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〈美川憲一が振り返る紅白〉小林幸子との“豪華衣装対決”で「パチンコ屋みたい」発言は真っ向否定。最近の紅白は「名前もわからない歌手ばかり。私をまた紅白に出しなさいよ!」

集英社オンライン / 2023年12月31日 10時1分

大晦日の風物詩、NHK紅白歌合戦。その平成時代の名物となっていたのが白組・美川憲一と紅組・小林幸子による“豪華衣装対決”。しかし、その舞台裏ではふたりによる“口撃合戦”も行われていた⁉

「小林幸子に対抗できるのはジュリーではなく私よ!」

美川憲一さんが紅白に初出場したのは1968年、22歳のときだ。それから7年連続出場ののちはいったん落選。「一度、落選すると復活は難しい」とされる紅白において、1991年に復活すると、以降19年連続出場を果たした。

一方、ライバルとされた小林幸子さんは、美川さんと入れ違いのかたちで1979年に初出場すると、2011年まで33年間連続で出場し続けた(2015年にも特別企画で出演)。初出場以降、小林さんの衣装が年を追うごとにド派手になっていくのを、画面越しで見ていた美川さんは密かにメラメラと闘志を燃やしていた。



「さっちゃん(小林幸子)のド派手衣装に対抗できるのはジュリー(沢田研二)ではなく私!って、ずっと再出場のチャンスを狙ってたの」

美川憲一さん

美川さんは1989年の正月に放送された「オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!」でコロッケにものまねされると、1990年に出演した「タンスにゴン」のCMでの「もっと端っこ歩きなさいよ」というフレーズが大流行。“オネエキャラ”として再ブレイクし、91年の紅白歌合戦で17年ぶりに夢の舞台へと舞い戻った。

「そのときは豪華なアラビアン衣装で出たわ。『タンスにゴン』のCMのオマージュで自転車に乗って舞台に登場して、間奏ではコロッケも現れて一緒に『さそり座の女』を歌ったの。でもさっちゃんはその年、初めて空中浮遊という演出をしたからたまげたわよ。

その後も、私とさっちゃんで“豪華衣装対決”なんて言われたけど、ふだんはお食事や旅行も一緒に行ったりする仲なのよ」

歴代の衣装は2年前、粗大ゴミに出した

そんなふたりの最後の対決となった2009年での出来事。

小林さんが出番を終えて廊下を歩いていると、すれ違いざまに美川さんから「パチンコ屋かと思った」と言われたというエピソードを小林さんが今年11月8日放送の『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系)で紹介したのだが、美川さんはこう反論する。

「それは解せないわね。私が人の衣装にケチつけること言うわけないじゃない。さっちゃん自身が『なんか私の格好、パチンコ屋みたい』って思ってただけでしょ。自分の心の声が私の声に聞こえちゃったんじゃないの(笑)。やめてよ〜」

そう笑い飛ばすも、それぞれが自分の衣装にプライドを持っていたことは事実だろう。小林さんとしのぎを削った数々の豪華衣装はどのようにして作られていたのか。

今年5月、「東京レインボープライド」に出演した際の美川憲一さん

「毎年、『こんな感じのデザインで作ってほしい』とデザイナーにオーダーして、相談しながら製作していくんだけど、宝石もつけるもんだから、それこそ数億円かけて作った衣装もあったわね。歴代の衣装はずっと倉庫で管理してたけど、2年前にほとんど処分しました。残したのは、お気に入りの孔雀の衣装だけ。これは一昨年出演したラスベガスのショーでも着たのよ」

紅白で数々の名場面を演出してきた美川さんなりに、今の紅白には思うことがあるようだ。

「最近じゃ、新しい人がやたらと出場して歌謡ショーみたいなつくりになってるけど、昔は新人枠なんてせいぜい3、4組しかなかったのよ。私なんて『柳ヶ瀬ブルース』がミリオンセラーになって『新潟ブルース』も売れたのに出られなくて『なんでよ⁉︎』と、さすがにカチンときてたのよ。

『釧路の夜』で出られたときは、これでようやく一人前の歌手になれた、やっと親孝行ができると思えてうれしかったわ」

「また紅白に出しなさいよ!」

計26回の紅白出場のうち、7回も歌唱したという美川さんの代表曲『さそり座の女』。しかし、この曲を紅白で歌えるとは思っていなかったという。

「当時の紅白は歌詞の規制が厳しかったのよ。『大阪の夜』や『おんなの朝』なんて“行為”を連想させるとかで、紅白どころかNHKでは歌唱禁止とされてしまったの。『さそり座の女』だって、歌詞が『地獄のはてまでついて行く』だの『さそりの毒はあとで効くのよ』だの言葉が強いから、ダメかと思ってたの。

でも女心への共感があったのかしらね。2006年から2009年まではそれぞれの年のアレンジバージョンも歌わせてもらって、それはいい思い出ね」

デビュー当時、“美少年”と呼ばれたころの美川憲一さん

しかし、2009年を最後に美川さんは紅白へと出場していない。

「2009年の12月にNHK関係者がウチの事務所にやってきて、私も立会いのもと『いろいろとやっていただきましたが、来年は……』ということだったので、『楽しかったです。ありがとうございました』と言いました。本音を言えば、これでようやく年越しをロスで過ごせるわーって安堵の思いだったわよ」

紅白再出演への思いについても聞いた。

「今年は8月に私の実母と育ての母への感謝を歌った新曲『ふたつの愛』を発売したんだけど、久しぶりにキャンペーンイベントをやったの。77歳にして東京だけでなく埼玉や千葉や京都などのショッピングモールを渡り歩いて歌ったわ。私が言い出したことよ。

私もいよいよ来年の6月で60周年。だからこれまでの曲調とは違った作風の新曲も作っていただくし、大きなイベントも企画してるの。来年は忙しいけど、歌手人生の節目にしたいと思ってるわ。
紅白に未練はないの。ただ、最近は名前もわからない歌手ばかり出ちゃってて重みもないわよね。だから、私をまた紅白に出しなさいよ!」

取材・文/河合桃子
集英社オンライン編集部ニュース班

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