附属池田小事件から22年。宅間守という“モンスターの影”は抹消されたのか?「ワシが自分で息子の首を落としたかった」…死刑執行直後に明かした実父の胸中
集英社オンライン / 2023年12月30日 11時31分
日本犯罪史上まれに見る無差別大量殺人として社会に衝撃を与えた「附属池田小事件」から今年で22年が経った。事件当時、宅間守・元死刑囚の実家で寝泊まりし、実父Aさんと十数年間にわたって交流を重ねた記者・小林俊之氏が知る事実とは。本稿では、守の死刑執行後の実父の暮らしぶりと、最期の言葉が明かされる。
「ワシに恨みを残して死によった」
2004年9月14日。宅間守の死刑が執行された。
殺人事件の取材で名古屋のホテルにいたわたしは、守の実父であるAさんに電話をかけた。
「そうか、テレビで知ったか。なにもあらへん。遺体は入籍した女が引き取るそうだ。あいつ、籍入れてたんだな」
死刑確定後、守は同世代の支援者の女性と獄中結婚していた。Aさんは淡々と続ける。
「実はな、脳梗塞になって2週間入院してたんや。8月28日に退院したんだ。ろれつが回らなくなったよ。ら、り、る、れ、ろ、ちょっとおかしいやろ」
2日後、わたしは伊丹に飛んだ。Aさん宅の前に、マスコミはひとりもいなかった。「お父さん」と大きな声で叫ぶと、「おお。よう来た」と白シャツにステテコ姿のAさんが出てきた。この日は取材というより、ウイスキーを飲みながら雑談した。「泊まっていけ」と言われたが、疲れている様子だったので辞退した。
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宅間守・元死刑囚が自筆した中学生時代の学習ノート。表紙に「人生はSEXだ」と書かれている
翌朝9時。Aさん宅を再び訪ねた。
「あの日の朝8時すぎに『大阪拘置所です』と電話があった。ははあん、と思ったが、一瞬、夢かなと思ったよ。『今朝、執行しました』と丁寧な言葉やった。『ご遺体は奥さんが引き取るということなのでお父さんもご了承ください』と。これでひとつの区切りがついた」
Aさんは淡々と語り続けた。
「感情が動くことはなかった、と言うと嘘になる。それが証拠に血圧が上がっておるわ。あの日から上がったままや。ここ2日、3日でパアーッと上がったわ。まあ、ビールの飲みすぎもあるが。気のつかんところで気にしてるのとちゃうか。
新聞記者が来よるし、足がえろうて立てないんや。それでビールを飲んでまぎらわしていた。ワシが首を落としたかったんや、ほんまは。息子の処置はオヤジさんに任すと言われたら、ワシはすぐに首を落とす。それぐらいのことはまだできるんや。スパッと落とせるかどうかはわからんで、でもとどめは刺せるんや。老いたといえ、命ぐらいは取れる。そこまでのことをあいつはやったんや」
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宅間守・元死刑囚が自筆した中学生時代の学習ノート
わたしは、守は子どもを殺したことに1ミリでも反省はなかったのか、とAさんに聞いてみた。
「捕まってすぐに申し訳ないようなことを言っていたはずや。あれがヤツの本心だったと思う。周りが反省しろとか、なんだかんだ言うと、あいつは意地になって逆のことを言うんや。そういうところはわしと一緒。よう似ておる」
あんな守でもいいところもあったんだろうか、と聞いた。
「あいつにだっていいところはあった。しかし、死ぬまでワシはそれを口にせんつもりや。ワシに恨みを残して死によった。『オヤジの言うことを聞いていればよかった』と後悔の念が少しでもあったら救われるやろうが、まあ、それはあいつの気持ちのなかやな。そんなもの、わからへん」
Aさんはこれからどうするのか。
「けじめがついたとはいえ、これからどうのこうのはない。まず身辺整理やな。自分もそろそろ死に臨まんといかんしな」
死刑執行後の実父の暮らしぶり
「もうどうにもならんのよ。こうやってあんたと電話をすることもつらいんや。歩くことができんのやから」
2019年、正月。新年の挨拶かたがたAさんに電話をかけると、消え入りそうな声でこうつぶやいた。
守の死刑執行から15年。その間も年に何回かAさんと連絡を取ってきたが、久しぶりに聞いたAさんの言葉には力がなく、86歳と高齢ということもあり、胸がざわついた。
2月1日。安否確認のため、わたしは兵庫県伊丹市に向かった。Aさんと会うのは2年ぶりだ。前回は足の踏み場がないからと、玄関の上り口に腰掛け、ビールを飲みながら近況を語り合った。
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猫に餌をやる宅間守・元死刑囚の実父Aさん
「足がわろうなってな、バイクがないと買い物にも行けない、ワシは生きていけんのや」
そう語っていたAさんのバイクには植物の蔦が絡まり、錆びついていた。かたわらには真新しい電動自転車があった。
「まあ上がれや」
上着を何枚も着込んだAさんが玄関を開けてくれた。顔を見た瞬間、あまりの痩せように「お父さん、大丈夫かよ」とわたしは思わず叫んでしまった。
「昔は82キロあったが、今は55キロしかない。去年の11月24日に電動自転車で用足しに出たら、4、5キロの荷物でバランスを崩して、後ろにひっくり返ったんや。尻餅をついた瞬間、強烈な痛みが走って動けなくなった。
