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トリプルアクセルも4回転も跳ばない。それでも坂本花織が世界と戦える理由

集英社オンライン / 2022年5月27日 19時1分

フィギュアスケートの現場取材ルポや、小説も手がけるスポーツライターの小宮良之氏が、スケーターたちのパーソナリティを丹念に描くシリーズ「氷上の表現者たち」。第5回は北京五輪で銅メダルを獲得した坂本花織の強さの秘訣に迫る。

女子選手で群を抜くフィジカルの強さ

2022年2月、北京五輪のマスコット「ビンドゥンドゥン」を手にして、口角を上げ、目を細める坂本花織(22歳、シスメックス)の写真が、ウェブやスポーツ紙面を占拠した。

「(順位決定後も)3位って認識できないほど、とにかくびっくりしすぎて。うれしい以外、言葉が出てこない」

坂本は御利益がありそうなほど満面の笑みで、そう振り返った。女子シングル、世界を席巻していた最強ロシア勢の一角を崩し、下馬評を覆して表彰台に立っている。浅田真央以来、12年ぶりのメダルだ。



トリプルアクセルも、4回転ジャンプも跳ばない坂本が、なぜメダルを取ることができたのか? その理由に迫ることで、坂本というフィギュアスケーターの肖像が見えるはずだ――。

坂本はどんなスポーツをしていても、ひとかどの選手になっていたかもしれない。単純に強力でしなやかな脚力、人並外れたボディバランス、広背筋を中心にした上半身の力、そして卓越した持久力。どれもフィギュア女子の中では群を抜いている。

そして基礎的なフィジカル面だけでなく、メンタル面でも強い胆力に恵まれていた。

「変かもしれないですけど」

坂本はそう前置きをし、自身のルーツを語っている。

「ちっちゃい頃って、リンクで何かやったら最初は絶対にこけるじゃないですか?でも、こけるのがなんでか楽しくて!だから新しいジャンプとか練習し始めて、いっぱいこけても全然怖がらずにやってこられたんです。滑る楽しさの前にこける楽しさがあって(笑)。立っている時間の方が短いんやないかなってくらい、マジでこけまくっていました。こけなくなった時が、体で感覚を掴めた証拠で」

幼い子にとって、転ぶ、というのは強烈な怖さがある。転ぶたび、たいていは”転びたくない”とブレーキがかかる。しかし坂本の好奇心や欲求はそれ以上で、あるはずのリミッターが外れていた。

同時に、転ぶ中で技を習得できるだけの身体能力にも恵まれていた。つまり、たとえ痛そうに転んでいるように見えても、持ち前の反射神経やバランスの良さでダメージを最小限にできていたのだろう。それによって、繰り返しトライすることができた。心身のバランスが揃っていたことで、技が身についたのだ。

世界で最も美しいダブルアクセル

「(ジャンプは)勢いがあった方が、後々(につながる演技が)、やりやすかったりしますね」

坂本は言う。そのジャンプは雄大で、野放図なエネルギーを放出したかのようだ。

「勢いに乗っていくと、スピードのままに跳ぶ感じで。減速がなく、常に加速で、って感じです。ブレーキを踏まずに滑れた方が、体力的にも楽だったりするんで。その滑り方がジュニアの時から身についているのかなって、自分ではそう思っています」

例えば、彼女のダブルアクセルは余裕があって世界で最も美しい。ジャンプの踏み切りは計算されたようで、跳躍は高く遠くへ、空中姿勢は軸がぶれず、安定した着氷から次の要素へ。一瞬だけ重力から解き放たれたように、雲が漂うようにふわりとする。北京五輪でもGOE(出来栄え点)は1.46点で他と大差のトップだった。

3回転+3回転の成功率も高い。ダブルアクセル+3回転トーループも大きな得点源だろう。スタミナが豊富なことによって、得点が1.1倍になる後半に得点を稼げるジャンプを持っていけるのだ。

しかし北京五輪でメダルを勝ち取れたのは、スケーティングの実力が大きい。
例えばプログラムコンポーネンツ、坂本はショート、フリー合計で優勝したアンナ・シェルバコワに次ぐ2位だった。

とりわけ、フリーのスケーティングスキルは9.46点でトップ。技量で秀で、プログラム全体の仕上がりで上回っていた。カミラ・ワリエワのジャンプ失敗が大きくクローズアップされたが、必然のメダルだったのだ。

