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デヴィッド・ボウイが“飛び降り”で体現した「ロック・スターの破滅的な最期」…ライブに日本文化を取り入れて目指した新たな進化とは

集英社オンライン / 2024年1月10日 11時1分

2016年1月10日にこの世を去ったデヴィッド・ボウイ。死のわずか2日前に69歳の誕生日を迎えていた稀代のロックスターの代表作『ジギー・スターダスト』にまつわる日本初来日公演での逸話を紹介する。

初来日の翌日、山本寛斎の事務所へ向かったデヴィッド・ボウイ

デヴィッド・ボウイが初めて日本の地を踏んだのは、1973年4月5日のことだった。

前年にリリースしたアルバム『ジギー・スターダスト』は、全英チャート5位にまで登りつめてイギリスでの人気を不動のものにした。

コンセプチュアルなアルバムの内容は、架空のロック・スター、ジギーの栄枯盛衰を描くというもの。ボウイはツアーで自らジギーに扮してステージに上がり、多くの若者が感化されてそのファッションを真似した。



幼少期から日本の文化に強い興味を抱いて、芸術やファッションから強い影響を受けてきたボウイにとって、日本へ行くことは長年抱いてきた夢だった。

1972年に発売された『THE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST / ジギー・スターダスト』(ワーナーミュージック・ジャパン)。デヴィッド・ボウイの代表作の一つで、人類滅亡の危機に、救世主として異星より来たロックスター「ジギー・スターダスト」の物語仕立てとなっている

来日した翌日、ボウイはファッションデザイナー・山本寛斎の事務所へと向かう。日本で催されたファッション・ショーをビデオで見て寛斎のファンになり、歌舞伎などの伝統演劇を取り入れた衣装を何点か注文していたのだ。

できあがった衣装の中でボウイの目に止まったのは、歌舞伎の「引き抜き」と呼ばれる演出を取り入れた衣装だった。引っ張ると衣装が外れて中から新たな衣装が現れる仕組みで、ステージ上で瞬時にチェンジすることができる。

ボウイは日本ツアーで、早速この衣装を試した。

ロック・スターの破滅的な最期を体現するため、飛び降りパフォーマンスも披露

日本の観客には言葉が通じないだろうと危惧していたボウイは、劇場性と肉体性に力を入れた派手なアクションやパフォーマンスで、ジギーの世界を表現しようとした。

ステージ上で次々と衣装が変わる度に、会場全体が大いに盛り上がった。そしてアンコールではついに全ての衣装を脱ぎ去った。

裸同然ともいえるサポーター姿になると、会場のボルテージはピークに到達した。本人によればこれも日本文化の相撲を意識した表現なのだという。

肉体的なパフォーマンスを追求するあまり、行き過ぎたことも起こった。

3m以上の高さから飛び降り、ロック・スターの破滅的な最期を体現してみせた時は、その代償として身体を激しく痛めてしまった。

ともあれ、進化を遂げていくボウイのパフォーマンスによって、日本公演は大盛況となって、行く先々で会場を熱狂の渦に包み込むのだった。

そんなボウイがツアーの合間に足を運んだのは、歌舞伎の舞台だった。女形のトップとして知られる歌舞伎役者の坂東玉三郎と対面し、直々に女形のメイクアップを教わった。

玉三郎は初めてボウイに会った時の印象について、ステージに上がっていない時であってもジギーを演じ続けているということに驚いたという。

しかし、長時間にわたって別の人格になりきるというのは、かなりの精神的な負担を強いることだった。それはデヴィッド・ボウイとて例外ではなく、次第にジギーを演じ続けることに苦痛を感じ始めた。

そして来日から3ヶ月後の7月3日。ハマースミス・オデオンのステージでボウイは突如、ジギーからの引退を宣言する。

新たな時代のロックスターの象徴だった「ジギー・スターダスト」

デヴィッド・ボウイの確固たる地位を築いた金字塔的アルバム『ジギー・スターダスト』、原題は『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』(“ジギー・スターダストとスパイダーズ・フロム・マーズの栄光と没落”)。

1964年、デイヴィー・ジョーンズは若干17歳でレコード・デビューを果たすも、なかなかヒットには恵まれなかった。バンドを変えたり、名前をデヴィッド・ボウイに変えたりと、様々な試行錯誤を経てようやく芽が出たのは1969年。『スペイス・オディティ』のヒットでようやくミュージシャンとしての成功を掴む。

『David Bowie – Space Oddity (Official Video)』。David Bowieより

それから3年後の1972年。デヴィッド・ボウイが発表したのは宇宙から来た架空のロックスター、ジギー・スターダストを題材とするコンセプトアルバムだった。

ジギーの存在はレコードの中に収まらず、デヴィッドは自らジギー・スターダストを演じてツアーをするという構想を実行に移す。

前髪は短く立たせて後ろ髪は長く伸ばし、全体を赤に染めた奇抜なヘアスタイルはジギー・スターダスト、そしてデヴィッド・ボウイの象徴となった。

バンドメンバーにも髪を伸ばすよう指示し、ステージに上がる際には化粧を施してジギーのバックバンド、スパイダーズ・フロム・マーズへと仕立てあげる。

1972年2月からイギリスで始まったジギー・スターダスト&スパイダーズ・フロム・マーズによるツアーは世間に衝撃を与えた。数年前まで長髪というだけで女みたいだと言われた時代に、ヒラヒラしたドレスや全身にピッタリと密着したタイツを着て歌う男など前代未聞だった。

だが、ジギーの中性的な輝きは多くの若者の心を掴み、新たな時代のロックスターの象徴となった。

「このバンドも今日で最後だからだ」

ツアーは追加公演を重ね、秋からは半年かけてアメリカ中を回り、翌年には日本でもツアーを敢行する。イギリスに戻ると再び国内を回り、その後はヨーロッパなど翌年までツアーが予定されていた。

だがイギリスツアーの最終日となる1973年7月3日。

ロンドンのハマースミス・オデオンで突如その瞬間は訪れた。コンサートはアンコールに入り、次が最後の1曲という時だった。

「今回のツアーは自分の人生で最高のものになった。中でも今日のステージは一生忘れないだろう。なぜならツアーの最終日というだけではなく、このバンドも今日で最後だからだ。ありがとう」

観客はおろか、バンドメンバーやスタッフすらも驚かせる発言だった。それはジギー・スターダストに飲み込まれてしまおうとしていたデヴィッド・ボウイという人間が、自分自身を取り戻すための唯一の術だった。

『David Bowie - Ziggy Stardust (2023 Remaster) [4K Upgrade]』。David Bowieより

数年後、デヴィッドはインタビューでジギーについてこう語っている。

「ぼくもジギーに魅せられていたよ。昼も夜も、あの人物になりきるのはとても簡単なことだった。僕はジギー・スターダストになったんだ。幻想の中で、救いようもないくらい自分を見失っていたのさ」

ジギー・スターダストの最後となった7月3日のコンサートは、1984年にドキュメンタリー映画として公開され、その一部始終を観ることができる。

文/TAP the POP 写真/shutterstock

参考文献
『デヴィッド・ボウイ』ジェリー・ホプキンス著 きむらみか訳(音楽之友社)
『デヴィッド・ボウイ 神話の裏側』ピーター&レニ・ギルマン著 野間けい子訳(CBSソニー出版)

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