、1972年10月8日という説もあり。
キャロルというバンド名はメンバーのジョニー大倉が思いついた
デビューに至るまではバンド結成から半年、テレビで発見されてからだと2カ月もかかっていない。まさに電撃的なプロ・デビューだった。
結成当初から、キャロルはドイツのハンブルグで武者修行をしていた、革ジャン時代のビートルズを目指していた。バンド名はメンバーの一人、ジョニー大倉が思いついたものだ。
「オレはさぁ、ゴールデン・バットがイケてると思うんだけど」
永ちゃんが言った。
「ルーシーっていうのはどうかな?」
ウッちゃんが言った。
「ジョニーはさぁ、何がいいと思う?」
永ちゃんがぼくに訊いた。
「キャロルっていう名前がいいよ」ぼくは答えた。
ぼくの頭の中には『クリスマス・キャロル』の神聖なイメージがあった。なぜだかわからない。でも、このバンド名以外にピッタリくるものはない、と直感したのだ。
(ジョニー大倉著「キャロル夜明け前」主婦と生活社)
それまでもジョニー大倉は「アンナ」と「ジュリア」という、女の子の名前のバンドで活動してきた。「ヤマト」や「ゴールデン・バット」ではなく、西洋的で優しい響きの「キャロル」になったのは、奇しくも矢沢永吉とジョニー大倉という個性の対比をあらわしていた。
![](https://assets.shueisha.online/image/-/2023/12/18054847190488/800/6.jpg)
キャロルは二人の異なる資質と才能が化学反応を起こして、音楽シーンに大きな波紋を投げかけることになる。
ノンフィクション作家の田家秀樹が初めてキャロルを見たのは1972年12月16日。東京の赤坂にあったディスコ『MUGEN』で開かれたクリスマス・パーティーだった。
デビューを目前にした業界向けのコンベンションだったが、田家は文化放送の深夜番組『セイ! ヤング』の機関紙『ザ・ヴィレッジ』に、その時の感想をこう書いていた。
演奏は粗削りだが実に小気味よい。ともかくこれが日本人かと思うほどバタ臭くて美しい。そして甘美なまでの若さ。
日本の本物のロックンローラーたちの誕生をつげる叫びかもしれない。
キャロルが登場したのとほぼ同時期に、日本の音楽シーンを革新的に変えていったサディスティック・ミカ・バンドのリーダーだった加藤和彦と、ギタリストの高中正義も、その日なぜか同じ場所に居合わせた。
高中がそれから40年以上の歳月が過ぎて、J-WAVEの『FM Colorful Style 』に出演(2014年9月)した時に、こんなエピソードを披露している。
矢沢永吉さんとはね、昔から接点があって、キャロルがデビューした時に赤坂のMUGENってところで、大晦日あたりにお披露目のパーティーがあったんです。加藤和彦さんとシャンパン飲みながら、キャロルってカッコ良いねって見てた。そのあと何年か経って、サディスティック・ミカ・バンドとキャロルでツアーをしたことがあるの。
『ファンキー・モンキー・ベイビー』のから快進撃が始まった
プロデューサーだったミッキー・カーチスのアイデアで、キャロルはデビュー・シングル『ルイジアンナ』から毎月1枚、連続してシングルをリリースする異例の作戦で、1973年6月までに7枚のシングルを発売していく。
毎月1枚必ず新曲をリリースするというのは、コンビを組んだばかりの新人ソングライターだったジョニー大倉と矢沢永吉にとって、きわめて苛酷なしばりとなった。
デビューシングルの『ルイジアンナ』が20万枚。2枚目の『ヘイ・タクシー』が10万枚、それからは出すたびに少しずつジリ貧になっていったのだ。
しかし、二人はデビューから半年後に『ファンキー・モンキー・ベイビー』という、日本ロック史に残る傑作をものにして、その名を刻むのである。
![](https://assets.shueisha.online/image/-/2023/12/18055034965311/0/1.jpg)
1973年発売『ファンキー・モンキー・ベイビー』(ユニバーサルミュージック)のジャケット写真。ファーストアルバムではオリジナル曲が半分だったが、このセカンドアルバムでは全曲がオリジナル曲で収録されている
30万枚を売り上げた『ファンキー・モンキー・ベイビー』のヒットで、キャロルはいよいよ全国的な人気バンドとなり、そこから快進撃が始まった。
キャロルとサディスティック・ミカ・バンドが関東、東北、関西、九州など13カ所のツアーを行ったのは1974年のこと。
その年は7月7日の『日比谷サード・ロックン・ロール・ストリーク』(日比谷野外音楽堂)と、伝説となった8月10日のイベント『ワン・ステップ・フェスティバル』(郡山市開成山公園)で、両者が競演を果たしている。
しかし、人気絶頂にあったにも関わらず、キャロルは1974年12月30日に解散を発表した。
矢沢の「最後までノッていけよ!」という声とともに最後のコンサートの幕が開いた
吉田拓郎を筆頭にフォークが市民権を持って若者の人気を集めて、ロックがすっかり息を潜めていた時代。革ジャンにリーゼント姿のキャロルの登場は異質であり、鮮烈だった。
ところが『リブ・ヤング!』出演からわずか2年で、バンドは解散の岐路に立たされることとなる。
メンバーのモチベーションや考え方、やりたいことなどがバラバラになってきている。そう感じた矢沢はメンバーに問いかけた。
「解散するか、もういちど、フンドシしめてやるか、どっちかしかないと思うんだ。しばらく、ひとりひとりが考えてみようぜ」
後日、他の3人はそれぞれ「解散したい」という答えを出した。これが決定打となって、キャロルは解散発表に至ったのである。