坂本は、スケーターとして着実に力を身につけてきた。

2017-18シーズン、シニアデビューで全日本2位になり、平昌五輪に出場、6位に入賞した。2018-19シーズンはグランプリファイナルに進出して4位、全日本では優勝。右肩上がりだったが、2019-20シーズンは足首のケガに悩まされ、全日本は6位に低迷した。2020-21シーズンは徐々に調子を上げ、全日本は2位。2021-22シーズンは、日本人で唯一グランプリファイナルに進出(大会は中止)、さらに全日本で2度目の優勝を遂げ、北京五輪でメダルを勝ち取った。

誤解を恐れずに言えば、その成績のアップダウンが彼女を鍛え上げた。むしろ逆境のたび、彼女は強くなった。コロナ禍ではリンクに立てる時間も限られたが、陸でのトレーニングを増やし、力をつけたのだ。

「スケートって体で表現するもので、言葉よりも伝わりにくいと思うんです。だから目線や指先、いろんな部分でアピールできるようにして。それでもらえる手拍子はテンションが上がります。ジャンプが連続で決まると、一個前のジャンプよりも拍手が大きくなって、どんどん拍手が大きくなる。あの瞬間はたまんなく好きです!」

氷の上では「みんな見てよ!」って

彼女はいろんなジャンルの曲を滑ってきた。映画音楽『マトリックス』のダイナミックさや疾走感は代名詞の一つだが、それだけではない。雲のようになんでもなりかわれる自由さがあるのだ。

「『この子はきれいめの曲』『スローな曲がよく似合う』ってあるやないですか? そういうんやなくて、自分はいろんなジャンルでやってきて。自分で言うのもあれなんですけど、これもできる、この曲もって偏らず、いろんな曲で滑れる感じはあるかもしれません」

北京五輪で使ったショート、フリーの曲は社会性が強く、最初、習得するのに苦労していた。特にフリー『No More Fight Left In Me/Tris』は「女性の闘争、自由、解放」を訴えるもので、難しいテーマだった。

「まとめて言うと"大人の女性"を表現することになるんですが。でも、自分がなりきれていないところがあって、それをどう表現するのか。このプログラムのなかで、早く見つけないといけないと思うんですけど、どうやろ、んー、わからない、難しいです」

2021年10月の近畿選手権後の時点で、坂本はまだ迷いを口にしていた。しかし腹をくくった彼女は、試合ごとに精度を上げていった。他の選手より、試合数を増やした。連戦ができる体力は、坂本の武器だ。

もう一つ、坂本には同じチームに三原舞依という同志がいた。

「舞依ちゃんとは、ノービスから一緒に戦ってきて。こんなに身近に(同じ中野園子コーチの指導を受ける)ずっといるライバルはいない。舞依ちゃんのおかげで、ここまで成長することができました。舞依ちゃんの安定感は、自分に欠けているもので。もっと安定した演技をしないと負けてしまう。舞依ちゃんが復帰したことで、負けたくない、という気持ちがまた芽生えてきました」

2020年11月、西日本選手権で、坂本はそう心中を明かしていた。

そして迎えた北京五輪では、あらゆる流れが彼女に味方したのだろう。勝利は必然に近かった。SPが79.84点、フリーが153.29点、どちらも自己ベストを記録。五輪という緊張する舞台で縮こまることなく、むしろ輝きを増していた。

そのメダルは、坂本の面目躍如だったと言えるかもしれない。

余勢を駆って、2022年3月の世界選手権でも女王になっている。自己ベストを更新する236.09点という目もくらむようなスコアで、2位に大差をつけてのショート、フリー完全制覇だった。日々積み上げてきた”健全なスケーティング”で、世界中を魅了した。

――表現する、ということに緊張はしないのか?

そう訊ねた時、坂本はこう答えていた。

「緊張はするし、昔は恥ずかしくて。幼稚園の時、ダンスをやっていたんですけど、正面から見られるのが嫌でやめたんです。意味わからないですよね(笑)。ダンスは、それで辞めるくらい恥ずかしかったんですけど。氷の上では、なんて言うんかな。練習できっちりできるようになって、いざ試合に臨むことができていたら、『みんな見てよ!』って感じにはなりました」

氷上の表現者の真価である。

写真/AFLO

氷上の表現者#1#2#3#4はこちら

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