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カタールW杯開催の裏で多くの出稼ぎ労働者たちが酷使され命を落としていた事実はなぜ日本でほとんど報じられないのか

集英社オンライン / 2024年1月4日 17時1分

WBCでの躍進、バスケットボール日本代表がパリ五輪行きを勝ち取ったり、日本シリーズでは関西ダービーが行われたりと、2023年もスポーツが盛り上がった。年始には駅伝もあり、我々は日々膨大な量のスポーツニュースを浴びている。だがスポーツは歴史的にみると“為政者の悪事の洗濯”に使用されてきたこともある。西村章氏の『スポーツウォッシング』より、カタールW杯で報じられることがなかった中東のカファラシステムについて一部抜粋して解説する。

#2

なぜ2000年代に入って中東諸国が
スポーツ招致に力を入れ始めたのか?

二輪ロードレースの世界最高峰MotoGPが中東のカタールで初開催されたのは2004年のことだ。秋田県ほどの小さな資源国カタールの首都ドーハ郊外に建設されたルサイル・インターナショナル・サーキットで、10月2日に決勝レースが行なわれた。ちなみに、四輪レースのF1でも、この年の4月にバーレーンGPが開催されている。2004年は中東地域にとって、いわば「モータースポーツ元年」のような年だったといっていいだろう。



この当時すでに、中東では大きなスポーツイベントがいくつも開催されていた。テニスのドバイオープンは、男子大会が1993年から、女子大会は2001年から行なわれている。また、総合格闘技マニアの間で寝技世界一決定戦として知られるアブダビコンバットは1998年が初開催で、宇野薫や桜井〝マッハ〟速人たち日本人格闘家が1999年大会から参加した。

とはいえ、これらの競技の知名度はあくまで熱心なファンの間にとどまる程度で、大会を行なう各開催地の一般的な地理的認知は、「中東地域のどこか」という大雑把な理解からさほど脱していなかったようにも思う。

たとえば日本では、1993年の「ドーハの悲劇」という言葉で、カタール国の首都名だけは広く知られていた。とはいえ、そのドーハという都市は中東のどの国にあるどれくらいの人口規模の街で、風景や風物はどんな感じなのか、という具体的な事柄については、サッカーワールドカップが2022年に開催された後の現在と比べると、まだかなりぼんやりとしたイメージだったはずだ。

中東各国は21世紀になってスポーツへの投資を積極的に行なってきた

それでも、MotoGPが初開催される前年の2003年には、サッカー界のスター、ガブリエル・バティストゥータがカタールリーグへ移籍したことが大きなニュースになり、地域全体は少しずつ一般的な認知度を向上させてゆく途上にあった時期といえるだろう。

この時期は、カタールがバティストゥータを国内サッカーリーグに招聘し、MotoGPを開催。バーレーンではF1初レースを実施。その後も、中東では年を追うごとにF1の開催地が増えていった(2023年は、バーレーン、アブダビ、サウジアラビア、カタールの4大会を開催。

さらにクウェートが将来の新たな開催地として名乗りを上げているという話もある)。また、自転車ロードレースの世界でも、ツアー・オブ・カタールやツアー・オブ・オマーンなどのステージレースを実施。2006年にはアジア大会をカタールの首都ドーハで開催し、それらの延長線上に、2022年のFIFAサッカーワールドカップ・カタール大会という成果がある。

このように、中東各国は21世紀になってスポーツへの投資を積極的に行なってきた。

その理由は、開催各国やイベントごとに、それぞれ独自の事情があるだろう。だが、おしなべて言えそうなことは、1990年代の湾岸戦争や2001年のアメリカ同時多発テロ、それに続くイラク戦争などで「中東のイスラム諸国」として十把一絡げに印象づけられた政情の不安定さや、急進的で厳しい戒律という漠然としたイメージを払拭し、健康的なスポーツ競技を通じて自国に対する理解とプレゼンスを向上させようとする狙いが大きかったのだろう、と推測できる。