1975年3月16日から始まった『グッドバイ・キャロル』全国ツアーは、解散を惜しむファンが駆けつけてどこも超満員となった。
それまで応援してきてくれたファンの気持ちに応えるために、メンバーは全力を尽くしたが、そう簡単に納得してはもらえなかった。アンコールが止むことはなく、ステージに駆け上がる観客も現れ、終演後はファンに追いかけられるという日々が続いた。
![](https://assets.shueisha.online/image/-/2023/12/18055218169025/800/3.jpg)
そして4月13日、ツアーは最終日を迎えた。
前日には神田共立講堂でかぐや姫の解散コンサートがあり、涙に包まれたセンチメンタルな幕引きとなった。だが、キャロルのほうはよくも悪くも、まったく対照的なものとなる。
雨の降り注ぐ日比谷公会堂には定員をはるかに超えた、約7000人ものファンが詰めかけていた。
キャロルが登場すると、ステージに観客が押し寄せて両者の間には最低限の距離しかないという状況の中、「最後までノッていけよ!」という矢沢の声とともに最後のコンサートの幕が開いた。
メンバーは雨に濡れながら渾身のパフォーマンスを披露し、会場は異様な熱気に包まれていった。
事件が起きたのは、最後の曲『ラスト・チャンス』が終わった直後だ。突如爆竹の音が無数に鳴り響いたかと思うと、ステージが燃え始めたのだ。
ファンは演出の一部だと思ったようだが、これは完全に想定外のトラブルだった。
本来ならば爆竹による演出ともにセットが倒れるはずだったのだが、予定通りにセットが倒れなかったために、爆竹の熱で燃えてしまった。
こうしてステージが火に包まれるという衝撃的な光景とともに、キャロルの歴史は幕を閉じたのだった。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
*参考文献
『暴力青春 キャロル-最後の言葉』キャロル著(KKベストセラーズ)
外部リンク
- 33年間ひきこもった男性が外に出ることができた意外な理由…人生で初めて働いて得た4000円で買ったもの【2023社会問題記事 3位】
- 【防衛大現役教授が実名告発】自殺未遂、脱走、不審火、新入生をカモにした賭博事件…改革急務の危機に瀕する防衛大学校の歪んだ教育【2023社会問題記事 2位】
- 避妊なし・60分6500円で本番の底辺風俗店で働いてきた発達障害の女性の闇…小3から不登校になった家庭環境と1回3万円払っての初体験【2023社会問題記事 5位】
- 「勤の部屋を見てくれればわかる」宮崎勤逮捕直後、両親は息子の無実を訴えた…やがて取材で浮かび上がった宮崎家の歪んだ家族関係とは #2【2023社会問題記事 1位】
- 脳卒中の祖母を見舞う──絶望から自身を救うために作った個人的なゲーム【ソーシキ博士『インディーゲーム中毒者の幸福な孤独』試し読み3】
この記事に関連するニュース
-
『LIAR』が魅せるバブル期の東京の夜空 なぜ、ファンは中森明菜の歌に感情移入できるのか?
PHPオンライン衆知 / 2024年7月16日 17時0分
-
『加藤和彦 トリビュートコンサート』の模様を歌謡ポップスチャンネルで9月29日(日)よる10時テレビ初独占放送決定!
PR TIMES / 2024年7月15日 16時45分
-
平成の人気バンド、再結成相次ぐ Aqua Timez、キマグレン、COMPLEX、TMG…ファン歓喜
スポニチアネックス / 2024年7月11日 10時29分
-
「抵抗感があった」ロードオブメジャー・元ボーカル、ヒット曲の重圧と“無精ひげ”の今
週刊女性PRIME / 2024年7月6日 12時0分
-
稀代の天才音楽家・加藤和彦氏。トノバンを愛するアーティストが集結するトリビュートコンサートが開催
IGNITE / 2024年6月26日 23時35分
ランキング
-
1父親と“彼女の母親”がまさかの…両家顔合わせの食事会で二人が「固まった」ワケ
日刊SPA! / 2024年7月24日 15時54分
-
2トヨタの新型「ランドク“ルーミー”」初公開!? 全長3.7m級「ハイトワゴン」を“ランクル化”!? まさかの「顔面刷新モデル」2025年登場へ
くるまのニュース / 2024年7月23日 11時50分
-
3ダニ繁殖シーズン到来…アレルギー持ちや痒くてたまらない人はカーペットと畳に注意
日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年7月24日 9時26分
-
4いい加減にして!何でももらってくる“自称・節約上手”の母のせいで衝撃の事件が…
女子SPA! / 2024年7月24日 8時47分
-
5【520円お得】ケンタッキー「観戦バーレル」本日7月24日から期間限定発売! SNS「絶対に買う」の声
オトナンサー / 2024年7月24日 12時40分
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
![](/pc/img/mission/mission_close_icon.png)
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
![](/pc/img/mission/point-loading.png)
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください
![](/pc/img/mission/mission_close_icon.png)