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【新大河『光る君へ』第一話】「なぜ女子なのに漢文がわかるのか」の問いに紫式部(まひろ)の答えは。現実とフィクションがせめぎ合う展開はいかに

集英社オンライン / 2024年1月8日 16時41分

2024年のNHK大河『光る君へ』の第一話が放映された。早くも話題を巻き起こしているその内容と見どころ、史実との比較、今後の展開予想を、『みんなで読む源氏物語』(ハヤカワ新書、2023年)を上梓した渡辺祐真(スケザネ)氏が徹底解説する。 【※本記事では『光る君へ』の内容やネタバレを含みます。ご注意ください】

舞台は、大河としては珍しい「平安時代」

2024年のNHK大河『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)の放送が、1月7日に始まった。

中心となる人物は、吉高由里子演じる、『源氏物語』の作者で知られる紫式部〈まひろ〉。そして柄本佑演じる、貴族社会の頂点に立つ藤原道長〈三郎〉だ。

大河ドラマ『光る君へ』メインビジュアル ©NHK


時代は平安時代中期(西暦1000年前後)。多くの大河ドラマがテーマにしてきた大きな動乱や戦は少ない分、宮中での権謀術数や腹の探り合い、出世のための手練手管が政治をも動かしていた時代である。

放送前にも、本作のテーマに「戦はなし」と語られていた通り、第一話から貴族たちの陰湿でしたたかなやりとりが基調をなしていたのは、平安時代の特徴がよく表れていたように思う。

第一話のあらすじは?

第一話では、まひろの幼少時代が描かれた。

まひろの父・藤原為時(岸谷五郎)は下級貴族だが、五年前から現在に至るまで官職を得られず、貧しい生活を送っている。

そんな日々の中でも、まひろは父とともに書物に親しみ、小鳥の世話を楽しみに明るく生きている。

対照的に描かれるのが、時の権力者たる藤原兼家(段田安則)の一族。兼家には、道隆(井浦新)、道兼(玉置玲央)、詮子(吉田羊)、そして三郎(のちの藤原道長、木村皐誠)という4人の子どもがいる。

詮子は天皇に嫁ぎ、道隆は野心に燃え、次男の道兼は兄に対する対抗心から強い焦りを覚えている。その中で三郎だけは持ち前のマイペースさを崩さず、すくすくと育っていく。

そんなある日、まひろは不注意から飼っていた小鳥を逃がしてしまう。慌てて小鳥を追いかけ河原までやってくると、そこにいたのは三郎だった。二人の運命的な出会いである。

三郎は涙ぐむまひろを慰めてやり、おどけて自分の足で地面に字を書く。まひろは名前ではなく漢文を書いてほしいとせがむと、「女子なのになぜ漢文が書けるのか」と三郎は訝しむ。そこでまひろはとっさに「自分は帝の血を引く姫君だから、漢文を教わったのだ」と嘘をつく。

それを縁に、二人はしばしば会うようになるのだが…。

以上が第一話の中盤ごろまでのあらすじである。

なぜ紫式部は漢文に通じていたのか

第一話を丸々使ってまひろの幼年時代が描かれたが、実は紫式部の前半生で明らかになっている史実はほとんどない。

その数少ないものの中でとりわけ有名なものは、『光る君へ』でも描かれた、『紫式部日記』の次のエピソードだろう。

幼かった頃、兄弟の惟規が漢籍を学んでいた。彼が理解できなかったり、覚えられなかった箇所を、私がスラスラと理解し、暗誦してしまうので、学問に熱心な父親は「もったないない。お前が男のだったら良かったものを」とよく嘆いていたものだ。

(原文)この式部の丞といふ人の、童にて書読みはべりし時、聞きならひつつ、かの人はおそう読みとり、忘るるところをも、あやしきまでぞ聡くはべりしかば、書に心入れたる親は、
「口惜しう。男子にて持たらぬこそ幸なかりけれ」
とぞつねに嘆かれはべりし。

※現代語訳は著者による意訳。原文は、宮崎莊平『新版 紫式部日記 全訳注』(講談社学術文庫、2023年)による。

宮崎莊平『新版 紫式部日記 全訳注』(講談社学術文庫、2023年)

紫は幼いころから聡明だったが、当時は正統的な学問たる漢文は男性がやるものとされていたため、彼女の漢文の知識は不要なものとされていた。そのことを恥と考えた後年の紫は、自分が漢字の「一」すらも書けないフリをするなど、痛ましい努力を重ねることになる。

では、なぜ紫は漢文に通じていたのか。

それは父・為時によるところが大きい。

為時は元服後に文章生になった。文章生は現在でいうところの大学生のようなもので、漢文を学び、官僚になる準備をする。ただし大学といっても、家柄のいい真のエリートがいくようなことはほとんどなく、むしろ恵まれない家柄の者が就職するためになんとか入るような場合がほとんどだった。

そう、為時は決していい家柄ではなかった。それでも必死に漢文を学んだ結果、『本朝麗藻』という漢詩集に十三首の作品が入集されるほどになった。

だが、家柄が強くものを言う時代にあっては、それだけの漢文の知識を持ってしても重用されることはなかった。

そう考えると、為時が子供に漢文の教育を施していた思いが、そう単純なものではないことが推測されるだろう。

漢文の知識はいったいどれほど役に立つのかという懐疑がありながらも、学者として漢文を愛する気持ちは抑えられない。

『光る君へ』でも、漢文に興味を持つまひろに対して、為時が「男子だったら…」と言いつつも、うれしそうにしているのが印象深い。(このように言われた後、まひろが複雑そうな面持ちを浮かべる様子が数秒流れる。このことは後述する)