なんとか自転車にまたがって家に戻ったが、それから歩かれへんのや。1週間はできそこないのパンを食べたり、ビールばっかり飲んで過ごしていたわけや。一向に治らんから、家内が世話になっていた養護老人ホームの係員に連絡したら動いてくれたんよ」
「もうマスコミのおもちゃになりとうないんや」
今回の訪問で、わたしは長男の自殺の原因を聞いてみた。
「原因は厭世やろ。離婚して、職業もいろいろ変わって長続きしなかった。やっぱり自分はあかんと思たんちゃうか。当時、マスコミがヒトラーの『わが闘争』は守の本だと報道しよったが、あれは兄の蔵書や。ただ、なんでそんな本を読んでいたのかワシにはわからん。
ワシに確認を取れば、そんな間違いはなかったのにな。ワシを憎もうと、どないしようとかまわへんけどな、嘘を書きよることがマスコミというかメディアの姿なんだ、とあのときに感じたよ」
当時、ある月刊誌が守と母親の近親相姦を報じ、Aさんは激怒して出版社に猛抗議したことがあった。
Aさん夫妻は一時期別居したことがあり、そのとき守は母親と同居していた。「守はそういうこと(近親相姦)もやりかねないヤツや」とわたしもAさんから聞いたことがあったが、「裏も取っていないことを書くな」とAさんは憤慨した。
「あいつらも、あんたかてそうや、全部商売のネタやないか。もう、これっきりにせいや。原稿料がちょこっとでも入ればそれでよかろうが」
返す言葉はなかったが、わたしは加害者の父親の苦悩を書き残すことの意味はあると考えていた。
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航空自衛隊時代の宅間守・元死刑囚
Aさんの了解を得て守の部屋に足を踏み入れると、自衛官のポスターが剥がれていた。前回は気がつかなかったが、航空自衛隊の戦闘機のポスターが多数張られていた。守の夢の名残はそのまま漂っていた。
Aさんは腰をかばうように横になりながら、わたしに対応してくれた。わたしがおいとまさせてもらおうと声をかけると、Aさんは「ビールを飲もう」と言い出した。
「お父さん、まだまだ長生きできるよ」
「長生きしてもええやら悪いやらな。失望することが多かったりするとな、なんの意味もないしの。よかったなと思うようなことはもうない。ワシの人生はなんやったのかな」
守の死刑が執行され、ひとつの区切りがついたとき、Aさんから「これからはワシが死んでから記事を書けや。もうマスコミのおもちゃになりとうないんや」と言われた。
しかし、その後も何度も書いてきた。それは「おもちゃにしていない」という自負がわたしにはあったからだ。
この日が、Aさんと対面した最後の日になった。
「俺の人生、なんやったのかな」
2019年10月22日。安否確認のためAさんに電話をかけた。
「風呂とかは介護の車に送ってもらっている。ワシという人間は、なんでこんなに揉めごとが多い一生を送らんとならんのか。しかし、今のこんなに安定した気持ちは初めてやな」
言葉に力がなく、何を言っているのか聞き取れないほど、ろれつが回っていなかった。その後、何度か連絡を入れたが通じることはなかった。施設に入ったのだとわたしは思った。
事件から20年の節目である2021年6月。古い付き合いの写真週刊誌からAさんの取材を依頼された。連絡が取れない旨を編集者に説明すると、「なんでもいいからデータが欲しい」と言われ、Aさん宅の墓や、奥さんが入居していた施設などをレクチャーした。当時、取材協力してくれた方々に電話を入れたが、Aさんの行方は判明しなかった。
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幼い宅間守・元死刑囚を抱く実父Aさん
「グーグルアースで見ると、宅間守の自宅が更地になっている」
カメラマンから情報が入った。謄本から、土地は親族が相続していることがわかった。大阪の記者が取材に当たると、親族が特別に取材を受けてくれた。
Aさんは2020年4月に肺ガンで他界していた。享年88歳。宅間家の土地を更地にして、墓じまいも行っていた。親族は、守というモンスターの影を抹消したかったのだろう、とわたしは思う。
「俺の人生、なんやったのかな」
親族に語った、Aさんの最期の言葉だった。
『前略、殺人者たち 週刊誌事件記者の取材ノート』(小林俊之、ミリオン出版)
小林俊之
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2015/11/9
1,650円
191ページ
978-4813022640
殺人現場を東へ西へ
事件一筋30余年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。
報道の裏で見た、あの凶悪犯の素顔をいま明かす!
大阪教育大附属池田小事件:宅間守
秋葉原通り魔事件:加藤智大
松山ホステス殺人事件:福田和子
東京・埼玉連続幼女殺人事件:宮崎勤
奈良小1女児殺害事件:小林薫
本庄保険金殺人事件:八木茂
愛知・新城JC資産家殺害事件:五味真之(仮名)
首都圏連続不審死事件:木嶋佳苗
熊谷男女4人拉致殺傷事件:尾形英紀 少女A
帝銀事件:平沢貞通
奈良母姉殺傷事件:畑山俊彦(仮名)
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