また、豊富な天然資源がもたらす潤沢な資金力で、贅を尽くした都市開発を行なうドバイが経済ニュースなどで注目を集め始めたのも、確か世紀を跨いだこの時期だったと記憶する。

ドバイにある世界一高いビル、ブルジュ・ハリファでトム・クルーズがノースタントのアクションを演じた人気映画『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』が公開されヒットしたのは2011年だ。これらの影響で、カネの力にモノを言わせて大規模開発で人工的に造成した富裕都市、という印象を持つ人も多いだろう。

カタールの首都ドーハも同様だ。2004年にMotoGPの取材で初めてドーハを訪れたときは、人口60万少々の小さな街のあちらこちらで再開発事業が進み、レンタカーで道を少し走れば、すぐに白茶けた埃っぽい工事現場に行き当たる、そんな風景が広がっていた。

ドーハ湾に面したアル・コーニッシュ通りはきれいに整備された広い道路で、強い陽光が水面に反射し、道路沿いに並ぶ椰子の街路樹が清潔感を美しく強調する。だが、そこから少し内陸にある環状道路から一本路地を入ると、中低所得層の人々が行き交い、街角の風情もいかにも地元風の猥雑な雰囲気を強く残していた。

そんな街並みも、毎年訪れるたびに建設現場が増えて、サッカースタジアムやショッピングモールが立ち並ぶようになり、幹線道路も拡幅されて街の美化が進んでいった。街中の至るところで夜を徹した大がかりな工事はさらに増え続け、中心部から少し離れた郊外には西欧資本の豪奢な高級ホテルがいくつも立ち並んでいった。

サッカーワールドカップの2022年開催が決定したのは2010年のことだったが、それ以降は街の整備と巨大建設工事にはさらに拍車がかかって、まるでシミュレーションゲームで都市がむくむくと成長してゆくタイムラプスシーンを見ているかのようだった。

現代の〝奴隷労働〟、中東の「カファラシステム」

これらの建設工事を行なうのは、インド、パキスタン、バングラデシュ、フィリピン、ネパールなどからカタールへ出稼ぎにやってくる移民労働者たちだ。カタール以外にも、サウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)、クウェート、バーレーンといった湾岸諸国では、建設現場や家事に従事するこれら出稼ぎ移民労働者に「カファラシステム」という独特の制度を適用してきた。

これは、出稼ぎにやってくる労働者たちのパスポートを雇用主が預かって管理する制度で、このシステムにより、労働者は勤務先の移動や出国の自由などが制限され、有無を言わせず劣悪な条件の長時間労働に従事させられてしまうことになる。制度的に、日本の外国人技能実習生たちが置かれている苛酷な労働環境と同様の問題、といえば、日本の人々にも理解しやすいだろう。

カファラシステムには国際的な批判が強く、近年では多少の制度改善が行なわれるようにもなった。しかし、実際の運用面では根本的な解決にほど遠く、課題が山積しているというのが実情だろう。

日本では、この問題が大きく報じられることはほとんどなかった。サッカーワールドカップが目前に近づいてきた時期に、欧州のメディアや参加選手たちがこれを問題視していると伝えるようなかたちで、ようやくわずかにニュースの俎上に載り始めた程度だった。

この問題の深刻さに対する皮膚感覚での理解や認知も、おそらく低かっただろう。NHKがカタールのネパール人労働者に続く不審死を2月頃に地上波ニュースで取り上げたのは、ある意味では画期的だったが、社会全体で広く問題意識が共有されるには至らなかった。

本稿の連載記事が集英社Webサイト〈新書プラス〉に掲載されたのは2022年6月初頭で、その際には「今年の11月に同国で始まるサッカーワールドカップの興奮と感動は、彼ら出稼ぎ労働者たちが劣悪な長時間労働を強いられ、体を壊し、命を落としていった事実をあっさりと押し流し、見えないものにしてしまうだろう。

