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「おっ、ゲット・トゥゲザー!」の一言から始まった「はっぴいえんど」と大瀧詠一の『A LONG VACATION』。伝説のロックバンドと不朽の名作の原風景

集英社オンライン / 2023年12月30日 12時1分

日本のポップス史に残る名盤『A LONG VACATION』を作った大瀧詠一は2013年12月30日に亡くなった。彼が世に送り出した不朽の名作と、そしてかつて所属していた日本語ロックの先駆けとなったロックバンド“はっぴいえんど”の逸話を紹介する。(サムネイル/左『A LONG VACATION 40th Anniversary Edition』(SonyMusic)右:『風街ろまん』(ポニーキャニオン))

細野晴臣が大瀧詠一と出会うきっかけを作った中田佳彦

細野晴臣と大瀧詠一が初めて出会ったのは1967年の春先のこと。きっかけはもう一人の友人との出会いだった。

その前年の秋。立教大学のキャンパス内の待ち合わせ場所で、細野は指定されたベンチに座っていた。立教高校時代からの友人から、「経済学部にお前みたいに音楽にうるさいやつがいるから紹介するよ」と言われていたからだ。



やがて友人に連れられてやって来た男は、ポツリと「中田です」と名乗った。それからお見合いのような形で、ボソボソと探り合うような会話が始まった。

「いまどんなの気に入ってるの?」
「うーん、ポール・サイモンなんか、けっこう」
おっ、こいつはできるな。

『ちいさい秋みつけた』『めだかの学校』『夏の思い出』などの作曲家、中田喜直の甥にあたる血筋に生まれた中田佳彦はギターが上手で、アメリカのソフト・ロック系にも詳しかった。

おたがいの音楽への関心が分かって意気投合した二人は、サイモン&ガーファンクルの研究をしたり、レコードを聴いたりする勉強会的なサークルを始める。ロック以外のさまざまな分野の音楽にも通じていたので、細野は中田という仲間を得て音楽のフィールドが広がったことを実感していた。

ある日のこと。そんな中田が「めちゃくちゃ凄いマニアがいるんだ」と、その友達を勉強会に連れて来ることになった。

「相当できる人物」と聞かされた細野は、自宅でどのように迎えたらいいのかと考えて、数日前に買ったばかりのシングル盤をステレオの上に目立つように置いた。

大瀧詠一が初めて細野晴臣の部屋に入った瞬間、思わず発した言葉

約束の時間が来て、玄関から「こんにちは」という声が聞こえると、まもなく中田が顔を覗かせた。そして長髪をマッシュルーム・カット風にした目つきの鋭い男が続いて部屋に入ってきた。

細野はひと目見て、「ビー・ジーズみたいなヤツが入って来た」と思ったという。だが、男は部屋に入るなり、細野には目もくれずステレオに向かって思わず声を上げた。

「おっ、ゲット・トゥゲザー!」

『get together』(VICTOR)のジャケット写真。1967年にヤングブラッズがデビューアルバムでリバイバルヒットさせた曲でもある。はっぴいえんどにも影響を与えた荒々しいギターのカントリー・ロックだ

その瞬間、細野の目はギラッと光ったに違いない。

まだ日本ではそれほど知られていないアメリカのフォーク・ロック・バンドの「ヤングブラッズ」を知っているかどうか、それは細野にとって相手を知る手掛かりだった。

「おっ、ゲット・トゥゲザー!」という一言で、「この男とは何かをやることになりそうだと」という予感が湧いたという。

男の名前は「大瀧詠一」。4月から早稲田大学文学部に入学するという岩手県出身の18歳。ヤングブラッズのアルバムは持っていたが、日本盤のシングルを見たのは初めてだったのだ。

「大瀧くんは見るからにビー・ジーズなのね。髪型がマッシュルームぽいし、着てるものもちょっとブリティッシュ系っていうかグループサウンズ的な。ビージーズの歌を歌うとそっくりなんですよ。ロビン・ギブって人にね。でも本当は違うんですよね、根っこにあるのはプレスリーだったりね」

ちなみに大瀧はその頃、本当にビー・ジーズのファンクラブの会員だった。”ビー・ジーズみたいなヤツ”という細野の第一印象は、見事に的中していたのである。

それからの1年間。3人はお互いに行き来しながら定期的に会って、熱心に音楽の道を究めていくことになる。

細野と中田がギター、大瀧はドラムというトリオ、まさかの不合格

音楽の成り立ちやソングライターの作家性について、メロディーラインからアレンジや構造的なものを勉強しながら、音楽学校で教育を受けなくても、ロックは自分たちで曲作りができるということを模索していく。

やがて自作の曲やアイデアを互いに持ち寄って発表するくらいになったころ、3人は新宿にある『フォーク・ビレッジ』という店のオーディションを受けることにした。

「ランプポスト」というバンド名で、細野と中田がギター、大瀧はドラムというトリオでオーデションに挑んだ。

歌ったのはサイモン&ガーファンクルとアソシエイションのカヴァーだったが、あっさり不合格となったことで、「ランプポスト」の活動は凍結されることになった。

細野はそのすぐ後に松本隆と出会って「バーンズ」に参加を決め、約1年の活動を経てから、松本と共にサイケデリック・ロック色を打ち出した「エイプリル・フール」に加わって、1969年秋にプロデビューする。