現実とフィクションのせめぎ合い

ここで少し話を転じよう。

第一話から魅力的な登場人物が数多く登場したが、中でも異彩を放っていたのはユースケ・サンタマリア演じる安倍晴明だろう。なにしろこのドラマで一番最初に登場するのが彼なのだ。

一般的に安倍晴明と言えば、摩訶不思議な力を使い、式神を呼び出し、鬼と戦う魔法使いのような人物をイメージされているかもしれない。

だが『光る君へ』の安倍晴明は、常に寝不足で目の下に大きなクマを作り、神経質そうに巻物を繰っている。

ユースケ・サンタマリア演じる安倍晴明 ©NHK

実は史実に照らし合わせると、この安倍晴明のほうが実情に近いのだ。というのも、陰陽師というのは、先ほど述べたような超常的な力を操るスーパーマンではなく、災異や土木工事、暦作成に際して、天体や地形を読み解く公務員だったからだ。となれば当然、実直で地道な作業が要求されるし、出世欲も人並みにある。『光る君へ』の晴明は政治的な駆け引きにも聡い。

彼はさまざまな知識と観察に基づく占い(解釈)という力で、世界を理解しようとするのである。

なぜ晴明がこれほど印象的なのか。あくまで現段階での私見に過ぎないが、物語全体のテーマに通底するからではないかと考えている。

それは「現実と虚構(フィクション)のせめぎ合い」だ。

晴明が「占い」という虚構によって現実を理解し、掌握しようとするのと同様(あるいは対照的)に、まひろは「物語」という虚構で現実に立ち向かおうとする。

それが先述した、三郎に対する作り話である。

三郎から「なぜ女子なのに漢文がわかるのか」と問われ、彼女は即座に作り話で応酬した。

これは単なる悪戯心だろうか。

そうとも考えられるが、父の為時から「漢文に造詣が深くても男子でなければ……」というほぼ同趣旨のことを言われた際に、複雑な表情を浮かべていたことを思い返してほしい。

この時、まひろは自分を納得させるために物語を紡いだのではないだろうか。

現実に立ち向かうために、自分が漢文を理解できる正当性を持つ物語を練り上げ、再び同じ問いを投げかけられた際にその物語で応答した。実際、それによって一度は納得できたはずだ。

しかし、彼女は自分の物語を信じ抜くことができない。しばらくしてから三郎と再会したときに、まひろは自分が嘘をついていたことを告白する。作り話を信じるなんて「馬鹿」だと、故事まで引用して。

では、まひろはこのまま現実に敗北してしまうのだろうか。

もちろんそんなことはないだろう。そうでなければドラマとして成立しない、という無粋な回答はもちろんだが、『源氏物語』に次のような一節があるからだ。

歴史(事実)には一面的な記述しかないが、物語にこそ筋の通った詳しいことが書いてあるのでしょう。

(原文)神代より世にあることを、 記しおきけるななり。『日本紀』などは、ただかたそばぞかし。これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ

『源氏物語』「蛍」

『源氏物語』の「蛍」巻では、光源氏による物語論が展開される。

物語の価値に対して疑義が呈されながらも、物語の価値や意義が強調されるのだ。

物語を信じることは難しい。現実のほうが強く、物語は脆いからだ。

だが、歴史に残る最高の虚構『源氏物語』を紡ぐまひろは、物語の持つ力や価値に対して何度も逡巡を繰り返しながら、徐々にこの地点に到達するのではないだろうか。

『光る君へ』で描かれる主題とは?

現実と物語、どちらが力を持つのか。

その問いはよりメタなレベルでも仕掛けられている。

それがまひろが小鳥を逃がしてしまうシーンだ。『源氏物語』の有名なシーンに次のようなものがある。

「子雀を犬君が逃がしてしまったの。伏籠の中に閉じ込めておいたのに」と、とても残念そうな様子だ。

(原文)雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠(ふせご)のうちに籠めたりつるものを」とて、いと口惜しと思へり。

『源氏物語』「若紫」

これは、光源氏が生涯を通して最も愛する女性である紫上(若紫)と出会うシーンである。

土佐光起筆『源氏物語画帖』「若紫」

いろいろと状況は違うが、まひろと三郎という主人公たちの運命の出会いに、雀の子供を逃すシーンを持ってくるのは、なんともにくい取り合わせではないか。

そして妄想を広げるなら、後年のまひろが『源氏物語』を書く際に、このことを思い出して執筆するとは考えられないだろうか。

その時、物語(虚構)は現実を苗床としながらも、物語(虚構)としての最高の強度を持ち、やがて現実を超越する。

まひろがどのように現実と向き合いながら、最高の虚構を作り上げるに至るのか、今から楽しみでならない。


【参考文献】
・山本淳子『源氏物語の時代』朝日新聞出版、2007年
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』講談社、2023年
・増田繁夫『評伝紫式部』和泉書院、2014年

文/渡辺祐真(スケザネ)

みんなで読む源氏物語

渡辺祐真(編)

2023年12月19日

1122円(税込)

新書判/280ページ

ISBN:

978-4-15-340018-4

みんなで読めばこわくない。
源氏はこんなに新しい!

国文学者や日本語学者、歌人に能楽師、芸人、物理学者、英→日の「戻し訳」や最新の現代語訳を手がけた作家、翻訳家まで、『源氏』に通じ愛する面々が多方面から集結。1000年以上にわたりこの作品が読み継がれる理由に現代的な観点から迫る。編者は著書『物語のカギ』などで話題の書評家・渡辺祐真(スケザネ)さん。

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