これこそがまさに、スポーツウォッシングの持つ大きな〈効能〉といっていい」と記したが、今から振り返ると、現実はまさにそのとおりの結果になったという印象が強い。

多くの出稼ぎ労働者たちが
酷使され命を落とした

実際に、4月1日に首都ドーハで行なわれた組み合わせ抽選会は、日本でもテレビや新聞・ネットニュースなどで大きく報じられた。だが、この大会で使用される会場や宿泊・輸送設備などの建設で、多くの出稼ぎ労働者たちが酷使され命を落としたことについては、まったくといっていいほど報道されなかった。

これこそがまさに、日本のスポーツ報道に独特の「スポーツに政治を持ち込まない」ことを是とする〈大人の判断〉なのだろう。

ところが、FIFA(国際サッカー連盟)自身はこの抽選会に先立ち、ジャンニ・インファンティーノ会長とカタール労働大臣が会合を持ち、出稼ぎ労働者たちの労働環境が大幅に改善したことを確認する旨のプレスリリースを2022年3月16日付で発表している。

また、それに先立つ3月13日に同じくFIFAが発行したリリースでは、国際人権NGOアムネスティ・インターナショナルや労働問題の専門家たちと、この問題についてリリースの発行翌日の14日に会議を持ち、労働環境の大きな前進と今後の課題について報告・議論する予定だ、とも発表している。

自画自賛の雰囲気が非常に濃厚なこれらのプレスリリースは、現地の労働問題とそれに対する批判が強かったことを逆説的に証明している。実際に、アムネスティと並ぶ人権監視団体のヒューマンライツウォッチは、出稼ぎ労働者たちの賃金遅延や未払いがいまだに多いことを3月3日に報告している。

端的にいってしまえば、このサッカーワールドカップのために建設されたいくつもの壮麗なスタジアムも、ドーハ郊外の埋め立て地に並び立つ豪華な五つ星ホテルの群れも、そしてさらにいえば、2004年に竣工して以来、MotoGPを連綿と開催し、やがてF1も行なうことになったルサイル・インターナショナル・サーキットも、これらはすべてカファラシステムによる苛酷な労働で、文字どおり彼らの健康や命と引き換えにして建設されたものなのだ。


写真/shutterstock

スポーツウォッシング なぜ〈勇気と感動〉は利用されるのか

西村章

2023年11月17日発売

1,144円

240ページ

ISBN:

978-4-08-721290-7

「為政者に都合の悪い政治や社会の歪みをスポーツを利用して覆い隠す行為」として、2020東京オリンピックの頃から日本でも注目され始めたスポーツウォッシング。
スポーツはなぜ”悪事の洗濯”に利用されるのか。
その歴史やメカニズムをひもとき、識者への取材を通して考察したところ、スポーツに対する我々の認識が類型的で旧態依然としていることが原因の一端だと見えてきた。
洪水のように連日報じられるスポーツニュース。
我々は知らないうちに”洗濯”の渦の中に巻き込まれている!

「なぜスポーツに政治を持ち込むなと言われるのか」「なぜ日本のアスリートは声をあげないのか」「ナショナリズムとヘテロセクシャルを基本とした現代スポーツの旧さ」「スポーツと国家の関係」「スポーツと人権・差別・ジェンダー・平和の望ましいあり方」などを考える、日本初「スポーツウォッシング」をタイトルに冠した一冊。

第一部 スポーツウォッシングとは何か
身近に潜むスポーツウォッシング
スポーツウォッシングの歴史
主催者・競技者・メディア・ファン 四者の作用によるスポーツウォッシングのメカニズム
第二部 スポーツウォッシングについて考える
「社会にとってスポーツとは何か?」を問い直す必要がある――平尾剛氏に訊く
「国家によるスポーツの目的外使用」その最たるオリンピックのあり方を考える時期――二宮清純氏に訊く
テレビがスポーツウォッシングを絶対に報道しない理由――本間龍氏に訊く
植民地主義的オリンピックはすでに<オワコン>である――山本敦久氏に訊く
スポーツをとりまく旧い考えを変えるべきときがきている――山口香氏との一問一答

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