しかし、エイプリル・フールは最初のアルバムを完成させたまではよかったが、アルバム発売を前にしてメンバーの考え方が揃わなくなり、急遽バンドを解散することになる。

そこでドラムの松本とベースの細野が「ばれんたいん・ぶるう」を始めたところに、大瀧が加わって来て合流してバンドの基礎が固まり、さらにギターの鈴木茂が参加して「はっぴいえんど」誕生に至るのである。

1971年11月20日に発売『風街ろまん』(ポニーキャニオン)。名曲『風をあつめて』は収録されている、はっぴいえんど2作目のアルバム。グループが一番成熟していたであろう時期にリリースされた

イラストレーター・永井博による絵本の企画から始まった

大瀧詠一の数ある仕事の中でも、特に有名なのがアルバム『A LONG VACATION(以下ア・ロング・バケイション)』だろう。これは当初、“夏のアルバム”として企画されたものだった。

きっかけとなったのは、CBSソニー出版から1979年7月25日に発売されたビジュアルブック。イラストレーター・永井博の絵本である。そこに『A LONG VACATION』と名づけたのが大瀧詠一で、絵本についてこのように語っている。

後にアルバム・ジャケットとして一世を風靡したあの絵は最初は絵本でした。中の文やこのタイトルを考えたのが私で、本には〈著者(文)大瀧詠一:(絵)永井博〉となっています。

デザインを担当したのが養父(やぶ)正一。このチームで80年代のナイアガラ(大瀧詠一のレーベル)のイメージを作り上げていくのだが、絵本が世の中に出た時点では、まだ音楽との関係はなかったという。

しかし、1980年の4月13日に『君は天然色』のレコーディングが始まった時、絵本の『A LONG VACATION』とイメージを同期させたアルバムの案が固まってきた。

そして大瀧の32歳の誕生日にあたる7月28日に、6枚のシングル盤と絵本をセットにして発売することになった。

日本のポップス史上における不朽の名作が誕生

ところが作詞を依頼していた松本隆の妹が亡くなったことなどの事情から、完成が大幅に遅れて、発売が秋まで延期されたのである。

そんなこともあって“夏のアルバム”に、予定していなかった“冬の曲”が入ってきた。

途中、諸事情で中断したために“冬の歌”も入れることにし、「シベリア鉄道」が出来た時に絵本とのセット販売のアイデアは却下となりました。しかし、アルバム・ジャケットは熟考の結果、当初通り絵本と同じ絵にしたのですが、最後の最後まで他の絵を使用するアイディアもあったのです(はっきりとした“冬の曲”が2曲も入っていることを考えたからです)。

こうした事情を経てアルバム『ア・ロング・バケイション』は1981年3月21日、通常のアナログ30センチLP盤として発売されることになった。

その結果、はっぴいえんど解散後に大瀧が興したナイアガラ・レーベルで培ったさまざまな音楽のエッセンスが、このアルバムに全て注ぎ込まれた。こうして日本のポップス史上における不朽の名作が誕生したのである。

レコード店にディスプレイされたレコードとポスターは、そのクリアな絵柄と色彩で邦楽売り場では圧倒的に目立つものとなった。壁に飾りたくなるようなアートワークは、30センチ角というLPレコードのおかげで鮮やかに際立っていた。

『A LONG VACATION 40th Anniversary Edition』【完全生産限定/アナログ盤】(SonyMusic)のジャケット。大滝詠一が1981年3月21日に発表したアルバム『A LONG VACATION』の40周年を記念して、2021年3月21日 にリリースされた

アメリカン・ポップスを想起させるカラフルなジャケットと、ナイアガラ・サウンドが合体してベストセラーになっていった状況を、大瀧自身が述べている。

その好評さは音楽を凌いだ感すらありました。「ジャケットで売れた」と当時盛んに言われたものでした。永井さんの絵、養父さんのデザイン、『ア・ロング・バケーション』というタイトル、そしてナイアガラ・サウンドと松本隆君の詞。どの一つが欠けてもあのような大ブームには至らなかったでしょうし、あれほどいろいろなものが相乗効果を次々と呼んだアルバムも類例は少ないと思います。

『ア・ロング・バケイション』のブームとナイアガラの快進撃は、永井博の絵と松本隆の詞を得た“冬の曲”である『さらばシベリア鉄道』がシングル・カット(『A面で恋をして』との両A面シングル)されて、さらに記録的なロングセラーになっていった。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP

参考文献及び引用元
前田 祥丈編「音楽王~細野晴臣物語」シンコー・ミュージック
「スペシャル・インタビュー細野晴臣PART 2」(『Groovin'』2000年4月25号)
『デイジーホリデー』(inter-FM 2014年1月13日放送)

大瀧詠一氏の発言は、大瀧詠一著「All About Niagara」(2001年 白夜書房)からの引用

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